第2章 地域別に見た外交 第1節


(注1) 域内のGDP総額は世界の約4分の1(8兆8,282億ドル:2003年)、域内貿易総額は世界の23.5%(3兆7,812億ドル:2003年)を占めており(出典:世界銀行「World Development Indicators Databook, September 2004」)、外貨準備は世界の55.4%(1兆7,181億ドル:2003年末)を占めるに至っている(出典:IMF「International Financial Statistics May 2004」)。

(注2) コア・グループ:2004年12月29日の日米外相電話会談において、両国外相が迅速に国際的な協力を構築していくことが重要との認識で一致したことを受け、翌日30日から、日本・米国・オーストラリア・インドの4か国の電話会議が行われ(第2回からは国連、第3回からはカナダとオランダも参加)、2005年1月6日のASEAN主催緊急首脳会議の終了をもってコア・グループは活動を終了した。

(注3) 当初実施した400万ドル(緊急無償302万ドル、緊急物資6,000万円等)に加え、インドネシア、スリランカ及びモルディブへの無償支援246億円で約2.5億ドル相当となる。

(注4) 例えば、地震に強い都市づくりのための耐震基準の策定、地方自治体、コミュニティによるハザード・マップ作成による防災設備といった知見や、化学繊維を利用したレンガ造り住宅の耐震強化の技術や長大橋の耐震強化技術など。

(注5) パリクラブ会合:特定の国の公的債務の繰り延べに関して債権国が集まり協議する非公式グループ。フランスが議長国となり、債務累積国からの要請に基づき債権国をパリに招集して開催されてきたことから「パリクラブ」と呼ばれる。

(注6) 1993年、北朝鮮が核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言したことに端を発した核危機については、カーター元大統領の訪朝(1994年6月)を契機に、同年10月、米朝が「合意された枠組み」に署名、米国が北朝鮮への軽水炉および代替エネルギーの供与に、北朝鮮が核関連施設の凍結、NPT遵守、国際原子力機関(IAEA)との間で締結する保障措置協定(186ページ参照)の履行等に合意したことから、一旦収束した(この合意に基づき、95年には朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が設立された)。
 しかし、2002年10月、訪朝したケリー米国務次官補に対し、北朝鮮がウラン濃縮計画の存在を認める旨の発言を行ったことから、核危機は再燃した。同年11月、KEDO理事会が北朝鮮に対する重油供給の停止を決定したことを受け、北朝鮮は、12月、IAEA査察官を国外退去させ、翌2003年1月にはNPT脱退を表明した。このような状況を打開するための関係国による外交努力の結果、同年4月には米中朝三者会合、8月には日本、米国、韓国、中国、ロシア、北朝鮮の参加する六者会合(第1回会合)が開催された。

(注7) 2004年4月に米国から発出された2003年国際テロ活動に関する国務省年次報告において北朝鮮が「テロ支援国家」として記述されていることによるもの。

(注8) 北朝鮮人権法は、北朝鮮住民の人権向上、助けを必要とする北朝鮮住民への支援及び脱北者の保護等を規定しており、米国が北朝鮮に対し人道支援以外の支援を実施する際の規定においては、北朝鮮による日本人拉致問題にも言及している。本法案は、2004年7月に米下院を通過、上院での修正を経た後、同年10月4日に議会を通過した。その後、10月18日にブッシュ大統領が法案に署名し、成立した。

(注9) 金正日労働党総書記は、国防委員長を務めているが、この国防委員長は「国家主権の最高軍事指導機関であり、全般的な国防管理機関である」とされている(北朝鮮憲法(98年9月5日改訂)第100条)。2004年韓国国防白書は、「先軍政治」とは「体制維持及び軍事力を強化し、軍を全面に押し立てて経済建設を先導するとともに、軍優遇及び革命精神を社会全般に拡散させることを意味する」と説明している。なお、北朝鮮の総兵力は約108万人(「ミリタリーバランス2003/2004」)であり、全人口の約5%を占めている。また、同白書によれば、国家予算に占める国防費の割合は15.5%とされる。

(注10) 政治、思想、軍事、経済等すべての分野での社会主義的強国の建設を目指すことを意味する。

(注11) 闇価格(市場価格)も踏まえつつ、公定価格や給料を引き上げ、為替レートの現実化等を実施したとされる。

(注12) 協同農場の自律処分権の拡大、個人耕作地の許容面積の拡大や工場・企業所の経営自律権の拡大などを指す。また、金額上の目標を超えた場合、計画超過生産物の取引を許容する。

(注13) 収益性の良い工場・企業に対しては、より多く分配し、勤労者に追加賃金(賞与金)を支給する。

(注14) 日韓両国がワールドカップを共催するという重要な機会を捉え、政府間だけでなく、幅広い分野で多くの国民の参加を得て、交流事業を推進していこうというもの。1999年9月、小渕恵三総理大臣(当時)と金鍾泌(キム・ジョンピル)国務総理と会談した際に、提案したもので、続く10月の日韓閣僚懇談会で正式に合意された。

(注15) 2002年7月の日韓首脳会談で、小泉総理大臣と金大中(キム・デジュン)大統領により、日韓共催のワールドカップの成功を記念し、両国間の青少年、スポーツ、草の根交流等への年間1万人以上の参加を実現することを目指し、両政府として支援していくことに合意した。2004年2月には、このプロジェクトの一環として「大相撲韓国公演」が戦後初めてソウルと釜山で開催され、好評を博した。

(注16) 「日韓友情年2005」においては、「進もう未来へ、一緒に世界へ(ナガジャミレロ、タガッチセゲロ)」を合言葉に、官民一体となり、文化・芸術・スポーツ・観光などさまざまな分野で交流事業を開催する予定である。2004年6月には、平山郁夫東京芸術大学学長を委員長とする日本の実行委員会が発足した。

(注17) 韓国内では、日本の映画「ラブレター」が公開され、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が上映され、それぞれ120万人、200万人もの動員を記録した。また、映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」は、日本映画としては過去最高のチケット予約率を記録した。最近では日韓合作映画(「ソウル」)や日韓合作ドラマ(「フレンズ」、「ソナギ」、「スターズエコー」)の製作が相次いでいるほか、映画・演劇・オペラ・スポーツなど様々な分野において日韓共同で取り組もうという雰囲気が盛り上がっている。

(注18) 小泉総理大臣と盧武鉉大統領は、年2回程度、相互に訪問して意見交換をしていくこととし、「シャトル首脳会談」と名付けた。

(注19) 刑事事件の証拠の提供等、刑事分野に関する捜査当局国の協力を定める条約。2004年7月の日韓首脳会談において、小泉総理大臣と盧武鉉大統領により、刑事共助条約の締結交渉開始について合意された。その後、11月に第1回交渉が行われ、2005年2月には第2回交渉が行われた。

(注20) 日韓間に往来する渡り鳥について、両国が統一した基準に基づいて効果的に保護するための法的枠組みを定める条約。渡り鳥保護のための規制措置や渡り鳥の生態に関する共同研究の推進等の条項からなる。

(注21) 30代、80年代に大学入学、60年代生まれの人々を指す。大学時代に民主化・学生運動に参加したため、政治参加に対する強い意識を持っていると言われる。

(注22) 2004年3月9日に改正された選挙法では、1)選挙費用の支出の透明化、2)各種メディアを通じて選挙運動の拡大し、選挙が国民の自由な意思と民主的な手続きにより公正に執り行われるよう、各種の制度を新設・補完した。

(注23) 違憲判決要旨:1)首都がソウルであることは、慣習により形成された慣行であり、慣習憲法として成立した不文憲法に値する。2)慣習憲法を廃止するには、憲法が定めた手続による憲法改正がなされなければならない。3)憲法改正の手続を得ないまま、本件法律を制定することは、憲法改正によるべき事項を憲法より下位の法律により改正することになり、国民が有する国民投票権を侵害している。

(注24) 部隊構成は、師団司令部及び直轄隊(約1,200名)、民事旅団隷下の4個再建支援大隊(約1,000名)、ソヒ・ジェマ部隊(既派遣部隊、約600名)、警戒兵力(約800名)の計約3,600名。
  ジャイトゥン部隊(追加派遣部隊の名称(アラビア語でオリーブの意))は独自の指揮体系で合同参謀議長が指揮し、現地指令官が作戦運用を統制、派遣部隊の警備を韓国政府が担当する。

(注25) 在韓米軍は、総兵力約37,000名。41の基地施設と54の小規模な駐屯地に分散配置。陸軍は第8軍が主力で、基幹部隊である第2歩兵師団(14,000名)はその多くがDMZ(Demilitarized zone:非武装地帯)から漢江以北の地域に配置され、韓国陸軍とともに最前線を守っている。空軍部隊の主力は、対地攻撃任務を主任務とする第7空軍が烏山及び群山に配置。海軍及び海兵隊については戦闘部隊は常駐しておらず、有事に展開部隊が増強される。
  有事における朝鮮半島展開計画の米増援軍は、米本土、日本、ハワイ等の米太平洋司令部隷下の戦力を主軸として、陸・海・空軍・海兵隊で少なくとも64万人以上になり、空母戦闘群と揚陸艦群、戦闘機、爆撃機及び支援機等を含んでいるとされている。

(注26) 在韓米軍縮小計画の概要  
  1.米国は、イラクの支援のために派遣された米第2旅団の戦闘団を含む在韓米軍12,500名を、2004年から2008年までの間に3段階に分けて削減する。
  2.第1段階では、2004年末までの間、米第2旅団及び一部の戦闘部隊並びに韓国軍にその任務を移譲することとなっている部隊等約5,000名を削減する。
  3.第2段階では、2005年から2006年の間、一部の戦闘部隊、韓国軍にその任務を移譲することとなっている部隊、その他支援兵力等5,000名を、2005年に3,000名、2006年に2,000名に区分して削減する。
 4.第3段階では、2007年から2008年の間、その他の支援部隊を中心に2,500名を削減する。

(注27) 2004年7月~8月にかけて中国において開催されたサッカー・アジアカップにおいて、試合観戦のために訪れた日本人が観戦中に不当な嫌がらせを受け、また、身の危険を感じざるを得ないような状況が発生し、政府として、邦人の安全確保の観点から、中国側に対して累次申入れを行った。8月7日の日本対中国の決勝戦においては中国当局も警備体制を一層強化し、日本人観戦者に危害が生じることは基本的に生じなかったが、大使館車に被害が生じる等一部において遺憾な行動が見られ、これに対し、政府として直ちに中国側に厳重に抗議を行い、中国側から謝罪の意が示された。

(注28) 日中安保対話(2月)、東シナ海に関する日中協議(10月)、日中外交当局間協議(11月)、日中経済パートナーシップ協議(12月)。

(注29) 2004年の日中貿易総額は、対香港の貿易総額を含めると、2,050億ドルとなり、初めて日米貿易総額(1,892億ドル)を上回った(財務省統計を基にジェトロが算出)。

(注30) 2002年4月、第1回ボアオ・アジア・フォーラムの際に行われた小泉総理大臣と朱鎔基総理(当時)との会談で設立を合意した。貿易・投資を中心とする日中経済関係のあり方につき、総合的な見地から議論を行い、両国間の経済分野における問題点を早期に発見し紛争を未然に防止することを図るとともに、両国経済の相互補完関係を一層強化していくことを目的としている。2002年10月に第1回、2003年10月に第2回、2004年12月に第3回を開催した。

(注31) 中国のWTO加盟にあたっては、加盟約束及びWTO協定遵守状況を点検するため既存のWTO機関の下で経過的審査メカニズム(TRM)が設けられた。加盟後毎年、8年間にわたって行われる。

(注32) 1984年、中曽根康弘総理大臣(当時)と胡耀邦総書記(当時)との合意に基づき発足し、これまで15回の全体会合を開催してきた。2001年に旧委員の任期が終了したことを受け、新たな委員の下で新日中友好21世紀委員会として発足し、2003年12月に大連で第一回会合を開催した。日本側座長は小林陽太郎富士ゼロックス会長、中国側座長は鄭必堅前中央党校常務副校長。

(注33) なお、尖閣諸島が我が国固有の領土であることが歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、現に日本はこれを有効に支配している。したがって、同諸島をめぐり、領有権の問題はそもそも存在しない。日本領土への不法な入国に対しては、関係する国内法令に従って、今後とも適切に対処していく考えである。

(注34) 王毅中国大使が日本国内において地方出張中であったため、程永華中国大使館公使を招致したもの。

(注35) 江沢民国家主席(当時)が2002年2月に発表したもので、「中国共産党は、中国の先進的な社会生産力の発展の要求、中国の先進的文化の前進の方向、中国の最も広範な人民の根本的利益、を代表すべき」とする方針のもの。これは民営企業等の都市部エリート層の取り込みを意図したものと考えられている。胡錦濤指導部においては、弱者重視という方針から、「三つの代表」の本質は、「公のための立党」「民のための執政」と捉えられている。

(注36) 2002年11月の中国共産党第16回党大会で決定されたもの。

(注37) 「人を根本とする」との立場から、社会全体の調和のとれた持続的な均衡発展を目指す考え方。2003年9月の中国共産党第16期三中全会で提起された方針に基づくもので、2004年以降、中国国内の各種会議等において繰り返し提起されている。

(注38) チェイニー副大統領(4月)、ライス大統領補佐官(7月)、パウエル国務長官(10月)が訪中。

(注39) 日本とASEAN諸国との今後の協力関係の指針となる「新世紀における躍動的で永続的な日本とASEANのパートナーシップのための東京宣言」に基づき、近い将来実施する具体的措置をまとめた東京宣言の付属文書。(1)包括的経済連携・金融通貨協力の強化、(2)経済発展及び繁栄のための基礎の強化、(3)政治及び安全保障面での協力・パートナーシップの強化、(4)人材育成、交流、社会文化協力の促進、(5)東アジア協力の深化、(6)地球規模問題への対処における協力、といった、各分野における具体的措置を記載。

(注40) ASEAN安全保障共同体(ASC)、ASEAN経済共同体(AEC)及びASEAN社会・文化共同体(ASCC)の三本柱から構成されるASEAN共同体の設立合意文書。ASEAN加盟国首脳により2003年10月に行われたASEAN首脳会議において署名。

(注41) 2020年までの実現を目標としているASEAN共同体の構成要素。政治・安全保障、経済、社会・文化の各分野においてASEAN域内での協力目標を定めている。

(注42) 2004年にラオスの首都ビエンチャンにおいて開催された第10回ASEAN首脳会議で採択された、2020年までの共同体形成に向けた第2次6か年計画(第1次6か年計画は1998年のASEAN首脳会議で採択されたハノイ行動計画)。ASEAN安全保障共同体(ASC)、ASEAN経済共同体(AEC)、ASEAN社会・文化共同体(ASCC)、開発格差是正のための目標及び戦略、実施メカニズムの5項目で構成されている。

(注43) 2004年9月、ジャカルタ中心部に所在する豪州大使館前でジュマ・イスラミーヤ(JI)の犯行と見られる爆弾テロが発生した。

(注44) 2001年4月17日に採択された国連安保理決議1410に基づき、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の後継ミッションとして2002年5月20日に設立された。任務は、東ティモールの国づくりに対する支援で、2004年5月からは長谷川祐弘氏が代表を務める(代表就任前は副代表。国連開発計画(UNDP)東京事務所前代表)。

(注45) 平和維持などUNMISETや国際社会の支援による東ティモールの国づくりを軌道に乗せ、定着させるための段階。

(注46) 過去30年間の外交関係に基づき、今後の二国間関係、特に対話の強化、貿易・投資の促進、ベトナムのWTO加盟支援、観光や日本語教育等の人材育成での人の交流、メコン地域開発や、軍縮や大量破壊兵器不拡散に係わる地域・国際協力の推進について緊密に協力しあって取り組んでいくことを確認する文書。

(注47) 2003年7月、ハワード首相が訪日した際、日豪友好協力基本条約署名30周年等を記念して開催することが両国首脳間で合意された。

(注48) テロリストによる核物質・放射線源の入手の可能性という脅威が高まっていることを背景に、アジア太平洋地域諸国が核テロリズムの脅威についての認識を共有すること、核関連物質の安全とセキュリティの基準を高めることにコミットすること等を目的としてオーストラリア政府の主催により開催された会議。

(注49) 米国が、安全保障と防衛について権限を有し、責任を負い、また、財政・経済支援を行うことを規定するもの。財政・経済支援は2003年10月から2023年までの20年間。

(注50) 太平洋諸島フォーラム(PIF)に加盟する16か国・地域の大統領・首相等の参加(ナウルは欠席)の下、小泉総理大臣とガラセPIF議長(フィジー首相)が共同議長を務め、安全保障、環境、教育・人材育成、保健・衛生、貿易・経済成長の5つの重点分野を中心に協議し、太平洋諸島地域の「持続的な開発」の実現に向けて「より豊かで安全な太平洋のための地域開発戦略及び共同行動計画(沖縄イニシアティブ)」を採択した。ここでは、島嶼国のオーナーシップを尊重しつつ、日本が具体的な協力を積み重ねる点が強調されている。

(注51) ACDは、タクシン・タイ首相の強いイニシアティブにより開催され、東アジアから中東までを含むアジア域内の外相クラスが集まり、アジア諸国の潜在力を引き出し、域内の競争力を強化することにより、アジアの発言力を強めていくとの観点から非公式にかつ自由に意見交換することを目的としている(現在参加国は25か国)。

(注52) NAFTA(米国、カナダ、メキシコ)の貿易総額に占める、NAFTA各国間の貿易の割合(金額ベース)。東アジアについては、ASEAN、日本、中国、韓国、香港、台湾の各国・地域の貿易総額に占める各国・地域間の貿易額の割合。IMF "Direction of Trade Statistics Yearbook 2004"を基に外務省にて試算。

(注53) 第一の論点ペーパー「東アジア共同体」では、共同体の形成が地域共通の目標となっていることを述べ、その背景を分析するとともに、共同体形成の基本的目標の精緻化の必要性、共同体形成に向けた3つのアプローチ(機能的協力の促進、制度的取決めの将来的導入及び共同体意識の醸成)に言及するとともに、東アジア共同体の参加国に関し、ASEAN+3以外のパートナーを関与させる重要性とその関連で開放性、透明性、包含性及び世界的規範とシステムとの整合等の原則を説明している。
 第二の論点ペーパー「機能的協力」では、開放性と柔軟性を有する機能的協力が東アジア共同体形成に向けた自然な選択であるとの特徴に言及しつつ、その限界を論じている。
 第三の論点ペーパー「東アジア・サミット」では、東アジア・サミットの基本的目的、ASEAN+3首脳会議との違い、及び組織面の問題(開催地、開催頻度、議長制度等)に関する論点を列挙している。

(注54) 2003年の日中韓三国間の貿易額は約2,211億ドル(日米間は約1,740億ドル)、人の往来は約797万人(日米間は約470万人)に達している。

(注55) 首脳共同宣言は、近年進展した各分野での三国間の緊密な連携を集約し、その基本理念を明らかにすることにより、東アジアの平和と安定に寄与する「対外的に開かれた」「未来志向」の地域協力としての日中韓協力の位置づけを確立するとともに、経済、文化・人的交流、政治・安全保障にわたる14の協力分野を特定した。

(注56) 日中韓外相三者委員会は、三国間協力のフォローアップ、三国間協力に関する見解等を首脳に提出することを主な目的として、2003年の共同宣言において設置が合意された。

(注57) APECにおける構造改革活動推進のための優先課題リスト。1)優先的に取り組むべき分野の特定(規制改革、経済法整備等)、2)APEC内での取組メカニズムの構築、3)政策指向的な議論の促進、4)各国内の取組の強化、5)先駆的に取り組む政策(日本の構造改革特区等)の推進、6)経験共有を通じて構造改革のメリットについての理解促進を図る等の項目から構成されている。

(注58) APEC各エコノミーのFTAから抽出される共通の要素を基にとりまとめた、今後のFTA交渉の参考となる項目・事例。APEC原則・目標との整合性、WTOとの整合性、包括的な分野を対象、各国の取組の透明性を確保、貿易円滑化に資する原産地規則等を主な内容とする。

(注59) ASEMには常設の事務局が設けられていないため、アジアと欧州の双方から2か国が調整国を務め、その運営に当たっている。