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3 東南アジア



【総論】

 東南アジアは、東南アジア諸国連合(ASEAN)としての結束を強めている一方で、域内の経済格差は一層顕著になっている。また、1997年のアジア通貨・金融危機の発生とその後の経済の回復、地域的な経済統合への動き、中国の急激な経済成長とそれに伴う軍備の近代化、テロ事件の続発等、ASEANを取り巻く環境は急速に変化している。

 日本は、ASEANが政治的・経済的に安定し、東アジア全体の平和・安定と繁栄の実現に貢献できるよう、引き続き協力を進めていく考えである。このような観点から、日本は、経済面では、2002年1月、シンガポールと経済連携協定を締結した。また、日・ASEAN包括的経済連携構想を提唱し、幅広い分野にわたる経済連携の強化に取り組んできた。さらに、ASEANの安定にとって不可欠である域内の格差の是正に向け、ASEAN統合イニシアティブ(IAI)を積極的に支援してきた。安全保障面では、米国を中核とした二国間の安全保障体制を基軸としつつ、ASEAN地域フォーラム(ARF)、ASEAN+3(日中韓)などを通じた多国間による政治・安全保障の対話・協力に積極的に取り組んできた。


【ASEAN情勢全般】

 1999年のカンボジア加盟によりASEAN10〔アセアンテン〕となったASEANは、東南アジア全域をほぼ包む地域協力体に発展を遂げた。一方で、政治体制の脆弱〔ぜいじゃく〕さから生ずる問題や、グローバル化の進展に伴う経済格差の拡大が顕在化してきた。今後、ASEANとしての一体性を確保していくことが重要な課題となっている。

 2002年8月に、インドネシアのジャカルタにおいてASEAN統合イニシアティブ(IAI)開発協力フォーラムが開催され、域内格差是正に関する44のプロジェクトが提示されるなど課題の克服に向けた取組が行われてきた。さらに、2002年11月にカンボジアのプノンペンで行われたASEAN首脳会議では、テロに関するASEAN首脳宣言が発出されたほか、ASEANの政治的・経済的安定の確保に向け、域内統合、観光、テロ及び持続可能な開発に焦点を絞った議論が行われた。また、ASEANは、日本、韓国、中国、インドといった域外国との関係強化にも取り組んできた。


【日・ASEAN関係】

 小泉総理大臣は、2002年1月のシンガポールでの政策演説において、1977年の福田スピーチ以来続いてきたASEAN重視政策を継承しつつ、「率直なパートナー」として「共に歩み共に進む」との基本理念の下、ASEANとの協力を推進していくことを表明した。また、日・ASEAN間の未来のための協力に関する「五つの構想」として、教育、人材育成分野での協力、日本ASEAN交流年2003、日・ASEAN包括的経済連携構想、東アジア開発イニシアティブ(IDEA)、「国境を越える問題」を含めた安全保障面での日・ASEAN協力の強化を提唱した。

 2002年を通じて、これら五つの構想に基づき具体的な協力が進められてきた。その中で、日・ASEAN包括的経済連携構想については、11月のプノンペンでの日・ASEAN首脳会議で、日・ASEAN全体で連携の枠組みを検討しつつも、用意のあるいずれのASEAN加盟国とも日本は二国間経済連携の協議を行うことを明記した共同宣言を発出し、今後10年以内のできるだけ早い時期に自由貿易地域の要素を含んだ連携を実現することに合意した。現在、タイ及びフィリピンとの間で二国間の経済連携を創設するための作業が進展している。また、同首脳会議では、2003年1月より日本ASEAN交流年2003を開始することを正式に宣言し、同年12月に日本で日・ASEAN特別首脳会議を開催することを決定した。



日・ASEAN包括的経済連携に関する首脳達の共同宣言(骨子)

日・ASEAN包括的経済連携に関する首脳達の共同宣言(骨子)


【インドネシア、東ティモール及びミャンマー情勢と日本外交】

〈インドネシア〉

 2002年、インドネシアは、引き続き様々な分野において改革に取り組んできた。8月の国民協議会年次総会では、第4次憲法改正を採択し、大統領直接選挙、国民協議会の構成改編等が決定された。経済情勢については、堅調な国内消費に支えられ回復基調にある。しかしながら、国内外の投資の減少に対応するために、法制度の整備を含む司法改革及び法の支配の確立が重要となっている。

 2002年10月12日にバリ島で起きた爆弾テロ事件は約500名の死傷者を出し、テロの脅威を改めて国際社会に認識させた。インドネシア政府は、同事件の容疑者の逮捕や事件の徹底究明に向け努力している。

 分離・独立運動が起きているアチェ問題については、インドネシア政府と独立アチェ運動(GAM)との間で、12月9日、敵対行為停止に関する枠組み合意が署名され、和平に向けた第一歩が踏み出された。今後、国際社会も含めた形で停戦監視が行われる予定である。

 日本は、インドネシアの安定が東南アジア地域の安定と繁栄にとって極めて重要であると考えており、その改革努力を支援してきた。2002年1月、小泉総理大臣はインドネシアを訪問し、司法、警察、徴税、中小企業育成等の分野での支援を約束した。また、10月のメキシコでの第10回アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際に行われた首脳会談では、経済改革、統治(ガバナンス)改革、人材育成の分野で、総額2,600万米ドルの支援を伝えた。また、12月には、日本は、米国、欧州連合(EU)、世界銀行と共に、東京で「アチェにおける和平・復興に関する準備会合」を主催し、アチェにおける「平和の定着」の促進に向けた取組を積極的に行っている。




メガワティ・インドネシア大統領と会談する矢野外務副大臣(12月)

メガワティ・インドネシア大統領と会談する矢野外務副大臣(12月)



インドネシア地方情勢

インドネシア地方情勢

〈東ティモール〉

 東ティモールは、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の暫定統治の下、2002年3月の憲法採択、4月の大統領選挙の実施とグスマン前ティモール民族抵抗評議会(CNRT)議長の初代大統領への選出を経て、5月20日、独立を達成した。独立後も、経済の自立、西ティモールにいる東ティモール難民の帰還、国民和解等多くの課題を抱えている東ティモールに対して、国連東ティモール支援団(UNMISET)が治安の維持と国造りを支援している。また、国民和解に向け真実和解委員会が活動している。

 日本は、平和の定着に向け、積極的に貢献するとの観点から、東ティモールの自立に向けた国造りを支援している。2月から東ティモールの国連平和維持活動(PKO)に対し自衛隊を派遣しており、680名の自衛隊施設部隊及び10名の司令部要員が活動している。また、5月に首都ディリで開催された第6回東ティモール支援国会合において、今後3年間で約6,000万米ドルを上限とする人道支援及び復興開発支援を表明した。

 4月には小泉総理大臣が独立直前の東ティモールを訪問し、大統領就任直前のグスマン氏等と会談を行い独立の祝意を伝えたほか、共同プレスステートメントを発出し、未来志向の両国関係を構築するために互いに協力していく決意を確認した。5月の独立式典には杉浦外務副大臣が出席した。また、日本は、東ティモールの独立にあわせて外交関係を開設し、大使館を設置した。




東ティモールにてPKO活動に従事する自衛隊隊員を激励する小泉総理大臣(4月 提供:内閣広報室)

東ティモールにてPKO活動に従事する自衛隊隊員を激励する小泉総理大臣(4月 提供:内閣広報室)



東ティモール初代大統領就任直前のグスマン氏と会談する小泉総理大臣(4月 提供:内閣広報室)

東ティモール初代大統領就任直前のグスマン氏と会談する小泉総理大臣(4月 提供:内閣広報室)

〈ミャンマー〉

 ミャンマーでは、2002年5月に、政権側(国家平和開発評議会(SPDC))が、アウン・サン・スー・チー女史に対する行動制限措置を解除した。その後、マハティール・マレーシア首相、ダウナー・オーストラリア外相等がミャンマーを訪問し、両者間の対話の具体的な促進を働きかけ、国民和解の進展への期待が国際的に高まったが、現在までのところ特段の進展は見られていない。

 日本は、政権側とスー・チー女史との対話が民政移管に向けた実質的な対話に進展していくことが重要であるとの観点から、両者に対し粘り強く働きかけてきた。2002年8月には、川口外務大臣がミャンマーを訪問し、タン・シュエSPDC議長を始めとする政府要人及びスー・チー女史の双方に会い、両者の対話の更なる進展を働きかけた。また、11月に開催されたASEAN関連の首脳会合の機会には、小泉総理大臣がタン・シュエ議長と会談を行い、直接働きかけを行った。


【その他の東南アジア諸国情勢と日本外交】

〈ブルネイ〉

 2002年のASEANの議長国であるブルネイは、ASEAN+3、ASEAN拡大外相会議、ARFを主催するなど、地域外交を積極的に推進した。日本との関係では、2002年3月にビラ皇太子、8月にモハメド外相が訪日し、7月には川口外務大臣がASEAN拡大外相会議の出席のためブルネイを訪問した。


〈カンボジア〉

 カンボジアでは、フン・セン首相の下、人民党とフンシンペック党の連立政権が2002年も安定的に内政を運営してきた。2002年1月には、塩川財務大臣が日本の財務大臣として初めてカンボジアを訪問し、また、3月にはラナリット下院議長が来日した。11月には、プノンペンで開催されたASEAN関連の首脳会合に出席するため、小泉総理大臣がカンボジアを訪問した。

 クメール・ルージュ(KR)裁判問題(注1)については、カンボジアと国連との間で特別法廷設置のための交渉が続けられていたが、2002年2月、国連がカンボジアへの不信感から交渉を打ち切ることを一方的に発表した。その後、日本を始めとする関心国が国連に対し交渉再開を呼びかけ、8月、国連はカンボジアとの交渉を再開する用意があることを発表し、交渉再開の条件として加盟国から国連への授権を明確にするよう要求した。これを受け、日本は裁判実施に向けた総会決議案を国連第三委員会(注2)に提出した。同決議案は11月20日に国連第三委員会にて、12月18日に国連総会本会議にてそれぞれ採択された。現在、同決議に基づき、カンボジアと国連との間で話合いが行われている。


〈フィリピン〉

 2002年、フィリピンは、引き続き反政府勢力との和平交渉や経済改革等の諸問題に取り組んできた。テロ対策では、国内のイスラム過激派組織アブサヤフ・グループ掃討作戦の一環として、2002年1月から約半年間、フィリピン国軍と米軍との合同軍事演習を実施した。日本との関係では、2002年1月に小泉総理大臣がフィリピンを訪問し、アロヨ大統領が5月の非公式訪日に続いて、12月に国賓として訪日するなど活発な首脳外交が展開された。特に、12月のアロヨ大統領訪日の際に「日・フィリピン経済連携に関する共同声明」及び「平和と安定のためのミンダナオ支援パッケージ」が発表されるなど、緊密な協力関係が築かれた。


〈ラオス〉

 ラオスでは、2002年2月に第5期国民議会議員選挙が実施された。4月に選挙後初の議会が開かれ、カムタイ大統領、ブンニャン首相等の首脳部が留任した。日本との関係では、2002年1月に塩川財務大臣が日本の財務大臣として初めてラオスを訪問した。また、5月にはブンニャン首相、2月及び12月にはトンルン副首相兼計画協力委員会委員長がそれぞれ訪日した。


〈マレーシア〉

 2002年、マレーシアでは、政治・経済とも安定的に推移した。5月には、第12代サイド・シラジュディン国王の戴冠式が行われた。また、6月には、統一マレー国民組織評議会が、2003年10月のイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議後にマハティール首相は辞任し、アブドラ副首相が後継者となるとの決定を発表した。テロ対策面では、イスラム過激派に対する取締りが進められた。日本との関係では、1月、小泉総理大臣がマレーシアを訪問し、5月及び12月には、マハティール首相が訪日し首脳会談が行われた。また、東方政策(ルック・イースト・ポリシー)(注3)20周年を記念した行事が両国で行われた。

 


〈シンガポール〉

 2002年、シンガポールでは、政治・経済とも安定的に推移した。日本との関係では、1月に小泉総理大臣がシンガポールを訪問し、ゴー・チョクトン首相との間で、日本にとって初めての自由貿易協定(FTA)となる日・シンガポール新時代経済連携協定に署名し、11月には同協定が発効した。


〈タイ〉

 2002年、タイでは、下院での圧倒的議席数を背景に、タクシン政権が経済改革政策を積極的に推進してきた。日本との関係では、2002年1月、小泉総理大臣がタイを訪問し、4月のボアオ・アジアフォーラム、11月のASEAN首脳会合の際に首脳会談を行ったほか、6月には川口外務大臣がアジア協力対話(ACD)第1回会合に出席するためにタイを訪問するなど緊密な関係を築いてきた。


〈ベトナム〉

 ベトナムでは、2002年5月に国会議員選挙が行われ、7月に召集された第11期国会ではルオン国家主席、カイ首相が再任された。日本との関係では、2002年4月に小泉総理大臣がベトナムを公式訪問し、また、10月には、実質的な最高実力者であるマイン共産党書記長が訪日するなど要人往来が活発に行われた。



日本の対東南アジア支援実績(2001年度)

日本の対東南アジア支援実績(2001年度)


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