第2章 地域別に見た外交


アジア欧州会合(ASEM)
 アジア欧州会合(ASEM)は、北米とアジア、米欧関係に比べ希薄であったアジアと欧州との対話と協力の場として、1996年に発足し、「政治」、「経済」、「社会・文化・その他」という3つの柱の下、多岐にわたる活動を行ってきた。
 2004年には、アイルランド・キルデアにおいて4月に第6回外相会合、10月にベトナム・ハノイにおいて第5回首脳会合が開催された。第5回首脳会合では、アジア側からASEAN加盟国であるがASEM非参加国であったカンボジア、ラオス、ミャンマーの3か国、欧州側から欧州連合(EU)に2004年5月に新規加盟した10か国の新規参加が承認され、ASEMはASEAN+3(日中韓)とEUという地域統合体間の対話と協力の場という性格を帯びることとなった。
 日本は、既存のグローバルな枠組みや地域協力の枠組みを補完し、欧州諸国のアジアへの関心と関与を高める機会であり、またアジアと欧州との橋渡し役として貢献を行う場として、ASEMを重視している。第5回首脳会合終了までの約2年間、日本はアジア側の調整国(注59)を務め、ミャンマーを含む13か国の新規参加に関するアジア・欧州間の意見調整や、アジア・欧州間の経済関係の強化を訴える経済宣言のとりまとめに尽力し、さらにASEMの将来の姿について検討を行うことを提案するなど、第5回首脳会合の成功に大きく貢献した。
 日本は、2005年5月6、7日に京都で第7回外相会合を主催する予定である。この会合では、第5回首脳会合での議論を踏まえ、アジア欧州間の具体的な協力分野の特定や機構の改善など、ASEMの将来に関する課題のほか、地域情勢、地球規模の問題など、両地域が関心を共有する重要な課題について討議する予定である。日本は議長国として、準備過程を含め、その成功に向けて積極的に取り組んでいく考えである。



▲アジア欧州会合(ASEM)第5回首脳会合開会式で挨拶する小泉総理大臣(10月 提供:内閣広報室)

通訳の現場から

 2002年の夏から約二年間、通常の仕事に加え、小泉総理大臣の英語通訳担当官を務めました。通訳の任務は、会談が滞りなく行われる上で、非常な重圧を感じるものではありますが、他方で首脳外交の「現場」に居合わせることができるという貴重な経験もできます。
 食事会などの社交の場において、小泉総理大臣は通訳を使わずに英語で会話をされることも多く、そうした場合には、首脳外交の現場を間近で目撃するという贅沢を堪能することができます。最近の首脳会談や多国間の首脳会議は、特に社交行事を中心に、通訳以外の同席者を一切交えない親密な形で行われる場面も多く、そうした際には、公式の会談やマスコミを通じて見られる表情とは全く異なる首脳の表情が見られることがあります。クロフォード牧場のガレージで自慢の釣り竿を小泉総理大臣に説明するブッシュ米大統領や、私邸で御家族を小泉総理大臣に紹介する際にブレア英首相が見せた表情や笑顔などは、まさに「普通」の友人や父親が見せる表情でした。また、そうした表情を見せながらの会話では、公式会談とはまた違った言葉遣いがなされることもあります。
 その一方で、そうしたうち解けた雰囲気の中でも、その時々の国際関係が反映されることがあります。多国間国際会議の際の社交の場で、大きな摩擦案件を抱えている二国間の首脳同士がたまたま鉢合わせになったときに見せる苦笑いの表情などは、実に何とも言えないものがあります。また、会議の前などに行われる立ち話においては、小泉総理大臣の周りには常に多くの各国首脳が集まっています。これはもちろん小泉総理大臣御自身の人気によるものですが、同時に日本という国の国際社会における位置づけを示しているものでもあり、一国民として非常に心強い思いをしました。
 このように振り返ってみますと、通訳を務めた最大の収穫は、「歴史は人がつくる」ということを改めて痛感させられたことかもしれません。

執筆:外務省総合外交政策局安全保障政策課首席事務官 股野元貞


▲2004年6月8日 シーアイランド・サミットの際の日米首脳会談にて

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