「ドーハ開発アジェンダ~WTO新ラウンドと国際経済の趨勢~」
経済局国際機関第一課 緒方林太郎課長補佐に聞く
収録:平成14年12月17日
日・シンガポール新時代経済連携協定の締結を皮切りに、日本でも自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)に象徴される地域経済統合(REI:Regional Economic Integration)の実現が本格化しつつある。こうしたバイラテラルな貿易自由化の一方で、従来型の世界貿易機構 (WTO:World Trade Organization) を通じたマルチラテラルな貿易自由化も、新ラウンド「ドーハ開発アジェンダ」を通じて推進されている。バイの貿易自由化とマルチの貿易自由化の双方を視野に入れ、今後の国際経済の趨勢について、経済局国際機関第一課の緒方氏に話を伺った。(篠崎)
篠崎:新ラウンドの特徴を簡潔に述べるとどうなりますか?
緒方:これまでのラウンドの展開を見ていくと、1960年代には関税引き下げ交渉が中心でしたが、70年代の東京ラウンドでは非関税障壁についても取り上げられ始め、80年代後半から90年代前半のウルグアイ・ラウンドでは農業、サービス、知的所有権、紛争処理と質的にも、量的にも非常に幅広いテーマを扱うようになってきたというのが歴史的な経緯です。
現在、行われている交渉は「ドーハ開発アジェンダ(Doha Development Agenda)(注:ドーハは2001年11月に行われたWTO第4回閣僚会議の開催国カタルの首都)」と呼ばれています。今回の交渉でも更なる自由化、ルールの強化、環境、投資といった新しい分野への対応等、多くのイシューが取り扱われていますが、最大の特徴は「開発」の視点を全面に打ち出し、途上国の利益への考慮が重要であることを明らかにした点です。こういう動きの背景には、これまでのラウンドの結果に対する途上国の不満があります。関税引き下げ等の自由化、ルールの強化による自由で公正な貿易拡大が途上国を含む世界全体の便益を拡大すると言われていたのに、ウルグアイ・ラウンド合意実施の過程で、合意履行能力等の関係から大きな困難に直面し、本来、得られるはずであった利益が得られていないという感情を途上国は有しています。途上国は、今回の交渉に臨むためには技術支援、ルールの改正等を通じた様々な途上国優遇措置が必要であるといった主張を行っており、先進国側がこれらの主張に対して何らかの前向きな対応を示さなくてはならないのが現状です。
私はそろそろ入省10年目になりますが、入省時にも現在と同じ課に配属され、WTO誕生を側面から見る機会を得ました。非常に雑な言い方になりますが、当時の交渉では、主たる議題ではいわゆる「四極」と言われる日、加、EU、アメリカで合意の枠組を構成し、それをマルチの枠組みに流し込んでいくことで全体のルール形成が行われたということがしばしばあったものです。しかし、上記で説明したような途上国に対する手厚い配慮なしには交渉が動かない状況は、10年前の私の経験に照らしても全く違います。これが同じ国際機関であろうかというぐらいに違います。
WTOの意思決定は加盟国・地域のコンセンサスで行われます。現在、WTO加盟国・地域は144ありますが、その中で途上国の割合はどのぐらいだと思いますか? WTOでは、途上国のステータスは自己申告で、自国・地域が途上国だと申告している国はおよそ100です。コンセンサスによって意思決定がなされる機関で、100ヶ国・地域がそっぽを向くと、もはやコンセンサスなどあり得ないのです。途上国がそういう自分達の力に気付き、途上国全体として発言するようになった以上、先進国は、かつてのスタイルでは交渉を進めていくことは出来ないのです。その結実が「ドーハ開発アジェンダ」という「開発」を強調した名前自体に表れているということだと思います。
篠崎:WTOを通じたマルチラテラルな貿易自由化とFTAを通じたバイラテラルな貿易自由化、両者の整合性はどのように図るのですか?
緒方:法的な面から話をすると、WTOは地域貿易協定(RTA:Regional Trade Agreement)、つまり関税同盟と自由貿易協定を、GATT第24条で規定しています。簡単に言えば、関税その他の制限的通商規則を実質上、全ての貿易について廃止することによって、協定を締結した国・地域内の貿易自由化を図りましょうということです。自由貿易協定の例としては北米自由貿易協定(NAFTA)や日・シンガポール新時代経済連携協定が挙げられ、共通関税制度を採用するところまで統合の進んだ関税同盟の例としては欧州連合があります。GATT起草者の意図としては、地域貿易協定の締結国・地域間で貿易を実質的に自由化するところまで経済の統合が進むのであれば、GATT1条で規定されている最恵国待遇の例外を認めましょうということだと思います。
そういう中で、現在のFTAが伸びてきている趨勢をどう捉えるかということですが、FTAをWTOの例外と捉えるか、FTAをWTOと並列したものと捉えるかという議論は理論的には面白いのでしょうが、実体的に何処まで意味があるのか、個人的には疑問があります。WTOとFTAはそれぞれ一長一短があると思います。関税等の貿易障壁を実質上、撤廃して、その結果として、地域貿易協定に加盟している国・地域の間で貿易が活性化されることはそれらの加盟国・地域にとっても大きな利益をもたらします。しかし、世界全体から見ると、最恵国待遇や内国民待遇といったGATT/WTOの原則を崩すような形でFTAが進んでいくことは決して正しくないでしょう。GATT/WTO体制が培ってきた最も重要なポイントは最恵国待遇や内国民待遇だと思います。これらの規定により、全ての国に自由化の利益が等しく行き渡るという効果を確保できるからです。もし、これらの規定がなければ、貿易に関する権利・義務関係が著しく複雑になり、貿易歪曲効果が生じるでしょう。そういう貿易歪曲効果を防ぐ観点から、上記で述べたようにGATT第24条では厳しい要件を設けているのです。
勿論、2国間で貿易障壁をゼロにすることによる富の創出効果は奨励されることですし、それを追求することは、日本にとっても利益に叶うことです。その一方で、底辺には健全なGATT/WTOの精神が流れているべきです。そうでなければ中・長期的に見たときに、世界全体の利益を拡大するものにはならないでしょう。そういうことを考えると、無制限にFTAが進むことが正しいかというと決してそうじゃない。健全なマルチがあってこそのFTAだと思います。
もう一つ言えるのは、WTOとFTAの役割の違いです。FTAはWTO+αを達成するための手段と位置付けることも出来ます。WTOのようなマルチの枠組みで、これまで十分に取り込めなかったような、基準認証、原産地規則、貿易円滑化(税関措置の円滑化)、投資のような分野で、FTA締結国・地域間に特有のルールを作ることが出来るでしょう。また、場合によっては、将来のWTOでの議論をリードするような刷新的なルールをFTAで実現して、それをWTOの枠組みに流し込んでいく端緒とすることが出来るかもしれません。逆に、一部のルール、例えば、農業の輸出補助金では「二国間で決めて、輸出補助金を撤廃しましょう」と決めても、世界全体でそれを実現しない限り何の意味もありません。FTAで出来ることと、マルチでやらなくては意味のないもの、それぞれの役割があるわけで、このような視点からは、どちらが良いということではないと思います。「健全なWTOの中でのGATT/WTO整合的なFTA」という大前提の下で役割分担を考えるということではないでしょうか。時に散見される「WTOか、FTAか?」という二者択一の議論はあまり生産的な結果を生み出さないと思います。FTAのみで貿易の自由化を図っていけば足りるというふうに流されていくのはあまりに軽薄に過ぎると思いますし、一方で、マルチのWTOだけがあれば世界貿易は安泰と過度にマルチを信奉するのも現代社会にそぐわないのではないかと思います。
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篠崎:迅速なFTA交渉とは対照的に、機動性に乏しいWTOが事実上形骸化する恐れはありませんか?
緒方:そのことは、WTOに携わる我々が常に懸念していることです。我々が切実な思いをもって「ドーハ開発アジェンダ」の交渉に取り組む理由がそこにあります。実際に、今のラウンドが成功裏に終わらなかったらどうなるか。世界全体の世論が「一生懸命議論したのに意見のギャップは大きかった。マルチでの利益実現を待つのでなく、自分達はWTOを捨ててFTAのみを推進しよう。」というような風潮が生まれ始めることは非常に危険なことだと思っています。まず、最恵国待遇と内国民待遇による利益の均準化を通じた世界全体の便益改善という世界貿易の土台が崩れ去るというシナリオが容易に想像されます。もっと具体的に言えば、関税率の水準については、今は最恵国待遇で譲許されていますが、そうした透明性や予測可能性が失われてしまえば、世界の貿易秩序が大きく攪乱されてしまいます。ルールなき各国の恣意的な判断によって、貿易秩序が操作され、中・長期的に貿易が阻害されるといった懸念を我々は強く抱いています。
1930年代と現在を単純に比較することは出来ませんが、FTAだけが推進されるような社会の論理的な帰結はブロック経済化ということになるでしょう。ブロック経済化が何をもたらしたか、また、その反省に基づいて、GATTが創設されたということに我々は今一度、思いを馳せる必要があるのではないでしょうか。
だから、我々は今の交渉を成功に導いて、WTOでの利益の実現に懸念を抱きかねない国、特に一部の途上国に対して、WTOは世界の全ての国に利益をもたらすものなのだという成果を見せなくてはなりません。WTOとFTAが二人三脚で進んでいけることをきちんと説明し、利益を実感できるようにしないと、世界の貿易秩序が収斂の方向ではなく、拡散の方向に向かっていく力が働きかねないのです。
たしかに、FTAよりWTOの方が時間が掛かるというのは真実のある一面をついていると思います。そうであるからこそ、今の「ドーハ開発アジェンダ」は2002年1月1日に開始し、2005年1月1日までの3年間で終結させるという非常に野心的な日程を設定しています。東京ラウンド、ウルグアイ・ラウンドも実際には7年近くかかったことを考えれば、これは本当に野心的で、かつ、交渉担当官には厳しい時間設定だと思います。しかし、流れの速い世界の中で7年は待つことは出来ないでしょう。だからこそ、先のドーハでの第4回閣僚会議で、加盟国・地域は閣僚レベルで、3年で交渉を終わらせるという強い意思表示をしたのです。
今年9月にはメキシコのカンクンで第5回閣僚会議が開催されます。事実上の交渉の折り返し地点ということになります。第5回閣僚会議で、残り1年半弱の交渉に向けた弾みを付けて、残りの期間で交渉を終結させなくてはならないと、ジュネーブでは皆がそう思いながら交渉に臨んでいるのです。
勿論、交渉が成功裏に終わったとしても、全ての加盟国・地域が完全に満足するような結果が得られることはありません。マルチの交渉では相手が多数に亘りますから、どうしても譲歩、妥協の技が要求される局面が出てきます。交渉全体を見据えながら、利益の均衡が図れるように、日本全体として決断をする時がいずれ来るでしょう。その時に、大国である日本は、自分の利益を確保することのみに腐心するだけでなく、責任ある立場からどう交渉を纏めていくことが出来るかが課題でしょうね。
篠崎:日本が貿易自由化を推進する上で農業問題は切り離せない問題ですが、2004年の末までに日本政府の方針としてアジェンダを作ることは可能でしょうか?
緒方:農業交渉において、日本は食料純輸入国という立場から交渉に臨んでいます。日本は殆ど、農産品の輸出がない食料純輸入国ですが、先進国にそういう国は殆どありません。
農業分野においては市場アクセス、国内助成、輸出補助金の3分野を軸に交渉が行われています。日本は漸進的な改革過程の下で、バランスの取れた柔軟性のあるルールが実現されるよう主張しています。あえて、簡単に日本の立場を纏めれば継続性、バランス、柔軟性という3つに集約出来ると思います。
食料純輸入国である日本にとっては、特に市場アクセスの分野が最重要課題になります。例えば、関税を急激かつ大幅に削減するとか、ミニマム・アクセスと言われる最小限の義務的な輸入機会の提供を一律に拡大するといったようなルールが交渉結果として採用されてしまうと、農業の国内生産に重大な影響が及びかねません。食料自給率が40%を切り、国内でも食料安全保障に対する問題意識が高まる中、国内生産を維持していけるように、柔軟性のある自由化ルールが実現されなくてはならないと、我が国は交渉で常に強く主張しています。
もとより、日本もドーハ閣僚宣言では「市場アクセスの実質的な改善」という目標自体にはコミットしています。しかし、これは米国や食料輸出国グループのケアンズ・グループが主張するような、関税を最終的にゼロにするとか、過去の経緯を無視した急激な関税引き下げを行うべきということにまでコミットしているかというと、そうではありません。大幅な保護措置の削減となると日本は受け入れられません。あくまでも、各国の農業の特性を十分に踏まえたような柔軟性あるルールが理想的だと考えています。
時に、食料輸出国を中心に、農業交渉において日本は積極的に参加していないといった故なき批判がなされることがあります。これは、偏に交渉によくあるレッテル貼りの作戦の一環という側面もあるので、ある程度、差し引いて考えた方が良い面もあります。実際、我が国は農業交渉では重要なプレイヤーとして、積極的に発言しています。「ドーハ開発アジェンダ」の関係で重要である途上国産品(特に後発開発途上国産品)に対する市場アクセスの改善についても、近年、途上国の主たる輸出産品である農産品に対する特恵関税供与を追加的に実施してきました。我が国の農業交渉に臨む姿勢は漸進的な改革を前提としたものであり、たしかに米、ケアンズ諸国のような急進的な要素は含んでいません。しかし、上記で述べたように、ドーハ閣僚宣言の枠内で出来る限りの取り組みをするための提案を行うと共に、途上国配慮の諸施策を講じてきています。このあたりは「改革」という文句から何を想定しているのかという基本的な考え方の違いと言えるでしょう。
我が国は、市場志向型の改革は行う、関税、補助金等による貿易歪曲性の是正も可能な範囲で行う、しかし、その一方で、国内生産の観点から重要な産品の生産は継続しなくてはならないという立場です。また、基本的な考え方として、農業には水源涵養、景観維持等、市場に還元できない役目があるなど正の外部効果もあるわけです。日本から農業が消えてしまう事態になると一体何が生じるか?食に対する不安、日本独自の風景の喪失等、失うものは農業だけではありません。農業を貿易の理論だけで切ってしまうのが良いのか、食料輸出国は我が国から農業が消え去ることを望んでいるのかといった問題意識を常に投げかけなくてはならないと思います。
更に述べると、我が国のポジションは「農業交渉は重要であるが、あくまで交渉全体の枠内で考えていくべき。」というものです。つまり、我が国は交渉全体に対して、非常に高い野心の度合いを有しており、農業の市場アクセス改善といった限られた分野だけでの議論に閉じこもることなく、投資、非農産品の市場アクセス、アンチ・ダンピングの規律強化といった分野で十分な利益を確保し、交渉全体で満足しなくてはならないと考えています。「ドーハ開発アジェンダ」の原則は一括受諾(シングル・アンダーテイキング)ですので、交渉は包括的でなくてはいけません。農産品のアクセスだけが確保できれば良いという国に対しては、「あなたのやっていることは間違っている」と言わなくてはなりません。日本はもっとグローバルに、バランスの取れた利益を追求しています。
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篠崎:国内農業問題に関して、外務省が果たすべき役割はありますか?
緒方:常に対外交渉と国内調整は表裏一体となっており、これを切り離して考えることは出来ません。もはや、外交交渉と国内問題を二分化して考えていくこと自体が適当でないと思います。国内調整は主に農林水産省が行っていますが、外務省は外交交渉の観点から、我が国が交渉で行う主張が国内にどう波及するかということを常に考えています。
外国に交渉に行くと、対外的側面だけでなく、国内への影響を含む全体を見据えた観点から、外務省がスポークスマン的な役割を果たす場面があります。農業交渉については外務省と農水省とが協調しながら各国と議論を進めており、農業交渉の個別のイシューや専門性の高い問題については農水省、各交渉の底辺を流れるような分野横断的な論点、若しくは、交渉全体を見据えた大局的な視点から議論するのは外務省の仕事です。
他の論点でもそうです。例えば、アンチ・ダンピングに関しては発動官庁である財務省や、国内産業との調整を行う経済産業省等、多くの官庁が関係してきます。しかし、交渉全体のあるべき姿を見据えて、農業がどうあるべきで、ルールがどうあるべきで、サービスがどうあるべきかを考えるのは外務省の役割です。この役割は外から見えにくいことがあるかも知れませんが、裏方として、交渉全体のコーディネーターとして、外務省は役割を果たしているわけです。
繰り返しになりますが、交渉はシングル・アンダーテイキングですから、グローバルな視点からの判断が不可欠です。一つの論点に偏った視点を持つことなく、交渉全体をコーディネートする役割が外務省に求められます。農業に限った話ではありませんが、各省庁の知見、国内の知見を集積しつつ、司令塔的な役割を果たすことが外務省に求められているわけです。今後こうした役割は大きくなることはあれ、小さくなることはないでしょう。
篠崎:近年、米国等によるアンチ・ダンピングが盛んですが、こうした現象はWTOレジームの限界を露呈するものではありませんか?
緒方:誤解がないように言うと、米国も自国の措置がWTO整合的であると主張しており、あくまでもその議論はWTOの枠内で行われています。WTO協定の解釈等で身勝手な振る舞いがあるのかもしれませんが、「WTOなど無視してしまえ」という立場をとっているわけではありません。米国の考え方におかしい点があるのなら、それは紛争解決機関の中で解決されていくべきであり、実際もそのような手続きが取られています。
今、出来ることは、例えば、米国の取るアンチ・ダンピング措置がWTO協定との関係で非整合的であると思われるときは、現在のパネルのルールを通じて、最大限解決を図ることだと思います。ただ、米国は立法府が自立的に相当強いので、是正措置実施のためには議会による国内法改正の動きが必要となるケース等では、より事情は複雑です。
篠崎:WTOに反対する反グローバリズム運動が盛んですが、WTO交渉とNGOを始めとする市民社会の関係をどのように認識されていますか?
緒方:一般論から言うと、市民社会と完全に切り離された形での外交交渉はないと思います。記憶に残っているかもしれませんが、1999年にシアトルで行われた第3回閣僚会議は新ラウンド立ち上げに失敗し、今でも苦い想い出としてWTO関係者の間で記憶されている会議でしたが、これはNGO等の影響力が会議の成否を左右したという一面もあったと思います。ただ、とある会合が成功裡に終わらない時は、様々な要素が絡み合っていることが多いのです。シアトルでも、会議が成功するための気運が低かったことや、成功のために必要な条件が欠けていたことがそもそもの原因だと思います。全ての国が賛成しているのに、反グローバリゼーションを標榜するNGOが反対していることのみによって、会合が失敗する事態は想像しにくいと思います。
反グローバリズムにしても、環境保護にしても、我々に聞こえてこない声、交渉の中では出てこない声を代弁しているというのがNGO等の特徴です。政府間の交渉では、必ずしも表に出てこない意見を取り込んでいく必要があるからこそ、対話をする必要性を感じています。出来るだけ、NGO、工業界、産業界等の意見を伺い、取り込める部分は取り込みたいという意識を持ち、外務省もNGO等との対話を行っています。今後も連携を密にする必要があるでしょう。WTOは加盟国・地域が主導する組織で、基本的にNGO等が会議に出席することはありませんが、だからと言って、NGO等を無視出来るほど現代社会は単純ではありません。そういう意味で、外務省はNGO等と共生の関係であり、この関係を維持、発展させていかなくてはならないと考えています。
ただ、誤解を恐れずに言えば、NGOにしても産業団体にしても、広範な「ドーハ開発アジェンダ」の交渉の中で、限られた側面にのみ関心を注ぎがちになります。しかし、交渉はシングル・アンダーテイキングですから、交渉全体を進展させ、妥結させていく過程で、時にNGO等が関心を有する個別の問題で譲歩しなくてはならないこともあります。そういう時に、仮にNGO等の問題意識が正当なものであったとしても、それを全て結果に反映させることが出来ないこともあるかもしれません。
外務省は多数意見、少数意見それぞれに耳を傾けつつ、日本政府全体として最善と考える立場を収斂させ、会議でプレゼンテーションしなければなりません。国内調整、外国との関係を見極めながら、何処に重点を置くかは日々の我々の課題です。常に政府の立場として、また、交渉を左右する重要なプレーヤーとして、何が最適かということを考えなければならないのです。NGOや産業団体の意見を集約して列挙するとそれが国益か、というとそうではないと思います。そういう中、特定の業界に利害を持たない外務省が調整役となり得るのであり、また、そうでなくてはならないと思います。
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篠崎:最後に、今後は従来型の「産業政策としての貿易自由化」よりもむしろ、相手国の貧困撲滅、経済環境の安定等を通じた「安全保障政策としての貿易自由化」が要請されるようになると思われます。こうした視点を外務省はどのように捉えていますか?
緒方:どこまで直接の関連があるかというと確信は持てませんが、貿易自由化を通じた経済環境の安定という視点はあるのだろうと思います。途上国において、貿易を通じ、国土全体の均衡な発展を図ることが、巡り巡って紛争予防に繋がるという点はあるでしょう。私自身もとある途上国に勤務していたことがあり、開発が国の紛争予防とリンクされていたのを目の当たりにしたことがあります。ただ、それを「安全保障政策」と呼んでよいのかは議論があると思いますが。
いずれにしても、途上国の貧困撲滅という観点から貿易自由化を捉えるのであれば正に同感です。最近のトレンドとして、援助、貿易、民間資金をうまくミックスして開発を進めるべきという考えがあります。やはり、援助だけでは自立出来ません。自立するためには、援助は援助として行いつつも、貿易活性化、投資誘致による開発がポイントになってきます。その観点から貿易自由化を位置付けることは可能だと思います。それがその国の安定に繋がるか?貿易自由化が、途上国全体に利益を与える形で均等に行われれば、貧困撲滅、ひいては紛争予防にも繋がっていくのでしょう。
我が国は90年代以降アフリカの開発を推進するために、1993年、98年とアフリカ開発会議(TICAD)を開催し、世界の目をアフリカに集め、開発に繋げる努力を行ってきました。そこでの考え方は「How can we help Africans to help themselves?」で、上記で述べたような考え方の先駆的役割を務めてきました。
緒方:なお、最後になりますが、我が国は2月14~16日にWTO非公式閣僚会合を主催します。これは、3月末に農業(モダリティ確定)、サービス(イニシャル・オファー)、非農産品(モダリティの大枠)について一定の期限が来ること等に鑑み、25ヶ国程度の関心国の閣僚が非公式に集い、今後の進むべき道筋を議論し、ジュネーブでの交渉に弾みをつけることが目的です。我が国は川口外務大臣が議長を務め、大島農林水産大臣、平沼経済産業大臣も出席します。非公式閣僚会合を通じて、我が国は積極的に交渉の進展に貢献していきたいと考えています。今後、今年9月のカンクンでの第5回閣僚会議まで、交渉は非常に早い展開で進んでいくと思います。WTOというと実生活から離れた議論をしているように思うかもしれませんが、意外に毎日の生活に直結した話をしています。是非、一人でも多くの方に関心を持ってもらいたいと思います。
【インタビューを終えて】
マルチラテラルな貿易交渉が形骸化してしまうことに対する危機感。それ故に今回の新ラウンドでアジェンダを成立させなければならないとする使命感。二つの感情を巧みに織り交ぜた緊張感漲る緒方氏の話が印象的だった。近年、日・シンガポール経済連携協定の締結もあって地域経済統合が脚光を浴びている。他方、WTO新ラウンドに対する認識は相対的に不十分になりがちである。しかし「健全なWTOがあってのFTA」という前提を看過してはならない。今後のWTO新ラウンドの展開を、そして国際経済の趨勢を、我々は注意深く見守っていきたいと思う。(篠崎)
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