第2章 地域別に見た外交


(9)日韓関係

 1965年の日韓国交正常化以降、両国関係はあらゆる面で大きく発展してきた。特に、2002年のサッカー・ワールドカップ共同開催の成功、「日韓国民交流年」 (注11) 、「日韓共同未来プロジェクト」 (注12) の実施等を通じて着実に醸成されてきた日韓両国民間の相互理解と交流の流れは、2005年の国交正常化40周年を記念して行われた「日韓友情年2005」 (参照)により、一層高まった。

 「日韓友情年2005」では、1月に東京とソウルで両国首脳が参加して盛大に開催されたオープニングを皮切りに、9月にソウルで行われ5万人の市民が集まった「日韓交流 おまつり」、12月にソウルで行われた「友情年記念コンサート」をはじめ、700件を超える記念行事が日韓両国の各地で催された。折からの韓国大衆文化ブーム(いわゆる「韓流」)や、Kポップ、Jポップの流行等とも相まって、「日韓友情年2005」を通じ、日韓両国民の互いの文化に対する関心は更に高まるとともに、市民交流の裾野が広がったと言えよう。

 また、この40年間で両国民の往来数も飛躍的に増えた。国交正常化当時の両国間の人の往来は年間約1万人だったが、現在では一日1万人を超え、2005年には約410万人の往来があった。日韓両政府は、このような人的交流の拡大の流れを定着させるべく、交流環境の整備のための施策を講じている。その一環として、8月1日から東京の羽田空港とソウルの金浦空港を結ぶ航空便が一日4便から8便へ増便された。また、「愛・地球博」の期間中、韓国人に対して査証免除措置を実施するとともに、同措置を2006年2月まで暫定延長した後、査証免除実施期間中の全体的な実施結果を踏まえ、3月以降の恒久的査証免除を決定した。これらを通じて、年間往来者数が更に拡大することが期待される。2006年1月20日、両国間の効率的かつ効果的な刑事共助を可能とする「刑事に関する共助に関する日本国と大韓民国との間の条約」が署名された。こうした実務的協力の枠組みを一つ一つ整備し、実績を重ね、両国間の協力関係を更に強固にしていくことは重要である。


▼日韓間の出入国者数


  同時に、2005年は、日韓間の諸懸念を巡り、両国関係に困難な時期が見られた年でもあった。2月23日に島根県議会において「竹島の日」条例が上程されたことを契機に、韓国の対日感情は急速に悪化した。盧武鉉大統領は3・1節記念演説において、「両国関係の発展には、日本の政府及び国民の真摯な努力が必要」であり、日本は「過去の真実を糾明 し、心からおわびし、反省」すべきであると表明した。「竹島の日」条例が成立した3月16日の翌17日には、韓国政府は、「国家安全保障会議常任委員会声明文」 (注14) を発表して対日政策を見直す方針を明らかにし、23日、盧武鉉大統領は「日韓関係に関する国民への手紙」 (注15) の中で、過去の問題について日本に対し、「外交的に断固として対応する」との強い姿勢を明確化するなど、対日姿勢を強めた。これに対し、日本側は、竹島に対する日本の領有権に関する立場は以前から一貫していることを明確にした上で、韓国国民の過去を巡る心情を重く受けとめ、和解に基づく関係構築を呼びかける町村外務大臣談話を発表した。竹島は、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土である、というのが日本の一貫した立場であり、この立場を今後とも主張していくが、政府としては、お互いの立場は立場として、大局的見地からこの問題が両国の友好協力関係を損なわないよう努力していくことが重要と考えている。この点について、累次の機会に韓国側に対して理解を求め、確認している。

 4月、文部科学省が2006年度用の中学教科書検定の結果を発表した。これに対し、韓国政府は、前回検定時のように、外交ルートを通じて多数に上る具体的な修正を要請することはなかったものの、特に歴史教科書の一部の記述と、公民教科書の竹島の領有権に関する記述をとりあげ、遺憾の意を表明した。政府としては、日本の教科書検定制度の趣旨及び仕組みについて誠実に説明を行い、韓国を含む近隣諸国の理解を求めてきているところである。

 その後、4月と5月の2度にわたる外相会談、6月20日にソウルで行われた小泉総理大臣と盧武鉉大統領との首脳会談を経て、日韓関係は平静へと向かった。首脳会談で小泉総理大臣は、韓国国民の過去を巡る心情は重く受けとめており、一時期意見の相違があっても大局的見地から両国関係を未来志向で前に進めたい、過去に起因する問題については人道的観点から可能な限り進める、との立場を伝えた。また両首脳は、「教科書小グループ」を新設した形での第2期日韓歴史共同研究の発足 (注16) 、新たな追悼・平和祈念施設についての検討、日韓交流の拡大、北朝鮮の核問題の平和的解決のための日米韓の連携等で合意した。




▲ 会談を前に握手する小泉総理大臣と盧武鉉韓国大統領(6月20日、ソウルの大統領府 写真提供:内閣広報室)


  10月17日の小泉総理大臣の靖国神社参拝の意味を巡り、日韓間の意見の相違が顕在化したが、このような中でも、10月下旬の潘基文外交通商部長官の訪日は当初の予定どおり実施され、また、11月の韓国・釜山での第17回APEC閣僚会議の際の日韓外相会談、12月のクアラルンプールでのASEAN+3外相会談の際の日韓外相会談も行われるなど、外交当局間のハイレベルの対話は維持された。

 12月18日、日韓国交正常化40周年に際し、麻生外務大臣は談話を出した。その中で、日韓国交正常化40周年の意義を改めて評価し、過去を巡る韓国国民の心情を重く受けとめ、人道的観点から、過去に起因する諸問題に真摯に対応していくこと、未来志向の日韓関係構築のための相互理解及び信頼関係の強化の必要性を改めて強調した。日韓の過去に起因する諸問題については、日本は、歴史共同研究の推進、朝鮮半島出身者の遺骨調査・返還に向けた作業の推進 (注17) 、在韓被爆者問題への対応 (注18) 、在韓ハンセン病療養所入所者 (注19) への対応、在サハリン「韓国人」に対する支援 (注20) 、北朝鮮への引き渡しを前提とした北関大捷碑の韓国への引渡し (注21) など、多岐にわたる分野で真摯に取り組み、目に見える進展を図ってきている。



▼留学生数の推移




▼ワーキングホリデー査証数




▼姉妹都市提携数




▼JETプログラム招致者数




▼修学旅行生数




 TOPIC

「日韓交流 おまつり」と「日韓青少年 対話の広場」

 「日韓友情年2005」実行委員会の事業として9月24日に行われた「日韓交流 おまつり」では、日本から秋田県の竿灯や青森県のねぶた、韓国からサムルノリ (注1) やタルチュム(仮面劇)等、日韓合わせて37団体、計1,900人が出演し、約5万人のソウル市民が集いました。会場となったソウル市内の大学路では、観衆が一緒に掛け声をかける姿も見られ、引きも切らない大きな拍手と声援で大盛況となりました。これほどの規模で日韓両国の祭りが韓国で実演されたのは初めてのことであり、その成功は、日韓間で若い人たちを中心とした交流が確実に広がっていることを示すものでした。

 12月27日には両国の学生による討論会「日韓青少年 対話の広場」がソウルで行われました。韓国哲学者の小倉紀藏実行委員と金容雲諮問委員のプロデュースの下、事前にインターネットを通じて両国学生の意見を募り、当日は約100名の学生が活発な議論を繰り広げました。議論の結果は、「未来への宣言」として両国政府関係者に手渡されました(詳細については、日韓友情年2005公式ホームページ にてご覧ください)。

 日韓両国の人の往来は国交正常化から40年を経て、今や年間400万人を超える規模に達しており、また、2004年の韓国人入国者数は、日本への外国人入国者全体の約26%、国別で第1位となっています。日韓両国間の交流や協力が今後とも更に広がっていくことが期待されます。



▲青森県のねぶた


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▲韓国の「プチェチュム(扇の舞)」



(注1)頭を振って踊りながら4種類の打楽器を演奏する舞踊。



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