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イラクを巡る情勢の経緯
(2003年5月1日まで)


平成15年10月


1.湾岸戦争から停戦まで(安保理決議678,687)

(1) 1990年8月2日のイラク軍のクウェイト侵攻を受け、同日、国連安保理は、イラクのクウェイト侵攻を非難し、イラク軍の即時無条件撤退を要求する安保理決議660を採択した。続けて安保理は、8月6日の対イラクの経済制裁を決定する安保理決議661をはじめとして、イラク軍の撤退を求め、クウェイトの主権を回復するため、累次にわたり決議を採択した。

(2) イラクが累次の安保理決議に従うことを拒否し続けたため、1990年11月29日には安保理決議678が採択され、イラクが1991年1月15日以前に関連諸決議を完全に実施しない限り、クウェイト政府に協力している加盟国は、安保理決議660及び全ての累次の関連諸決議を堅持かつ実施し、同地域における国際の平和と安全を回復するために、あらゆる必要な手段をとる権限が付与された。これを受け、1991年1月17日、米国をはじめとするいわゆる湾岸「多国籍軍」は、イラクに対する武力行使に踏み切った。

(3) 1991年4月3日に採択された安保理決議687によって、イラクは、化学兵器、生物兵器、射程150km以上の弾道ミサイルといった大量破壊兵器の廃棄を国際的監視の下で無条件に受け入れることを義務付けられ、そのための実地査察に合意することとされた。また、同決議においては、イラクによる同決議の諸規定の受諾により、湾岸戦争の停戦が発効する旨も定められており、イラクが同月6日付の安保理議長宛書簡により右受諾を行ったため、停戦が発効した。


2.UNSCOMの設置とイラクによる査察妨害・拒否

(1) 上記の安保理決議687は、イラクの大量破壊兵器廃棄の即時実地査察のために特別委員会(United Nations Special Commission:UNSCOM)の設置を定めており、以後UNSCOM及びIAEAは、同決議に基づき査察を実施した。

(2) その結果、核兵器不拡散条約(NPT)やIAEAとの保障措置協定に違反してイラクが核兵器開発を秘密裡に行っていたことが判明した。また、イラクは当初生物兵器の開発・製造について否定していたが、1995年、フセイン・カーメル中将の亡命後に生物兵器を製造していたことを認めた。

(3) しかしながら、1997年6月以降、イラクによる査察拒否及び妨害の事例が相次ぎ、イラクの査察拒否を非難する安保理決議が採択された(決議1115、1134、1137)。これらの決議は、イラクの態度は関連安保理決議の受け入れがたい違反であるとして、イラクがUNSCOMに対し、あらゆる施設等へのアクセスを即時かつ無条件に認めることを要求するとともに、査察妨害等に関与するイラク政府関係者の各国への入国禁止を決定した。特に安保理決議1137は、このような状況は引き続き国際の平和及び安全に対する脅威を構成していることを決定した。


3.アナン事務総長による調停と了解覚書締結

(1) イラク側は、査察の対象施設について、「通常施設」、「国家安全保障施設」等一方的な分類を行い、その内「大統領関連施設」については、国家主権の観点から一切の査察は認められないとして、引き続き非協力的態度を継続し、98年1月12日には、イラク政府は査察団の活動を許可しない旨決定した。

(2) このような事態の打開に向け、アナン事務総長がイラクを訪問し、2月23日にアジーズ副首相との間で、了解覚書を締結した。この了解覚書では、イラク政府はUNSCOMに対し即時、無条件、無制限のアクセスを認める一方、UNSCOMはイラクの国家安全保障、主権、尊厳を尊重するとともに、8つの大統領施設(Presidential Sites)に対しては特別な査察手続きを取ることが合意された。3月2日に採択された安保理決議1154は、この了解覚書をエンドースするとともに、イラクによる如何なる違反も深刻な結果をもたらすことを規定した。


4.イラクの査察妨害の継続

(1) 査察は98年4月に再開され、大統領施設にも査察が実施されたが、イラク側による査察団への嫌がらせや妨害が継続し、8月5日にイラク革命指導評議会は、UNSCOMの再編等のイラク側の要求が認められるまではUNSCOMへの協力を停止することを決定した。

(2) これに対し、9月9日、安保理は、イラクが査察を受け入れれば包括的レビューを行う用意があるとの決議1194を採択し、事態の打開に向けた国連とイラクの間の交渉が続けられるも進展は見られず、10月31日、イラク革命指導評議会はUNSCOMとの協力を全面的に停止することを決定した。

(3) 11月5日、安保理は決議1205を採択し、イラクの決定を安保理決議687及び関連決議の重大な違反として非難するとともに、決定の撤回と査察の再開を求めた。イラクは、14日付のアジーズ副首相書簡により、UNSCOM及びIAEAとの協力を再開し、両機関がイラクにおける通常の任務を行うことを認めることを伝え、これを受けて17日より査察団はイラクにおける査察を再開した。

(4) しかし、12月15日にバトラーUNSCOM委員長から、イラク側から完全な協力は得られなかったとの報告書が安保理に提出され、翌16日から19日まで(米国時間、日本時間:17日~20日)米英軍によるイラクへの空爆が実施された(「砂漠の狐」作戦)。


5.UNMOVICの設置

(1) 対イラク空爆以降、UNSCOM及びIAEAによる査察が実施されない状況が継続する一方、制裁下でのイラク国民の窮状が、益々国際社会において問題視される状況になった。安保理は8ヶ月に及ぶ議論の末、99年12月17日、UNSCOMに代わり国連監視検証査察委員会(United Nations Monitoring, Verification and Inspection Commission:UNMOVIC)を設置することや、イラクが大量破壊兵器の廃棄に協力した場合、経済制裁を一時停止する新たな制度を導入することを含む決議1284を採択した。

(2) イラクは、安保理決議1284は制裁解除のイラクの正当な要求を満たすものではなく、従来の安保理決議にはなかった新たな条件を付すものであるとのコメントを発表し、新たに設置されたUNMOVICの受け入れを拒否した。


6.国連・イラク間の対話の実施とイラクによる国連査察受入

(1) 2002年1月のブッシュ米国大統領の一般教書演説でイラクが「悪の枢軸」に名指しされたこと等から、イラクを巡る緊張が再燃した。アナン国連事務総長とサブリー・イラク外相は3月、5月、7月の3度にわたり対話を実施したが、査察再開の合意には至らなかった。

(2) ブッシュ大統領は、9月12日の国連一般討論演説において、これまでのイラクの安保理決議不履行を指摘し、国連安保理を通じた対処の必要性を強調するとともに、イラクが対応しない際には行動は不可避となるであろうと発言した。これを受け、16日、サブリー外相書簡により、イラクは無条件の査察受入を表明した。

(3) 11月8日、国連安保理公式会合が開催され、体制を強化した査察の受け入れをはじめとする義務の履行をイラクに対し強く求める安保理決議1441が全会一致で採択された。

(4) 12日、イラク国民議会は安保理決議1441を拒否し、最終決定はフセイン大統領に委ねる旨の動議を全会一致で採択したが、13日、サブリー外相発アナン国連事務総長宛の書簡により、安保理決議1441を受諾する旨通報した。これを受け、18日には、UNMOVIC及びIAEAの先遣隊がバグダッドに到着し、27日、イラクでの査察が約4年ぶりに再開された。


7.国連査察の報告

(1) 2003年1月27日、ブリックスUNMOVIC委員長及びエルバラダイIAEA事務局長は安保理に対し、イラクから手続面での協力は得られているが、疑惑に応えておらず大量破壊兵器等に関する疑惑が解消されていないと報告し、国際社会において、イラクによる実質的で積極的な協力の必要性が共有されるようになった。

(2) ブッシュ米大統領は、1月28日の一般教書演説でイラクが自ら大量破壊兵器の廃棄を行わなければならないと述べ、2月5日に開催された安保理会合では、パウエル米国務長官が安保理メンバー国に対してイラクの査察活動に対する非協力、大量破壊兵器の隠蔽工作等を示す情報を提示し、これ以上イラクに時間を与えるべきではなく、安保理が判断を下すべきであると述べた。

(3) 2月14日には再度UNMOVIC及びIAEAによる安保理報告が行われ、査察に関してある程度の手続き面での進展が見られたとする一方、大量破壊兵器の廃棄という査察目的を達成するためには、イラクからの即時、無条件かつ積極的な協力が不可欠であると総括した。

(4) 2月24日の安保理非公式協議では、米国、英国及びスペインにより、イラクが依然として関連安保理決議を履行しておらず、安保理決議1441により与えられた最後の機会を活かすことができなかったことを内容とする決議案を共同で提出した。

(5) 3月7日に行われたUNMOVIC及びIAEAによる安保理報告では、UNMOVICの報告において、2月28日に配布された報告を補足するものであるとしつつ、イラクはさらに廃棄に関する記録を提出すべきであり、これまでの情報は限られたものである旨改めて指摘した。

(6) 3月16日、アゾレス諸島において米・英・スペイン・ポルトガル首脳会談が開催され、同17日に米英国連大使は、提案していた安保理決議案の採択断念を発表し、ブッシュ米大統領は演説で、今決議の最後の日が来た、サダム・フセインとその息子達は48時間以内にイラクを去らなければならない旨発言、3月18日には、米からの通報に基づき、国連査察団は退避を完了した。

(7) 3月20日のバクダッドに対する航空攻撃を端緒に『イラクの自由作戦』が開始。4月9日には首都バクダッドが事実上陥落。5月1日にブッシュ米大統領は、イラクでの主要戦闘終了を宣告した。



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