人間の尊厳を求めて
「児童のトラフィッキング」撲滅に向けた日本の闘い
総合外交政策局国際社会協力部人権人道課 泉 裕泰 課長に聞く
収録:平成15年1月31日
貧困や国際犯罪組織の活動を背景とする「トラフィッキング」は、主に弱い立場にある途上国の女性や児童がその被害者であり、仮にその窮状から救出されたとしても、身体と共に心の傷を負い、また世間から差別を受けるなど、その人達の社会復帰には大きな困難を伴う。国際社会はこの暗黒の世界に光を差し込ませ、新たな国際規範を作り出すために動き始めた。今回は総合外交政策局国際社会協力部 泉 裕泰 人権人道課長に「人のトラフィッキング」、中でも深刻である「児童のトラフィッキング」の実態、及び撲滅に向けた我が国の取り組みについてお伺いした。(高木)
高木:世界では児童が過酷な労働に従事させられている惨状を報道を通して見聞いたします。泉課長はそうした現場に足を運ばれ対策を講じられる努力をされていると思います。まずは、そうした現状を紹介して頂けたらと思います。
泉:高木さんはサッカーお好きですよね。あのサッカーボール。世界生産の実に60%がパキスタン製であると言われています。パキスタンにシアルコットという街がありましてサッカーボール生産で有名なのですが、実はかつてそこの殆どの工場では子どもが「児童労働」でボールを作っていました。サッカーボールのうち高級品と言われるものは手縫い製で、子どもの手のひらの大きさが作業に適しているため、太い針で一日中かけて縫うものですから作業が終わる頃には子どもの手は真っ赤に腫れ上がってしまいます。先般開かれましたサッカーワールドカップでは児童労働によるボールは使わないように国連児童基金(UNICEF)などと合意しました。これは身近な例なのですが、子どもたちが過酷な条件の下で労働することが「児童のトラッフィキング」の結果としてある訳です。また、カンボジアのストリートチルドレンの中には大人の買春の犠牲になったり、中には子どもの臓器の方が移植しやすいという事から臓器摘出の犠牲になる子どももいると言われています。
高木:なるほど。ところで、すでに出てきました「児童のトラフィッキング」という言葉ですが、「トラフィッキング」とは一般には「密輸」と訳されます。しかし、耳慣れない言葉で、国際的定義が確立していない言葉だと思います。そこで、外務省ではどのような定義をしていらっしゃいますか。
泉:「児童のトラフィッキング」(以下、トラフィッキング)の定義はいくつかあるのですが、代表的なものは「搾取の目的で、暴力若しくはその他の形態の強制力による脅迫若しくはこれらの行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収受すること」(『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書』より)と定義されます。大変難しい規定ですが、要するに「ポルノ・強制労働・臓器」の搾取の目的での「児童の人身取引」と言えると思います。
高木:「児童の人身取引」と言いますと「ポルノ・強制労働」は想像がつき易い項目ですが、「臓器搾取」は驚く内容に思えます。これは殺人なのでしょうか。
泉:実は臓器搾取に関してはまったくの闇の世界で、実態は掴めていないのですが、世界で行われている臓器移植の中に子どもから搾取された臓器が含まれている可能性についてはしばしば耳にするところです。被害に遭った子どもたちがどうなったかはまったく判らないでいます。
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総合外交政策局
国際社会協力部人権人道課
泉 裕泰 課長 |
高木:とても恐ろしい話ですね。国際社会が取り組まなければならない問題に思えます。では、「児童のトラフィッキング」を「ポルノ・強制労働・臓器の搾取の目的での児童の人身密輸」と狭めて考えますと、その問題・原因は生活風習や環境と様々だと思いますが、いずれの場合でも貧困が大きな要素を占めていると考えられます。貧困撲滅のために政府としてはどのような取り組みをしているのでしょうか。特にトラフィッキング防止に直接的なり間接的に関わる援助の実態について示して頂きたく思います。
泉:おっしゃるとおり、トラフィッキングには様々な原因があります。都会への就職を斡旋した親類に騙されて売られてしまったり、家庭崩壊によってストリートチルドレンになり売買されてしまったり、中には反政府軍が子どもを誘拐し兵力に投入するなど、搾取される子どもの形態に応じて色々な原因・理由があると思います。確かに、その根幹である貧困対策は必要なのですが、これは政府開発援助(ODA)に任せるとして、私は外務省国際社会協力部におりますので、今考えています2つの重要なことを示したいと思います。まずは、非政府組織(NGO)との連携です。NGOと言いましても草の根で活動しているNGOです。例えば、タイとカンボジアの国境においてトラフィックされた子どもたちのシェルター(保護施設)を作り保護しているNGOがあります。こうしたNGOは規模は小さいのですが、本当に精力的に活動しています。そのような国境を越えたNGO間での連携協力のネットワークを作っていく事が大切だと思います。そのためにこうしたNGOが交流できる場を作っていきたいと考えています。次に重要なのは、トラッフィッキングを取り締まる機関の充実です。各国の入国管理局・警察などの機関の相互連携によって犯罪に対抗する国際的な協力の輪を作っていくことが大切だと思います。
高木:おっしゃるとおりですね。そうした相互協力は有効な手立てだと感じます。それでは日本に眼を向けてみますと、トラフィッキングに対処する機関が外務省・法務省・警察庁と多岐に分かれていますが、これは能率的と言えるのでしょうか。
泉:日本が関わるトラフィッキングにおいては、日本に入ってくる場合と、日本人が介在する場合、日本人が海外で関わっている場合とがあると思うのですが、「取り締まる」専権的な機関としましては警察庁があると言えます。『児童買春・児童ポルノ禁止法』(1999年5月18日制定)が議員立法で出来ていますが、ポルノに関して言えば、国内犯に加え国外犯も処罰の対象になっていますから日本人が海外で犯した罪も日本の警察が取り締まることが出来ます。外務省としましては「取り締まる機関」ではありませんから、外国での情報収集やNGOとの連携、草の根無償を通じた支援、そして各国の法執行担当官のキャパシティービルディング支援などが挙げられます。2月には外務省がUNICEFと共催して東南アジアの国々のNGOを対象とした『トラッフィッキングセミナー』を東京で開き、国境で活動するNGOの連携を深める機会を提供する予定です。(実施済:出席したNGOからはこのようなセミナーを継続して開催して欲しいとの声があった。)
高木:なるほど。ところで、報道などを見ていますと日本で保護されたトラフィッキングの被害者も「不法入国者」と一纏まりにされてしまうように思えますが、そうした人々に対する配慮はどのように取り組んでいらっしゃいますか。
泉:それは非常に大切なご指摘です。我々は「発想の転換」を図っていかなければなりません。2001年12月の『第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議』(通称、『横浜会議』。日本政府、UNICEF、国際NGOのECPATインターナショナル及び児童の権利条約NGOグループの共催で136ヶ国の政府、海外から148のNGO、日本からは135のNGO及び23の国際機関など、総計3050人が参加)において『横浜コミットメント』を発表し性的搾取の犠牲者になる子どもはあくまでも犠牲者として扱われるべきであり犯罪者として扱われてはならないことを確認しました。
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高木:もう一つ重要なことは本国送還後の被害者の社会復帰、精神的ケアーなどが挙げられると考えますが被害者が本国に送還された後は日本政府・外務省は具体的にどのような関与をしていらっしゃいますか。
泉:おっしゃるとおり、ただ単に保護し本国に帰せば良いとは言えません。これは是非やっていきたい今後の重要な課題です。現に、売春・買春の罠から解き放たれ本国送還になったトラフィッキングの被害者が、またトラフィッキングされてしまうケースが報告されています。これを防止するために家族や地域社会のコミュニティーとの再統合を行う必要があります。あるいは、トラフィックされて性的搾取をされた被害者には性病やエイズの問題、麻薬中毒問題もありますから、しっかり対処していきたいです。我が国の支援の一例では、『人間の安全保障基金』を通じた支援プロジェクト、犠牲者への医療サービス、シェルターの提供、職業訓練、基礎教育等を実施していますが、トラフィッキングの問題については、これを予防、保護とリハビリ、社会や家族との再統合、犯罪者の訴追といった大きなサイクルの中でとらえ、有機的連関を持った対策を練っていくべきだと思います。
高木:とても大切なプロジェクトだと思いますが、日本政府に出来るのはやはり資金を中心にした援助だけでしょうか。
泉:もちろん資金だけでありません。先程、フィールドのNGOの連携のための場の提供ということを言いました。地域の事情を最もよく知る国際機関やNGOと連携してプロジェクトを遂行していくことは重要だと考えます。例えば、カンボジアのごみの山にスラムを形成し生活している貧困地域に、週に一回消毒をしに行くNGOがいますが、そのNGOは住民から大変感謝されています。そうした地域需要に即した活動をする組織を応援することは大切だと思います。我々外務省は、他国やUNICEFと情報交換の上、現場で何が一番求められているのかを理解し、協力していきたいと考えています。
高木:各国との連携という話が出てきていますが、例えば1995年6月のハリファックス・サミットで設置が決定された『リヨン・グループ』は国際組織犯罪対策について幅広い議論を行ってきており、また、その下に設置した小委員会において人の密輸に関する『原則と行動計画』を策定しました。これらは1999年10月のモスクワでの『G8司法・内務閣僚級会合』で『人の密輸と闘うための原則と行動計画』として承認されました。これら一連の流れは国際社会、特に先進国がトラフィッキングや人権問題に本腰を入れてきた現れでしょう。その中で日本の人権問題に対する取り組みは欧米の先進国に比べ優れているのでしょうか。
泉:先進国、特に欧州は人権問題に対する取り組みは素晴らしく、先ほど申し上げたNGOとの連携協力は我々が羨むぐらい良好ですから、今後見習うべき点は多いと思います。しかし、日本としても、アジアの実情として理解があるのですから、議論の余地はもっとあるはずです。
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高木:なるほど。また、国連でも1998年12月の国連総会決議に基づきアド・ホック委員会を設置し、包括的な国際組織犯罪対策を目的とする『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約』(日本署名済み) が2000年11月に採択されました。加えて同条約の補足議定書の一つにはトラフィッキング防止を目的とした『人身取引議定書』があります。これらは、トラフィッキング対策にどれくらいの効力を発揮すると考えていらっしゃいますか。
泉:現在、『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約』締結に向けて関係省庁と共に検討しています。また、『人身取引議定書』はトラフィッキング防止を目的とする初の普遍的な国際条約です。トラフィッキングを効果的に防止するためには、犯罪が実際に実行される前に取り締まったり、犯罪組織集団自体を弱体化させることが大切です。同条約は、犯罪資金の洗浄を阻止するのが可能です。そのためにも、より多くの国が条約を締結し発効させることが重要になります。
高木:そう期待したいですね。また、それらに加え国連との連携によってイニシアティブを取ることも大切な事だと考えます。例えばこのような組織犯罪には国連人権高等弁務官事務所(UNHCHR)、国連犯罪防止刑事司法委員会(経済社会理事会の一機関)などの機関がありますが連携はどうなのでしょうか。
泉:連携は密にしていく必要があります。それ以外でも国連麻薬統制委員会(UNDCP)やUNICEFなどとも連携していくことは不可欠だと思います。特に、外務省では国連の機関でも現地で活動している機関との連携を強めていこうと考えています。
高木:そうしますと、国際刑事裁判所(ICC)の働きは重要ですね。ICCの『国際刑事裁判所規程』(ローマ規程)の中にトラフィッキングに関する項目があり、犯罪者を国際法廷に引き出して裁断するという点から見ても、国際的にトラフィッキングを防止するのに有効と考えます。また、トラフィッキングは主に途上国で起こるものの、そこでは法整備などが整っていないため公平な裁判や処罰ができないと思います。日本は『ローマ規程』に署名していませんが、トラフィッキングの被害国の多くは批准や署名をしているため、ICCに訴える権利を有しています。この点、どのように考えていらっしゃいますか。
泉:確かにICCは大変興味深い機関ですので、トラフィッキング対策の観点からも強い関心を持って注目しています。
高木:是非、注目して頂きたく思います。本日はありがとうございました。
泉:こちらこそ、ありがとうございました。
【インタビューを終えて】
「現代版奴隷制度」と称される「児童のトラフィッキング」の実態は眼をそむけたくなるような残虐性に満ちている。特に、いたいけで何も抵抗できない子ども達がその犯罪に巻き込まれる悲劇は経済大国として何不自由ない生活をしている我々日本国民には想像できない惨状であろう。しかし、残念ながら一部の邦人犯罪者によって我が国はこのトラフィッキングの加害国との汚名を背負っている。現地視察によってトラフィッキングを調査した泉課長は「ひどい怒りを覚えた」と回想する。我が国が国際的イニシアティブをとる『人間の安全保障』が確立される日まで日本政府と正義感に満ちた外交官の闘いは続く。(高木)
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