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聞きたい!知りたい!外務省

新しいSecurity概念、人間の安全保障

国際社会協力部国連行政課 伊藤秀樹 課長に聞く

収録:平成15年3月4日

東京大学教養学部2年 藤田葵さん
東京大学教養学部2年
藤田葵さん

 「人間の安全保障」という言葉を、最近よく目に耳にするようになりましたが、それが具体的には何を意味し、またそれが日本の外交戦略上いかなる意味を持つのかということについては、あまり言及されていないように見受けられます。このような現状において、人間の安全保障をめぐる動きをより明確にしようという目的のもと、伊藤秀樹国連行政課長にお話を伺いました。(藤田)

藤田:「安全保障」とは、軍事・非軍事的脅威に対して、軍事・非軍事両面で対処すること、と定義されます。冷戦の枠組の中では軍事的・伝統的安全保障はよく議論され、冷戦後の世界でも、その役割の変化はよく言われますが、「人間の安全保障」というのは、言葉自体も目新しく、概念も曖昧で理解しにくい印象があります。まずは、この概念の出てきた経緯からお聞かせいただきたいと思います。

伊藤:「人間の安全保障」とは「ヒューマン・セキュリティー」の訳語ですが、「人間の安全保障」という言葉が、ヒューマン・セキュリティーという言葉の元の意味をきれいに写し取っているかについては議論のあるところです。もともとは1994年にUNDP(国連開発計画)の「人間開発報告」という年次報告書の中に、「人間の安全保障」の概念が取り上げられたのが初出です。それ以降、国際社会の中でヒューマン・セキュリティーという概念について様々な議論が交わされてきましたが、「人間の安全保障とは何か」という問いに対しては、なかなか明確な答え・決定的な定義があるわけではなく、それ自体生成過程にある概念ということができます。
 日本が人間の安全保障の問題を大きく取り上げるようになったのは、小渕内閣のころからですが、それ以前からカナダ・ノルウェーと言った12、3カ国による、「ヒューマン・セキュリティー・ネットワーク」という集まりが、年に一度、持ち回りで外相レベルの会合を開いて活動しており、今年も5月にオーストリアを議長国として閣僚会議を開きます。このグループは、カナダの前外相をはじめとして、人間の安全保障を担保するには、場合によっては武力行使も含めた人道的介入を行っていくべきだと考えています。一方、日本の人間の安全保障の概念は、開発の側面を含めた、包括的な概念として提唱されていますが、日本が初めてその考えを強く打ち出した時には、既にヒューマン・セキュリティー・ネットワークの活動がかなり活発になっていたので、内政干渉につながるとの批判も受けました。最近は日本の主張も理解を得られるようになっており、だからこそ今回、人間の安全保障委員会を設立して、その概念の普及に努めようとしています。その最終報告書がこの2月末に提出されましたが、その内容は紛争の解決のみならず、開発・健康・教育といった分野も含めたことが記載されており、包括的な概念として人間の安全保障を考えてゆくという日本の考えが世界に受け入れられていることがわかります。その報告書を受けて、私たちはそういった包括的な概念として、人間の安全保障の概念を国際社会の中で広めていきたいと思っています。

藤田:日本の考え方に近くなってきているというのは、委員会共同議長のお一人が日本人である緒方貞子さんであり、緒方さんのこれまでの活動が、国連難民高等弁務官などを通じて、武力行使などを行わない、平和的な人間の安全保障のアプローチに近かったということと関係があるのですか?

伊藤:それは必ずしもそうとは言えません。今回の報告書を作るにあたっても、緒方、アマルティア・セン両氏が共同議長を務められ、お二人は役割分担をなさっています。緒方さんは、むしろ紛争に関係する部分のとりまとめを担当され、センさんが、ノーベル経済学賞受賞で知られる経済学者であることもあって、貧困・教育・保健に関する部分をとりまとめられました。したがって、緒方さんがおられたからということではなく、全体の議論の中で包括的な概念が出来上がってきたと理解しています。


国際社会協力部国連行政課 伊藤秀樹 課長
国際社会協力部国連行政課
伊藤秀樹 課長
藤田:武力介入との関連という点では、カナダの前外相がおっしゃった、武力介入もいとわずという姿勢は、現段階ではあまり強調されないように思えるのですが、委員会のメンバーのコンセンサスというのはどのようにとられたわけですか?

伊藤:これは、人間の安全保障というのがそもそも何なのかという話に関連してきます。これまでの国際社会の仕組というのは、国家の安全保障というのを基本にして成り立っていたわけです。ところが、現状を見てみますと、その国家の安全保障というものだけで、事足りているのかというと、もちろん国家の安全保障を基本にするというのは今後も変わらないことではありますが、それだけでは十分ではない。紛争ひとつとっても、昔は二つの超大国が対立して、その対立の代理戦争としての国家間の戦争というのが紛争の基本パターンだった。それが冷戦後は、国家間ではなく、国家内での宗教・人種をめぐる対立による内戦が、ほとんどの紛争のパターンになった。その中で生まれてきているのが、国家内で中央政府から迫害された国内避難民、国境を越える難民といった人々です。これらに対する対策は、従来の難民条約などでは十分ではなく、国家がその人たちを保護するにも、どの国が保護するのかという問題点がある。かといって、彼らを放っておく訳にはいかず、国際社会として彼らの安全を確保してあげなければならないわけです。
 また、最近何かにつけて言われる、グローバリゼーションの中で、世界の中で、人・金・モノ・情報が大量に同時に移動するようになりました。その中で、昔などでは考えられなかった、病原菌の大陸を超える移動というのが簡単に起こってしまう。そうすると、その対策も、国ごと縦割りで担うのではなく、まさにグローバルに国際社会全体でやらなければならないわけです。
 さらには、国自体が人々の安全を脅かしている場合、または、国家の体をなしていないような地域である場合には、国家がそこの住民を守るということができないわけです。 こういった状況を鑑みれば、従来の国家の安全保障の概念だけでは対応しきれない部分があって、それに対して別のアプローチをしていかなくてはならない、ということで出てきたのが人間の安全保障だったわけです。国というフィルターを通すのではなく、現にそこに困っている人たちがいる、ならば彼らの目線に立って、彼らに対して力づけをしていく(empowerment)といったことが重要になってくるわけです。
 ここで、武力介入との関連ですが、ある人々が属する国家の意向に反しても、その人たちを助けなければならない、という場合、その国の領域主権を侵してでもやらないといけないのか、という究極の選択というのはありえると思います。しかしそれは、あくまで最終段階の、特異な例であって、そこにいくまでに、人間の安全保障というアプローチでできることはたくさんあると考えます。

藤田:それが経済援助であるとか、難民保護であるわけですね。

伊藤:そうです。ただ、そういったことは、今までもやってきているわけで、それ自体が特別新しいことではないんですね。人間の安全保障という概念を持ち出すことでこれまでと何が変わるのかというと、これまでやってきたことを否定するのではなく、むしろ補強しながら、かつ、目線の設定の仕方を変えて、国家というものを通してトップダウン方式で経済援助や難民保護をすることに加え、ボトムアップというべきか、現地の人たちの目線で草の根レベルからやるということなのです。

藤田:そういう方式は、従来は、NGOや企業がとってきたことではないのですか?

伊藤:そうです。そういうやりかたをとる以上、現地政府との関係とともに、現地のNGO、企業、地方政府との連携強化を図っていかなければならないと思います。

藤田:そのような考えに支えられた人間の安全保障は、従来の国家の安全保障と対立するところはありませんか?

伊藤:対立するというより、むしろ、国家の安全保障で対応しきれない部分を人間の安全保障が担う、相互補完的なものだと考えています。

藤田:一部から、人間の安全保障は、大国が小国に自己の論理を押し付けている、実はそれはテロなどを防ぐための非常に政治的な意図が働いている、という批判がありますが、それにはどう応えていかれますか?

伊藤:日本の場合は、自己の論理を強要するという意思は全くありません。日本は、1998年に人間の安全保障基金というものを創設したわけですが、それでどういうことをやっているかというと、例えば、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)のプロジェクトで、現地の人に自治会のようなものを開いてもらい、そこで何をしてほしいか決めてもらう、というのがあります。そして、そのプランに見合ったお金を基金から提供して、やってほしいことを実現するわけです。ここで重要なのは、彼らの要求を実現させるということより、そのプロセスなのです。住民が集まって、自分たちで、何を望むのかということを議論する、その過程で、住民意識というのが生まれてくることです。支援する側ではなく、住民自身が決めるということが重要なのです。


インタビュー
藤田:「安全保障」ということなのですから、「誰を」「誰が」「何から」「どうやって」守るのかということを明確にしなければならないわけですが、人間の安全保障が理解しにくい原因のひとつとして、「安全」というのは、何を言うのか、つまり、何が達成されることを目的としているのかが不明確であるということが挙げられると思いますが、この点はいかがですか?

伊藤:セキュリティではなく、セイフティではないのか?といわれることがあるのですが、結局日本語ではどちらも安全ということになってしまうんです。敢えて言えば、前者は物理的な意味での安全、それを確保できる状態を言うと思うのですが、人間の安全保障というのは、それだけでなく、あらゆる脅威から逃れ、自分が自分の人生に対して選択肢を持ち、その中から自己意思で選んで自己実現をしていける、尊厳を持って生きていける状況まで含めて言うのだと考えています。

藤田:では具体的に、それを達成するために何をするのかを教えてください。脅威を、紛争とそれ以外とに分けて教えていただきたいと思います。

伊藤:紛争に関連した人間の安全保障というのは、実際に戦争をやっているその場所で適用する概念ではなく、紛争が終わったあとに、どうやって国づくりを行っていくかという問題です。そこに生きる人たちのレベルで何が必要か、ということを考えていく話であって、例えば今のアフガニスタンなどに適用できると思います。教育面など考えても、基礎教育を徹底せよ、というこれまで何度となく言われてきたことだけでなく、その内容面に重点をおく、そこで文化・価値観の多様性を尊重し受け入れるような教育をと言われているわけです。そのことによって、将来紛争が起こることを未然に防ぐ力になると考えています。

藤田:一般民衆のみならず、紛争状態では、それを戦った兵士がいるはずですが、その人たちへの保護・強化はどのように行われるのですか?

伊藤:紛争後、兵士の方たちに対して職業訓練を行います。そうすることによって、訓練で手に職をつけた人たちが、街づくりに従事することで、彼らも生計を立てることが出来、紛争も再燃せずにコミュニティも再建されるというように、利点が多いわけです。
 紛争以外の脅威に関連して言いますと、経済成長を促進させ、ソーシャル・セーフティ・ネットを構築して、アジアの経済危機の時のようなことが起こらないようにする、保健システムを、各地域に根ざした形で作る、新薬へのアクセスを容易にする、といったようなシステムを作ることが挙げられると思います。

藤田:では、日本としてはどのようなことをしていますか?そこに日本の独自性はあるのですか?

伊藤:まずは経済協力です。平成14年度は草の根無償資金協力として、100億円の予算が組まれていましたが、平成15年度予算においては、人間の安全保障の概念を取り入れて、草の根・人間の安全保障無償という形で、全体で約150億円にまで拡充しています。人間の安全保障基金とともに、こういった道具を使って、二国間・多国間双方で、現地での人間の安全保障推進に役立つプロジェクトを実施しています。
 また、人間の安全保障という考え方を国際社会の中に広めてゆくことのイニシアチブをとっていくことが挙げられます。最終的には人間の安全保障という考え方が、当然のこととして受け止められるようになる、それを目指すべきだと考えています。

藤田:一部の国は、考え方には妥当性があっても、やり方の面で、それは内政干渉だとして受け入れないことも考えられると思いますが、そういった状況はどのように解決してゆくのですか?

伊藤:それは人道的介入の話ともつながってきますが、人間の安全保障は確かに場合によっては相手国の考え方に矛盾することもあり得ますが、しかし相手の考え方をむりやり押し切ってまで推進するということは、非常に極端な事例であると考えられます。

藤田:日本が、人間の安全保障という概念を積極的に打ち出していくことは、日本の国益にはどのようにかかわってくるとお考えですか?

伊藤:バブル崩壊以降、日本の経済状況が悪くなってくると、日本の国民の中から、日本の国内のことを後回しにして海外の援助をするのかというODA批判がくるわけですが、だからといって日本が諸外国への経済援助をなしにすることが日本の国益につながるとは思えません。資源のない日本にとって、資源を外国から輸入し、それを製品にして付加価値をつけて売ると、いうやり方以外には考えられないわけで、日本は、さまざまな地域と、自由に交易ができるという体制が不可欠なわけです。それを担保するためには、世界が平和であることが望ましいわけで、それを実現するための手段として、つまり長い目で見た国益につながると考えるから経済援助をやっているわけです。すぐに成果が出るものではないかもしれないけれど、息長くやっていかなければならないと考えています。


インタビュー
藤田:考え方を広めていくというのは、国内にも広めなければならないわけですが、日本の国民にはいまだそれほどの関心がないように思えます。それはどのように克服していかれますか?

伊藤:まずはメディアを活用し、また、緒方さんにもさまざまなメディアを通じて発信していただくことが良いと思います。

藤田:日本が人間の安全保障を打ち出していくことは、軍事的な協力を何もしないことの免罪符となっている、という批判に対してはどのようにお答えになりますか?

伊藤:実際に国内からそういう批判は出ているのでしょうか。いずれにせよ、人間の安全保障というのを打ち出すからといって、軍事的協力をしないということでは全くありません。一口に軍事的と言っても何を意味するのかということになりますが、日本国憲法の中で許されている範囲、または日本国民のコンセンサスが得られる範囲内で、やろうと決まったことについては、積極的にやるべきです。何かにつけて憲法の制約という論を振り回すのは、憲法を隠れ蓑にして、できることもやらないという、間違った方法です。できることとできないことを国内のコンセンサスをとってはっきりさせるべきで、そういう意味で、自衛隊を使った国際協力というのは積極的にやるべきで、そのことと人間の安全保障を推進することとは矛盾することではないと考えます。

藤田:日本としては今後、外交戦略の中に、人間の安全保障をどのように位置付けていかれますか?

伊藤:日本が経済面での出資だけで、ソフト面(知識・技術など)での協力をこれまであまり行ってこなかったことは、近年批判されており、ソフトの面で日本がどうやってイニシアチブをとっていけるかが問われている時代だと思うので、その一環として、人間の安全保障を推進していきたいと思います。

藤田:現在人間の安全保障といえば、全地球的な取り組みで推進されていますが、それでは価値観がなかなか共有されにくいという印象を受けます。地域的な取り組みで行った方が、具体的に何を解決するかというレベルでも価値観が共有されやすいと思いますが、そういう取り組みはされていないのですか?

伊藤:それはどうでしょうか。地域的なレベルと言ったときに、何をもってそういうのかという定義の問題もありますが、例えば東アジアなどと言ったときには、東アジアほど価値観が多様な地域はほかにない、それを考えれば、地域的に近接しているからこの考えが受け入れられやすいということでもないのではないかと考えます。そこで、国際社会の中で、意識を同じくする人たちと集まりながら、徐々に理解を深め、広めていくというやり方を根気強くやっていく以外に仕方がないのかという気がしています。

【インタビューを終えて】
 これまで曖昧だった人間の安全保障概念が、少し明確になりました。日本がそれを自国の外交戦略上、強く打ち出していくことの意義は、従来型の国家の安全保障と人間の安全保障が補完しあう概念である、ということと絡めて考えれば、より、日本の独自性が打ち出され、日本の、国家としての役割が浮き彫りになると考えます。(藤田)



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