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バーミヤン遺跡を訪れて


 1977年、4回目のバーミヤン調査を終え帰途についたとき、私はまた2年後この地を訪れるつもりであった。それから25年、歴史は激動し、アフガニスタンは戦火の中で荒廃していった。歯ぎしりをしながらも私は在日アフガニスタン人留学生や大学の仲間たちと「アフガニスタンを愛する会」をつくり、難民キャンプにわずかな支援金を贈ることで自らを慰めるほかはなかった。

 2001年、思いもかけず戦火が止〔や〕んだ。

 2002年5月、カブールで国連教育科学文化機関(UNESCO)主催の国際会議が開催され、大仏の破壊によって世界の注目を集めたバーミヤン遺跡の修復が提案された。日本政府が、その最初のステップを踏み出すための基金として70万米ドルをUNESCOに信託したのは英断であった。誇らしいかぎりである。

 秋10月には、この基金により日本・UNESCO合同ミッションが形成され、その一員として私は再びバーミヤン遺跡を訪れる機会を得た。バーミヤンは文化遺産であると同時に自然遺産でもある稀有〔けう〕な遺跡である。大仏はなくてもその偉観には少しの翳〔かげ〕りもなかった。断崖に掘り込まれた仏堂は残っていたが、世界に誇るべき仏教壁画は80%が失われ惨状を呈していた。思わず怒りがこみ上げてくる。タリバンによる周到な徹底した壁画の破壊と、売買目的のその後の剥〔は〕ぎ取りという明らかに二重の破壊が認められる。そして、後者の破壊は今も続いている。わずかに残された壁画はどうしても護り通さねばならない。修復の方法は様々にイメージできるが、今はこれ以上の破壊が進まぬよう、まず緊急の手立てを講ずることが何より肝要である。今春、新しいミッションが修復の最初の作業を開始すべくバーミヤンに向かうだろう。智慧〔ちえ〕を結集して支援したい。

執筆:和光大学教授 前田 耕作



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