第2章 地域別に見た外交


アフガニスタン
<政治プロセス>
 2001年12月のボン合意に基づくアフガニスタンの政治プロセスについては、移行政権の発足(2002年6月)、新しい憲法の採択・発布(2004年1月)を経て、2004年10月9日、大統領選挙が実施されるなど、民主化が着実に進展している。10月の大統領選挙においては、登録有権者数の約71%にあたる約1,200万人が投票し、11月3日、カルザイ移行政権大統領が55.4%の得票で選任された。12月7日、首都カブールにおいてカルザイ大統領就任式典が執り行われ、日本からは特派大使として逢沢外務副大臣が、さらにアフガニスタン支援総理大臣特別代表として緒方貞子国際協力機構(JICA)理事長が出席した。なお、2005年9月には議会選挙の実施が予定されている。



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日本の復興支援策
 日本は、2002年1月のアフガニスタン復興支援国際会議(東京会議)を主催して、アフガニスタンの和平・復興の努力に対する国際社会の支援を取りまとめ、同会議で自ら表明した5億ドルの復興支援を2004年2月までに実施した。2004年3月末のベルリン国際会議では、2004年3月から2006年3月末までに4億ドルの追加支援を行うこと表明した。
 「平和の定着」構想(178ページ参照)に基づく日本の支援は、同構想の3本柱である和平プロセス(選挙支援)、治安改善(元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)や地雷対策)及び復興(幹線道路整備等)の全てにわたるものであり、2001年9月から現在までの人道支援を含めた支援総額は、8億4,400万ドルを上まわる。



▲カルザイ・アフガニスタン大統領と会談をする小泉総理大臣(9月 提供:内閣広報室)


<治安>
 2004年10月の大統領選挙に際しては、アフガニスタン国民の努力とこれを支える国際社会の支援により、大きな治安上の混乱は生じなかった。しかしながら、パキスタン国境と接する南部、南東部、東部を中心に、タリバーン、アル・カーイダ、ヘクマティアル派等テロ組織の活動は継続されているほか、首都カブールにおいても、10月には繁華街での自爆テロ事件や国連職員3名が人質にとられる事件(11月に無事解放)が発生するなど、治安は依然として不安定な状況が続いている。
 地方軍閥(注12)間の戦闘も引き続き治安の不安定化要因となっている。2004年9月には、ヘラート市でイスマイル・ハーン・ヘラート県知事解任の政府発表に抗議する大規模デモが発生した。
 そのような中、アフガニスタン政府は、G8が主導する国際社会の支援を受けて、国軍創設、DDR、警察再建、麻薬対策、司法改革を内容とする改革を実施してきており、治安維持のための努力を重ねている。また、NATOが指揮を執る国際治安支援部隊(ISAF)(注13)も、治安維持のための支援にあたっており、2003年10月その任務は国連安保理決議1510によりカブール以外へも拡大されている。

アフガニスタン選挙監視団

 2004年10月9日に実施されたアフガニスタン初の直接投票による大統領選挙は、まさに歴史に残る出来事でした。日本の選挙監視団の一員として、カブールの投票所を廻って得た印象は、国民が真剣な表情で投票をしていたことです。二人同時にブースに入ってしまった姉妹には注意をし、投票用紙をかざして途方にくれているおばあさんには、『私に見せないで、折って箱に入れるのよ。』と、女性の係員が優しく教えている光景も目にしました。
 投票に行くよう父親から言われたという女性たちに、誰に投票すべきか父親から教わったのかと尋ねてみると、「それは私が決めるの!お父さんには教えない!」と胸を張って答えていました。投票がなぜ大事なのか尋ねると、「アフガニスタンを平和にしてくれる私たちのリーダーを私たちが選ぶから。」とカブールならではの優等生の回答もありました。
 本来なら外されていなければならない立候補者のポスターが投票所に残っていたり、年齢18歳と書いた本人確認カードを持っている女の子が思わず「16!」と答えてしまって係員に注意されたりと、様々な混乱はありましたが、どれも故意の不正というよりは、生まれて初めて体験する選挙を立派にやりこなそうとすればするほど緊張して混乱してしまう、アフガニスタン人独特の純朴さと誇りが入り混じっていたことに起因するものがあったと言えましょう。
 選挙前後のカブール市内は、2001年のカブール陥落直後の戒厳令を彷彿とさせる静けさでしたが、夕闇の主要道路の検問ではISAF(国際部隊)の女性兵士も礼儀正しく車中の検査を行い、市民も協力し合っていました。懸念された大規模な治安問題について特に何事もなく選挙が終えられたことは、アフガニスタン人一人一人が紛争と暴力の過去には戻らないという決意と努力の賜物といえるでしょう。まさに、10月9日は、国際社会と一丸となって歩むアフガニスタンの平和への道のりの難関の一つをアフガニスタン人自身で乗り越えた一日でした。

執筆:国際協力機構(JICA)理事長特命補佐官(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)より出向)篠原万希子

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