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第1章 総括―95年の国際社会


1.概観
 (1)国際情勢認識
 (2)日本外交の具体的取組とこれからの課題
2.アジア太平洋における地域協力
 (1)アジア太平洋経済協力(APEC)
 (2)ASEAN地域フォーラム(ARF)
3.北朝鮮
4.日米関係
5.国連改革
 (1)財政改革
 (2)経済社会分野の機能改革
 (3)安保理改革問題
 (4)旧敵国条項の削除
6.核軍縮・不拡散をめぐる動き
 (1)核不拡散条約の無期限延長
 (2)全面核実験禁止条約(CTBT)
 (3)核実験問題
 (4)米露間の核軍縮
 (5)核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議
 (6)非核地帯条約をめぐる動き
 (7)核兵器使用の違法性の問題

1.概観

(1)国際情勢認識

 [新たな世界秩序へ向けての努力と萌芽]

 国際社会は、冷戦後の新たな秩序の構築へ向けて努力を続けているが、国際情勢には依然流動的な要素が多く、未だ新たな秩序の確立には時間を要する。しかし95年は、その中にも新たな国際秩序の萌芽を示すいくつかの好ましい進展が見られた。北朝鮮の核開発問題解決に向けた動き、旧ユーゴーにおける和平合意、パレスチナ暫定自治拡大合意等に見られるように、その先行きには多くの困難もあろうが、長年の懸案であった地域問題に大きな前進があった。また、核兵器をはじめとした大量破壊兵器の拡散の危険が依然として存在する中で、核不拡散条約(NPT)の無期限延長が決定されるとともに、「NPT再検討プロセスの強化」及び「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」の二つの決定が採択され、核兵器のない世界を目指した核軍縮の道筋が示された。経済面では、1月に世界貿易機関(WTO)が発足する中、世界各国は多角的自由貿易体制への取組を強めている。また、多くの開発途上国が依然として貧困の問題に苦しんでいる中で、一部諸国では目覚ましい経済的離陸への足取りを示している。さらに、冷戦構造下では必ずしも充分な取組が行われなかった環境、難民、人口等の地球規模の問題の解決及び民主化・市場経済の導入へ向けて移行期にある諸国への支援やテロへの取組についても、国際社会において協力が着実に進んでいる。
 アジア太平洋地域に目を移してみると、北朝鮮の動向、南シナ海をめぐる動きといった不安定性や、人口増加と経済発展に伴う環境、エネルギー問題及び食糧問題といった中長期的課題に直面している。しかし、このような中、アジア太平洋地域は、ヴィエトナムの東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟や米国とヴィエトナムの関係正常化にも見られるように全般的には政治的安定を増している。経済面では、日本や米国などから新興工業国・地域(NIEs)を経てASEANに経済発展が雁行型に波及し、その中で域内の相互依存関係が深化しており、世界の成長センターとなっている。また、このような経済発展が更なる政治的安定をもたらすとの好ましい循環が生まれている。

 [新たな世界秩序-重層的な枠組み]

 このような95年の国際社会の動きの中から、新たな時代の枠組みの重要な骨格が明らかになってきている。
 第一は、国連やWTOあるいはG7を中心とする日米欧協力等のグローバルな枠組みである。国連は、地域紛争の予防やその解決のために行っている国連平和維持活動や人道援助等を通じ、国際社会における平和の確保の面で重要な存在となっている。経済・社会分野でも社会開発サミットや世界女性会議を主催し、国際的な取組を促すため努めている。また、経済に関しては、1月に発足したWTOは今後の多角的自由貿易体制を維持・強化していく上で主導的な役割を期待されている。また、国際通貨基金(IMF)、世銀等の国際金融機関は国際金融秩序の維持・強化や途上国の開発の面で、引き続き中心的な役割を期待されている。一方、このようなグローバルな国際機関が今後とも時代に適合した役割を果たしていくためには、その機能強化が必要であるとの認識も高まっている。国連においては、このような認識に基づき、創設50周年を契機として安保理改革、財政改革、経済・社会分野の改革が活発に議論されている。また、6月のハリファックス・サミットでも、国際機関の見直しが中心的テーマの一つとして取り上げられ、メキシコの通貨危機を教訓とした国際金融体制の見直しや国連諸機関の改革について、具体的に作業を進めていくことで認識が一致した。
 第二には、このようなグローバルな取組を補完・強化するものとして地域的な協力の動きが強まってきており、その関連で地域的機関の役割の重要性も増してきている。アジア太平洋地域においては、詳しくは後述する通りアジア太平洋経済協力(APEC)やASEAN地域フォーラム(ARF)のように政治経済両面で進展が見られている。旧ユーゴーにおいては、11月の和平合意を受け、国連安保理決議により、この合意の履行を確実なものとするため、北大西洋条約機構(NATO)を中心とする和平実施部隊(IFOR)の設立が承認され、欧州安全保障・協力機構(OSCE)を中心とする選挙監視などが導入された。欧州においては、NATO拡大を含む新たな安全保障構造の模索が行われる一方、欧州連合(EU)においては、政治・経済両面における統合の深化や中東欧諸国等への拡大が検討されている。また、アフリカにおいてはアフリカ統一機構(OAU)を中心とした紛争の予防システムの構築が進展している。
 このように、地域的な利益と関心を共有する関係国が、地域的な取組を行うことは有益であるが、それらの取組は、グローバルな枠組みを更に補完・強化するものでなくてはならない。その意味で、個々の地域的な取組が、国連の支持の下で行われたり、WTO協定と整合的であることのみならず、国連の機能強化や多角的自由貿易体制の補完・強化につながっていくことが必要である。APEC大阪会合において、APECにおける貿易・投資の自由化・円滑化がWTO協定と整合的であることが確認されるとともに、世界全体の貿易・投資の自由化・円滑化に向けてリーダーシップを取っていくことが示されたことは意義深い。また、それぞれの地域の関心が内向きとならず、グローバルな視点をもって他の地域の問題に関心を向け、相互理解と協力を進めることがますます重要になっている。このような観点から、旧ユーゴーの復興に日本が関与すること、北朝鮮の核兵器開発問題の解決に欧州の協力を得つつあること、96年3月に初の首脳レベルのアジア欧州会合(ASEM)が開催されることなどに見られる地域間の交流、協力は重要な意義を有すると言えよう。
 第三に、以上のような国際的・地域的な取組の基礎として、二国間の協力関係の果たす役割は引き続き欠くことのできないものである。国連改革やWTOの運営における日米欧間の協力、北朝鮮の核兵器開発問題における日米韓協力、APECやARFにおける米国、アジア諸国、豪州等との協力は、それぞれの諸国と全般的に良好な関係を発展させてきたからこそ、成功したものといえる。

(2)日本外交の具体的取組とこれからの課題

 このような国際的・地域的な情勢の下での日本外交の課題について次に述べたい。
 まず、国家間の相互依存関係が深化する中、日本の安全と繁栄は、世界の平和と繁栄の中でのみ実現可能となっている点を認識する必要がある。また、日本は国力が増大し世界のGDPの約18%を占めるに至ったことは、同時に、世界の平和と安定に対し相応の利益と責任を有していることを意味する。日本は、冷戦後の国際秩序の構築に対し創造的役割を果たすことが必要である。
 その際、前に見た新しい時代の骨格に照らし、日本は、国連やWTO、日米欧協力等のグローバルな協力、アジア太平洋における地域協力、そして米国、アジア諸国、欧州諸国等との二国間の協力関係という三つの協力の枠組みをそれぞれ強化していくとともに、これらを相互に関連づけながら総合的・重層的に発展させていくことが重要である。
 また、日本は、こうした国際的な役割を果たしていく上で、過去を直視するとともに将来に向けて、各国の相互理解・信頼を深めていくことが重要である。95年は、戦後50周年の節目にあたり、後に詳述するとおり、日本は、この課題に真剣に取り組んだが、今後とも引き続きこうした努力を継続していく必要がある。

 [グローバルな協力]

 国連は、日本のグローバルな枠組みに対する協力の重要な柱である。国連50周年記念総会特別会合における村山総理大臣の演説及び第50回国連総会における河野外務大臣の演説において、国連改革をはじめとする国連の抱える課題についての日本としての考え方を述べるととともに、日本の国連に対する積極的な協力姿勢を改めて表明した。また、今回の外務大臣演説においては、より総合的な「開発戦略」の策定の必要性を訴えるとともに、日本は、憲法が禁ずる武力行使は行わないという点を含む日本の国際貢献に関する基本的な考え方の下で、多くの国々の賛同を得て、安保理常任理事国として責任を果たす用意があることについても、今回の演説で改めて表明した。今後とも国連創設50周年の機運を生かして国連改革の推進に取り組む必要がある。
 軍縮・不拡散の面でも、日本は積極的な役割を果たしている。日本は、「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮決議」及び「核実験の停止を求める決議」を国連総会に提出するとのイニシアティヴを発揮し、これらの決議は、多数の支持により採択された。日本は、唯一の被爆国として、今後とも全ての核兵器国に対し、核兵器のない世界を目指して核軍縮に一層真剣に取り組むよう強く訴えていく考えであり、特に全面核実験禁止条約(CTBT)の96年中の署名実現を各国に働きかけていく必要がある。
 地域紛争については、旧ユーゴー、中東など日本より地理的に遠い地域の紛争であっても、その地域のみにかかわる問題ではなく、冷戦後の国際社会の平和と安定の枠組みの構築にかかわる問題として、日本は、適切な貢献を行ってきている。このような観点から、日本は、中東和平推進のため、対パレスチナ人支援、多国間協議への貢献や国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への自衛隊部隊等の派遣をはじめとする種々の協力を積極的に行っており、また、旧ユーゴー問題についても、難民問題等の人道支援に取り組んでいるほか、民生部門の和平実施に関する運営委員会にも参加している。
 経済面では、日本はWTOにおいて米国、EU、カナダとともに四極の一つとして積極的に貢献していくことが期待されている。95年はWTOが発足した最初の年であったが、日本が主要な役割を果たす形で金融サービス交渉の妥結、貿易紛争の解決、WTOの基盤強化等の面で相当の成果があがった。日本は、96年12月のシンガポールでの第1回閣僚会議に向けて、更なる貿易の自由化、ポスト・ウルグアイラウンドの新課題への取組につき積極的なイニシアティヴを発揮していくことが重要である。

 [地域協力]

 アジア太平洋地域において平和と繁栄を確保していくことは、日本の安全と繁栄を確保していくために極めて重要である。この地域が政治体制や経済発展段階などの面で多様であり、複雑な歴史を織りなしてきたことを考慮すれば、アジア諸国との協力を強化し、米国のプレゼンスと関与を維持していくことが不可欠である。また、良好で確固とした日米関係は日本とアジア諸国との協力の基礎でもある。一部に、「日本は、アジアを取るのか、米国を取るのか」といった極端な議論もあるが、全く不適当な考え方であることはこの観点から明白である。さらに、アジア太平洋地域の平和と繁栄を世界全体の平和と繁栄につなげていかなければならない。以上の諸点から、日本が、地域協力を進めていく際には、域内の相互依存関係を深化させ、全域的な協力を強化するとともに、域内各国・地域の多様性を考慮し、域外国に対して開かれたものとしなければならない。
 日本は、このような基本的認識の下、APEC、ARFといった枠組みの強化・推進に努めている。
 APECについては、11月の大阪会合において、APEC地域における貿易・投資の自由化・円滑化と経済・技術協力の推進のための包括的かつ具体的な道筋を示す「大阪行動指針」が採択され、APECは「ビジョンの段階」から「行動の段階」へと移行した。日本は議長国として、「行動指針」のとりまとめにイニシアティヴを発揮したが、今後は、この「行動指針」を実施するため、96年のフィリピン会合に日本としての前向きで内容のある「行動計画」を提出する等、確固たる決意を持ってAPECの更なる進展に貢献していく必要がある。
 ARFでは、8月のブルネイでの第2回会合により、当面信頼醸成措置を重視しつつ段階的・漸進的アプローチを採ることが確認され、また、国防政策ペーパーの提出を働きかける等具体的信頼醸成措置に合意するなど、「対話の場」から「協力の場」へと一歩踏み出した。日本は信頼醸成措置に関する政府間会合をインドネシアと96年1月に共催したが、引き続きARFに積極的な貢献を行っていく必要がある。

 [二国間関係]

 各国との間で良好な二国間関係を築いてゆくことは、日本外交の基礎であり、また、以上にみたグローバルな協力、地域協力を進めるためにも重要である。また、グローバルな協力、地域協力の進展が二国間関係にも反映してくるという相互補完関係にある。
 日米関係は、冷戦後も引き続き日本外交の基軸である。日米間の幅広い分野における緊密な協力・協調は、地域協力及びグローバルな協力の枠組みの進展のための基礎もなしており、引き続き強化していく必要がある。
 日米安保体制は、外交努力、防衛力整備とともに日本の安全保障政策の基軸を成すとともに、日米協力関係の政治的基盤でもある。また、日米安保体制に基づく米国のプレゼンスがアジア太平洋地域における安定要因として機能し、より安定した安全保障環境を築く役割を果たしている。これらの観点から、日米安保体制を堅持し円滑かつ効果的運用に努めていく必要がある。そのためには、日米両国内で冷戦後の日米安保体制の役割と重要性につき理解と支持を得ることが重要であり、また、沖縄における米軍施設・区域に関連する諸問題については、長年にわたる沖縄の方々の負担と心情に最大限心を配った解決をえるためにも、日米安保条約の目的達成との調和を図りつつ、米国と協力しつつその解決に努力してゆく必要がある。日米経済関係の特に通商分野では、両国の対立が顕在化しがちであるが、両国関係の全体的な運営との観点からすれば、如何なる摩擦案件についても、徒に政治問題化させず、国際ルールに則った解決を目指すことが重要である。
 アジア諸国との協力も、日本が重視すべき二国間関係の柱の一つであり、アジア太平洋地域における地域協力の前提となっている。共通の価値観を有し安全保障上等の利害をともにする韓国との友好協力関係は、両国のみならず北東アジアの平和と安定のために重要であり、一層の相互理解の増進に努めるとともに、アジア太平洋やグローバルな問題にも一層協力して取り組む関係を引き続き強化していかなければならない。また、急速な経済発展により、国際社会での重みを増している中国との間では、同国が、改革・開放路線を着実に進展させ、国際社会やアジア太平洋の枠組みにおいて一層の建設的役割を果たしていくよう協力関係を強化していく必要がある。同時に台湾問題については、東アジアの平和と安定の観点から当事者間での平和的解決を、また、核実験については核軍縮促進の観点から停止を引き続き粘り強く求めていく必要がある。ASEAN諸国は飛躍的な経済発展を背景にインドシナ三国を含めた地域的一体性を高め、メコン川流域開発のイニシアティヴをとるなどアジア太平洋協力で主要な役割を担いつつあり、今後とも協力関係を深めていく必要がある。
 アジア諸国以外の諸国との協力も重要であることは言うまでもない。価値観を共有する欧州諸国との間では、幅広い分野において引き続き対話・協力を進めていく必要がある。ロシアとの関係については、96年は日ソ共同宣言による国交回復40周年を迎える節目の年であり、種々の分野における実務関係を着実に進めるとともに、東京宣言に基づき北方領土問題を解決し両国関係の完全な正常化を達成するため一層の努力を払うことが必要である。

 このようなグローバル、地域、二国間での三層の協力は、相関関係を有しており、相互に好ましい効果を与えうるものである。例えば、APECの推進は、米国のアジア太平洋地域への関与を維持するとともに中国の国際協力の枠組みへの参加を進めることに大きく寄与している。また、WTOの発足は、日米自動車・同部品協議の決着の過程に見られたように、二国間の経済摩擦につき多角的自由貿易体制と整合的な形での解決を促進している。また、そのような形での二国間の経済問題の解決が行われることにより、WTO体制の信頼性が一層強化されることとなった。

 [戦後50周年]

 日本が国際社会で責任ある一員としての役割を果たしていくためには、各国との相互信頼の確立が極めて重要である。政府は、戦後50周年の節目にあたり、8月15日に内閣総理大臣談話を発出し、日本が過去の一時期に植民地支配と侵略により、多くの国々に多大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、今後日本が歩むべき道について、政府としての考えを述べた。また、同談話において、特に近現代における日本と近隣アジア諸国等との関係に係わる歴史研究の支援事業と各国との各種交流事業の拡充を二本柱とする平和友好交流事業を展開していくとともに、現在取り組んでいる戦後処理問題についても引き続き誠実に対応していくとの方針を確認した。また、国会においては、6月9日、衆議院が歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議を採択した。7月には、「女性のためのアジア平和国民基金」が発足したが、これは、政府と国民がともに協力しながら、いわゆる元従軍慰安婦の方々に国民的な償いを表す事業や女性の名誉と尊厳に係わる事業等に取り組もうというものである。
 日本は、アジア近隣諸国等との過去の歴史を直視するとともに、将来に向け各国との相互理解や相互信頼を促進すべく、今後ともこれらの事業等に積極的に取り組んでいく必要がある。

・図表1(アジア太平洋における地域協力の枠組)

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2.アジア太平洋における地域協力

 日本の位置するアジア太平洋地域は、政治的・社会的安定を背景に、経済的には、域内の貿易や投資が急増し、多角的な相互依存関係が急速に進展しつつある。一方、この地域は、歴史、文化、民族構成等を異にする地域、国々で構成されており、極めて多様性に富んでいる。このような地域において、APECやASEAN地域フォーラム等の様々な地域協力の枠組みを総合的、重層的に活用することは、域内各国の相互信頼関係を強化し、地域全体の一体感を醸成し、ひいては全地域の安定と平和を促進するものとして極めて重要であり、日本としても一層積極的に協力を進める必要がある。

(1)アジア太平洋経済協力(APEC)

 [APECの経緯と意義]

 アジア太平洋経済協力(APEC)は、89年11月オーストラリアでの第1回閣僚会議(於キャンベラ)以来、着実に実質的な発展を遂げてきている。APECの中核である閣僚会議は同年以来毎年開催されており、また、93年のシアトル会合の際に非公式な形での首脳会議が併せて開催され、これは94年のインドネシア・ボゴール会合、95年の大阪会合に引き継がれている。(これまでの経緯については「APECクロノロジー」、機構については「APEC機構図」参照)

・図表2-1(APEC機構図)  ・図表2-2(APECクロノジー) ・図表2-3(1995年のAPEC主要会合)


 APECの発足と順調な発展の背景には、東アジアの開発途上国を中心としたアジア太平洋経済の急速な発展とそれに伴う相互依存関係の深化がある。大阪会合の首脳夕食会において村山総理大臣が述べたように、このようなアジア太平洋の発展は古い南北関係の構図から脱却するものとして世界史的な意義を持っており、発展を維持するため多様なメンバーが協力するAPECは新しい国際協力のモデルを提供するものである。日本にとってもAPECは、(A)日本経済の長期的な発展の確保、(B)アジアとの信頼関係の一層の強化、(C)アジア太平洋の経済成長の確保を通じた域内の政治的な安定への貢献、(D)アジア太平洋への米国の積極的取組の環境整備、(E)国際協力の枠組みへの中国の円滑な参加の促進、(f)豪州、ニュー・ジーランドと東アジア諸国との関係の強化、(f)中南米諸国との連携の強化、等様々な面で大きな意義を有するものであり、APECにおける協力の推進は、日本の対アジア太平洋外交の重要な柱の一つである。
 94年11月のボゴール会合においてAPEC首脳により発出されたいわゆる「ボゴール宣言」により、先進工業メンバーについては2010年までに、開発途上メンバーについては2020年までに、アジア太平洋地域における「自由で開かれた貿易及び投資」を実現すること、また、「開発協力を推進する」ことが目標とされた。95年のAPEC議長国としての日本の最大の課題は、この目標に至る道筋を示す「行動指針」をとりまとめ、大阪における第7回閣僚会議(11月16~17日)及び非公式首脳会議(11月19日)を成功に導くことであったが、これはまた、95年の日本外交の最重要課題の一つでもあった。大阪会合では、「大阪行動指針」及び「APEC経済首脳の行動宣言」の採択をはじめ数々の成果が生み出された。以下、それらの成果について見ていきたい。

 [APEC大阪会合の成果]


 第一に、「大阪行動指針」の採択は大阪会合の最大の成果であり、これにより、APECは「ビジョン(構想)」の段階から「行動」の段階に移行することとなった。「行動指針」は、「ボゴール宣言」が掲げたAPECの長期的目標の実現に向けた今後のAPECの具体的な行動の枠組みとなるものであり、(A)貿易・投資の自由化、(B)その円滑化、及び(D)経済・技術協力、を3本柱としている。日本はかねてより、アジア太平洋地域のバランスの取れた発展を確保するためには、APECにおいて貿易・投資の自由化・円滑化と経済・技術協力が「車の両輪」として一体となって推進される必要があるという立場をとってきたが、「行動指針」の構成はそのような考え方に沿ったものとなっている。

・図表3(「行動指針」アクション・アジェンダ)の骨子)

 「行動指針」の大きな特徴として、貿易・投資の自由化・円滑化を進めるにあたり、交渉によるのではなく、各メンバーの協調的な自主的行動と共同行動を組み合わせた「アジア太平洋方式」ともいえるユニークな方法を採用したことが挙げられる。これは、アジア太平洋の各国・地域が自由化への強い意欲を持っていることを踏まえたものであるが、経済状況等の多様性を特徴とするアジア太平洋地域で自由化を進める上で現実的で効果的な方法であると言える。
 「行動指針」の作成にあたり、日本は、議長国として、経済発展段階や状況が異なる各メンバーの多様な意見をよく聞き、議論を尽くした上でコンセンサスをまとめ上げるという形をとったが、そのような方法で指導力を発揮したことに対して各メンバーより高い評価を受けた。今後は、各メンバーが「行動指針」に基づいて自由化・円滑化のためのそれぞれの「行動計画」を作成し、96年のフィリピンにおける閣僚会議に提出することになっている。
 大阪会合の成果として、第二に、各メンバー首脳が貿易・投資の自由化・円滑化のための「当初の措置」を提示したことが挙げられる。各メンバーの「当初の措置」には、関税の引下げをはじめとする、現時点でなし得るウルグァイ・ラウンド合意実施の前倒しとその深化・拡大、及び規制緩和などが含まれており、APECにおける自由化へ向けての決意を内外に示す上で重要な意義を持っている。
 第三に、経済・技術協力の関連では、94年の閣僚会議において日本が提案した「前進のためのパートナー(PFP)」が正式に採択された。PFPは、従来型の援助国・被援助国の枠組みを越えて、各メンバーが自主性と相互支援の精神に則り経済・技術協力を推進していくための新しい枠組みである。今後当面は、各メンバーが、貿易・投資の自由化・円滑化関連の協力事業に焦点を当ててPFPを活用していくことが期待されている。村山総理大臣は、PFPの推進を図りつつ貿易・投資の自由化・円滑化に関する協力事業を拡大すべく、APEC中央基金に対し、必要に応じ、適切なプロジェクトの形成に応じる形で、今後数年間で合計100億円を上限として拠出を行う旨表明し、各メンバーより歓迎された。
 第四に、機構の面でも、APECビジネス諮問委員会(ABAC)の設立とそのためのガイドライン、非メンバーの作業部会への参加に関する基準・原則、事務局機能の強化策といった重要な事項について認識が一致した。
 首脳会議が採択した「APEC経済首脳の行動宣言」は、以上に述べた成果を確認するとともに、今後取り組むべき新たな課題を明らかにしている。特に、アジア太平洋地域における人口増加と急速な経済成長が食料及びエネルギーの需要と環境への負荷を増加させることが予測されている中で、人口、食料、エネルギー、環境といった相互に関連する問題にAPECが長期的課題として取り組んでいく必要があることが謳われたことは、この地域の繁栄を持続的なものとする観点から重要である。

 [今後の課題]

 APEC参加メンバーは、世界人口の40%、GDPの56%、貿易の46%を占めている(93年実績、日銀、IMF資料)。アジア太平洋地域の潜在的成長力に鑑みればAPECの世界経済に対する影響力は今後一層増大していくものと思われる。したがって、「行動指針」を着実に実施し、また、新たな課題に対処していくという首脳の決意を実行することにより、APECがアジア太平洋地域のみならず世界経済全体に貢献していくことが重要である。また、APECの進展に強い関心を示しているEUをはじめとする域外の諸国・機関に対して透明性を確保していくことが重要である。日本としては、「行動指針」の着実な実施を確保することに最大限の努力を払うべきであり、そのためには、本年のフィリピンでの閣僚会議に他のメンバーの範となる前向きで内容のある「行動計画」を提出することが必要である。

(2)ASEAN地域フォーラム(ARF)

 ASEAN地域フォーラムは、中国、ロシアを含むアジア太平洋諸国の外務大臣が一堂に会し、地域の政治・安全保障に関し意見交換を行う「対話の場」として94年に発足したが、95年8月の第2回会合において、同地域における具体的な信頼醸成措置を推進することとし、安全保障に関する「協力の場」へと一歩踏み出したという点で質的な進展を遂げた。
 94年の第1回会合における地域内の政治・安全保障協力の強化と拡大に向けて作業を続けていくとの決定を受け、ブルネイにおいて開催されたARF第2回会合においては、第1回会合参加国に新たにカンボディアを加えた19か国・機関の外相等が出席し、南シナ海、核実験問題等、安全保障上の関心事項につき率直な意見交換を行った。特に、ARFの今後のアプローチについて、(A)信頼醸成の促進、(B)予防外交の進展、(C)紛争へのアプローチの充実という3段階を漸進的に進めることで意見が一致したが、このことは、ARFの中期的目標について各国が共通認識を持ったことを示すものとして重要な意義がある。また、当面はその中でも信頼醸成を重視し、その実施手段につき議論を継続していくこととなり、具体的な信頼醸成措置としては、(A)政治・安全保障協力に関する対話と協議を強化すること、(B)国防政策に関する文書の提出を促すこと、(C)国防当局者間の交流を促進すること、(D)国連軍備登録制度への参加等を促すことで意見の一致をみた。95年、中国が軍備管理・軍縮に関する白書を初めて発表したことは、透明性向上の観点から注目される。
 アジア太平洋地域において安全保障についての地域協力の枠組みが設立され順調な発展を見せていることは画期的なことではあるが、先述したように、同地域における多様性に照らし、その協力関係は段階的に進展させていくことが重要である。長期的に安定したアジア太平洋地域を実現するためには、地域内の各国はARFの運営を軌道に乗せ、着実に安全保障協力の具体化を図り、諸国間の信頼関係を強める努力を継続しなければならない。
 日本としても、具体的な信頼醸成措置の実現に向けて中心的役割を果たしていくなど、引き続きこうした取組に積極的に参加していくことが、日本の安全と繁栄を確保していくためにも極めて重要である。こうした観点から、第2回会合に出席した河野外務大臣は、日本はインドネシアと共に信頼醸成に関する政府間会合を開催する用意があることを表明し、96年1月に同会合を開催した(注)
(注)
第2回ARFにおいて開催が合意された政府間会合は以下の通り。
・信頼醸成措置に関する支援グループ(日本とインドネシアが共催)
・PKOに関する会合(カナダとマレイシアが共催)
・捜索・救難に関する会合(米国とシンガポールが共催)

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3.北朝鮮

 [北朝鮮情勢]

 北朝鮮の動向は、引き続き注視を要する。内政については、金正日書記が未だ主席及び労働党総書記に就任しておらず、就任時期は依然として不明であるが、同書記が実質的に国政全般を指導しているとの見方が一般的である。経済面では、深刻なエネルギー・食糧不足などに直面していると見られる。一部に投資誘致等の動きは見られるものの、国内の経済改革については、これを排する姿勢をとっている。95年夏に豪雨による洪水被害が発生し、北朝鮮は、国連諸機関等国際社会に幅広く支援を求めた。
 対外関係について、北朝鮮は米国との関係改善を重視していると見られるが、韓国に対しては厳しい非難を繰り返すなど、南北関係改善への前向きな対応は示していない。朝鮮半島の平和と安定のためには、北朝鮮の一層の国際社会への開放と国際社会への参加とともに南北関係の改善が必要である。このためにも、日米韓の緊密な協力が重要であり、11月に日米韓外相会談が行われ、朝鮮半島情勢について三国間で緊密に協議していくことで意見が一致し、その一環として、96年1月には朝鮮半島情勢に関する第1回日米韓高級事務レベル会合が開かれた。

 [日朝関係]

 92年以来中断している日朝国交正常化交渉については、95年3月の連立与党代表団の訪朝の結果、再開の道筋が開かれたが、再開には到っていない。日本の対北朝鮮政策は、第2次大戦後の日朝間の不正常な関係を正すとともに、朝鮮半島の平和と安定に資するものとするとの観点を踏まえることを基本としている。今後とも、韓国等の関係国と緊密に連携しつつ対応する方針である。
 なお、北朝鮮は、5月、食糧不足から、日本にコメ支援を要請してきた。これに対し、日本は、在庫緊急輸入米が活用できる事情にあること等に基づき、人道的観点から支援を進めていくこととし、6月、北朝鮮側との間で、コメが専ら民生用消費のために適正に使用されるとの保証の下、延払輸出で15万トン、日本赤十字社から朝鮮赤十字会へ無償で15万トンの計30万トンの支援を行うことを確認した。また、その際、必要に応じ、在庫緊急輸入米の在庫の範囲内で追加的に延払輸出を行うために協議を行う用意がある旨の確認がなされていたことから、10月、追加支援として更に20万トンを延払輸出することが確認された。また、北朝鮮の洪水被害については、日本は、国連人道問題局をはじめとする国連諸機関の支援要請に対し、総額50万ドルの資金拠出を行った。
 日本の北朝鮮に対する経済協力は、国交正常化交渉の妥結が前提となるとの方針には変わりはなく、これらの北朝鮮に対するコメ支援及び洪水支援は、人道上の観点等の大局的見地からあくまでも特殊・例外的な措置として行ったものである。

 [北朝鮮の核兵器開発問題]

 北朝鮮の核兵器開発問題については、94年10月の米国と北朝鮮との間の「合意された枠組み」により、同問題を解決するための道筋がつけられた。すなわち、この合意された枠組みにおいて、北朝鮮は、国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮の過去の原子力活動を解明するために必要とする措置を受け入れることに同意し、現存及び建設中の黒鉛減速炉等の原子力施設を凍結し最終的に解体するのに対し、軽水炉及びその第1基の完成までの間の代替エネルギーの供与を受けることとされた。

・図表4(米朝間の合意された枠組みの予定するスケジュール)

 95年は、この合意された枠組みの着実な実施に向けた努力が続けられた。3月には、日米韓三国を原加盟国として「朝鮮半島エネルギー開発機構の設立に関する協定」が署名され、上記の軽水炉供与等実施のための国際的機関として朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が正式に発足した。KEDOは、合意された枠組みに定められた義務の北朝鮮による履行の確保を目指して、(A)韓国型の二基の原子炉からなる北朝鮮における軽水炉プロジェクトの資金手当て及び供与を行うこと、(B)北朝鮮の黒鉛減速炉からのエネルギーに代わる暫定的な代替エネルギーの供与を行うこと、また(C)上記(A)(B)の目的または合意された枠組みの目的を実現するために必要と認められるその他の措置の実施を行うことを目的としている。その後6月の米朝共同新聞発表(クアラルンプールにて発表)において、北朝鮮は軽水炉プロジェクトの基本的要素である(A)韓国型の炉が供与されること及び(B)韓国企業が軽水炉プロジェクトにおいて中心的役割を果たすことを実質的に受け入れた。これを受け、KEDOと北朝鮮の間において、軽水炉供与プロジェクトに関する供給取極交渉が9月より行われ、2か月余にわたる交渉の結果、12月15日に供給取極が締結された。この供給取極は、供給の範囲、返済条件等本件プロジェクトに関する基本的な事項を定めるものであり、実施に関わる詳細については今後更に詰めが行われることとなっている。供給取極の締結は、日米韓三国およびKEDO事務局の緊密な協調体制と粘り強い努力の成果であり、合意された枠組みの実施における大きな前進である。
 北朝鮮が引き続きKEDOとの協力を進め、軽水炉プロジェクトを含む合意された枠組みの着実かつ円滑な実施に建設的に取り組み、北朝鮮の核兵器開発問題が解決されること、また、軽水炉プロジェクトを実施する過程において、韓国と北朝鮮との対話が実質的に進展していくことが期待される。
 北朝鮮の核兵器開発問題は、日本を含む北東アジアの安全保障上の重大な懸念であるのみならず、国際的な核不拡散体制や国際的な安全保障に関わるグローバルな問題である。このような観点から、6月のハリファックス・サミットでは、合意された枠組みに対する支持が表明されるとともに、「国際社会の支持は、とりわけKEDOへの参加を通じて示され得る」ことが確認された。8月の第1回KEDO総会には、日米韓を含む32か国及びEUが出席し、多数の国から合意された枠組み及びKEDOへの支持が表明された。これらは北朝鮮の核兵器開発問題に対する国際社会全体の取組の現れであり、今後さらに財政的貢献を含むKEDOに対する協力をアジア諸国、欧州諸国等国際社会全体から得ていくことが必要である。
 日本は、合意された枠組みの実施を確保していく上で、米国、韓国とともに重要な役割を果たしてきている。具体的には、米韓とともにKEDO理事会のメンバーとして、KEDOの運営に関する政策決定に参画しているほか、KEDO事務局に対する人的貢献として事務局次長、政策スタッフ、原子力の専門家を派遣している。また、資金面では、KEDO発足時に現地調査費300万ドル及び事務局経費280万ドルを拠出したほか、軽水炉プロジェクトの全体像の下で、同プロジェクトに対し意味のある財政的役割を果たす意図を明らかにしている。日本としては、今後とも、米国、韓国をはじめとする関係諸国と協調しつつ、合意された枠組みの着実な実施のため、KEDOへの積極的な協力を行っていく考えである。

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4. 日米関係

 [全般]

 1995年は、日米両国にとって終戦50周年にあたる節目の年であった。この年、両国は、過去50年間の日米関係の歩みを回顧し、その間に成し遂げた様々な成果を改めて確認した上で、21世紀に向けた未来志向の日米協力関係を発展させていく決意を新たにした。
 95年1月に村山総理大臣が訪米し、クリントン大統領との首脳会談において、21世紀に向けた日米協力関係の具体的内容として、安全保障面での対話、アジア・太平洋地域における協力(地球規模問題における協力やAPEC)、国民交流の3つの分野を中心として協力関係を更に発展させていくことを確認した。更に、日米の協力関係の基礎は、人と人との交流に基づく信頼関係にあるとの認識に基づき、今後一層の国民交流を進めていくことについて両首脳の意見が一致した。
 また、95年には戦後50周年に関連する行事が各国政府や各種民間団体等の主催により各地において行われた。日米両国政府は、これらの諸行事に対しては冷静に対処することを基本方針とする旨合意し、その結果、米国政府が関係した行事として3月には硫黄島、6月には沖縄において各々終戦50周年行事が、また9月にはホノルルにおいて「太平洋戦争及び第二次世界大戦終戦50周年記念式典」が挙行されたが、それらは、いずれも、日米両国民が過去の不幸を乗り越え、両国の友好と平和を希求することを基調とするものとして行われた。また、このほか、原爆切手の発行計画やスミソニアン博物館によるいわゆる原爆展等をめぐり、日米両国において様々な議論が起こったが、これらについても両国政府の協力により冷静に対処された。
 6月のハリファックス・サミットの機会に行われた日米首脳会談においても、日米のパートナーシップの健全さ・堅固さが再確認された。折しも、経済分野において、自動車・同部品問題や航空問題が両国間の懸案となっていたが、両国首脳は、個別の経済問題が日米関係全体を損なってはならないとの原則を改めて確認した。その直後、自動車・同部品問題、続いて7月には、航空交渉に関しても各々協議が決着した。また、同首脳会談では引き続き日米がアジア太平洋地域を中心とした国際社会全体の問題に対処するため緊密に政策協調していくことを確認するとともに、地球規模問題における協力を通じた、新たな協力関係の構築が進められた。
 クリントン大統領は、この一連の協力関係を総括し、21世紀に向けた日米関係の意義を両国国民に明確に示すために、11月のAPEC大阪会合の機会を捉えて国賓として訪日することが予定されていたが、予算法案を巡る国内事情によりやむなく訪日を延期せざるを得なくなった。しかし、APEC大阪会合にはクリントン大統領に代わりゴア副大統領が出席し、その際村山総理大臣と会談を行った。この会談においては、冷戦後の日米安保体制の重要性が改めて確認されるとともに、9月に沖縄県で起きた少女暴行事件を契機として国民の関心が高まっていた沖縄における施設・区域に係る問題について、それらの整理・統合・縮小等につき検討するための「特別行動委員会」の設立が合意された。(なお、日米安保体制については、第2章第1節1.(2)参照)。
 さらに、96年1月の橋本政権成立後には池田外務大臣が訪米し、クリントン大統領、クリストファー国務長官等と会談し、日米関係を更に発展させていくことについて意見の一致をみた。

 [日米経済関係]


 1995年の日米経済関係は、前半は自動車・同部品問題及び航空問題をめぐり緊迫した状況にあったが、後半に至り比較的静かな局面を迎えた。
 日米包括経済協議の4つの優先分野のうち、解決されずに残っていた自動車・同部品問題は、米側が日本の自動車メーカーによる外国製部品の購入や外国車を扱うディーラーに関し事実上の数値目標を求めてきたことをめぐって協議が難航し、5月半ばに米側が通商法301条に基づく一方的な措置として、日本製高級車に対する100%の関税の賦課を予告すると共に、これら高級車の関税額の決定を留保するに至り緊張が高まった。これを受けて日本は米国に対し1994年のガット第22条1に基づく協議を要請し、世界貿易機関(WTO)の場において国際ルールに則って貿易紛争を解決する姿勢を明確にした。この問題は、6月ジュネーヴにおいてWTO協議と並行して開催された次官級及び閣僚級協議において、日本に対する一方的な措置の決定期日の直前である6月28日に妥結に至り、(A)数値目標は受け入れない、(B)政府の権限と責任の範囲を越えたこと(民間への介入)は行わない、(C)成果は第三国にも等しく享受される、という包括経済協議の原則と国際的なルールに則った解決を得られた。6月のハリファックスにおける日米首脳会談においては包括経済協議を延長することで両国の意見の一致を見ており、今後は日米両国が包括経済協議の下で決着した内容を着実に実施していくことが重要である。

・図表5(WTOの紛争解決手続の流れ)

 7月には、コダックによる301条申立てを受けてのUSTRの調査開始、日本の酒税格差問題についての米とのWTO協議などが持ち上がり、また、9月28日には日本の林産物、紙市場がスーパー301条に基づく「監視品目」として指定されるなどの動きがあったが、基本的には自動車・同部品問題の決着以降、日米経済関係は比較的静かな局面を迎えた。また、日本の対米貿易黒字は、94年には過去最高の549億ドルを記録したが、95年は456億ドルと前年比17.0%のマイナスを記録した(大蔵省通関統計)。
 日米航空関係については、日本は従来よりその不均衡を是正すべく米国との交渉を重ねてきているが、95年に入り米国航空企業の貨物専用便路線の拡大が日米間の新たな争点となった。この問題は、最終的に閣僚級の折衝を経て、米側路線の認可と日本航空企業の貨物専用便路線の拡大とで一定の均衡を図る形で決着し、また、貨物専用便分野において両国航空企業間の機会の均等及び一層自由な枠組みの達成を目的とする日米間協議が開催されることとなった。

 [地球的展望に立った協力のための共通課題(「コモン・アジェンダ」)、国民交流]

 「コモン・アジェンダ」は日米包括経済協議の主要な柱の一つであり、環境、麻薬、人口、エイズ、子どもの健康といった地球的規模の問題、及びそれらの問題の解決に向けた技術革新、人的交流等に日米両国が共同で取り組むための協力の枠組みである。93年に始まって以来、コモン・アジェンダは益々幅を広げ、大きな成果を上げている。1月の日米首脳会談においては、新たにWID(途上国の女性支援)がコモン・アジェンダに加えられ、途上国における女子教育の振興及び女性零細企業主への支援について協力が推進されることとなった。人口及びエイズ分野においては調査、人材交流等が順調に進められ、珊瑚礁分野では5月に珊瑚礁国際ワークショップが開催された。同じく5月の第5回次官級全体会合においては、各分野の進捗状況が報告されるとともに、新たな試みとして防災に関する特別会合及びコモン・アジェンダ紹介のための民間関係者との公開セッションが開催され、その成果は6月の日米首脳会談にて両首脳に提出された。その他、地球観測情報ネットワークにおける日米共同デモンストレーションの開催、麻薬分野における途上国へのミッションの派遣、製造技術者交流プログラムの促進等の活動が注目される。今後は日米両国民の一層の理解と支持を得ながら第三国、NGO等の参加を歓迎し、コモン・アジェンダの取組を更に拡大、深化させることが重要である。
 国民交流に関しては、21世紀の世界を担う両国の若者が、交流を深め、相互理解を促進させることが重要であるとの観点から、日本政府は米国政府よりの支援の下、より多くの米国の若者に対し、日本を学び、日本を知る機会を提供するとの目的の下、米国の高校生、大学生、学部卒業生、教職員、若手研究者、若手芸術家等を対象とした対日理解促進のための包括的取組の推進に着手した。また、米国においては、米国の行政官が日本において研修を行うことにより日本の政治経済文化に通暁した知日家を米国政府内に育成することを目指す、いわゆる「マンスフィールド計画」が開始され、研修予定者は96年度の訪日に向け、95年秋より日本語学習に取り組んでいる。

 [21世紀に向けて]

 95年を機に、日米両国は戦後50年間の日米関係の歴史を振り返り、21世紀に向けての新たな第一歩を踏み出した。冷戦が終結し、国際社会の構造には変化が見られるものの、日米関係は今後も日本外交の基軸である。かつて戦火を交えた日米両国は、戦後50年の歩みの中で、自由、民主主義、市場経済原理という基本的価値観を共有し、両国民の信頼に基づく堅固な二国間関係を築き上げた。今や健全な日米関係は、日米のみならず、アジア太平洋、さらには国際社会全体の平和と繁栄にとって不可欠な存在となっている。
 将来も、日米両国は、関係が緊密であるが故に様々な課題に直面することは避けられないであろうが、その際、如何なる困難も乗り越えて、強固な二国間関係を保ち続けていくためには、今後とも両国間の人と人とのつながり、人間関係が最も大きな力になる。その意味において、日米の両国民一人一人が、自ら日米関係を支えているということを実感し、世界の繁栄に向けたパートナーとしてお互いを理解し合うことが、今日、真に求められている。
 96年4月には、クリントン大統領の訪日が予定されているが、この訪日が、新たな時代における日米関係の意義を確認し、幅広い分野における日米協力を総括するための重要な機会となることが期待される。

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5.国連改革

 国連創設から半世紀の間に、国際社会はその構造を変化させてきており、人口の爆発的増加や東西冷戦終了後の地域紛争の急増、更には環境破壊等の地球規模の問題の発生など、国連が果たすべき役割は増大するとともに多様化している。また、国連に対する期待が高まる一方で、国連が国際情勢の変化に十分対応出来ていないとの批判が生じていることも事実である。国連創設50周年を迎えた1995年には、そのような問題意識を背景として、国連の改革を通じてその機能を強化していこうとの気運が高まりを見せた。6月のハリファックス・サミットでは、他の国連加盟国とともに、具体的改革を通じ、国連をより効果的かつ効率的なものにする努力をしていくことが確認された。国連においては、総会の下に財政状況、開発のための課題、安保理改革に関し、それぞれ作業部会が設置され、具体的な改革の実現に向けた議論が進められているほか、9月には、国連システム強化のための作業部会の設置が決定された。9月末から行われた第50回総会一般討論演説では河野外務大臣が開発問題、紛争の予防解決と軍縮・不拡散、及び国連改革を3つの柱とする国連における重要課題に関する日本の考え方を述べた。また、10月末に行われた国連50周年記念総会特別会合は約130か国もの国の首脳が一堂に会する史上最大規模の首脳会合となったが、この会合には村山総理大臣が出席し、国連改革推進の重要性等を改めて強調した。国連への協力は日本外交の重要な柱であり、国連の機能強化に向け積極的に貢献することが極めて重要である。

(1)財政改革

 一部主要国の分担金未払等により、国連は深刻な財政危機を迎えている。特に、95年8月には、通常予算の不足により、職員の出張の制限や採用の凍結等を含む緊急節約措置が採られた。とりわけ、PKOの財政は、深刻な状況にある(PKOの財政問題については、第2章第1節2.(3)参照)。
 こうした状況の中、94年末に国連財政全般を検討するために設置された「財政状況に関する作業部会」は、95年初めより本格的な協議を開始し、分担金支払の促進措置、PKO予算制度及び分担率の見直し等について討議を開始した。日本はこの作業部会において、加盟国の分担金滞納の解消の重要性を訴えるとともに、現行の分担率決定方式に含まれる歪曲化要因を包括的に見直し、「公正かつ衡平な」負担を実現するよう主張している。

・図表6-1(国連通常分担率の推移)  ・図表6-2(国連の活動の規模の拡大) ・図表6-3(国連分担金の未払い状況)

(2)経済社会分野の機能改革

 開発、環境、人口、難民等、国境を越えた新たな地球規模の問題が深刻化するに伴い、経済社会分野における国連システムの機能強化が一層重要となってきている。また、国際社会においては、この分野での国連の活動の非効率が指摘されている。こうした中、国連においては、より総合的な開発戦略を策定するとともに関連する諸機関の改革を進めるため、国連事務総長の報告書「開発のための課題」を受けて設置された作業部会で検討が行われている。この作業部会は第50回総会会期中(96年9月まで)に報告書をまとめることを予定している。
 日本は、国連改革は予算削減それ自体を目標とするものであってはならず、国連の機能強化に資するものでなければならないとの立場から、「開発のための課題」に関する議論を重視し、改革の進展に努めている。具体的には、6月から、「国連と経済社会分野の新たな課題」をテーマとする大臣懇話会を開催し、8月には、懇話会の報告書も参考に、日本提案をまとめ、作業部会に提出した。また、9月の第50回国連総会における河野外務大臣による一般討論演説では、新たな視点に立って開発途上国の発展を確保するため、より総合的な「開発戦略」を策定する必要性を訴えた。(日本が提唱した新たな開発戦略の内容については、第2章第2節2.(1)参照

(3)安保理改革問題

 冷戦後の国際社会において、安保理が期待される役割を果たしていくためには、その実効性と正統性を高めるような改革が必要である。このため、国連においては第48回総会以来、安保理改革作業部会が設置され、安保理議席の拡大と並んで、審議の透明性等、安保理の運営面での改善についての議論が行われている。これまでのところ、安保理の能力と実効性を強化し、代表性を向上させ、作業効率を改善させるような方法で安保理を拡大し、作業方法を見直すことについては意見の一致をみているが、常任理事国の増大の可否、拒否権の扱い等について、各国の意見は十分収斂していない。

・図表7(国連加盟国と安保理常任・非常任理事国の地域別構成)

 日本は、(A)グローバルな責任を担う能力と意思を有する限定された数の国を新たに常任理事国に加え安保理の機能を強化すること、(B)非常任理事国の議席数の適当な増加により安保理の代表性を改善すること、(C)議席の地理的配分の不平等を改善すること等の考えに立って、安保理改革についての議論に積極的に参加している。また、第50回総会一般討論演説で河野外務大臣は、昨年に引き続き、憲法が禁ずる武力の行使は行わないという点を含む日本の国際貢献に関する基本的な考え方の下で、多くの国々の賛同を得て、安保理常任理事国として責任を果たす用意があることを表明した。
 国連50周年記念総会特別会合においては、村山総理大臣が、安保理改革の重要性を改めて強調するとともに、96年9月までに改革案の大枠につき各国が合意することを目指し、速やかに作業を進めるべきことを訴えた。

(4)旧敵国条項の削除

 国連憲章の『旧敵国条項』については、原則として同条項を撤廃することでコンセンサスが出来た。95年2月から3月にかけての憲章特別委員会において、『旧敵国条項』を削除するための国連憲章改正手続きを将来の最も至近の適当な総会会期に開始すべしとの勧告が合意され、この勧告をそのまま盛り込んだ総会決議が12月11日に採択された。

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6.核軍縮・不拡散をめぐる動き

 冷戦の終結に伴い、核不拡散体制の強化が国際的な安全保障上の最大の課題の一つとなるとともに、核軍縮・軍備管理の推進の機運が高まりを見せている。こうした中、戦後50周年を迎え、核不拡散条約の25年目の見直しの年にあたる95年は、核兵器の問題に対する国際社会の関心が高まり、多くの進展が得られた。5月には、核不拡散条約(NPT)の無期限延長の決定及び「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」の採択があり、核軍縮・核不拡散に関する重要な成果が見られた。一方で、核実験については、フランス、中国による実験の実施は、国際的な核軍縮の流れに反するものとして、国際世論の強い批判を招き、全面核実験禁止条約(CTBT)交渉の早期妥結の必要性に対する認識を高めた。このような状況の中で、日本は、唯一の被爆国として、核兵器のない世界を目指して現実的な取組を着実に積み重ねる努力を続けており、95年の国連総会においては、「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮決議案」及び「核実験の停止を求める決議案」を実質的に主導して作成し、多数の国の支持を得て採択に導いた。

(1)核不拡散条約の無期限延長

 核不拡散条約(NPT)は、70年の発効以来、今日の世界の平和と安全の根幹の一つをなす国際的核不拡散体制の柱としての役割を果たしてきた。発効から25年目にあたる95年、4月から5月にかけてニュー・ヨークで、NPTの運用状況を再検討するとともにこの条約の延長期間(無期限又は一定の期間)を決定するためのNPT再検討・延長会議が開催された。この会議の結果、NPTの無期限延長が無投票で決定され、同時に、「NPT再検討プロセスの強化」及び「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」の二つの決定が採択された。特に後者は、「究極的核廃絶を目標とする核兵器国の核軍縮努力」、「全面核実験禁止条約(CTBT)交渉の96年中の妥結及びCTBT発効までの核実験の最大限の抑制」等をうたっており、将来の核軍縮・核不拡散の道筋を示すものとして高く評価される。
 日本は、世界の平和と安全にとって、NPT体制を安定的なものとし、核兵器保有国の増加を防止することが不可欠であるとの立場から、NPT無期限延長を支持したが、同時に、無期限延長が、核兵器国による核兵器保有の恒久化を意味するものであってはならず、核兵器のない世界を目指して、核兵器国がNPT第6条の核軍縮義務を誠実に履行することを強く訴えてきた。NPT再検討・延長会議の結果は、まさにこのような日本の主張と国際社会の認識が合致したことを意味する。
 NPTは、95年12月現在締約国が182か国に達し、その普遍性は益々高まっているが、インド、パキスタン、イスラエル、ブラジル等の国は今も未締結のままである。日本は、これらの国に対しNPT早期加入を粘り強く働きかけている。

(2)全面核実験禁止条約(CTBT)

 CTBT交渉は、94年1月よりジュネーヴ軍縮会議で開始され、精力的な交渉が行われているが、前述の通りNPT再検討・延長会議において96年中の交渉妥結を目指すことについて決定された。日本は、交渉促進のため、95年9月、河野外務大臣の国連総会一般討論演説の中で、96年春までの交渉妥結、96年秋までの署名というスケジュールを提案し、この目標に向けて最大限の努力を行っている。
 CTBT交渉の妥結のためには、禁止される核実験の範囲、検証の方法、CTBT機構のあり方等多くの項目について意見の一致をみる必要がある。このような状況の下、CTBTの禁止対象については、95年8月、フランス、米国、英国が「いかなる核兵器の実験的爆発及びその他いかなる核爆発の禁止」の支持を発表したことは、交渉促進への寄与として評価され、他の核兵器国が早急に同様の立場をとることが期待される。

(3)核実験問題

 フランスは92年4月以降核実験を停止していたが、95年6月に最後の一連の核実験を実施する旨発表し、95年9月から96年1月まで南太平洋において6回の核実験を実施した後核実験を完全に終了する旨宣言した。中国は、毎年1~2回のペースで核実験を行っており、95年も2回の核実験を行った。全ての核実験に反対する日本としては、村山総理大臣、河野外務大臣をはじめ様々なレベルで、あらゆる機会をとらえて、両国に対し強い遺憾の意を伝え、核実験の停止を強く働きかけた。また、中国に対しては、核実験の停止が明らかとならない限り、緊急的・人道的性格のものを除き無償資金援助協力を停止することを決定した。
 さらに、日本は、核実験停止を求める国際社会の真剣な意思を明確にし、CTBT交渉推進のため好ましい環境を作ることを目的として、「核実験の停止を求める決議」案を他の40か国と共同で第50回国連総会に提出し、これは多数の国の支持を得て採択された(賛成85、反対18、棄権43)。日本としては、すべての国がこの決議の採択によって示された国際社会の真剣な意思を真摯に受け止め、これ以上核実験が行われないよう引き続き強く働きかけていく。また、国会においては、8月4日に衆参両議院が核実験反対の決議を採択した。

(4)米露間の核軍縮

 第1次戦略兵器削減条約(START I)は、94年12月に発効したが、米、ロシアは、同条約発効以前から核兵器の解体に取り組んでいる。また、カザフスタンに配備されていた核兵器は95年4月末までに全てロシアに移送され、ウクライナ、ベラルーシに残されていた核兵器の移送も進んでいる。次のステップである第2次戦略兵器削減条約(START II)については、96年1月に米国が批准した。ロシアの早期批准が期待されている。

(5)核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議

 日本は、95年の第50回国連総会においても94年に引き続き「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議」を提出し、賛成154、反対0、棄権10の圧倒的多数の支持を得て採択された。95年の決議は、この1年間の核軍縮・不拡散分野における動きを踏まえた上で、「核兵器国に対し、核兵器廃絶を究極的目標とする核兵器削減努力に加え核軍縮の進捗状況の通報を求める」ものである。この決議が、昨年に続き多数の国の支持を得て採択されたことは、核兵器のない世界を目指して現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要であるとの日本の考え方に対し広く国際社会の理解が得られ、NPT無期限延長後の核軍縮努力の重要性が再確認されたことを示すものであると言えよう。

(6)非核地帯条約をめぐる動き

 95年は、非核(兵器)地帯の設置の機運が近年にない高まりを見せた。6月、アフリカ統一機構首脳会合で、アフリカ非核兵器地帯条約の草案が採択され、10月には、米国、英国、フランスが、「南太平洋非核地帯条約」(いわゆる「ラロトンガ条約」。85年署名、86年発効)の議定書に96年前半に署名することを発表した。さらに、東南アジア地域では、12月、バンコクでの東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議において「東南アジア非核兵器地帯条約」が、ASEAN7か国及びカンボディア、ラオス、ミャンマーの10か国により署名された。

(7)核兵器使用の違法性の問題

 93年の第46回世界保健機関(WHO)総会及び94年の第49回国連総会において核兵器使用の国際法上の評価につき国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を求める旨の決議が採択されたことを受けて、ICJから陳述書の提出と口頭陳述の機会が与えられた。日本は、94年6月及び95年6月に「核兵器の使用は国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に反する」旨を含む陳述書を提出し、95年11月の口頭陳述において政府の立場を説明し、核軍縮の重要性を改めて強く訴えるとともに、広島及び長崎市長より、核の惨禍や被爆の実相について詳しく説明が行われた。今後は、ICJによる判断が示されるのを待つこととなる。


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