(注1) 日本の各界で活躍する有識者等を中東諸国に派遣し、訪問国の有識者、文化人、芸術家等との意見交換、「伝統と近代化」をテーマにしたシンポジウムの開催、スポーツ交流等を実施した。
(注2) 2001年1月の「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」(通称:河野イニシアティブ)に基づき、日本、イスラム世界双方の知識人が相互理解を目的として意見交換する会合。第1回会合はバーレーン(2002年3月)、第2回会合は東京(2003年10月)で開催された。
(注3) 日本、エジプト及びサウジアラビアの首脳に近い有力な有識者が非公式な立場で日本とアラブの様々な分野の協力を強化する方策について自由な意見交換を行った。
(注4) (2003年末までの経緯)イラクは、湾岸戦争(1991年)以降、大量破壊兵器の査察に対する協力を含む累次の国連安保理決議に基づく義務に継続的に違反したため、国連安保理は、これを国際社会の平和と安定に対する大きな脅威と認識し、2002年11月、決議1441を全会一致で採択し、イラクに査察受入れの最後の機会を与えた。イラクは、一連の決議を履行しなかったことから、米国、英国等は、2003年3月、国連安保理決議に基づく武力行使に踏み切り、同年5月には全土を掌握し、主要な戦闘の終結を宣言した。この武力行使及び武力行使終了後のイラクの復興のあり方ついては、主要国間にも見解の相違はあったものの、イラクにおける人道、復旧・復興支援、安定及び安全の回復への貢献を国連加盟国に要請する安保理決議1483が同年5月に全会一致で採択され、米国、英国などがイラクに設置した連合暫定施政当局(CPA)が一時的に統治権限を有することとなった。また、同年7月、イラク国民が統治に参加できるようにするため、イラクの主要各派指導者とその他有力部族指導者等25名による統治評議会が発足した。武力行使後、治安面では、旧体制支持勢力などによる攻撃が次第に拡大し、2003年5月以降は主に米英軍が攻撃対象になるとともに、8月にはバグダッドの国連本部への爆弾テロ攻撃、11月には日本人外交官殺害事件等が発生するなど、ソフト・ターゲット(警備の緩やかな標的)に対する攻撃が目立つようになった。
武力行使後の復興については、安保理決議によって各国に支援が求められるとともに、国際協調体制を確立すべく10月にイラク復興国際会議がマドリッドで開催され、国際社会全体で総額330億ドル以上の資金協力の表明がなされた。日本も、最大50億ドルの支援の表明を行った(これらの経緯については、『外交青書2004』参照)。
(注5) 国民議会選挙
・国民議会選挙は、定数275議席に対し、全国を1選挙区とする比例代表方式で実施。
・有権者は政党、個人から独立選挙管理委員会に提出された111件の候補者名簿の中から一件を選び投票。立候補者は合計7761人。
・有権者登録数約1,466万人のうち、約855万人(有効投票数:約845万票)が投票(投票率58%)。
・在外選挙はオーストラリア、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、イラン、ヨルダン、オランダ、スウェーデン、シリア、トルコ、アラブ首長国連邦、英国、米国の14か国で1月28~30日に実施。有権者登録を行った約28万人のうち、約26万人が投票(投票率93%)。
・選挙の結果、シーア派最高権威シスターニの承認を受けた「統一イラク連合」(イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)、ダアワ党等からなる政党連合)が得票数1位の約407万票を得て、140議席を獲得。2位はPUK(クルド愛国同盟)、KDP(クルド民主党)を中心に作成された「クルド同盟リスト」(得票数約217万票、75議席)。3位はアッラーウィー首相が率いる政党を中心に作成された「イラク・リスト」(得票数約116万票、40議席)。4位はヤーウェル大統領が率いる政党「イラク人党」(獲得票数約15万票、5議席)。その他8のリストが計15議席を獲得。
(注6) 日本はフランス、イラン、ヨルダン、スウェーデン、シリア、トルコ、アラブ首長国連邦、英国の8か国で在外選挙の監視を実施。
(注7)イラク復興信託基金ドナー委員会メンバー
東京会合には、オーストラリア、カナダ、欧州委員会、インド、イタリア、日本、韓国、クウェート、ノルウェー、カタール、スペイン、スウェーデン、英国、米国及び小ドナー(1,000万ドル未満の拠出国)を代表してフィンランド、ノルウェーがドナー委員会メンバーとして参加。同会合では、イランが1,000万ドルの拠出表明を行い、ドナー委員会メンバーに参入した。
(注8)「国家開発戦略(NDS)」
統治権限移譲後のイラク暫定政府が策定した最初の復興戦略。2005~2007年の経済社会改革及びセクター別(石油・ガス、金融電力、水・衛生、運輸、通信、教育等)の開発指針を説明したもの。
(注9) 「ロードマップ」とは、2003年4月に米、EU、ロシア及び国連の四者(カルテット)が公表し、同年6月までにイスラエル・パレスチナ双方に受け入れられたもので、2002年6月にブッシュ大統領が発表したイスラエルと平和裡に共存するパレスチナ独立国家の樹立を通じてパレスチナ問題を解決するという構想(二国家平和共存構想)を実現するために、イスラエル・パレスチナ双方が実施すべき義務を行程表の形で整理した文書(2005年中にパレスチナ国家建設を目標とする)。
(注10) 安保理は、5月、決議1544を採択し、イスラエルに対し暴力の停止及び国際人道法上の義務の尊重及び遵守を要請したほか、「ロードマップ」の義務の即時履行を要請した。
(注11) イスラエル政府は、テロからの安全確保を目的に2002年6月から西岸内部に「バリア」の建設を開始した。
(注12)アフガニスタンの軍閥:四半世紀の内戦を経て、各地に軍閥勢力が割拠しており、その規模は10万前後と見られている。主な軍閥は、中央のファヒム前副大統領(タジク人)、北部のドスタム将軍(ウズベク人)西部のイスマイル・ハーン前司令官(タジク人)ら。政治プロセスとDDRの進展に伴い、武力を捨てて政治参加に向かう機運が高まっている。
(注13) ISAFの主な活動:安全環境の確保、アフガニスタン政府の再建支援、アフガニスタン警察と軍の再建支援、カブール国際空港の運営等。
(注14) 1981年、イラン革命やイラン・イラク戦争の勃発等の国際情勢の急激な変化を受け、湾岸アラブ6か国(アラブ首長国連邦、バーレーン、サウジアラビア、オマーン、カタール、クウェート)が、同じ君主制国家の立場から相互の結束を強化することを目的として設立された。本部はサウジアラビアの首都リヤドに置かれている。
(注15) 2004年5月にチュニジアで開催された第16回アラブ首脳会議で採択された「チュニス宣言」において、アラブ諸国における改革の必要性が初めて謳われた。
(注16) 「拡大中東・北アフリカ」の対象国は特定されていないが、北アフリカを含む中東及びその周辺地域の諸国(パキスタン等)を含む概念と考えられる。2004年12月の「未来のためのフォーラム」第1回会合には、地域から、アラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、パレスチナ自治区、イラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエメン、オマーン、クウェート、バーレーン、カタール、チュニジア、リビア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア)に加えトルコ、パキスタン、アフガニスタンが出席し、イランは欠席した。
(注17) G8シーアイランド・サミットでは本件構想に関して「拡大中東・北アフリカとの前進と共通の未来に向けたパートナーシップ(政治宣言)」及び「G8改革支援計画」の2つの文書が発表された。
(注18) 世界銀行グループの一つとして、開発途上国の民間企業に対する融資・出資を通じて、開発途上国における持続可能な民間部門への投資を促進し、貧困削減と生活水準向上を支援することを目的に1956年に設立された。現在、175か国が加盟。
(注19) G8と拡大中東・北アフリカ諸国の政府関係者、専門家、ビジネス関係者等が参加し、同地域の雇用状況と課題の共有、職業訓練の好事例の紹介、職業訓練が地域の雇用拡大ニーズに応える最善の方法について議論する予定。