私がシニア海外ボランティア(*)として働いたフィジーは、日本や、オーストラリア、ニュージーランドを中心としてたくさんの援助を受けています。そのためか、フィジー人は援助慣れしています。私が勤務した森林省でも、何年かごとに何十億円の援助が入り、その援助が終わると、その管理は現地に任されます。そこで、その機材の保守のために私のようなボランティアが外国に要請されるのです。ボランティアが派遣されること自体は良いことだと思うのですが、問題は次の援助が届いた時に起こります。つまり、再び最新の機材と技術が導入され、現地でのそれまでの人材育成は無視され、また一からの出直しになってしまうのです。
モノよりは人の援助という考えから、私はフィジーの将来のため、継続的な人づくりに力を入れ、コンピュータの修理、データベースの改良、ネットワークの保守、私の経験と技術を、フィジー政府の職員に移転していきました。ボランティアに大切なことは忍耐です。機会を待ち、それをとらえるまでは、人の援助はなかなか理解してもらえません。
私の2年間の活動は十分成果のあるものでしたが、最後に少し悔いが残りました。フィジーでは、資格という肩書きがなければ、いくら能力があっても昇進することはありません。私がフィジーで一緒に働いていた職員は高卒であり、森林省でいくら経験を積んでも、資格がない限り昇進できません。したがって、高給を得るためには資格をとるか転職するしかありません。フィジーという国のためというよりは、目の前にいるフィジー人ひとりひとりのための活動と割り切り、私は、彼らの幸運を祈って、フィジーを離れました。
執筆:シニア海外ボランティア(派遣期間:2000年11月13日~2002年11月12日)
フィジー諸島共和国派遣 田中 一尚
(*) ボランティア精神をもって開発途上国の発展に貢献したいという意志をもち、優れた技術や豊かな経験を有する中高年層が人々を支援するために、1990年から実施されている事業。2002年末現在、46か国に対し延べ1,266名を派遣。