第2章 地域別に見た外交 |
(4)北朝鮮の核問題
北朝鮮の核問題は、日本を含む北東アジア地域の平和と安定に対する直接の脅威であるとともに、核兵器不拡散条約(NPT)を中心とする国際的な不拡散体制に対する深刻な挑戦である。こうした中、日本は、六者会合を通じた問題の平和的解決を追求している。 2005年前半は、米朝間の対立もあり六者会合が再開されない状況が続いたが、7月から9月にかけて開催された第4回会合で「共同声明」の採択を達成するなど、同年後半は一定の前進があった。ただし、11月の第5回会合に前後して、北朝鮮側が米国政府のとった資金洗浄対策の措置を理由に六者会合への出席に消極的な姿勢を示すようになったことから、同会合以降、年内の再開は実現しなかった。六者会合プロセスにおける具体的な動きは次のとおりである。 2004年6月の第3回六者会合以降、北朝鮮は米国大統領選挙の様子を見るという思惑もあり、六者会合の開催に応じない状態が続いた。2005年に入って、六者会合の再開が期待されたが、北朝鮮はライス米国国務長官によるいわゆる「圧政の拠点」発言に強く反発し、2月10日には、核兵器の製造や六者会合の無期限中断を表明する「外務省」声明を出した。さらに、3月2日には、弾道ミサイルの発射モラトリアムにはもはや拘束されないとする「備忘録」が公表され、5月11日には、「外務省」スポークスマンが、寧辺の黒鉛減速炉で8,000本の使用済み核燃料棒を取り出す作業を終えたと発言するなど、極めて非建設的な態度をとり続けた。世界のメディアでは、北朝鮮による核実験実施の可能性に関する報道も行われた。 他方、こうした緊張状態を受け、関係六者それぞれが、六者会合再開に向けた外交努力を傾注した。来日したライス国務長官は、3月19日、上智大学で行った講演で、北朝鮮が「主権国家」であることを否定してはいないと発言した。これを受け、北朝鮮側は5月8日、同長官の発言の真意を確認するための米朝間協議を提案し、5月13日と6月6日にニューヨークで米朝接触が行われた。また、この間、南北間の対話も進展し、6月には南北首脳会談5周年記念式典(6.15統一大祝典)の機会に平壌で鄭東泳韓国統一部長官と金正日国防委員長との会談が行われ、金正日委員長は「米国が我々を相手として認め、尊重することが確かであるならば、7月中にも六者会合に出ることができる」と発言した。こうした一連の外交活動を経て、7月9日、北京でヒル米国国務次官補と金桂冠外務副相との間の米朝接触が行われ、北朝鮮は約1年1か月ぶりに六者会合を開催することで一致した。 この結果を受けて、7月26日から9月19日にかけ、約1か月の休会を挟み、第4回六者会合が開催され、以下の主な内容を含む共同声明が発表された。 (1)廃棄の対象:北朝鮮は、「すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、並びに、NPT及び国際原子力機関(IAEA)保障措置 (参照) に早期に復帰することを約束」 (2)平和的利用:北朝鮮は、「原子力の平和的利用の権利を有する旨発言」し、「他の参加者は、この発言を尊重する旨述べるとともに、適当な時期に、北朝鮮への軽水炉提供問題について議論を行うことで合意」 (3)国交正常化:米朝、日朝の国交正常化をそれぞれ六者会合の最終目標の一つに明記するとともに日朝が、「平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として、国交を正常化するための措置をとることを約束」 この共同声明は、2003年8月に始まった六者会合のプロセスで初めての共同文書であり、またその中で、北朝鮮が「すべての核兵器及び既存の核計画」の検証可能な放棄を約束している意味は大きく、北朝鮮の核問題の平和的解決に向けた重要な基礎となるものである。 その後、11月9日から11日に第5回六者会合第1次会合が開催された。同会合では、前述の共同声明実施のための計画の作成につき、意見の一致を見るとともに、その作成に向けた作業の指針を示す議長声明が発表された。日本からは、(1)核廃棄・検証、(2)経済・エネルギー支援、(3)二国間関係-からなる3つの交渉分野を設け、迅速かつ並行して包括的に実施することを提案したほか、他の参加国からも具体的提案がなされた。他方、北朝鮮が、米国がマカオの銀行に対してとった資金洗浄対策の措置 (注7) を激しく非難したことなどもあり、同会合は具体的前進を得られないまま一時休会となった。 なお、その後も北朝鮮は、米国が六者会合の進展を望むのであれば、「金融制裁」解除のための実際的な措置を講じるべきであるとの主張を続け、同措置を巡る米朝関係の現状を理由に、次回会合の参加に極めて消極的な立場を示している (注8) 。 |
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