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青書・白書・提言
第3章 主要地域情勢
1.アジア及び大洋州
(1)中国とその周辺国・地域
(2)朝鮮半島
(3)東南アジア
(4)南西アジア
(5)大洋州
2.北米
3.中南米
4.欧州
(1)欧州統合の進展
(2)新たな安全保障秩序の模索
(3)経済の動向
(4)中・東欧諸国等の動向
(5)日欧関係
5.ロシア・NIS
(1)ロシア
(2)NIS諸国
6.中東
(1)最近の中東情勢と村山総理大臣の中東訪問
(2)イラク・イラン情勢
(3)GCC諸国
7.アフリカ
1. アジア及び大洋州
(1) 中国とその周辺国・地域
中国は、「社会主義市場経済」の名の下で改革・開放政策を推進し、著しい経済成長を達成している(95年は10.2%)が、インフレや地域間格差の拡大、国有企業・農業の不振といった問題も存在している。対外関係では、平和で安定した国際環境の創出及び諸外国との友好関係の維持は、経済建設に不可欠であるとの認識に立った外交を進めている。対米関係については6月の台湾の李登輝「総統」の訪米後一時期後退したが、その後10月に米中首脳会談が実現するなど修復へ向けた動きもあった。日中間では、戦後50年に当たる95年5月に村山総理大臣が訪中し、幅広い問題につき率直に意見交換したほか、国連総会やAPEC等の機会を捉えて、首脳、外相レベルでの対話を頻繁に継続した。このような対話を通じ、将来を見据え日中関係を更に発展させていくことを日中両国で確認した。一方で、中国の2度にわたる核実験に対しては、8月に対中無償資金協力の供与を原則として凍結する措置をとった。また、日本は、台湾問題については、東アジアの平和と安定の観点から当事者間での平和的解決を求めてきている。
香港の返還問題に関しては英中間の交渉に改善の動きが見られる。台湾は民主化が一層進展する中で、対外的にはその経済力を背景に諸外国との関係強化、国際機関への参加を目指している。モンゴルでは民主化と市場経済化が着実に進展している。
(2) 朝鮮半島
朝鮮半島においては、軍事境界線を挟んでの兵力対峙の状況に基本的な変化は見られない。6月、南北間にて、韓国がコメ15万トンを一次分として北朝鮮に無償供与することが合意され、10月までに実施されたが、現在のところ南北関係の改善にはつながっていない。95年には北朝鮮の核兵器開発問題の解決に向け、米朝間の合意された枠組みの着実な実施に向けた努力が続けられた。北朝鮮が3月に設立された朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)との協力を引き続き進めることにより、核兵器開発問題が解決されるとともに、南北関係が進展していくことが期待される(北朝鮮については
第1章3.参照
)。
韓国では、6月に統一地方選挙が行われたが、野党・無所属が躍進し、与党には厳しい結果となった。年末には、秘密資金問題に関連して盧泰愚前大統領が収賄容疑により逮捕され、また79年のいわゆる粛軍クーデターに関連して全斗煥元大統領が逮捕されるなど、政局に大きな動きが見られた。
95年後半には、歴史認識の問題等を巡って日韓関係には一時難しい状況も見られたが、11月のアジア太平洋経済協力(APEC)大阪会合の際の日韓首脳会談、外相会談において率直な意見交換が行われ、今後日韓関係を前向きに進展させる端緒が得られた。
(3) 東南アジア
東南アジア諸国は、シンガポール、マレイシア、タイ、インドネシア等を中心に引き続き高い経済成長を達成し、投資機会の拡大や域内貿易の進展が見られる。また、東南アジア諸国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心に、外交面でもAPEC、ASEAN地域フォーラム(ARF)等の東南アジアやアジア太平洋地域の様々な協力や対話に積極的に取り組み、さらにアジア欧州会合(ASEM)の開催(96年3月に開催)を提唱する等新たな地域間協力の構築にも積極的姿勢を示している。
また、7月のヴィエトナムのASEAN加盟、カンボディアのオブザーバー資格の取得、ミャンマーのオブザーバー資格申請等ASEANの拡大へ向けての動きも見られた。このような中で、12月にタイのバンコクで行われた第5回ASEAN首脳会議の際には、カンボディア、ラオス、ミャンマーの首脳の参加を得た東南アジア10か国首脳会議が初めて開催され、政治・安全保障、経済の各分野でASEANを中心とした東南アジアにおける地域協力関係の更なる強化が図られた。
ヴィエトナム、ラオス、カンボディアのインドシナ各国は、東アジアの飛躍的経済発展への参画を目指しつつ、市場経済を志向した経済改革を進めている。日本は、インドシナ地域全体の調和のとれた開発に向け2月にインドシナ総合開発フォーラム閣僚会合を東京で開催した。
ミャンマーにおいては、7月にアウン・サン・スー・チー女史の89年7月以来6年間にわたる自宅軟禁が解除された。このような事態の進捗を受け、日本は対ミャンマー経済協力方針を一部見直す一方、現政権との対話を維持し、同国の民主化と人権状況の改善を粘り強く働きかけてきている。
日本は、8月にブルネイにて行われたARF及びASEAN拡大外相会議への河野外務大臣の出席及びタイ、カンボディアへの訪問、11月のAPEC大阪会合における対話等を通じ、これら諸国及び地域との協力増進に引き続き努めた。
(4) 南西アジア
この地域には、カシミール問題、インド・パキスタンの核開発疑惑等の不安定要因が存在している。その一方、インドをはじめ、経済自由化政策の結果、他の地域との経済的結びつきを強めており、インド、パキスタン等は、APEC、ARFなどのアジア太平洋の地域協力への参加に関心を示している。また、12月には、インドがASEAN対話国となった。日本としてもこの地域との関係強化に努めており、95年はネパール、バングラデシュ、インドの各外相、96年1月にはブットー・パキスタン首相が訪日した。
(5) 大洋州
豪州、ニュー・ジーランド及び太平洋島嶼国合計16か国・地域が構成する南太平洋諸国首脳会議(SPF)は、仏領ポリネシアにおける仏核実験再開の動きに一貫して強い反対・抗議の意思表示を行い、SPF加盟国間の結束・存在感を印象づけた。日本とSPF加盟国との関係は、これまでの経済協力に加え、日本が仏核実験に対し毅然たる反対の姿勢を堅持したこともあり、9月のSPF首脳会議のコミュニケにおいて日本の貢献が高く評価された。また、5月のキーティング豪首相の訪日時、村山総理大臣との間で日豪間の揺るぎないパートナーシップを誓った共同宣言が発出された。
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2. 北米
米国及びカナダでは、後述するとおり国内政局に対立的な様相が強く現れ、両国が引き続き過渡期の政治状況にあることが伺われたが、内政上の問題が結果としてクリントン米大統領、クレティエン加首相の訪日の延期という形で日本との関係にも影響を及ぼした点でも注目された。
米国の政局は、94年の選挙における歴史的な勝利により40年振りに議会上下両院で多数を占めた共和党が政策主導権を握りながらも、しだいに国民の間に同党の「行き過ぎ」への懸念が広まり、クリントン大統領(民主党)の支持率が、中東和平、ボスニア停戦合意・和平協定合意等の外交面での成果もあって持ち直し始めた。
95年1月に開会された新議会では、共和党が小さな政府をめざす政策提言である「アメリカとの契約」(94年9月に発表された下院で共和党が過半数を制した場合の100日政策プログラム)の関連法案の審議と採決を異例の速さで行い、その結束力と実行力を示した。これに対しクリントン大統領は、年頭の一般教書演説(施政方針演説)で、中道寄りの姿勢を再確認し、一方で共和党の行き過ぎには断固とした姿勢で臨むことを明確にした。
同年後半には、政策の焦点が予算及び予算関連法案の審議に移り、議会共和党は、政策の柱である7年間で均衡財政を達成する政策を進めた。クリントン大統領も10年間という具体的期間を明示して均衡財政を達成する案を発表し、中道よりの姿勢を明らかにした。財政均衡策に大統領の同意を取り付けたことは共和党にとり大きな進展であったが、具体的な達成方法について、クリントン大統領と議会民主党は、メディケア(高齢者医療保険)といった国民に人気の高いプログラムやメディケイド(低所得者医療扶助)の削減等について共和党議会の「行き過ぎ」を批判し、両者の間で対決姿勢が強まった。13本ある歳出予算法案が1本も成立しないまま新会計年度(95年10月~96年9月)を迎え、暫定予算を組んで審議を継続したが、膠着状態になり、結局11月と12月(から96年1月にかけて)の2回政府機能が一部停止する異例の事態に陥った。その間、クリントン政権は7年間の財政均衡達成に合意したが、具体的実施方法について合意が得られなかった。
こうした政局に大きな影響を与えているのが、96年11月に行われる大統領選挙である。両党の候補者を絞る各州の予備選挙が同年早々に始まるため、挑戦者である共和党の各候補者、また再選に万全を期すクリントン大統領とも、選挙活動を活発に行っている。第3党の設立の動きや二大政党の枠を越えた動き等も注目されている。
大統領選挙と同時に行われる連邦議員選挙については、共和党が多数党の地位を守れるか、あるいは民主党が一院なりとも奪回するかが焦点であるが、上院議員選挙については、現職改選議員のうち、既に民主党8名及び共和党4名という記録的な多数が不出馬を表明(95年12月末時点)しており、選挙の帰趨は予断を許さない。
米国経済は、前半は減速傾向となったが、後半に入って緩やかに拡大している。雇用も緩やかな拡大傾向が続いており、物価も総じて安定して推移している。一方、95年度の財政赤字は、米国の好景気による税収増と政府支出削減努力等により、トルーマン政権時代以来の3年連続赤字減少となったが、上述の通り、議会と行政府が予算審議を巡って対立しており、今後の動向が注目される。
対外政策面では、(A)国際社会における米国の関与と指導力の維持、(B)世界の大国(西欧、日、中、露)との建設的関係、(C)開放された社会や市場構築のための機構の強化、(D)民主主義や人権擁護の4分野を基軸にしつつ(クリストファー国務長官の議会証言)、ボスニア和平、中東和平、北アイルランド問題、対ヴィエトナム政策、核不拡散条約の無期限延長等の分野で、積極的な役割を果たした。クリントン政権の要人は、95年になって随所で外交における米国の指導力の重要性を強調してきているが、一連の成果はそうした姿勢を反映させたものとも言え、クリントン政権自身、95年は、「冷戦終焉以来最良の年」(クリストファー国務長官)と自負している。他方内向き指向を強める共和党主導の議会との関係では、多国間外交のあり方や冷戦後の諸問題への米国の関与のあり方をめぐって軋轢が見られた。
カナダでは、クレティエン首相の率いる自由党政権が、雇用創出と財政赤字の削減を最重要課題に掲げ、高い国民の支持を得て、政局は安定的に推移してきた。但し、10月末ケベック州において同州の主権獲得の是非を問う州民投票が実施され、主権獲得を求める意見が否決されたが、その結果が極めて僅差であったこともあって、ケベック問題は今後とも内政上の問題としてくすぶり続けることは避けられない情勢である。外交面では、カナダはG7サミットの議長国として6月にハリファックス・サミットを主催するとともに、同サミットで開催が決定されたG7テロ閣僚会合を12月に主催した。
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3. 中南米
95年は、中南米地域にとって、民主主義の定着、市場経済原理に基づく経済改革の推進、経済統合をはじめとする域内協力の進展という90年代以降の同地域を特徴づける3つの動きが、いくつかの試練を経つつ一層明確になった一年であった。
93年から95年にかけて中南米の17の国で大統領選挙が円滑に行われ、特に、91年のクーデターにより再び軍の支配下におかれたハイティにおいて、国際的な支援の下に民主政権が復帰を果たし、95年には議会・地方選挙、さらには大統領選挙が平和裡に実施された。このことは、中南米における民主化の定着を裏付けるものである。
また、中南米地域は、各国の真摯な経済改革努力の結果、インフレ抑制、財政赤字の削減、経済活動の活発化等において成果を挙げ、東アジアに次ぐ世界経済の成長センターとなっている。このような中、94年末に発生したメキシコ金融危機は、他の中南米諸国や世界経済全体にも影響をもたらし、急速に経済発展を遂げている途上国における経常収支赤字の拡大や国際的な短期資本移動の持つ危険性を国際的に認識させるものとなった。しかし、メキシコをはじめ中南米各国はそれぞれの国情に応じた調整政策を迅速に実施し、また、国際社会からの支援も得て危機の深刻化や波及をくい止めることにおおむね成功した。
さらに、これらの動きに加え、政治・経済両面で域内協力の進展が見られる。政治面では、米州機構(OAS)やリオ・グループ(中南米の主要14か国で構成)等を通じて、ハイティ問題等地域の重要な問題について広範な協議が行われており、また、95年1月に発生したペルー・エクアドル間の国境紛争は、その仲介にあたった周辺国の努力により短期間のうちに沈静化し、永続的解決に向けた交渉が進められている。経済面では、95年1月よりブラジル、アルゼンティン等4か国による南米共同市場(MERCOSUR)が関税同盟として発足するなど、域内貿易自由化を目指す経済統合が進展している。
最近の中南米諸国の対外姿勢の特徴としてアジア太平洋地域、とりわけ日本との関係強化への関心の増大が挙げられる。95年11月のアジア太平洋経済協力(APEC)大阪会合には、メンバーであるメキシコ、チリから、それぞれ大統領・閣僚が参加したのをはじめ、95年中、中南米より5人の国家元首と、延べ11人の外相が訪日した。また、95年は、日本がブラジルとの間で修好通商航海条約を署名して丁度100年に当たり、一年を通じて日本・ブラジル両国において活発な要人往来、多彩な記念行事が行われた。
日本は、中南米諸国が良好な政治・経済状況を維持・向上させ、長期的安定を確保することが国際社会の安定にとり重要であるという観点から、民主化及び市場経済改革への支援を対中南米外交の基本にしている。例えば、95年においても、ペルー、ハイティ、グァテマラに対してOASなどの国際機関を通じて選挙監視要員を派遣した。さらに、日本は、中南米諸国が国際社会におけるより一層建設的な役割を果しつつあるとの観点から、同地域との政策対話の強化にも努めている。国連総会時におけるリオ・グループ各国との外相会合も95年で7回を数え、また、95年5月には同グループの幹事国3か国(エクアドル、ブラジル、ボリヴィア)とのトロイカ外相会合を東京において実施した。また、95年の国連総会時に実施された中米・パナマの6か国との外相会合において、定期的な意見交換のための「対話と協力」フォーラムの設置が決定され、その第1回会合が11月エル・サルヴァドルにて開催された。
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4. 欧州
欧州では、政治・経済面において欧州連合(EU)の統合プロセスが進展するとともに、安全保障面においても北大西洋条約機構(NATO)や欧州安全保障協力機構(OSCE)、西欧同盟(WEU)等を中心に冷戦後の欧州安全保障のあり方につき活発な議論が行われている。新しい欧州の秩序構築に向けての動きが本格化しており、一体性を強める欧州は、国際社会における重みを更に増しつつある。
(1) 欧州統合の進展
EUは、欧州の中核として求心力を一層強めつつあり、統合の拡大と深化を続けている。拡大の面においては、95年1月1日にオーストリア、スウェーデン、フィンランドの3か国が新たに加盟し、加盟国数が15か国に増加し、更に、周辺国の加盟申請が相次いだ(95年には、ルーマニア、スロヴァキア、ラトヴィア、エストニア、リトアニア及びブルガリアが加盟申請を行った)。深化の面では、93年11月に発効したマーストリヒト条約(欧州連合条約)の着実な実施が見られる。マーストリヒト条約の見直しにつき、マドリッド欧州理事会においては、96年3月に政府間会合(IGC)の第1回会合を開催し、以後、機構改革、共通外交安全保障政策の更なる強化、EUと市民の関係強化等につき議論していくことが決定された。このIGCは、EUが統合の拡大と深化を更に進める上で、また新しい欧州の秩序を構築する上で極めて重要な会合となるものと思われる。
(2) 新たな安全保障秩序の模索
冷戦終焉後、欧州の新たな安全保障の枠組みを構築する努力がNATOやOSCE、WEU等を中心に続けられているが、95年11月の旧ユーゴー和平合意達成によりこの動きが加速されつつある。
NATOは、旧ユーゴー和平履行のため和平実施部隊(IFOR)派遣を決定し、NATOが冷戦終焉後模索してきた集団防衛以外の新たな任務である地域紛争への対処(具体的には停戦分離地帯の確立と監視)の役割を担いつつある。また、NATO拡大については、「NATO拡大報告書」が95年9月に採択されると共に、PFP(平和のためのパートナーシップ)の下での協力が進められているが、NATO拡大についてロシアは依然として反対の姿勢を示している。OSCEでは、その実行力の強化や「21世紀に向けての共通かつ包括的欧州安全保障モデル」につき活発に議論されるとともに、旧ユーゴー和平履行においても選挙実施や人権侵害の監視、軍備管理・軍縮等において積極的な役割を果たすこととなり、12月に開催されたOSCE外相理事会において、ボスニアへのミッション等の派遣が決定された。その他、WEU(西欧同盟)では、独自の作戦能力の向上やEUとの将来の関係も含め、今後のあり方につき議論が行われている。
図表9(欧州の主要国際機構)
(3) 経済の動向
94年以来回復に転じていた欧州経済は、95年も引き続き成長を維持する見込みである(94年のEU全体の実質GDP成長率は2.7%、95年の実質経済成長率見通しは2.7%(欧州委員会発表))。これは、主に域外経済活動の伸びや域内の金融緩和を背景に、輸出及び企業収益が好調であることによるものと見られる。但し、為替市場の動揺(特に対ドル相場)や幾つかの国における財政健全化努力に対する信頼低下などの要素は、現在堅調な経済成長に対する不安定要因となっている。一方で、欧州における失業問題は依然として深刻な問題となっており、EU諸国の平均で10.7%(95年見通し)という高い失業率が続いている。経済通貨統合については、12月のマドリッド欧州理事会において99年1月1日に統合の第三段階に移行することが確認され、欧州中央銀行の設立や単一通貨「ユーロ」の導入等が図られることとなった。しかし、マーストリヒト条約で定められている経済収斂基準
(注)
を全ての加盟国が達成することは容易でないと見られ、各国が経済通貨統合参加のため赤字削減とインフレ抑制に努力しつつ、持続的な経済成長と雇用創出を確保していくことが課題となっている。
(注)
経済通貨統合を達成するためには、加盟国間の経済条件が収斂することが必要であり、マーストリヒト条約では、インフレ率、財政収支、公的債務残高、為替要件、長期金利の5つの条件について一定の数値を達成することを経済通貨統合参加国に課している。
(4) 中・東欧諸国等の動向
このような動きの中、中・東欧諸国は、国内の民主化・市場経済化を推進しつつ、EU、NATO等への加盟乃至関係強化を重視して、西欧への統合をめざしている。国内の諸改革に対する国民の不満等からハンガリー、ブルガリア、ポーランドのように旧勢力が政権に復帰する例も見られるが、民主化・市場経済化と西欧諸国への接近という基本路線は継続されている。また、経済面では、94年に初めて全ての国で実質GDP成長率がプラスとなり、95年もプラス成長が見込まれるなど、概ね経済は安定化しつつある。バルト諸国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)においても、中・東欧諸国同様、国内の民主化・市場経済化と西欧への統合という路線が推進され、6月にはEUとの間で政治・経済面での協力関係の強化を謳う欧州協定が署名された。
(5) 日欧関係
欧州は、一体性を強めるに伴い、その重要性を更に増しつつある。こうした中、国連改革、軍縮・不拡散、世界経済の運営といったグローバルな問題はもとより、旧ユーゴー問題、北朝鮮の核開発問題等グローバルな重要性を有する地域問題についても、日本と欧州との対話と協力の強化がますます重要となっている。日本とEUとの間では、91年の「日・EC共同宣言」に基づき、政治、経済、社会等の幅広い分野での対話と協力が進められ、定期首脳会議(原則年一回)等の枠組みが設けられている。6月には村山総理大臣とシラク仏大統領(議長国)及びサンテール欧州委員会委員長との間で定期首脳協議が行われた。また、日本は、OSCEにおいて「協力のためのパートナー」という特別な地位を認められており、旧ユーゴーでの活動などOSCEの諸活動に参加している。中・東欧諸国との関係では、日本は、その改革努力を引き続き支援している。
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5. ロシア・NIS
(1) ロシア
95年、ロシアでは、前半はチェチェン問題が大きな懸案となり、後半は議会選挙及び大統領選挙に向けた政界再編成が進む一方、エリツィン大統領の健康問題もあり、政局は一層不透明感を増した。12月の国家院選挙では共産党が大きく伸長したが、単独過半数の議席を握るまでには至らなかった。今後のロシアの政局を占う上で、96年6月の大統領選挙は大きな要素となる。
[内政状況]
チェチェン問題については、ロシア軍部隊の導入により一般住民を含む多数の犠牲者が発生し、日本を含む各国はロシア政府を厳しく批判した。7月末ロシア政府はドウダーエフ派らチェチェン勢力との和平交渉で軍事合意を達成し、12月には親露政権との間でロシアの一部としてのチェチェン共和国に広範な自治を与える政治協定を締結した。しかし、チェチェン勢力のテロ行為等により軍事合意の実施が滞り、武力衝突も止まず、問題の解決は長引いている。
ロシア政界では、春頃から議会選挙に向けての動きが始動した。チェチェン問題を巡り改革派内で意見の対立が見られたほか、中道・安定志向勢力結集のため新党や新会派が結成されるなど政界再編の動きが見られた。7月中旬、選挙日が公示された後選挙戦は本格化し、選挙ブロックの結成や政治勢力間の合従連衡が活発に展開された。
エリツィン大統領は、7月中旬と10月下旬の2度にわたり心臓病で入院・療養した。年末に議会選挙、96年に大統領選挙を控えた重要な時期でもあり、エリツィン大統領の健康問題は内外の大きな関心を集めた。
12月17日に行われた議会(国家院)選挙では、政府の政策に対する不満を背景に、共産党が大きく伸長したが単独過半数は得られず、保守・愛国勢力と合わせても国家院で絶対多数の議席獲得までには至らなかった。この結果、前回の選挙同様多党乱立の議会が形成された。各政治勢力はこの選挙結果を踏まえて大統領選挙に向けての戦略をたてていくこととなろう。
[経済改革と経済の現状]
92年の抜本的な経済改革の開始から4年が経過した。95年、ロシア政府は、IMFとの合意を踏まえ、財政健全化政策を進め、年間の物価上昇が94年の3倍強から2倍強にまで低下した。12月に成立した96年度予算でも財政赤字が圧縮されている。また、好調な輸出を背景として、これまで縮小を続けてきた鉱工業生産に下げ止まり傾向が見られるなど、明るい兆しも現れている。しかし、95年に入り実質所得は減少し、また、企業間債務の増大、失業等の問題を抱え、ロシア経済は引き続き困難な状況にある。
95年には貿易制度の改革には一定の進展があったが、税制改革、土地私有制度、外国投資関連の法令整備等の進捗は思わしくなかった。
[対外関係]
ロシアは、国内の民族主義的傾向の高まりを背景として、外交面で大国としての主張を強める傾向が見られ、95年に入ってからは、12月の議会選挙に向けての過程でそのような傾向をさらに強めていった。特に、北大西洋条約機構(NATO)については、その拡大に強く反発し、米国及び欧州諸国との間で意見が対立した。
また、独立国家共同体(CIS)加盟国との関係については、9月に「CIS諸国との関係におけるロシアの戦略的路線」に関する大統領令を発出するなど、CIS統合の必要性を強く唱えた。さらに、ロシアは武器輸出の拡大を図っており、韓国、中国、インド、イラン、イスラエル、南アフリカ等と軍事技術分野での協力も積極的に推進している。
[日本との関係]
日本との関係では、93年10月のエリツィン大統領訪日の際に東京宣言が署名され、今後の両国関係進展のための新たな基盤が築かれた。95年3月にコズィレフ外相が訪日して行われた日露外相会談においても、東京宣言に基づき日露関係を前進させるべきであるとの共通の認識が確認された。9月には第5回日露平和条約作業部会及び事務レベル協議が開催され、日本側より、95年が戦後50周年の節目の年であることを踏まえ、村山総理大臣発エリツィン大統領宛の口頭メッセージを伝達し、領土問題解決に向けての具体的な前進を両国国民に示していくことが必要であることを改めて強調した。
北方四島周辺水域におけるロシア国境警備艇による取締り活動は95年も続けられ、10月に宗谷海峡においても拿捕・銃撃事件が発生した。日露両国政府は、北方四島周辺水域における日本漁船の操業に関する枠組み交渉を開始し、4回にわたり交渉を行った。
経済面では、貿易経済に関する日露政府間委員会が設置されたことを受け、11月にモスクワで3つの分科会が開催された。
5月28日にはサハリン北部地震が起き、死者約2,000人に及ぶ被害が出た。これに対して日本政府は6回にわたり緊急支援物資を供与したほか、地震で脚を失った子供4名を治療、リハビリのために日本に受け入れた。
(2) NIS諸国
ロシア以外の旧ソ連新独立国家(NIS)諸国は、95年も依然として経済的困難の中にあった。民族問題や政権基盤の弱さという状況もあって、多くの国においては依然として政治的に不安定な状態が続いている。 この中で、95年は政権の安定化を目指しての動きが顕著であった。特に中央アジアでは、キルギスが大統領選挙の実施など(12月)民主化・改革路線を継続した一方で、昨年のトルクメニスタンに続きウズベキスタン(3月)カザフスタン(4月)で大統領の任期延長の措置がとられた。また欧州部でもベラルーシでは大統領の権限強化を目指す動きが顕著である。カザフスタンとベラルーシではロシアとの関係の強化により安定化を図る姿勢も明確化してきている。
ウクライナでも深刻な経済状態の中で大統領の権限強化の動きがあったが、同国は、ロシアとは一線を画するとの姿勢を堅持しつつ、本格的な経済改革に向け努力を行った。その中で日本は、3月にクチマ大統領の訪日を実現し、村山総理大臣から同国の経済改革に対する支援を表明するとともに、両国間の今後の基本的関係の枠組みについての共同声明を発表した。ハリファックス・サミットでは、ウクライナの改革努力の継続を奨励することが確認された。
グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンのコーカサス諸国及びタジキスタン、モルドヴァでは、経済的混乱の他、地域紛争の影響が残っているが、停戦合意が引き続き遵守されており、95年は紛争の深刻化はなかった。今後、最終的解決に向け一層の努力が期待される。
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6. 中東
(1) 最近の中東情勢と村山総理大臣の中東訪問
中東地域は、日本の原油輸入の約8割を供給しており、日本のエネルギーの長期安定供給にとり死活的に重要な地域であるのみならず、国際社会全体にとってもその平和と安定が極めて重要な意味を有している。このような認識から、日本は、中東地域の国々との関係の一層の強化に取り組むと同時に、この地域全体の平和と安定に積極的に関与している。
そのような中、村山総理大臣は、9月12日より19日まで、サウディ・アラビア、エジプト、シリア、イスラエル、ガザ地区、ジョルダンを訪問し、各地の指導者と中東情勢に関して意見交換を行うとともに、より多重的・多面的な関係の構築を訴えた。(中東和平については
第2章第1節2.(1)参照
)
(2) イラク・イラン情勢
イラク及びイランの情勢は、先述の中東和平問題と並んで、中東における不安定要因の一つである。
イラク国内では、5年以上にわたる国連制裁の結果、物資不足やインフレ等が深刻になっており、フセイン政権は、統制経済強化策を実施し、国民に忍耐を呼びかけている。8月、フセイン大統領の婿で政権の実力者であったフセイン・カーメル前工業・鉱物相がジョルダンに亡命したことは、フセイン政権の安定性に関して国際的にも様々な憶測を呼んだが、大統領は、10月、大統領信任についての国民投票を実施し、100%近い支持を得ることにより国内掌握力を誇示した。日本は、湾岸地域の平和と安定のためには、この地域の大国であるイラクが全ての安保理関連決議を一日も早く履行し、国際社会に復帰することが必要であると考えており、イラクに対し、再三にわたり決議の完全履行を求めている。
イランでは、経済再建重視の「現実派」と、イスラム教義の厳格な実施を主張する「保守派」の間の対立と妥協の中で政策決定が行われている。国際社会には、中東和平反対、国際テロへの関与等、イランの行動に対する懸念が存在し、特に米国は、イラクに加えてイランを厳しく封じ込めるいわゆる二重の封じ込め政策をとっている。これに対し、欧州諸国の多くは、イランとのいわゆる批判的対話の政策をとっている。日本の立場は、イランの孤立化は望ましくなく、国際社会に存在する懸念を具体的行動をもって払拭するようイランに強く申し入れつつ現実的政策を助長する必要があるというものである。
(3) GCC諸国
日本は、サウディ・アラビア、アラブ首長国連邦、カタル、クウェイト、オマーン、バハレーンのGCC6カ国に原油輸入の70%近くを依存しており、この地域とエネルギーの取引関係を越えた幅広い関係の強化を図っていくことが重要である。9月の中東訪問において、村山総理大臣は、サウディ・アラビアを訪問し、湾岸の平和と安定について忌憚のない意見交換を行った。
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7. アフリカ
政治面では、いくつかの国において民主化が定着するなど政治改革が進展し、また、冷戦終結後発生した民族間等の紛争について和平達成に向けての動きが見られた。ニジェールでは、1月に行われた議会選挙においてそれまでの野党が多数派を占め、平穏裡に組閣を行った。91年の内戦終結後、暫定政府が統治していたエティオピアでは5月に総選挙が行われ、8月に新憲法発布とともに新政府が発足した。さらに、複数政党制導入後初めて、ギニアでは6月に議会選挙が、タンザニアでは10月に大統領選挙及び議会選挙が行われた。
紛争に関しては、アンゴラにおいては第3次国連アンゴラ監視団(UNAVEM III)の展開とともに、和平プロセスに進展が見られ、また、リベリアにおいては8月に紛争各派が和平に合意するなど好ましい動きが見られた。一方、改革の過程等において、国内の対立が先鋭化し紛争状態に至っている国も少なくない。ソマリア、ルワンダ、ブルンディ等においては情勢は依然流動的である。
経済面では、多くのアフリカ諸国が、市場経済原理の導入や政府機構の簡素化・効率化等を中心とする構造調整政策の実施を進めているが、その成果は国によって差異が出てきている。また、貧困を解消し持続的成長を確保するにあたっては、インフラの整備、民間部門の活性化、教育制度の充実など依然として課題は多い。
日本は、国際社会においてグローバルな責任を担う国として、アフリカ諸国が抱える諸問題に対し、各国の自助努力を可能な限り支援することが重要であると認識しており、このような観点から、アフリカ諸国における政治改革及び経済改革努力を支援するとともに、紛争問題の解決にも積極的に取り組んできた。特に、南アフリカについては、最大の課題である経済発展と国内の社会的・経済的格差の是正を支援するため、マンデラ大統領を国賓として招待し対話を強化するとともに、新生南アフリカの国造りに対する日本の積極的な支援を明らかにした。
民主化の面では、象牙海岸(10月に大統領選挙、11月に議会選挙を実施)、タンザニアにおける選挙に際し、選挙監視要員の派遣、選挙実施に必要な物資購入のための資金協力といった選挙支援を行った。また、経済改革面では、アジアの経験をアフリカに活かすこと及びアジア・アフリカ協力を推進することを目的に、7月にジンバブエのハラレにて、東部・南部アフリカ諸国を対象とした「リージョナル・ワークショップ」を開催した。さらに、構造調整努力に対する支援とともに、人造り、インフラ整備、環境などについて幅広い協力を行ってきている。紛争の面では、紛争発生国及び周辺国に対し人道面での援助を行うとともに、不安定化のおそれのある国及びその周辺国との政策対話を実施することにより紛争の予防に努めてきている。10月には東京にて国連及び国連大学の共催により、「アフリカの平和と開発:紛争問題に関するハイレベル・シンポジウム」を開催し、アフリカにおける紛争の原因・特徴及び紛争の予防・解決の方策につき討議を行うなどの知的貢献を行った。
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