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 4.

南アジア


 (1) 

インド


写真・首脳会談に臨む麻生総理大臣とシン・インド首相

首脳会談に臨む麻生総理大臣(右)とシン・インド首相(左)(10月22日、東京 写真提供:内閣広報室)


 イ  

インド情勢

コングレス党中心のマンモハン・シン政権の2009年5月任期満了を前に、インド国内では下院総選挙に向けた駆け引きが活発化している。2004年の発足以来シン政権への閣外協力を行ってきた共産党等の左派政党は、米国との民生用原子力協力の推進に反対し、2008年7月に閣外協力を撤回した。2008年中に行われた10州の州議会選挙では、コングレス党が4州で勝利する一方、最大野党であるインド人民党が3州で勝利を収めるなど与野党間の勢力が拮抗(きっこう)している。

治安面では、2008年を通じて主要都市で大規模なテロ事件が発生し、政治的、社会的に大きな問題となった。特に、11月のムンバイ連続テロ事件では、日本人を含む数多くの犠牲者を出した。これらを受け、インド国内では捜査機関の再編やテロ対応部隊の拡充といったテロ対策が課題となっている。

経済面では、2007年度のGDP成長率は9.0%を達成し、3年連続で9%台の高い成長を達成した。その一方で、2008年は世界的な原油・食料価格の高騰や経済危機の影響を受け、成長が減速した。2007年12月に20,000ポイントを記録した株価指数が2008年後半に一時9,000ポイント前後まで下落したほか、第1四半期、第2四半期の経済成長率は7%台まで落ち込んだ。7月に一時約12%まで上昇したインフレ率は、その後徐々に沈静化し、年後半には6%台まで下落した。経済成長率は他国に比べて引き続き高い水準にあるが、減速傾向は否めない。

外交面では、米国や欧州諸国との間で活発な首脳外交を展開している。2008年の外交上の成果として注目すべきは米国との民生用原子力協力協定の署名である。インドは、米国のほか、フランス、ロシアとも民生用原子力協力に合意した。また、中国、ブラジルといった新興国や、ASEAN諸国、中東諸国との関係強化も進め、引き続き多角的な外交を展開している。パキスタンとの間でも信頼醸成に取り組んできたが、11月のムンバイ連続テロ事件を受け、パキスタンとの対話は頓挫(とんざ)している。


 ロ  

日印関係

日本にとって、インドは、[1]基本的価値の共有(民主主義や法の支配、言論の自由が確立)、[2]日本との経済交流拡大に向けた高い潜在力(アジア第3位のGDPを有し、豊富な若年労働人口を背景に継続的な成長が見込まれる)、[3]地政学的な重要性(中東とアジアを結ぶ海上交通路に沿って長大な海岸線を有しており、日本のエネルギー安全保障にとって重要)、[4]地域的・国際的課題に共に取り組めるパートナー(アジア地域のバランスのとれた安定と繁栄、国連安保理改革などに共通の利益)、[5]アジア有数の親日国(インドの世論調査では日本が常に「好きな国」の上位)などの観点から、国際社会における重要なパートナーとして位置付けられる。東アジア地域との関係強化を重視するインドにとっても、日本との関係強化は最重要の外交課題の一つである。

日印関係は順調に進展しており、経済面では2007年度の貿易額が100億米ドルを超えたほか(前年度比21%増)、インドに進出する日系企業の拠点数も2008年10月時点で840に達した(前年度比50%増)。しかし、日印両国の経済規模に比べると実際の交流はいまだ限定的であり、例えば、日本の貿易相手国のうちインドの占める割合は0.8%(第27位)、インドの貿易相手国のうち日本の占める割合は2.6%(第10位)にすぎない。また、観光客や留学生などの人的交流も低い水準にとどまっている。日印間の交流を活性化すべく、経済連携協定(EPA)締結に向けた交渉やインド工科大学ハイデラバード校の新設に向けた協力、インドのインフラ整備に関する協力など様々な取組が進められている。また、2008年10月にシン首相が訪日した際、安全保障、経済、経済協力、人の交流、学術交流など幅広い分野での協力で一致した。今後、首脳間での一致を着実に実施し、関係強化を一層進めていくことが課題である。



 (2) 

パキスタン


パキスタンにおいては、2月18日に下院及び州議会議員選挙が実施され、人民党(PPP)とムスリム連盟シャリフ派(PMLN)が躍進し、3月25日にPPPのギラーニ副総裁が首相に就任、両党を中心とする連立政権が発足した。一方、ムシャラフ大統領を支持してきたムスリム連盟カーイデ・アーザム派(PML-Q)は議席を大幅に減らして野党に転じた。PPPとPML-Nは、支持基盤が弱体化したムシャラフ大統領に退陣を迫り、8月7日には憲法に基づく大統領弾劾手続を開始すると発表、ムシャラフ大統領は8月18日に辞任した。これを受け、9月6日に大統領選挙が実施され、ザルダリPPP共同議長が新大統領に選出された。しかし、その過程で、PPPはPML-Nの要求(2007年11月3日の非常事態宣言で解任された最高裁判事等の復職)を受け入れず、8月25日にはPML-Nが連立政権を離脱した。

パキスタンの民主政権の最大の課題の一つであるテロ対策においては、アフガニスタンとの国境地域における軍事作戦やインド洋における海上阻止活動(OEF-MIO)への艦船の派遣が継続されている。また、民主政権は軍事作戦のみならず、紛争解決のための対話及び貧困地域の経済開発を含めた包括的戦略の下でテロ対策に取り組んでいる。しかし、国内の治安情勢は依然として厳しく、9月20日にはイスラマバード最大級のホテルで自爆テロ事件が発生し、300人以上の死傷者を出した。こうした中、10月に、上下両院がテロ及び治安対策のための合同会議を開催し、テロに対する非難と国内の一致団結した対応、紛争解決のための対話の重要性を含む14項目の決議を全会一致で採択するなど、テロ対策に向けて国内が結束する動きも出ている。

パキスタンでは、2008年、治安情勢への不安などから外国投資が減少し、GDP成長率(2007/08年度)も目標値を下回り5.8%となったほか、株式市場も大幅に下落、国際的な原油価格高騰等の影響を受けて財政赤字が拡大し、外貨準備高も2007年10月の164億米ドルから67億米ドル(2008年11月)に減少した。この危機的な財政状況を受けて、11月24日に国際通貨基金(IMF)は総額76億米ドルの融資を決定した。

国際社会としてパキスタンを支援するため、9月26日、「民主的なパキスタンに関するフレンズ・グループ会合」が設立された。同会合は、ニューヨークでの第1回会合(閣僚レベル)に引き続き、11月17日にはアブダビで第2回会合(高級事務レベル)が開催され、中長期的なパキスタンの安定と発展に向けた議論が行われた。

日本との関係では、5月に高村外務大臣がパキスタンを訪問し、新政権の取組を支援する旨表明し、クレーシ外相との間で総額約479億円の円借款供与に係る交換公文(E/N)に署名した。日本はテロに対するパキスタンの取組を支援すべく、アフガニスタンとの国境地域における教育・医療等社会インフラ支援を行っているほか、6月のG8京都外相会合では議長国として国境地域支援のためのイニシアティブを打ち出した。


写真・訪問先のニューヨークでの日・パキスタン外相会談に臨む中曽根外務大臣とクレーシ・パキスタン外相

訪問先のニューヨークでの日・パキスタン外相会談に臨む中曽根外務大臣(左)とクレーシ・パキスタン外相(9月26日、米国・ニューヨーク)



 (3) 

スリランカバングラデシュネパールブータンモルディブ


 イ  

スリランカ

1983年以降内戦が続くスリランカでは2008年1月、多数派シンハラ人主導の政府が少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)との間で2002年の停戦合意からの脱退を表明し、同合意は失効した。政府軍が北部のLTTE支配地域への本格的攻撃を行った結果、20万人を超える国内避難民が発生した。LTTEもコロンボに空爆を行うなどの反撃を行った。

政府はLTTEを対話のテーブルに着かせるため軍事的圧力を加える一方、全政党代表者委員会での中央から州への権限委譲に関する協議を進め、5月には東部州評議会選挙を実施するなどの取組を行ったが、大きな進展は見られていない。日本は、「平和の定着」への貢献という観点からスリランカの和平プロセスを積極的に後押ししている。文化面では9月から11月まで東京国立博物館においてスリランカ文化遺産展が開催され、約8万人が訪れた。


 ロ  

バングラデシュ

バングラデシュでは、当初2007年1月22日に実施予定だった総選挙が政党間対立の激化から延期され、その後、約2年間にわたり、選挙管理内閣の下で自由、公正かつ信頼に足る総選挙実施のための準備が進められ、非常事態宣言の撤廃後の12月29日に約7年ぶりの総選挙が実施された。日本からは、日・バングラデシュ議員連盟を中心とした選挙監視団を派遣した。選挙では、前野党のアワミ連盟が地滑り的勝利を収め、2009年1月にハシナ総裁が首相に就任した。一方、電力不足等に対する国民の不満は少なくなく、新政権発足後も課題は多い。


 ハ  

ネパール

ネパールでは、2006年11月に成立した包括的和平合意に基づき、2008年4月に制憲議会選挙が行われ、マオイストが第一党となった。5月の第1回制憲議会で王制の廃止と連邦民主共和制への移行が決定され、8月にはダハール・マオイスト委員長が首相に選出された。現在は、新憲法の制定とマオイスト兵の処遇問題が主要課題となっている。

日本は、国軍とマオイスト兵の武器と兵士を監視する国連ネパール政治ミッション(UNMIN)に対し自衛隊員6名を派遣している。また、制憲議会選挙に選挙監視団を派遣したほか、経済協力分野でも積極的に同国を支援しており、7月には宇野外務大臣政務官が訪問し、新政権への支持姿勢を示した。


写真・ダハール・マオイスト委員長(プラチャンダ)と会談する宇野外務大臣政務官

ダハール・マオイスト委員長(プラチャンダ)(左)と会談する宇野外務大臣政務官(右)(7月16日、ネパール)


 ニ  

ブータン

ブータンでは、2007年12月及び2008年3月にそれぞれ同国初となる上院選挙及び下院選挙が実施され、4月には、下院選挙で勝利したブータン調和党のティンレイ党首が首相に任命され、新内閣が発足した。5月に新国会が招集されたほか、7月には憲法が施行された。また11月には、ワンチュク第5代国王陛下の戴冠(たいかん)式が行われた。

日本はブータンにおける民主化プロセスの進展を支持しており、総選挙実施支援として緊急無償資金協力を供与したほか、下院選挙への選挙監視団の派遣、選挙管理委員会委員長の招へい等を実施した。


 ホ  

モルディブ

モルディブではガユーム大統領が民主化改革を進めた結果、8月に民主的な新憲法が制定され、10月に複数政党制の下で初となる大統領選挙が実施された。日本も選挙監視団を派遣したこの選挙の結果、野党モルディブ民主党(MDP)のモハメド・ナシード会長が、6期30年にわたり任期を務めたガユーム大統領を破って大統領に就任し、MDPを中心とした連立政権が成立した。



 (4) 

南アジア地域協力連合(SAARC)


日本は2007年から南アジア地域協力連合(SAARC)にオブザーバーとして参加し、南アジアの域内連携を支援している。2008年8月にはスリランカで第15回SAARC首脳会議が開催された。日本は民主化・平和構築支援、域内連携促進支援、人的交流促進支援等の取組の継続を表明する高村外務大臣のメッセージを発出した。日本は「日本・SAARC特別基金」を通じて防災やエネルギー分野を中心に支援を行っており、6月にはパキスタンでエネルギーをテーマに日・SAARCシンポジウムを開催した。また、「21世紀東アジア青少年大交流計画」の一環として、2008年度は高校生や理工系大学院生、日本語学習者・教師等約250人の青少年を招へいした。


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