-北米地域-
(1) 米国の対外通商政策の動向
(1) 新経済政策とその背景
1971年8月15日,ニクソン大統領は,インフレの昂進,高率の慢性的失業,および国際収支赤字という米国経済積年の問題を一挙に解決することを目的として,新経済政策を発表した。新経済政策には,国内的施策とともに,ドルの金兌換停止を含む主要通貨調整要請が含まれ,戦後20数年に亘り維持されて来たドル中心の国際経済体制に大きな影響を及ぼす内容のものであつた。
新経済政策の背景をなす,米国経済の動向およびニクソン政権の経済政策路線の推移を概観すれば次のとおりである。
(イ)先ず米国の景気動向に関しては,ニクソン大統領は就任以来インフレの抑制を最大の課題として取組み,財政金融政策を通ずる総需要抑制政策を推進して来たが,米国経済は次第に不況の様相を深め,70年後半には予想以上に深刻な景気後退に見舞われた。
このため,70年半ば頃を境として,米国政府および連銀は拡大政策に転じ,景気の浮揚を図つた。しかしながら,米国経済の回復は緩慢で,成長率は71年第1・4半期には実質で8.O%と一応明るい期待をもたせたものの,第2・4半期には3・4%に低下した。
(ロ)このような景気回復の立遅れを反映し,失業率は70年第4・4半期から71年前半を通じ6%前後で推移し,深刻な社会不安を惹起した。
(ハ)他方,かかる景気の停滞と失業の増加にもかかわらず,依然として物価上昇が続き,また賃金上昇率は不況下にあつてかえつて加速化され,生産性上昇の鈍化と相俊つて,米国経済はコストインフレの様相を深めるに至つた。
賃金,物価に対するニクソン政権の従来の政策は,財政金融政策を通ずる総需要抑制政策が中心で,個別賃金,個別価格に対する政府の直接介入は極力差控えて来たが,70年8月以降3回にわたり,インフレ警報を発出し,賃金上昇率を生産性上昇率の限度内に収める必要性を強調すると共に,建設業,鉄鋼等の労使協約改訂交渉に際し,大幅賃上げの自粛を要請し,また,自動車価格の引上げ自粛を求める等,物価,賃金のスパイラル現象を断切るための米国政府の姿勢は次第に積極的なものに変りつつあつた。
(ニ)上述の如き国内経済情勢を反映して,米国の国際収支は急速に悪化し,特に貿易収支は70年21億ドルの黒字であつたものが,71年上半期には不況下にもかかわらず7億ドルの赤字を計上し,実に83年ぶりに年間を通じて赤字となることは不可避とみられるに至つた。
ドル価値の安定に関する従来の米国の考え方は,「インフレが抑制されれば米国の国際収支は改善され,ドル価値も安定する」とするものであつたが,上記の如き米国経済および国際収支の動向を反映し,70年秋頃から米国政府は,「米国の国際収支ポジションは単に国内経済状勢や海外の市場条件に依存するのみならず,為替レートに関する諸外国の決定にも依存するものである」として,為替レートの多国間調整の必要性に言及するようになつていた。
(2) 新経済政策の内容と現状
8月15日に発表された新経済政策の骨子は次のとおりであつた。
(イ)8月15日以降90日間の物価,賃金凍結
(ロ)凍結解除後の物価安定施策を立案するための生計費委員会の新設
(ハ)ドルの金その他準備資産への交換性の一時停止
(ニ)10%の輸入課徴金新設
(ホ)投資税額控除制度の復活(上記ニの課徴金が実施されている間は外国産品には適用しない。)
(ヘ)乗用自動車に対する内国消費税の廃止
(ト)1973年1月に予定されていた個人所得減税の1年繰上げ実施
(チ)1972会計年度の連邦財政支出削減(連邦公務員の削減および給与引上げの6ヵ月延期等)
これらの措置の中には,法律改正を要するもの,および諸外国との交渉を要するものが含まれており,議会審議の過程で修正されたものもある。新経済政策の重要施策の現状(1972年2月)は次のとおりである。
(イ) 通貨調整および通商協議
通貨調整問題については1971年12月18日,10ヵ国蔵相会議で合意が成立し(第2章第3節参照),この結果同20目に1O%の輸入課徴金は廃止された。また,日本,EC等との通商協議も後述のとおり1972年2月上旬に妥結し,2月9日,米政府は金価格引上げ法案(現行1オンス35ドルを38ドルとする。)を議会に送付した。
(ロ) 1971年歳入法(1971年12月10目成立)
投資税額控除制度の復活,個人所得税減税,自動車の内国消費税廃止,米国産品の輸出振興(米国国際販売会社制度の創設)等を主なる内容とする減税法案であって,1971~73(歴)年の3年間に157億ドルの減税が行なわれることとなつている。
なお投資税額控除制度は,控除率が一律7%に修正された他,一定限度内で中古機械にも適用する(大統領原案は新品のみ)等の修正が加えられた。
(ハ) 1970年経済安定法の改正(1971年12月22日成立)
本改正法は90日間の凍結期間終了後の期間(第2局面と呼ばれている)の物価政策の根拠法となるものであつて,今次改正は,(i)有効期間が73年4月末まで延長されたほか,(ii)現行法により大統領に与えられている統制権限(賃金,物価)に利子,配当を含ましめ,更に,(iii)凍結期間中に引上げ時期が到来したが,凍結のため実施されなかつた賃金引上げにつき遡及支払いを認め,また,(iv)連邦公務員の給与引上げ延期を取止めた,等を主なる内容とする。
なお,凍結期間終了後の第2局面については,1972年末までに物価上昇率を2~3%に抑えるとの目標が掲げられ,賃金および物価につきそれぞれ5.5%,2.5%のガイドラインが設けられ,配当についても明年の増加率を4%に抑えるという目標が設定されている。
(3) 米国経済の現状と通商政策の動向
新経済政策の成果如何は今後の運用に俟つ面が多く,現段階で確たる見通しはつけ難いが,各分野に亘る施策が一括して打出され,今後の政策運営の基礎が固められた結果,米国経済の将来に対する不安感がある程度取除かれた点は一応評価に値する。
新経済政策発表後の各種経済指標をみれば,失業率は依然として6%前後の高水準にあるが,実質成長率,物価上昇率,設備投資等全体としては米国経済の立直りを示しており,72年の米国経済は1年前に比べれば明るいものがあると言われている。
米国経済立直りの曙光が見えたことは世界経済全体にとつても望ましいことであり,またそれだけに,ここで米国が保護主義的な動きを示さないことが望まれる。
従来より米国政府は基本的には引続き自由貿易原則を堅持して行くとの立場を明らかにしており,1972年1月に発表された一般教書および経済教書,更に同2月に発表された次期国際ラウンドの実施に関する日米共同発表においても,この立場が貫かれている。(第3部I3.(8)参照。)
現在,米国内において繊維産業等国際競争力が低下している産業分野を中心に貿易制限を要求する声が高まり,また従来自由貿易原則を支持して来た労働組合が貿易制限的な色彩を強めている等,保護主義の抬頭がみられる折柄,米国政府が自由貿易原則堅持の姿勢を再確認した意義は大きいと言えよう。
更に米・EC間にもほぼ同様の内容の共同宣言が行なわれ,日・米・EC等が協力して世界貿易の拡大推進に努力することが明らかにされた事実は70年代の世界経済の拡大に明るい期待をもたせるものである。
前述のように米国政府の基本的姿勢は自由貿易原則の推進にあるとはいえ,国際競争力が低下している個別の産業については輸入急増により深刻な問題が生ずる場合にはエスケープクローズ,アンチダンピング等の措置を通じ,これが保護を図られることもあり得るものと予想され,また,所謂「相互主義」の立場からする貿易・資本の自由化推進の要請は今後強まりこそすれ,弱まることはないであろう。
つとに国際ラウンドを提唱して来たわが国としては,わが国の国益である自由貿易体制の一層の強化をはかる見地から,貿易・資本の自由化に更に努力し,来るべき国際ラウンドに積極的に参加する準備を整えると共に,対米貿易収支の黒字累積および,国際競争力が低下した米国の産業と直接競合する面が少くない現状に鑑み,米国内の保護主義的主張に口実を与えざるよう対米経済関係の調整に慎重な配慮を加えてゆく必要があろう。
(2) 日米貿易経済関係の現状と問題点
(1) 日米経済関係は極めて緊密であり,両国経済の発展に伴ないその関係は益々多様化してゆくものと思われる。
しかし一方では,大きな経済規模を有する日米両国の経済面での交流が活発化するにつれて,両国の経済関係に種々の問題も生じている。特に日本からの輸入の急増とそれに伴う対日貿易収支の大幅赤字は米国朝野に強い危機感を生み出し,かかる事態を背景に71年前半において,わが国の貿易制度ないし慣行,労使関係等に関連し,一部日米の制度の異質面に発した対日批判が高まつた。
71年後半には,後述の第8回日米貿易経済合同委員会や通商協議が開催され,また繊維問題の解決あるいは通貨調整の実現により,幸い日米経済交流面での摩擦要因の多くが取除かれた。今後は従つてより安定した基礎の上に健全な日米経済関係,ひいては世界経済全体の発展が期待される。
(2) 1971年の日米貿易は,輸出73.1億ドル,輸入40.6億ドルで往復113.7億ドルの規模に達した。
71年の対米輸出はたまたま日本の景気停滞と,米国の景気回復とが重なつたことも手伝つて前年比24.7%増加した。品目別では機械機器,特に自動車,オートバイ,テレビ等の伸びが著しく,なかでも自動車は前年の2倍以上となつた。
対米輸出は,主として米国の港湾ストによる影響で7月が前年同月比横這い,8月が同6.8%減となつた他は,各月ともいずれも前年同月比10%を上回る伸びを示した。また8月の米国新経済政策による通貨不安や輸入課徴金などの影響は71年の対米輸出統計には未だ現れていないと考えられる。
他方,対米輸入はわが国の景気が71年を通じて停滞を続けたため,機械機器はほぼ前年並みであつたが,原材料,燃料を主体に前年実績を大きく下回り,9年ぶりに前年比13.2%の減少となつた。
対米輸出が大幅に伸びる一方,輸入は前年実績を下回つたため,71年の対米貿易収支の黒字は32.6億ドルで既往最大を記録した。
(3) 最近の日米貿易の伸びは著しく,67~71年の5年間で日米貿易額は倍増し,米国の対外貿易に占めるわが国のシェアは9.9%から12.7%へ上昇した。現在日米貿易は2国間の貿易規模としては米加貿易に次ぎ,世界で二番目の規模となつている。
他方わが国から見ても,対米貿易は輸出入とも約30%を占めており,わが国の貿易相手国としての米国の地位は際立つて大きい。
日米貿易の内容を見ると,対米輸出では,自動車,オートバイ等の輸送機械,テレビ,ラジオ,テープレコーダー等の家庭電機製品,鉄鋼,金属製品,衣類など多くの商品が米国市場に大きく依存している。また,対米輸入ではジャンボ・ジェット機,電算機などの技術先端商品や飼料用とうもろこし,大豆,石炭など重要原材料において米国に依存する処が大きい。(以上の数字は,日米統計の整合上米国商務省統計を使用。)
なお,最近は第三国における米国系企業との貿易関係も相当進歩していると見られており,その点をも勘案すると,日米貿易関係の密接さは更に深いものになると言えよう。
(4) 貿易面とならんで,日米間の資本,技術面での協力関係もますます増加している。すなわちわが国に進出している外資系企業のうち6割強が米国系企業で占められ,その投資残高は70年末において約15億ドルに達している。また,技術取引においても,これまでに締結された技術援助契約の6割近くが米国との間に結ばれたものである。
他方,わが国の対米直接投資は,米国の対日投資に比較して金額的にも少なく,また投資の主体も商業および金融保険業にあつたが71年7月から実施された対外直接投資の自由化等により,今後は製造業における合弁事業の設立なども含めた対米直接投資が漸次増大していくことになろう。
(3) 第8回日米貿易経済合同委員会
(1) 日米貿易経済合同委員会は,61年6月の池田総理大臣とケネディ大統領との間の共同声明に基づき,下記諸点を目的として設置されたもので,原則として年1回,日米両国で交互に会合することになつている。
イ.両国の経済協力を促進する手段の検討
ロ.貿易の継続的拡大に悪影響を及ぼす問題についての情報および意見の交換
ハ.両国の国際経済政策の喰い違いの除去,経済協力の促進および貿易振興のため,適切かつ必要な措置に考慮が払われるよう,それらの討議についてそれぞれの政府に報告すること。
(2) 合同委員会は,第1回会合が61年に箱根で開催されて以来,既に8回開催されており,今回(第8回)は,71年9月9日,10日の両日,ワシントンで開催された。
日本側代表団は,福田外務大臣,水田大蔵大臣,赤城農林大臣,田中通産大臣,丹羽運輸大臣,原労働大臣,木村経企庁長官の7閣僚からなり,牛場駐米大使および閣僚省庁の補佐官が同席した。
米側代表団の顔振れは,ロジャーズ国務長官,コナリー財務長官,モートン内務長官,ハーディン農務長官,スタンズ商務長官,ホジソン労働長官,ヴォルピー運輸長官,マクラツケン経済諮問委員会委員長の8閣僚であり,トレイン環境問題諮問委員長,ギルバート通商交渉特別代表,マイヤー駐日大使および関係各省の補佐官が同席した。
(3) 今回の合同委員会の開催は2年振りであつたばかりか(70年は日米双方の都合により,開催が見送られた)。次の理由により,重要な時期にあたつていた。
(イ) 8月15日に米ドルの金兌換停止や輸入課徴金の導入等を含む米国の新経済政策が発表され,日米経済関係を含む国際経済関係の再調整が進められようとする時期にあたつていた。
(ロ) 71年前半は米国における対日批判が異常な高まりを見せ,日米間の十分な意思疎通が強く望まれていた。
以上を背景として,日米双方の出席者の間では両国間の問題のみならず,世界経済が当面する諸問題について,突込んだ意見の交換が行なわれた。そして,かかる意見交換を通じて,「日米関係が引続き相互信頼と友好という強固な基礎に基づいているとの結論」に達し,「世界の平和と繁栄に緊要なこの関係を強化するために共同で,また個別に努力する意図」が再確認されたことは,大きな成果であつた。(共同声明については第3部I3.(4)参照)
(4) 主な問題点に関する日米双方の基本的立場は次のとおりであつた。
(イ) 国際通貨問題
米側は,最近の国際収支,特に貿易収支の困難は不均衡な為替レートと通貨体制に依るところが大きいとして,日本円を含む各国の為替レートの根本的調整を早急に行なうことの必要性を強調した。
これに対し日本側は,対米貿易依存度が3割にも上り,かつ,対外決済の9割以上を米ドルによつて行なつている関係上,ドル不安による国際通貨情勢の混乱が早急に解決されることに大きな関心を有している。米ドルの地位の安定は,第一義的には新経済政策に盛られた国内措置を十分に活用することによつて達成されるべきであるが,それでもなお国際的調整を要することもありうるので,その場合には,わが国としても他の主要国とともに,多角的協議を通じ国際通貨問題の解決に積極的に協力するに吝さかでない,との立場をとつた。
(ロ) 課徴金問題
日本側より課徴金の賦課はガットに違反する措置であり,かつ,わが国経済に重大な影響を及ぼすことはむろんのこと,もしその適用が長引けば,世界的にも保護主義的な気運を助長し,自由貿易体制そのものをも崩壊させるおそれがあることを指摘し,その早期撤廃を強く要求した。
これに対し米側は,主要貿易国との協議を通じ,満足すべき解決が得られ,米国の国際収支の良好な見通しの保証が得られ次第,課徴金を撤廃する意向である旨述べた。
(ハ) 貿易と資本の自由化問題
日本側より,国際経済の均衡ある発展のため,わが国としても大きな役割を果たすべきことを十分に自覚しており,かかる観点よりつとに8項目からなる対外経済政策の推進を決定したこと。および米国による課徴金の導入等の新事態はあるも,この政策の実施に関する基本的態度はいささかも変つていないこと等を述べた。
これに対し,米側はわが国の自由化努力に留意しつつも,最近の対日貿易収支の大幅悪化を指摘し,わが国による貿易拡大措置の一層の推進につき要望した。
この過程で,日本側からも米側に対し,米国が自由貿易の原則を堅持するとともに既存の貿易障壁の一層の軽減に努め,また,反ダンピング法などを貿易制限的に運用しないよう要請した。
(5) 今次合同委においては,また,次の分野で日米協力を推進すべき旨合意された。
(イ) 発展途上国への援助および第3国投資についての協調
(ロ) 原子力平和利用の分野での協力
(ハ) 文化交流,とくに芸術家,科学者,学者の人的交流の増大および米国における日本研究,日本における米国研究の促進。
(ニ)勤労者の職業安全および衛生問題に関する共同研究の実施
(ホ)実験安全自動車開発に関する協力
(ヘ)日米合同運輸パネルにおける協力
(ト)航空安全の分野における協力(第一歩として,自動レーダー管制装置など航空保安施設用器材の米国からの購入の可能性および航空管制官の米国における高等訓練)
(チ)無公害車の共同開発
(リ)環境保護のための科学的およびその他の協力
(ヌ)天然資源の開発と利用面における協力
(4) 日米通商協議
(1) 8月15日の新経済政策,特にその対外経済政策面の施策は,世界の経済体制に大きな衝撃を与えるものであつた。わが国を含む主要貿易国は,輸入課徴金と差別的な投資税額控除,あるいは米国国際販売会社(DISC)の激発を要求した。しかし,米国は多角的通貨調整が満足の行く形で実現し,国際収支改善の見通しが得られるまでは,これらの要求には応じられないとの強い姿勢を堅持したため,ドル不安による国際通貨危機と課徴金の導入等による国際貿易の保護主義化の危機が増大した。危機回避のための国際的努力が種々のフォーラムで行なわれたが,この過程で米国は貿易障壁の軽減が不可欠な要素であることを指摘し,わが国始めEC,カナダ等に対し,通商問題の同時解決につき協力方要請した。
(2) 通商面および通貨面における世界経済の危機を回避するため,わが国は米国との通商問題協議に積極的に応ずることとし,71年12月12日,13日の両日,ホノルルにおいて第1回目の通商協議が開催された。
他方,12月17日18日の両日,ワシントンにおいて開催された10カ国蔵相会議において,国際的危機回避の努力が実を結び,多角的通貨調整が実現されたが(第2章第3節参照),同会議の共同声明第5項においても,「貿易取極に関する諸問題が国際経済面における新しい,かつ,持続的な均衡を確保する上で関連がある一要素である」ことが認められ,「懸案となつている短期的な諸問題を可及的速やかに解決するため,米国とEC委員会,日本およびカナダとの間において……目下緊急に交渉が行なわれている」旨言及され,通貨問題と通商問題との関連が改めて確認された。
(3) かかる新しい情勢を踏まえ,日米通商協議は72年1月2日より牛場駐米大使とエバリー通商交渉特別代表との間で再開された。
右協議において,わが方は今回の多角的通貨調整がわが国経済に及ぼす影響を慎重に検討し,つとにわが国が推進してきた総合的対外経済政策(所謂「8項目」)の一環として現段階において実施に移すことが妥当と認められるものにつき前向きの措置をとることとし,同時に米側に対しても,自由貿易推進のための具体的意思表示を求めることとした。
また,右協議においては,「今後とも,他の諸国とともに……世界貿易拡大のため……さらに努力を重ねる」とのサン・クレメンテ首脳会談における合意(首脳会談共同発表第5項)に基づき,中長期の通商問題,すなわち,今後日米両国が指向すべき貿易拡大の方向についての話合いも並行して行なわれた。
(4) 牛場大使とエバリー代表との数次に亘る話合の結果,日米通商協議は2月9日に落着した。同日,日米双方はそれぞれが最近執つたか,または執る予定の通商拡大施策の主要なものを相互に書簡で通報し合い,同時に,中長期の通商問題について共同発表を行なつた。
これらの文書の概要は次のとおりである。
(イ) 国際経済関係に関する共同発表
1973年より世界貿易の拡大と自由化を目的とする多角的,包括的な交渉をガットの枠内で開始する意図を日米共同発表の形で宣言したもの。(なお,米・EC間でもほぼ同様の内容の共同宣言が行なわれた。)(共同発表テキストについては第3部I3.(8)参照)
(ロ) 日 本 側 書 簡
1971年9月以降わが国が8項目計画の一環として執つた,または,執る予定の主要な貿易拡大措置の具体的内容を通報したもの。
(ハ) 米 側 書 簡
通商協議の過程で,日本側が米側に提起した諸点について米側の意向を記したもの。
(5) 日米繊維問題
(1) 毛および化合繊製品の対米輸出規制問題については,1971年10月15日,田中通産大臣とケネディ大使(前財務長官)との間で政府間取極の内容について基本的了解に達し,了解覚書のイニシァル等が行なわれ,次いで1972年1月3日には右了解の内容を盛込んだ政府間取極が調印されて結着をみた。
1969年5月のスタンズ商務長官来日以来懸案となつていた本問題についてはその後紆余曲折を経て,1971年3月8日,わが国関係業界による一方的自主規制宣言が行なわれたが,米側は3月11日,大統領声明を発表して右一方的規制では特定品目への輸出の集中の可能性を排除しえないこと等を指摘しつつ,米国政府としてこの業界の一方的規制は受諾できないとの立場を明らかにした。以上の経緯は前号で述べたとおりであるが,その後4月下旬,米国はケネディ大使を海外に派遣して政府間取極締結のための新らたな働きかけを開始した。このような動きに対してわが国は,業界の自主規制の成行きを見守るとの立場をとつたが,9月上旬に行なわれた第8回日米貿易経済合同委員会終了後間もなく,米国はわが国その他主要な繊維輸出国との間に政府間協定ができなければ繊維品に対する一方的輸入規制をも辞さないという強い決意を表明してきた。ここにおいてわが国は「対米繊維輸出に関する最悪の影響を回避するとともに,米国の保護貿易への傾斜を防ぎ,日米相互の長期に亘る友好親善関係を維持するためには,政府間協定を締結する以外にはないという結論に達し」,(了解覚書のイニシァルの際の10月15日の田中通産大臣談話)その後米側と話合いを重ね,取極が成立すれば取極対象品目については米国が8月15日以来適用していた輸入課徴金は撤廃されること等の点も勘案のうえ了解覚書のイニシァルおよび政府間取極の締結に応ずることとした。
(2) 繊維問題は・米国の「1970年通商法案」等に具現された保護主義の拾頭,あるいは米国の国際収支悪化等を背景として70年から71年前半にかけて急速に高まつた対日批判と重なり合つて日米経済関係の「ぎこちなさ」の要因となつていたのであるだけに,取極締結を契機として日米経済関係が改善され,ひいては自由貿易の進展が図られるものと強く期待される。
(3) なお,日米政府間取極の締結と相前後して米国は,韓国,中華民国および香港とそれぞれ政府間取極を締結するとともに,これら3国との間で多国間取極を締結している。