第2章 > 第1節 > 5 大洋州
【総論】
オーストラリア、ニュージーランドは、日本にとって、基本的人権の尊重、民主主義、自由貿易といった基本的価値観を共有する重要なアジア大洋州地域のパートナーである。経済面では両国は重要な貿易相手国であり、安全保障面でも、オーストラリアと日本は共に米国の同盟国として戦略的利害が一致している。
こうした関係を一層強化するため、小泉総理大臣は、2002年5月に両国を訪問し、特に地域協力の分野で東アジアにおける「共に歩み共に進む」共同体(コミュニティ)を構築していく上で、オーストラリアとニュージーランドが中心的な役割を担うことへの期待を表明し、両国からも支持された。今後とも、価値観と利害を共有するパートナーとして、両国と地域協力を始め様々な分野で協力を促進していくことが求められている。
また、12月には皇太子同妃両殿下が両国を公式訪問され、友好親善関係の一層の強化に貢献した。
太平洋諸島地域は、水産資源等の重要な供給地となる広大な排他的経済水域を抱え、日本の輸入資源の海上輸送路でもある。また、旧委任統治地域や太平洋戦争の激戦地を含むなど日本にとり関係が深い地域である。なお、日本との良好な関係を背景に、この地域は国連等で日本の重要な支持基盤となっている。2003年5月に、日本と太平洋諸島フォーラム(PIF)諸国・地域との首脳会議を沖縄で開催することが決定された。
【オーストラリア】
2002年を通じて、ハワード政権は、政治・経済面での安定した政権運営が評価され、高い支持率を維持してきた。経済面では、3月ごろより続いた干ばつの影響にもかかわらず、2002年度の経済成長率は3%を維持した。また、多数のオーストラリア人が死傷し大きな衝撃を与えた10月のインドネシアのバリ島での爆弾テロ事件では、直ちに外相と司法相をインドネシアに派遣し、捜査協力やテロ対策強化のための協力を実施するなど高い指導力を発揮した。オーストラリアは、近年、アジア太平洋域内諸国との経済関係の緊密化を積極的に進めており、シンガポールとの間で自由貿易協定(FTA)交渉を終了したほか、タイとも交渉中である。また、米国との間でもFTA交渉を2003年に開始することを発表し、韓国や中国とも経済協定の可能性を模索している。
こうした中、5月、小泉総理大臣は、オーストラリアを訪問し、ハワード首相と創造的パートナーシップを構築することで合意し、幅広い分野にわたって具体的な協力を促進していくことになった。これを受け、安全保障や経済にかかわる新たな協議を含む政策対話が進められ、11月には両国有識者による「創造的パートナーシップのための日豪会議」が開催された。また、同首脳会談では、日・オーストラリア間で、より深い経済的なつながりを構築するため、あらゆる選択肢を探求することを目的として、ハイレベル協議を開始することが合意され、9月及び11月に課長級協議が行われた。
オーストラリア退役軍人と懇談する日出外務大臣政務官(11月)
【ニュージーランド】
2002年7月、クラーク首相は、労働党政権への高い支持率を背景に任期満了前に総選挙を実施したが、当初の目標であった単独過半数の獲得には至らず、8月に少数連立政権が成立した。経済は安定し、プラス成長を続けており、かつて対国内総生産(GDP)比7%を超えていた経常収支赤字も、貿易収支が改善されたことにより徐々に改善されている。
1985年の非核政策の導入以来悪化していた米国との関係は、1990年以降徐々に修復されてきた。米国同時多発テロに関し、ニュージーランドはアフガニスタンへの特殊部隊の派遣等の支援を行っており、3月クラーク首相が訪米した際、ブッシュ米大統領はこの支援を高く評価した。
5月の日・ニュージーランド首脳会談では、両国関係をより緊密化していくため、ニュージーランドが提案している5分野(教育、林業、科学技術、観光、人物交流)も含め、可能なところから具体的な交流を進めていくことになった。
(コラム:フィジーを訪れて)
【太平洋諸島地域】
太平洋諸島地域では、これまで一部の国で政治的な不安定要因があったが、全体的には安定化の方向に向かっている。
フィジーでは、2001年9月の民主的選挙により成立したガラセ政権がチョードリー前首相率いる労働党を排除した形で組閣したが、控訴裁判所(2002年2月)、高等裁判所(4月)共に、主要野党議員も入閣させるとの憲法規定に違反するとの判決を下し、現在、最高裁判所で審理が行われている。
ソロモンでは、2001年12月にケマケザ政権が発足し政治的混乱は一応収拾された。ただし、ソガワレ前首相時代からの多額の財政赤字のため、公務員給与の遅配や未払い問題等が残っており、今後も注視していく必要がある。
パプアニューギニアでは、総選挙の結果、8月に政権が交代し、ソマレ政権が誕生した(同首相は初代首相を務め、首相就任は4度目)。一方で、南ハイランド地方の選挙区では暴動が発生するなど混乱も見られた。
2002年を通じて、そのほかにも、トンガ(3月)、バヌアツ(5月)、ツバル(7月)、キリバス(11月及び12月)で総選挙が実施された。
日本との関係では、2002年も要人の往来が活発に行われた。1月に山口泰明総理大臣特使がパラオを訪問し、日本の政府開発援助(ODA)により建設された日本・パラオ友好橋の開通式に出席した。8月には植竹外務副大臣がフィジー及びパプアニューギニアを訪問した。フィジーでは、第14回PIF域外国対話に日本政府を代表して出席し、2003年に日本で第3回日・PIF首脳会議を開催するとの意向を明らかにし、各国首脳から日本の積極的な太平洋諸島諸国に対する外交姿勢に対し高い評価を受けた。パプアニューギニアではソマレ首相を始め発足直後の新政権要人と会談したほか、ラバウルで慰霊巡拝を行った。10月にはガラセ・フィジー首相がPIF議長として日本を公式訪問し、小泉総理大臣等と会談を行い、共同議長として、第3回日・PIF首脳会議の成功に向け協力していくことが確認された。
PIF域外国対話に際し、ラウトカ漁港を視察する植竹外務副大臣(8月)