第2章 > 第1節 > 4 南アジア
【総論】
2002年の南アジアは、2001年12月以降のインド・パキスタン間の軍事的緊張が継続し、特に、5月から6月にかけて一触即発の危険をはらむ事態となった。こうした事態に対して関係諸国が働きかけを行った結果、危機的な状況は回避された。その後、インド、パキスタン両国による国境沿いからの撤兵等の一定の前向きな動きはあったが、いまだ両国間の対話は再開されていない。インド、パキスタンはともに核兵器開発能力を有しており、今回の両国間の緊張の高まりは、国際社会に深刻な結果をもたらし得る危険性と、国際社会が南アジア地域の平和と安定の実現に関与していくことの重要性を改めて認識させることになった。
一方、スリランカでは、2002年、約20年にわたる民族紛争の解決に向けた前向きな動きが見られた。2月に、スリランカ政府と反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間で停戦合意が成立し、9月には両者の間の和平交渉が始まった。日本は、スリランカにおける「平和の定着」に向け、政府開発援助(ODA)も活用しつつ積極的な貢献を行っている。
また、2002年には、各種の周年記念行事が各国で開催され、日本と南アジアの友好関係が深まった。
【インド・パキスタン関係と日本外交】
インド・パキスタン関係は、2001年12月にインド国会議事堂に対する襲撃事件が発生して以降、緊張が高まった(注)。その後、2002年1月、ムシャラフ・パキスタン大統領が、カシミールの名の下におけるものを含めすべてのテロ行為は許されないとし、また過激派団体を禁止するなどを表明する演説を行った。インドは、この表明を歓迎するが、その実効性は今後の具体的な措置の実施状況によってのみ判断するとの立場を示した。事態が膠着〔こうちゃく〕する中、5月14日、インド側カシミール内の陸軍駐屯地でテロ事件(注)が発生し、この事件を機に、再び緊張が著しく高まった。両国がカシミール管理ライン及び国境方面に大規模な軍隊の展開を行っていたこともあり、両国の間に大規模な軍事衝突が発生することも懸念され、米国、英国、日本等は、インド、パキスタン在住の自国民に対し出国を促した。6月に入り、アーミテージ米国務副長官がパキスタンを訪問し、ムシャラフ大統領より管理ライン越えの侵入活動を恒久的に停止するとの保証を得たことを受け、インドがパキスタン航空機のインド領空通過禁止の解除を発表するなど、6月中旬以降、緊張状態が若干緩和したが、両国軍隊の展開状況に大きな変化は見られなかった。
その後、9月から10月にかけて行われたインド側カシミールにおける地方選挙、10月のパキスタン総選挙といった、両国にとって重要な政治日程が予定どおり終了した10月16日に、インドはパキスタン国境付近に展開する自軍の再配置の決定を発表した。17日には、パキスタンがインド国境付近に展開する自軍の撤退を決定するなど、軍事的に前向きな兆しが見られた。しかしながら、パキスタンで2003年1月に開催される予定であった南アジア地域協力連合(SAARC)会合が延期されるなど、両国間の対話については依然再開の見通しが立っていない。
日本は、インド・パキスタン間の緊張が南アジア地域の安定を大きく損ねかねないとの観点から、米国、英国等と協調しつつ、両国間の緊張緩和のために継続的な外交努力を行った。5月には、川口外務大臣がパキスタンに立ち寄り、サッタル外相と会談した。両国間の緊張が高まった5月下旬には、杉浦外務副大臣が両国を訪問し、緊張緩和を働きかけた。また、9月には国連総会の場で、インド及びパキスタンとそれぞれ首脳会談を行い、小泉総理大臣から、更なる緊張緩和と対話の再開を働きかけた。日本は、引き続き両国に対し緊張緩和と対話の再開を粘り強く働きかけていく考えである。
2002年のインド・パキスタン関係(主な動きと日本の取組)
【インド情勢と日本外交】
2002年、インドは、西側諸国、アジア諸国と関係を強化した。特に米国とは、政治的・軍事的な協力関係を急速に拡大した。4月から9月にかけて、米・インド海軍がマラッカ海峡で共同パトロールを実施したことは、両国間の軍事協力の強化の好例であった。また、アジア諸国との関係では、中国との関係に一層の改善が見られたほか、11月に初のインド・ASEAN首脳会談が開催され、インドは10年以内に自由貿易協定(FTA)を締結することを提案した。
日本との関係では、6月のアジア協力対話(ACD)第一回会合及び7月の第9回ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会合において、川口外務大臣がシンハ外相(6月当時は蔵相)と会談を行い、日印共同宣言に基づき、二国間関係の強化のみならず、グローバル・パートナーとして広範な分野における協力について対話を行った。また、4月末、中山太郎日印友好議連会長が総理大臣特使として国交樹立50周年記念式典に出席し、10月には、日本文化週間「ジャパン・ウィーク」の開会式に、森前総理大臣が総理大臣特使として出席した。
また、2003年1月には、川口外務大臣が日本の外務大臣として6年振りにインドを訪問した。その際、川口外務大臣は政策演説を行い、両国間のグローバル・パートナーシップを戦略的観点から強化するための方向性を示した。
【パキスタン情勢と日本外交】
パキスタンでは、2002年10月、1999年のクーデター以来3年振りとなる総選挙が実施された。この選挙は、同国の民政復帰の分水嶺と位置づけられ、国際的な関心が集まった。日本は、民主化の動きを支援するという観点から、選挙監視団を派遣するとともに、同国選挙管理委員会に対し国際協力事業団(JICA)の専門家3名を派遣した。この総選挙の結果、ジャマリ首相を首班とする新内閣が発足した。
日本との関係では、米国同時多発テロ以降、パキスタンが国際社会によるテロとの闘いに協力する姿勢を明確にしたこともあり、要人往来が活発化した。2002年3月には、ムシャラフ大統領が訪日し、首脳会談が行われた。また、4月には堀内光雄総理大臣特使がパキスタンを訪問し、国交樹立50周年記念式典に出席した。
パキスタンの選挙管理委員会の活動を支援するJICA専門家(10月 提供:JICA)
【スリランカ和平の進展】
スリランカでは、約20年にわたり、政府とLTTEとの間で紛争が続いてきたが、2001年に就任したウィクラマシンハ首相は、ノルウェーの仲介による和平プロセスを推進した。2001年12月には非公式な停戦が成立し、2002年2月には停戦合意が公式に成立した。この停戦合意に基づき、北欧3国を中心とする停戦監視団が活動を開始した。その後、スリランカ政府とLTTEは、和平交渉の開始に向けた調整を続け、9月にタイで第1回和平交渉が開催された。10月末から11月初頭にかけて開催された第2回交渉では、治安、緊急人道支援、政治問題を扱う三つの小委員会の設置が合意された。さらに、12月のノルウェーでの第3回交渉では、政治問題の協議が公式に開始され、統一国家の枠内で連邦制を導入し、紛争の解決を目指すことで合意した。
日本は、国際協力の新しい柱の一つとして、「平和の定着」というイニシアティブを提唱しており、和平の実現に向けた動きが見られるスリランカにおける平和の定着に向けた支援を進め、積極的な貢献を行っている。10月25日には、スリランカの要請を受けて、明石元国連事務次長を政府代表に任命し、スリランカの和平プロセスの推進のための活動を行っている。12月にウィクラマシンハ首相が訪日した際には、小泉総理大臣との間で、
「スリランカ復興に関する東京会合」を2003年5月又は6月に東京において開催する、
2003年3月にスリランカ政府とLTTEとの和平交渉の一つの会合を日本国内で開催することで合意した。
2003年1月には、川口外務大臣がスリランカを訪問し、旧紛争地域である北部のジャフナに、主要国の外務大臣として初めて訪問し、地雷除去作業を行う非政府組織(NGO)の活動を視察した。また、首相等との会談において、スリランカ和平に対する日本の貢献についての措置や考え方を改めて説明し、先方からは、日本の貢献に対する感謝と強い期待感が改めて示された。日本は、2003年3月には第6回和平交渉を箱根で、また6月には復興開発会議を東京で開催する予定である。
スリランカの民族問題
スリランカの地雷除去現場を視察する明石政府代表
【ネパール、バングラデシュ情勢と日本外交】
2002年、ネパールでは、与党コングレス党内の確執が原因で、5月に下院が解散された。その後、10月には、ギャネンドラ国王はデゥバ首相を解任、内閣を解散し、新たにチャンド首相及び新閣僚を任命した。2001年11月に再開されたマオイスト(注)の活動は、年間を通じて活発であり、ネパール政府は軍を動員した作戦を展開するとともに、対話に向けた働きかけを行った結果、2003年1月29日、政府及びマオイスト双方による停戦発表に至り、現在対話に向けた調整が行われている。日本は、ネパールの治安問題に関し、ネパール政府による秩序回復の努力への支持を表明するとともに、初の外貨支援としてノン・プロジェクト無償資金協力を13億円供与した(11月8日署名)。
バングラデシュでは、最大野党アワミ連盟が、2001年10月の総選挙以来続けていた国会へのボイコットを放棄し、国会への出席を開始した。しかしながら、議会運営がアワミ連盟にとり不公平であるとして、頻繁に退席を繰り返すなど、与野党間の激しい対立が依然続いている。日本との関係では、2002年は、バングラデシュとの国交樹立30周年にあたり、両国において各種記念行事が実施された。10月には、桜井新日本・バングラデシュ友好議連副会長が総理大臣特使として訪問し、首相ほか要人と両国の友好関係を確認したほか、国交樹立30周年記念式典に出席した。
【周年事業】
2002年は、日本とインド、パキスタン、スリランカとの間で国交樹立50周年、バングラデシュとの間で国交樹立30周年にあたり、日本から総理大臣特使を派遣するなど活発な要人往来があった。また、周年記念事業組織委員会が発足し、日本及び各国で記念切手が発行され、各国で「ジャパン・ウィーク」が開催されたほか、インド、パキスタンでは太鼓・三味線公演や「平山郁夫展」が開催され、また、日本国内でも各国を紹介するため様々な文化事業が行われた。
インドとパキスタンとの国交樹立50周年を記念して開かれた彫刻展(10月 提供:NHK)