第2章 地域別に見た外交 第1節 

(注1)2004年5月の日朝首脳会談における金正日(キム・ジョンイル)国防委員 長の約束に基づき、8月、9月、11月の3回にわたって行った日朝実務者協議では、拉致問題に関し、北朝鮮側から納得のいく説明は得られなかった。それだ けでなく、北朝鮮側から拉致被害者の一人である横田めぐみさんの「遺骨」として提供された骨から別人のDNAが検出され、また、提供を受けたその他の情報 及び物証についても、「8名死亡、2名は入境を確認せず」との北朝鮮側の説明には客観的な裏付けがないことが判明した。

(注2)日本政府は2月10日、北朝鮮の「備忘録」への反論文書において、改めて、 生存する拉致被害者の即時帰国とすべての安否不明の拉致被害者に関して、真実を早急に明らかにするよう要求した。しかし、北朝鮮側は、同文書への回答(2 月24日)において、依然として非建設的な対応をとったことから、日本は同日に外務報道官談話を発表し、北朝鮮に迅速かつ納得のいく対応を求め、北朝鮮側 が非建設的な対応に終始する場合「厳しい対応」を講じざるを得ない旨を再度明らかにした。

(注3)北朝鮮側は4月13日、北京の「大使館」ルートを通じ、「(日本は)万景峰 (マンギョンボン)92号の入港禁止等、我が国に対する布告なき『制裁』措置を断行している」との内容のFAX文書を日本側に伝達した。これに対し、日本 は、改正船舶油濁賠償保障法が北朝鮮の船舶のみを対象としている訳ではなく、当該船舶から入港の申請があれば関係国内法にのっとり対応することとなってい る旨の反論をした。

(注4)日朝平壌宣言に提示されている「一括解決・経済協力方式」とは、「1945 年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄」し、これにより、いわゆる慰安婦・強制連行の問題等も含め て、植民地支配に起因する金銭支払請求は、いかなる名目・根拠にかかわらず、法的に完全かつ最終的に解決されたものとするとともに、これと並行して日本か ら北朝鮮に対して経済協力を行うことをいう。なお、日本と韓国との国交正常化交渉においても、財産及び請求権の問題については、この「一括解決・経済協力 方式」により解決が図られ、日本から韓国に対し、無償資金協力として3億ドル、有償資金協力として2億ドル、合計5億ドルの経済協力が実施された。

(注5)これまで報道等で名前の挙がった国(地域)としては、タイのほかに韓国、レバノン、フランス、オランダ、イタリア、ルーマニア、ヨルダン、マレーシア、マカオがある。

(注6)略

(注7)9月15日、米国政府は、北朝鮮の不法活動(麻薬、通貨偽造等)による収益 の資金洗浄に関与したとして、マカオにある「バンコ・デルタ・アジア」を、米国愛国者法第311条に基づき、主要な「資金洗浄懸念」のある金融機関と指定 した。この指定を受け、同銀行で取付け騒ぎが発生し、9月28日にマカオ当局が経営権を取得、北朝鮮関連口座を凍結した。北朝鮮は米国の措置を「金融制 裁」だとして強く反発しているが、米国はあくまで一般的な法執行であるとしており、事態の打開の具体的めどは立っていない。

(注8)なお、2006年1月に訪中した金正日国防委員長は、胡錦濤(こ・きんとう)国家主席との会談で、「六者会合の困難を克服し、会談を引き続き前進させるための方途を採る上で、中国と共に努力する」と言及した。

(注9)これは、北朝鮮の核 問題を解決し、朝鮮半島の平和と安全を確保した上で、南北間の和解と交流を進め、朝鮮半島の繁栄を目指すものであり、そのための原則として、(1)対話を 通じ た懸案解決、(2)相互信頼、互恵主義、(3)南北当事者原則に基づく円滑な国際協力、(4)国民参加拡大―を掲げている。こうした「平和・繁栄政策」 は、基本的に 「確固たる安全保障体制を敷きつつ、南北間の和解・交流を積極的に進める」という金大中(キム・デジュン)前政権の「包容政策」を受け継いだものと言え る。

(注10)2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めている。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費財を販売している。

(注11)日韓両国がワールドカップを主催するという重要な機会をとらえ、政府間だ けでなく、幅広い分野で多くの国民の参加を得て、交流事業を推進していこうというもの。1999年9月、小渕総理大臣が金鍾泌(キム・ジョンピル)国務総 理と会談した際に提案したもので、続く10月の日韓閣僚懇談会で正式に合意された。

(注12)2002年7月の日韓首脳会談で、小泉総理大臣と金大中大統領により、日 韓共催のワールドカップの成功を記念し、両国間の青少年、スポーツ、草の根交流等への年間1万人以上の参加を実現するよう両政府として支援していくことに 合意し、2003年及び2004年共にこの目標を達成している。

(注13)略

(注14)韓国国家安全保障会議(NSC)常任委員会の声明では、以後の対日関係につき、「宿命的なパートナー」としての関係を重視しつつも、竹島と過去史関連では「断固たる措置をとる」旨の方針転換を図る旨が表明された。

(注15)3月23日に大統領府(青瓦台)のホームページに掲載された。

(注16)日韓歴史共同研究は、2001年10月に行われた日韓首脳会談において、 歴史教科書問題に関連し、正確な歴史事実と歴史認識に関する相互理解の促進が重要であるとして、立ち上げに合意された。日韓の歴史学者で構成される日韓関 係史に関する共同研究委員会とともに、官民で構成される合同支援委員会を設置し、2002年5月に第1回全体会合を開催した。共同研究は2005年3月ま で約3年間にわたって行われ、6月に最終報告書を公表した。

(注17)旧軍人・軍属の遺骨については、終戦直後から昭和23年にかけて、朝鮮半 島出身旧軍人・軍属の遺骨7,645柱を韓国に返還したが、縁故者が明らかでない遺骨1,135柱については、現在も政府が祐天寺(東京都)に保管してい る。旧民間徴用者の遺骨については、政府としては必ずしもその実態を把握していなかったが、2004年の指宿での日韓首脳会談において小泉総理大臣より、 旧民間徴用者の遺骨調査・返還についても人道的観点からの支援を表明しており、国内の民間企業、地方自治体、宗教団体の協力を得つつ所要の作業を進めてき ている。2005年には、実務者レベルを含む4回にわたる政府間協議を行い、韓国側と連携して進展を図るべく努力してきている。

(注18)第2次世界大戦時に広島もしくは長崎に在住して原爆に被爆した後、日本国 外で居住している方々に対する援護の問題。これまで国外に居住している被爆者は、被爆者援護法に基づく手当の認定申請や葬祭料の支給申請を来日して行う必 要があったが、11月30日から、申請を行う被爆者の居住地を管轄する在外公館その他最寄りの在外公館等を経由して申請を行うことが可能になった。

(注19)終戦前に日本が設置した日本国外のハンセン病療養所入所者が、「ハンセン病療養所等に対する補償金の支給等に関する法律」に基づく補償金の支払を求めている問題。2006年2月10日、同法が改正され、新たに国外療養所の元入所者も補償金の支給対象となった。

(注20)終戦前、様々な経緯で朝鮮半島出身者が旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長い期間にわたり、サハリンへの残留を余儀なくされたとの経緯がある。

(注21)1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)の際の義勇軍の活躍を記念し て、1709年に、現在の北朝鮮・咸境北道(ハムギョン・プッド)に設けられたもの。日露戦争の際に旧日本陸軍関係者が「日朝両国の親睦(しんぼく)を永 遠に保つ上において、このような碑が永存することは両国間の感情を害する因となる」として、日本に持ち帰り、靖国神社がその保存管理を行っていたが、北朝 鮮へ引き渡すことを前提として10月12日に韓国側に引き渡された。2006年3月、同碑は北朝鮮に引き渡された。

(注22)韓国は、日本の制度がWTO協定の関連規定に整合的でないと主張したが、二国間協議によって、韓国産ののりを対象とした輸入割当枠を10年後に12億枚まで拡大することで合意した。

(注23)日本は、韓国におけるハイニックス社支援措置が補助金に該当し、補助金の交付を受けた同社製品の輸入による日本の国内産業の実質的な損害を認めた結果、同社製品に対し、27.2%の相殺関税を賦課することとした。

(注24)2003年から、GDP成長率を含めた経済統計の基準年度は1995年から2000年に変更された。

(注25)「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト戦争勝利60周年」記念大会におけるもの。

(注26)このほか、中国の対日方針を示すものとして、温家宝(おん・かほう)総理 が3月の全国人民代表大会の際に発表した「3つの原則」((1)歴史を鑑(かがみ)とし未来に向かう、()「一つの中国」原則の堅持、(3)協力を強化 し、共に発展 する)と「3つの提案」((1)ハイレベル相互訪問を促進する、(2)双方の外交部門が共同で日中友好の戦略的研究の強化に着手する、(3)歴史が遺留し た問題を適切 に処理する)及び、4月の日中首脳会談の際に胡錦濤国家主席が提示した「5つの主張」((1)3つの文書の厳格遵守、(2)歴史を鑑とし未来に向かう、 (3)台湾問題 を正しく処理、(4)対話・協議を通じ、相違を適切に処理、(5)交流と協力の強化、共通利益の拡大)がある。

(注27)「日中共同作業計画」は、3つの次元((1)あらゆるレベルでの交流・対話の促進、(2)日中間の共通利益の拡大、(3)日中間の懸案の迅速な処理・解決)における日中間の包括的な具体的協力を定めるもの。同計画の策定に向け、局長級の協議で検討されている。

(注28)1984年、中曽 根総理大臣と胡耀邦(こ・ようほう)総書記との合意に基づき「日中21世紀委員会」が発足し、15回の全体会合を開催。2001年に旧委員の任期が終了し たことを受け、新たな委員の下で「新日中友好21世紀委員会」として発足した。2003年12月に大連で第1回会合、2004年9月に東京で第2回会合を 開催。日本側座長は小林陽太郎富士ゼロックス会長、中国側座長は鄭必堅(てい・ひつけん)前中央党校常務副校長。

(注29)日本にとって中国は、最大の輸入相手国で第2位の輸出相手国。2004年 の日中貿易総額(対香港を含む)は2,050億ドルとなり、初めて日米貿易総額(1,892億ドル)を上回った(財務省統計をもとに日本貿易振興機構 (JETRO)が算出)。中国にとっては、日本は第3位の貿易相手国(1位EU、2位米国)。

(注30)2002年4月、第1回ボアオ・アジア・フォーラムの際に行われた小泉総 理大臣と朱鎔基(しゅ・ようき)総理との会談で設立に合意した。貿易・投資を中心とする日中経済関係の在り方につき、総合的な見地から議論を行い、両国間 の経済分野における問題点を早期に発見し紛争を未然に防止することを図るとともに、両国経済の相互補完関係を一層強化していくことを目的としている。 2005年12月に第4回協議を開催した。

(注31)中国のWTO加盟に当たっては、加盟約束及びWTO協定遵守状況を点検するため既存のWTO機関の下で経過的審査メカニズム(TRM)が設けられた。加盟後毎年、8年間にわたって行われる。

(注32)第2次世界大戦終了時までに中国国内で遺棄された旧日本軍の化学兵器の処理問題。1990年、中国政府から本件の解決要請があった。

(注33)日本は、廃棄に当たって中国の法律を遵守し、生態環境に汚染をもたらさないこと及び人員の安全を確保することを最優先することを確認し、中国は、この基礎の上に、中国国内で廃棄を行うことに同意した。

(注34)遺棄化学兵器は、北は黒龍江省から南は広東省まで広い範囲で存在が確認さ れているが、ほとんどは吉林省敦化市ハルバ嶺地区に埋設されており、その砲弾埋設数は30万~40万発と推定されている。日本は、化学兵器禁止機関 (OPCW)に対して暫定的推定値として67万4,000発を申告していたが、その後の更なる調査等を経て、30万~40万発と判断するに至り、OPCW に対して修正申告を行った。また、現地調査や発掘・回収作業により、これまでに約3万7,000発の遺棄化学兵器が発掘・回収されている。

(注35)日本の国会にほぼ相当する中国の最高権力機関。現在の任期は5年、年1回3月ごろに全体会議が開催される。

(注36)胡錦濤国家主席が国家中央軍事委員会主席に就任し、「党」及び「国」に引き続き、「軍」における江沢民(こう・たくみん)前主席からの世代交代が完了した。

(注37)「人を根本とする」との立場から、社会全体の調和のとれた持続的な均衡発展を目指す考え方。2003年9月の中国共産党第16期第3回全体会議で提起された方針に基づくもので、以後、中国国内の各種会議等において繰り返し提起されている。

(注38)5年に1回開催される党大会で選出される「中央委員」によって構成され、党大会の閉会中の活動を指導、代行する。中央委員会の全体会議は、おおむね年1回、秋ごろに開催される。

(注39)中国政府の発表によれば、2005年の炭鉱事故件数は約3,300件、死者は約6,000人。

(注40)2002年11月の中国共産党第16回党大会で決定されたもの。

(注41)農民問題(農村と都市の収入格差や開発に伴う失地農民の問題等)、農村問題(農村荒廃、戸籍制度の問題)、農業問題(零細で非効率的な農業等による食糧生産の減少の問題)。

(注42)自国通貨に対する米ドルなど複数の通貨のレートを加重平均して算出する為替相場政策における運営方式のひとつ。構成通貨や比重等は公表されないことが多いが、通常、貿易決済に占める各主要通貨の比率をもとに決定される。

(注43)国家統一委員会は、1990年に対中国政策の方針策定のため設けられた総統直属の諮問機関。

(注44)国家統一綱領は、国家統一委員会が制定した対中国政策の最高指導綱領。

(注45)日本の国会議員に相当。

(注46)2004年11月にモンゴルで行われた世論調査の結果では、日本に親しみ を感じるとした肯定層が7割を超え、また「最も親しくすべき国」の第1位に日本が選ばれるなど、モンゴル人大相撲力士の活躍もあり、同国は極めて親日的な 国である。新潟中越地震の被害に対しては、モンゴルの一般市民から約900万円の義援金が寄せられた。

(注47)2003年のASEAN首脳会議の際に各国間で署名された第二ASEAN協和宣言(バリ・コンコード) で、ASEAN安全保障共同体(ASC)、ASEAN経済共同体(AEC)及びASEAN社会・文化共同体(ASCC)がASEAN共同体構想の柱として 示され、2004年の首脳会議では、その実現のためのロードマップとしてビエンチャン行動プログラム(Vientiene Action Programme)が採択された。

(注48)国連憲章に基づき、域内諸国間において平和的な関係を維持・管理するための国際合意。2003年には中国及びインドが、2004年には日本、韓国及びロシアが、それぞれTACに加盟した。

(注49)1970年代後半に自国民の虐殺を行った民主カンボジア(クメール・ルージュ)政権の上級幹部を裁くため、国連の協力によりカンボジア国内裁判所において実施される特別裁判。

(注50)2001年4月17日に採択された国連安保理決議1410に基づき、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の後継ミッションとして2002年5月20日に設立された。日本も自衛隊の部隊を派遣した。

(注51)2005年4月28日に採択された国連安保理決議1599に基づき、UNMISETの後継ミッションとして5月20日に設立された。前UNMISET代表の長谷川祐弘氏が代表を務める。

(注52)決定文は、津波被災者に迅速な救援・復旧・復興をもたらすという目的では共同メカニズムは正当化されるが、同メカニズム内部の地域委員会におけるプロジェクト決定方法等について現行法・規則に反するとしている。

(注53)2003年の太平 洋・島サミットにおいては、太平洋諸島フォーラム(PIF)に加盟する14か国・2地域の大統領・首相等の参加(ナウルは欠席)の下、小泉総理大臣とガラ セPIF議長(フィジー首相)が共同議長を務め、安全保障、環境、教育・人材育成、保健・衛生、貿易・経済成長の5つの重点分野を中心に協議し、太平洋諸 島地域の「持続的な開発」の実現に向けて「より豊かで安全な太平洋のための地域開発戦略及び共同行動計画(沖縄イニシアティブ)」を採択した。ここでは、 島嶼国のオーナーシップを尊重しつつ、日本が具体的な協力を積み重ねる点が強調されている。

(注54)太平洋島嶼国はすべて、日本の常任理事国入りを支持。

(注55)主な成果は次のと おり。(1)EASは、この地域における共同体形成において「重要な役割」を果たし得る。(2)EASは、開放的、包含的、透明な枠組みである。(3)EASでは、グ ローバルな規範と普遍的価値の強化に努める。(4)EASでは、政治・安保、経済、社会・文化の幅広い領域にわたる分野に焦点を当てて活動する。(5)EASは毎 年開催する(この点は議長声明で記載)。ASEANが主催・議長となり、ASEAN年次首脳会議にあわせて開催する。

(注56)日中韓3国協力 は、小渕総理大臣のイニシアティブにより、1999年11月にフィリピン・マニラで3国首脳の朝食会が行われたことを契機に発展した。その後、首脳間の意 見交換が定例化し、外相をはじめ各種の閣僚レベルや事務レベルでも協力が深まっている。2003年の首脳会議では、3国首脳による初の共同宣言が出され、 日中韓協力を「対外的に開かれた」、「未来志向」の地域協力として位置付けた。また、2004年の首脳会議では、「三国間協力に関する行動戦略」が発表さ れ、首脳共同宣言の幅広い協力分野における今後の戦略的方向性を示した。

(注57)先進国・地域は2010年までに、途上国・地域は2020年までに、自由で開かれた貿易及び投資を達成するという目標。1994年のインドネシア(ボゴール宮殿)での首脳会議にて採択。

(注58)2001年の首脳会議において、先進国・地域におけるボゴール目標の達成 期限である2010年との中間に当たる2005年に、ボゴール目標に向けた全般的進展の中間段階での現状把握を行うべきことで合意。これを受け、ボゴール 目標の達成に向けたこれまでの進展状況を評価するとともに、今後の道程(多角的貿易体制の支持、質の高いFTAの推進、国内制度に係る取組の実施等)につ いてとりまとめたもの。