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2003年1月27日、ブリックスUNMOVIC委員長及びエルバラダイIAEA事務局長は安保理に対し、イラクから手続面での協力は得られているが、疑惑に応えておらず大量破壊兵器等に関する疑惑が解消されていないと報告し、国際社会において、イラクによる実質的で積極的な協力の必要性が共有されるようになった。
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ブッシュ米大統領は、1月28日の一般教書演説でイラクが自ら大量破壊兵器の廃棄を行わなければならないと述べ、2月5日に開催された安保理会合では、パウエル米国務長官が安保理メンバー国に対してイラクの査察活動に対する非協力、大量破壊兵器の隠蔽工作等を示す情報を提示し、これ以上イラクに時間を与えるべきではなく、安保理が判断を下すべきであると述べた。
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2月14日には再度UNMOVIC及びIAEAによる安保理報告が行われ、査察に関してある程度の手続き面での進展が見られたとする一方、大量破壊兵器の廃棄という査察目的を達成するためには、イラクからの即時、無条件かつ積極的な協力が不可欠であると総括した。
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2月24日の安保理非公式協議では、米国、英国及びスペインにより、イラクが依然として関連安保理決議を履行しておらず、安保理決議1441により与えられた最後の機会を活かすことができなかったことを内容とする決議案を共同で提出した。
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3月7日に行われたUNMOVIC及びIAEAによる安保理報告では、UNMOVICの報告において、2月28日に配布された報告を補足するものであるとしつつ、イラクはさらに廃棄に関する記録を提出すべきであり、これまでの情報は限られたものである旨改めて指摘した。
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3月16日、アゾレス諸島において米・英・スペイン・ポルトガル首脳会談が開催され、同17日に米英国連大使は、提案していた安保理決議案の採択断念を発表し、ブッシュ米大統領は演説で、今決議の最後の日が来た、サダム・フセインとその息子達は48時間以内にイラクを去らなければならない旨発言、3月18日には、米からの通報に基づき、国連査察団は退避を完了した。
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3月20日のバクダッドに対する航空攻撃を端緒に『イラクの自由作戦』が開始。4月9日には首都バクダッドが事実上陥落。5月1日にブッシュ米大統領は、イラクでの主要戦闘終了を宣告した。
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