-国際通貨問題-

 

第3節 国際通貨問題

 

1. 国際通貨情勢

 

 (1) 5月の欧州通貨危機

(イ) ドイツにおける変動相場制移行の背景

(i) ドイツにおいては,1970年来アメリカと主な先進諸国間の短期金利格差を背景として短期資金の流入基調が続いたため,金外貨準備は急速な増加を示し,1971年2月末にはアメリカの金外貨準備を超える149億ドルに達し,引続き3月末には158億ドルを記録するに至つた。その結果一部の国際金融筋においては,近い将来においてマルクの切上げまたは変動相場制への移行の可能性あるべしとの観測が次第に強まり,これに伴ない投機筋の動きも活発化しつつあつた。

(ii) 他方ドイツ国内経済については,1970年後半来景気の下降曲面に入つていたものの消費者物価指数の上昇率は従来の許容限度とみられていた3%をはるかに上回る4.8%に達していたため,変動相場制の採用によつてインフレ鎮静化に成功したカナダの事例にも鑑み,ドイツとしても物価対策の一環として何らかの対外措置をとる必要に迫られていた。

(iii) かかる情勢を背景として5月3日ドイツ国内の有力な5大経済研究所がドイツ政府に対しインフレ対策の一環として変動相場制の活用を提言したのを契機として多量の短期資金が流入するに至つた(5月3,4の両日だけで16.8億ドルの資金がドイツに流入したが,5日には投機筋の動きがさらに広範化し,欧州の主要中央銀行が買上げたドルの総額は同日午前中だけで25億ドルに達したと推計されている)。

(iv) 以上の如き内外情勢に直面したドイツ政府は,内外均衡を同時に達成すべく5月10日より変動相場制に移行した。ドイツ政府が平価切上げに対し変動相場制を優先せしめた理由としては,(あ)適正な切上幅を見出すことは流動的な情勢のもとにあつては極めて困難であること,(い)産業界の反対をなだめるには,一時的措置として変動相場制を導入し,最終的な決定を将来に延ばす方が容易であること等が指摘されよう。

(ロ) ドイツの変動相場制移行に伴なう主要国の動向

(i) オーストリア,スイス,オランダ

オーストリアおよびスイスは即日ドイツの変動相場制移行に追随し,それぞれ5.05%,7.O%の平価切上げを行ない,他方オランダは変動相場制に移行した。これら3国がドイツの措置に追随するに至つた背景としては,(あ)これら3国は景気動向,経済政策などに関しドイツ経済の動きに強く影響される状況にあること,(い)国際収支面,国内物価水準の動きなどに関し,これら3国は,程度の差こそあれドイツと同様の問題を抱えていること,(う)ドイツの変動相場制の導入を契機として投機が自国通貨に及ぶことを懸念したことなどの諸点を指摘しうる。

(ii) アメリカ,イギリス

両国とも従来より変動相場制に関し賛成の態度をとつており,とくにドイツの変動相場制への移行は両国の国際収支に好影響を与えるものとしてドイツの措置を支持した。

(iii) フランス

5月のマルク危機の基本的要因がドル不安にあるとの認識から,ドイツの変動相場制への移行には強く反対し,移行後も,ECの共通農業政策,EC通貨同盟との関連においてドイツに対し固定平価への復帰を一貫して強く迫つた。なおフランスがドイツの変動相場制導入にことさら強く反対した背景には,フランス経済が1968年の5月危機に端を発した混乱から漸く立直り,内外均衡ともにほぼ安定的に推移していることもあつて,ドイツの変動相場制導入によつてかえつて国際通貨情勢が混乱し,一時的にせよその余波が同国に及ぶことに対する懸念が存したものと推測される。

(iv) ベルギー

ベルギーは従来より採用していた経常,貿易の二重為替市場制を強化した。

 (2) 金・ドル交換停止措置

(イ) アメリカ政府による金・ドル交換停止措置

ニクソン米大統領は8月15日景気刺激策,インフレ抑制策を内容とする国内政策とならび金・ドル交換停止,輸入課徴金賦課を主軸とする国際収支改善のための対外政策を発表した。右「新経済政策」のうち金・ドル交換停止措置は,戦後の金為替本位制の根幹をなしてきた金とドルの結びつきの切断を意味するもので,この結果各国は介入通貨としてのドルを使用して為替市場に介入する根拠を失なうこととなり,ドルを含む大部分の国の通貨は一斉にフロートすることとなつた。

すなわちまずEC諸国については,8月19日に開かれたEC閣僚理事会において独仏の見解が一致しなかつたこともあつて,加盟各国は独自の為替政策をとることが申合わされ,その結果,ドイツ,イタリアは変動相場制を採用(ドイツは5月以来引続きフロートを継続)したのに対しフランスは二重為替相場制を採り,「貿易フラン」については固定相場,「金融フラン」については変動相場を適用した。またベネルックスについては,3国間の特殊な経済関係から,対外的にはオランダの変動相場,ベルギーの二重相場制度を存続させる一方,対内的には3国間で平価を固定させた。一方イギリスはポンドをフロートさせ,カナダも変動相場制を継続したほか,先進国,後進国を問わず大部分の国は変動相場制を採用した(わが国については後記(5)参照)。

(ロ) アメリカの措置の背景

アメリカがかかる措置に追い込まれた原因は,その対外ポジションの趨勢的な悪化に見出される。即ち1960年初頭アメリカの対外流動債務総額がその金準備を上回つて以来ドル不安は悪化の一途を辿り,右の救済策としてとられた1962年の金プール制,1968年の金二重価格制も,ドルに対する不信を根本的に除去することはできなかつた。特に1970年初頭以来アメリカは国内景気の回復をはかるべく金融面において急速な拡大措置をとつたため短期資金が急速に国外に流出し,また主として国内のインフレの進行に伴なう国内産業の国際競争力の弱化に基因する輸出の減少および景気刺激に伴なう輸入の増大の結果貿易収支が加速度的に悪化したため,1971年前半の国際収支は純流動収支で82億ドル,公的準備取引収支で112億ドルの赤字を記録するに至つた。この結果金・外貨準備は6月末には135億ドルにまで落込み,このうち特に金準備は71年初頭来フランス,スイス,ベルギー,オランダがかなり頻繁に対米金兌換請求を行なつたため金・ドル交換停止措置発表直前には102億ドルにまで減少した。かかる状況の中でアメリカ政府がやがては金交換停止の措置をとるに至るであろうとの根強い噂が流布していたが,その際100億ドルの大台を割るか否かが一つの目安にされていた。こうした一連の経過を辿つてゆくと,長く潜在していたドル危機は早晩何らかの形で表面化せざるをえなかつたのであり,その意味からアメリカ政府のこの措置は必然的な結果であつたといえよう。但しそれは8月15日という時点での措置が必然的であつたということを意味するものではなく,1972年秋に予定されている大統領選挙への配慮等,政治的考慮が措置発表の時機選択に関しかなりの作用を及ぼしたとみることができよう。

(ハ) 主要国間通貨交渉

ニクソン声明の直後には,問題の早期解決を予想する観測が多くみられたが,その後EC諸国間,特に独仏の足並みが揃わないことが明らかになつたこと,金価格引上げ,輸入課徴金の撤廃およびアメリカの国際収支の改善幅をめぐりアメリカとその他の国の意見の対立が明確になつたことにより,問題の解決が長びくに至り,各国は持久戦の体勢に入つた。アメリカとその他の国の対立点のうち課徴金の撤廃については,アメリカはIMF年次総会直前に開かれる定例の10ヵ国蔵相会議(9月26日ワシントン)において「その他の平価調整以外の分野におけるアメリカの国際収支の改善策」(即ち防衛費の分担,非関税障壁の撤廃等の通商貿易面での問題の解決等)を取上げることを条件として課徴金撤廃問題を取り上げることに譲歩したといわれ,またIMF総会においてコナリー財務長官が「今後数週間のうちに特定の貿易障壁の除去に関し目立つた進歩がみられ,且つ各国が為替レートが市場の実勢に応じ自由に変動さすならば」,課徴金撤廃の用意がある旨言明する等,比較的柔軟な姿勢をみせたのに対し,金価格引上げには,9月15日,16日のロンドン,および前記ワシントンの10ヵ国蔵相会議,IMF総会,10月18日,19日のOECD第3作業部会等を通じて終始頑強に反対した。金価格引上反対の理由は,(あ)引上げは結局アメリカの威信の失墜を意味すること,(い)ソ連,南ア等の産金国を不当に利すること,(う)ドル本位制を確立し,ひいては全廃貨をも目指しているともみられるアメリカにとつては,金価格の引上げはまさに逆行的な措置であること(IMF総会でのコナリー発言)にあつたとみられる。

しかるにローマ10ヵ国蔵相会議の2日日(12月1日)に至りアメリカが「仮定の問題」としてではあるが金価格引上げに応ずる用意のあることを示唆したことにより,一転して年内解決の見通しが強まつた。このようなアメリカの方針転換の主因は,アメリカが,新経済政策発表後も自国の国際収支が改善の兆しをみせないことにも鑑み(7~9月期の公的決済べ一スは121億ドルの赤字,また貿易収支は9月には一時黒字を示したものの10月には再び8.2億ドルの大幅赤字を記録した),問題の解決を遷延せしめることは得策でないと判断するに至つたことにあるとみられる。

 (3) 多国間通貨調整の実現

(イ) ローマ10ヵ国蔵相会議においては,アメリカは「仮定の問題」としてドル切下げを示唆したにとどまつたが,ニクソン大統領は12月13,14日のアゾレスにおける米仏首脳会談でドル切下げを公式に確認した。

(ロ) 多国間通貨調整は,17,18日のワシントン10カ国蔵相会議で実現した。右会議の合意内容の主要点は次のとおり。

(あ)参加国通貨間における為替レートの関係のパターンを設定する。各国は新為替レートを平価またはセントラル・レートの何れか一方の希望する形で公表することができる。

(い)為替変動幅を上下各2.25%に拡大する。

(う)アメリカは,貿易面での短期的措置が議会において考慮の対象となりうるようになり次第金1オンス=38ドルとするため適当な措置を議会に提案することに同意した。

(え)アメリカは,輸入課徴金および雇用促進のための減税に関する諸措置を直ちに撤廃することに同意した。

(お)参加国は,通貨改革の中・長期の問題につきIMFの枠内で早急に討議を実施することに合意した。右,中・長期の問題の主たるものとして,交換性の回復,将来の準備資産,国際流動性,為替弾力化が指摘された。

(ハ) 多国間通貨調整により合意された主要国通貨の新レートは次のとおり。

            対ドル調整率    対ドル新レート(1ドル=)

  日本         16.88%          308円

  ドイツ        13.57%         3.22マルク

  オランダ       11.57%         3.24ギルダー

  ベルギー       11.57%        44.82フラン

  フランス        8.57%         5.12フラン

  イギリス        8.57%         0.38ポンド

  イタリア        7.48%        581.50リラ

  スエーデン       7.49%         4.81クローネ

  スイス         6.36%         3.84スイスフラン

(ニ) 米議会は若干の紆余曲折を経た後,1972年3月21日に金価格引上議案を承認した。

 (4) 国際通貨改革の問題点

(イ) ワシントン10ヵ国蔵相会議は「参加国通貨間における為替レートのパターン」につき合意したのみであつて,通貨政策の中・長期の問題に関しては「プレス・コミュニケ」第7項が次のように記すにとどまつている。

「蔵相および中央銀行総裁は,長期的なIMFの改革につき検討を行なうため,とくにIMFの枠内で討議を早急に実施することに合意した。安定した交換レートを維持し,かつIMF制度のもとにおいて適度な交換性を確保するための適当な通貨上の措置および責任の分担,IMF制度運営における金,準備通貨(複数)およびSDRの適当な役割,国際流動性の適当な量,設定された交換レートを中心に上下に許容しうる変動幅の再検討,その他適度な為替弾力化をはかる措置および浮動的な資本の移動に関するその他の措置につき注意を払うことが合意された。これらの諸問題のおのおのの決定が相互に密接に関連していることが認められた。」

(ロ) 上記の諸問題については今後IMF理事会等を通じて精力的に論議が展開されるものと予想され,若干の問題については今秋のIMF年次総会までに改革の大筋の方向が決まる可能性もあろう。

(i) ドルの交換性の回復

この問題は上記諸問題の中で最も緊急の解決を要するが,アメリカの対外短期債務残高が金準備の6倍以上に達している現在,完全な回復は到底望むべくもなく,small convertibi1ity で満足せざるをえないであろう。この問題を解決する方法としては,(あ)金価格を大幅に引上げる,(い)既存のドル債務の交換を制限し新規債務についてのみ交換を認める,(う)ドル債務の大部分をIMFが肩代りする,などが考えられる。ところでアメリカが金・ドル交換性の回復に殆んど熱意をもつていないのみならず,金の役割を漸次低下せしめ,ひいては「金廃貨」をも狙つているとも考えられる点にこの問題の困難性が存するが,アメリカが希望するような「ドル本位制」を認めない欧州諸国やわが国は,今後もドルの交換性を要求し続けるものと予想されるところ,その際比較的実現可能な方法は前記(い)および(う)による方法であろう。前者の例としては過去のドル残高を一定期間に限りコンソリデートしその間に分割償還せしめ,他方新規ドル債務については何らかの形で交換せしめる方法が考えられ,後者については,IMFがSDRと引替えに各国の保有するドル債権を肩代りしこれを対米長期債権に切替える方法があろう。

(ii) 将来の準備通貨

1971年後半の通貨危機を通じて,一国の準備通貨を基軸通貨とした国際通貨体制の脆弱性が露呈したが,ドルは以後も取引通貨,介入通貨としては依然として主要な役割を果すものと考えられるものの,アメリカの期待するような「ドル本位制」に移行しない限り,その準備通貨としての機能は縮少するものと予想される。すなわちアメリカ政府の金・ドル交換停止措置により金・ドル本位制が崩壊し,また他方金本位制への復帰も困難であるとするならば,当面の準備制度は金・ドル(あるいはその他の外貨),およびSDRを資産とする態様をとることとなろう。この制度が今後如何なる方向に変容するかを決定する要因としては,各国の金選好の強弱,アメリカの国際収支の改善状況,SDRに対する信認度などを挙げることができよう。

(iii) 為替調整の方法

多国間通貨調整によつて各国は一応「固定平価」に復帰はしたものの,IMF協定に規定された「調整可能な釘付け相場制度」によつては通貨間の調整がスムーズに行なわれなかつた経験に鑑み,為替相場の弾力化が引続き今後の課題となろう。1970年のIMF総会に提出されたIMF理事会と10ヵ国グループによる共同研究「国際収支調整における為替相場の役割」は,(あ)所要の場合における迅速な平価調整,(い)変動幅の小幅拡大,(う)平価維持義務の一時的放棄の3方式が考慮に値するとし,理事会と10ヵ国グループの継続審議に委ねたが,この審議は今日まで中断されている。右のうち変動幅の小幅拡大については,ワシントン10ヵ国蔵相会議において,上下1%より2.25%にすることが決められたが,右は「長期的な通貨面での改革に関し合意に達するまでの期間」(プレス・コミュニケ第4項)についてであり,再検討の対象になつているが,ワイダー・マージンだけでは,長期的な為替調整の機能を果しえないとみられ,従つて「小刻みかつ頻繁な調整」方法などが今後の検討の対象になるものと予想される。

 (5) 多国間通貨調整とわが国

(イ) 変動相場制の採用

わが国は8月15日の金・ドル交換停止後も欧州諸国と異なり為替市場を閉鎖することなく,「固定平価堅持,現行平価維持」の立場をとり,大量の外貨流入に対しては日銀の市場介入によつて対処する方針をとった。その結果8月16日より同27日までの間に外貨準備が約40億ドル増加した。このような事態に直面したわが国は,同27日「8月28日よりIMF協定に定められた現行平価の上下1%の変動幅を暫定的に停止」し,ここに昭和24年以来維持してきた固定相場制を一時的に放棄し,変動相場制に移行することとなつた。

(ロ) 戦後の固定平価制度の下で発展を遂げてきたわが国産業は,特に輸出関連産業を中心に変動相場制という新しい事態によつて大きな打撃を蒙り,減産,減配,設備投資の延期または見送り,人員採用計画の縮小,さらには倒産に追い込まれるものも出た。しかし通貨調整の実現が先にずれ込む見通しが強まるにつれ国内産業は対ドル自主レートの設定,円建て契約等の自衛手段を講じ,他方政府も特に危機に瀕している中小企業に対し輸出手形買取制度,先物予約制等の対策等のほか財政面からの景気回復にも力を入れたため,状況は漸次改善の方向に向つた。

(ハ) アメリカの金・ドル交換停止措置の主要な目的の1つが円の切上げにあることは,当初より明らかであり,その意味から各国はわが国が変動相場制に移行したことを円切上げへの第一歩であると評価し,一様に歓迎した。多国間通貨調整に際してはわが国は最大幅の切上げを行なわざるをえないことは当初より明らかであつたといえよう。かくしてワシントン10ヵ国蔵相会議の結果,円は対ドル16.88%切上げられ,1ドル=308円の新レートが決定された。

(ニ) 通貨調整直後の円の対ドル相場は下限の周辺を低迷していたが,2月4日に対ドルセントラルレートを突破しその後持続的に円高の傾向を強め3月末現在では1ドル=303円前後の相場を示している。

 

2. IMFの動き

 

 (1) 1971年におけるIMFの活動状況

1971年におけるIMFの運営は,金・ドル交換停止措置に伴なう通貨危機によつて大きく阻害された(下記(う)参照)・IMF当局が1972年1月16日に発表した1971年の年間活動報告の概要は次のとおり。

(あ) IMFからの外貨引出しの合計19億ドル(うちアメリカが引出した額は13.62億ドル)

(い) IMFへの返済の合計28.07億ドル(うちイギリス12,989億ドル,フランス9.83億ドル)

(う) 上記(i),(ii)のうち8月15日より12月31日までに取引された額(この取引は,カナダドル,マルク,フランスフランによつてのみ行なわれた)

    引出し     2,797億ドル

    返 済     1,407 〃

 (2) IMFの対日年次協議

IMF対日年次協議は,1971年11月29日より2週間にわたり,東京において行なわれたが,たまたま協議時期においては,わが国の予算編成および明年度経済見通しなどについての基本方針が未確定であり,とくに,多角的通貨調整に関する合意が未成立の段階で各種不確定要因が多かつた故もあり,従来とやや異なり,本年の年次協議においては,さして突込んだ意見交換は行なわれなかつた。とくに討議の中心となつた点は,中期的に見たわが国の経済成長率の適正水準,国際収支調整対策,財政政策の果すべき役割などであつた。

 

3. 欧州共同体およびコメコンにおける通貨統合計画

 

 (1) ECの通貨統合計画

(イ) ECの経済通貨同盟は,1971年2月9日の理事会の合意により同年1月1日に遡つて発足したが,通貨同盟実現のための手始めとして,同年6月15日を期して加盟国通貨間の為替変動幅を従来の0.75%より0.6%に縮小することが決定されていた。しかるに右計画の実施は,5月の欧州通貨危機によつて無期延長となつた。その後,アメリカ政府による金・ドル交換停止の措置というきびしい現実の中で共同体委員会を中心に経済通貨同盟を軌道に乗せようとする努力が続けられた。共同体委員会は12月の多角的通貨調整後直ちに域内通貨問題の本格的検討に着手した結果1972年1月12日にこの問題に関する委員会案を理事会に提出するとともに,通貨評議会にその検討を付託した。この委員会案の骨子は次のとおりである。

(あ) 域内通貨間の為替レートの変動幅が2%を越えないように各国中央銀行が相互に協力して市場に介入する。

(い) 理事会は中央銀行総裁会議からの報告があつた場合には,これに基づきできるだけ速やかに2%の幅を徐々に縮小する措置を決定する。

(ロ) その後EC委員会は3月1日に最終提案を行なったが,EC蔵相理事会は3月6,7日の会議で右提案を原則的に了承し,また3月20,21日の会議で右合意を再確認し正式に決定した。右合意の具体的内容の概要は下記のとおりである。

(あ) 遅くとも1972年7月1日までに加盟国通貨相互の変動幅を2.25%に縮少し,介入方法としては原則として,域内相場は加盟国通貨で,また域外相場はドルで介入する。

(い) 短期資金流入規制に関しては,71年6月23日の委員会案による規制措置をとる。

(う) 欧州通貨協力基金の創設については,通貨評議会及び中銀総裁会議が1972年6月までにリポートを理事会に提出し,72年末までにその設立要項を定める。

 (2) コメコンの通貨統合計画

(イ) 1971年7月末ブカレストで開かれたコメコン第25回総会は,振替ルーブルの交換性取得について初めて具体的な日程表を設定した。右総会で採択された「コメコン加盟の協力の一層の深化および完成化ならびに社会主義的統合の発展のための総合計画」の第7節は,「通貨金融関係の完成化」について,骨子次のように定めている。

(あ) 加盟国は1971~72年に振替ルーブルの各国通貨への交換性(オブラチモスチ)および各国通貨相互間の交換性の実現の問題を研究し,また1973年に上記交換性実現の条件および手続きを共同で研究する。

(い) 加盟国は振替ルーブルの実際的振替性(ペレパジーモスチ)ならびに交換比率および金含有率の現実性について1973年末までに研究する。

(う) 加盟国は1976~79年の間に各国通貨の単一為替レートの実現の可能性およびそのための前提条件の研究を行なう。

(ロ) 上記諸目的が計画通り実現するか否かについては多くの疑問が存在する。まず振替ルーブルと東欧各国通貨が交換性を得る条件として,現行の盗意的な為替レートを実勢に合わすため,購買力平価から算定したレートを設定することが必要であるが,購買力平価の算定に必要な各国の価格体系と域内統一価格体系が整備確立されていない点に問題がある。また新しい為替レートの算出に成功したとしても,各国が,自国通貨の交換性維持のために必要な金または交換可能通貨の準備を充分持合わせていない点にも問題があろう。

 

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