アジアの兄弟 ミャンマーと私達
-民主化へ向けてのマラソン-
南東アジア第一課 高橋妙子課長に聞く
収録:平成14年9月18日
1962年以来軍事独裁体制が続くミャンマーでは、1988年に成立した現軍事政権と民主化を求める野党国民民主連盟(NLD)が対立しています。90年には総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー女史率いるNLDが圧勝しましたが、政府は選挙結果を無視し、今日に至るまで政権移譲を行っていません。このような不安定要因がある中、2002年5月にスー・チー女史の行動制限措置解除・政治犯の釈放など徐々に民主化に向けた動きも見られます。この流れを追って、今年8月、外相としては19年ぶりに川口外務大臣はミャンマーを訪問しました。今日は、ミャンマー情勢に対する基本的認識・日本の役割とともに、今回の川口外相のミャンマー訪問の経緯・評価について、ミャンマーで大使館勤務の経験もある高橋妙子南東アジア第一課長にお話を伺いたいと思います。(谷岡)
谷岡:ミャンマーに対して、国際社会はどのような立場をとっているのでしょうか。特に、日本の立場はどのようなもので、その背景にある考え方は何ですか。
高橋:まずミャンマーには、1988年に軍事政権が政権掌握し90年に選挙をし、選挙で圧倒的支持をあつめたNLD党首アウン・サン・スー・チー女史を自宅軟禁していたという状況があります。概括的に述べれば、こうした状況を踏まえて、ミャンマーを非難する国連決議などが出されているわけですが、一方で各国の立場に着目すれば、おおまかにわけて3つの立場があると思います。先ず、非難の急先鋒にたっている欧米諸国の立場です。欧米諸国は基本的人権の尊重と民主主義確立を第一義的に考え、経済制裁や圧力をかけて来ています。次に、ASEAN諸国・中国の徹底した内政不干渉の立場があります。ミャンマーは97年にASEANに加盟しましたが、それによってEUはミャンマーを加えたASEANとの対話を長く拒否していましたが、それでもASEANは、ミャンマー問題についての発言を控えるという形で、内政不干渉の立場を貫きました。日本はアジアですが、この立場ではありません。そこで、3番目の立場として日本の立場があるのです。即ち日本はアジアなのですが、同時にG8のメンバーとして基本的人権の尊重と民主主義の確立は、国家が安定的に発展していくための大前提であるという考え方を、自らの発展の経験を踏まえて持っている訳です。従って、アジアの友人としてミャンマーにもこれら基本的価値の尊重を求めて来ているわけです。ただし、日本には日本の発展段階に応じたプロセスがあったように、ミャンマーにも独自のプロセスがあり、ミャンマー自身が主体的に動くことが重要だと考えています。加えて、日本には、ミャンマーに対して親近感を覚えている人が多い。それは太平洋戦争の経験や、同じ仏教国としてミャンマー人の言動が日本人の心の琴線に触れることが多くあるためだと聞きます。このように、日本の場合は、自らの経験とこれまでのミャンマーとの関わりを踏まえて同じアジアの同胞として、経済制裁をふりかざす方法ではなく、むしろミャンマー国民が必要とする援助を供与しながら静かに一貫して民主化を働きかけるという立場をとっているのです。因みに、最近では豪州も日本のこうした立場に近くなってきました。
谷岡:ミャンマーに対する国際社会の態度として、欧米諸国のように経済制裁を加えていく立場、ASEAN諸国の徹底した内政不干渉の立場、日本のように積極的に民主化を働きかける立場の3つがあるということでしたが、日本のように積極的に民主化を働きかける立場と、欧米諸国の経済制裁というのは、相反してしまうようにもみえます。というのも、民主化には発展が欠かせませんし、発展は経済発展がやはりベースになると思います。そう考えたときに、経済制裁を加えるということは、積極的民主化にとって押し戻しの力になるように思いますが、各国の立場の協調はどのように進んでいるのですか。
高橋:確かに、日本の経済協力を限定的ながらしていくと共に民主化を働きかけていくという立場に対しては、欧米諸国から長い間反発がありました。そして、日本国内にもこのような日本の立場に異議を唱えられる方もおられます。しかし、政府としてはミャンマーの人達が明日の生活の目処がたたない状態で民主化を考えろといっても無理があるという考え方から、これまで医療・教育・人材育成等の基礎生活分野を中心に援助をして来ているわけです。小泉総理もミャンマーのタン・シュエ議長に対して、日本はミャンマーの民主化と国造りの努力を同時に支援していくと述べられていますが、それはこうした考え方に立ったものです。最近では、日本のこうした考え方に対する反発は少しずつ少なくなってきています。というのも、日本の考え方を欧米諸国が理解するようになって来たということと、ミャンマーにおいて良い動きがでてきているという状況があるからです。そして何よりも、欧米が制裁を加えている間に、ミャンマーにおける医療や教育といった人道分野の施策さえ大幅に立ち遅れて来てしまったという認識が出てきて、日本が関与政策を行うことには反対しないという立場になってきているわけです。
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谷岡:そのような流れの中で、8月に川口外相がミャンマーを訪問されました。その目的について教えてください。
高橋:先に述べた通り、基本的に日本人はミャンマーとミャンマー人が好きです。ですから、このような国民感情にそってミャンマーと外交関係を発展させていくというのは外務省の仕事だと思っています。加えて、ミャンマーは地理的にも、中国とインドの間に挟まれてシーレーンを臨むという重要な位置関係にあります。つまり、ミャンマーを安定させることが、地域の安全保障強化につながり、ミャンマーの発展は地域の発展にも寄与すると認識しています。したがって、ミャンマーとの関係を発展させていきたいというのが日本外交の基本的スタンスです。ところが、今回の川口大臣が訪問するのは現職大臣として19年ぶりです。東南アジアの国に19年も訪問していなかったのは異例なんです。なぜそうなってしまったかと言うと、やはり、ミャンマーの民主化や人権状況に問題があったためです。ところが、今年5月にスー・チー女史の行動制限解除、彼女が地方視察を踏まえて政権側ともコンタクトを持ち始めているという動きが出てくる中で、日本の外務大臣が訪問し、政権指導部とスー・チー女史の双方に対し、「日本は、ミャンマーとの外交関係を発展させていきたい。そのためにも民主化に向けての前向きな動きを継続させてほしい。双方が協力してミャンマーの国造りに取り組んでほしい。」というメッセージを伝えることにした訳です。
谷岡:それでは、そうした大臣からのメッセージに対するミャンマー政権指導部やスー・チー女史の反応はいかがでしたか。
高橋:基本的に、良い訪問であったと思います。政権側とはタン・シュエ議長やキン・ニュン第一書記等の指導者と会って話をしましたが、大臣から、スー・チー女史との政権対話を働きかけたのに対して、彼らは民主化を進めるためにも経済の安定や国内統一に取り組む必要があるとの基本的考え方を述べながらも、スー・チー女史との関係は劇的に改善しているとしていました。スー・チー女史との間でも、率直な意見交換がなされました。川口大臣は、女史に対して地方視察を積極的に奨励し、国民が必要としているものがあると感じたら是非政権側と話して、日本政府に知らせて欲しい。政権側もスー・チー女史も、国民のためというのが第一義にあるわけですから、国民のために何が必要かを両者で話し合って欲しい、その話し合いの結果政権側から具体的協力の要請が出されれば、日本政府として喜んで支援したいとの考えを伝えました。スー・チー女史は、これまで長く外国からの支援に対しては政権側を利するだけだからということで反対の立場でしたが、透明性と説明責任が果たされ、本当に支援を必要としているミャンマー国民にきちんと到達するものであれば反対しないと言っていました。今後の対話に期待して行きたいと思います。
谷岡:今までのお話を伺っていて思ったのですが、この対立が、どうして全国的に広がる紛争になってしまったのかというのは、いまいちイメージがつかめません。たとえば、民族紛争の場合、ある民族と他民族の違いはひとめみてわかりますよね。街を歩いていても、反発している自分とは違う民族の人がいたらわかるし、嫌悪感を抱く。それが広がっていくというのは分かるのですが、同じ民族で見た目の違いなしに、イデオロギーの対立がどうして末端まで届く大きな紛争になってしまったのでしょうか。
高橋:先ず、ミャンマーには、軍事政権と民主化勢力、民事政権と少数民族の二つの対立軸が存在します。そして、後者の問題はともかく、前者を民族紛争と捉えることはできません。しかし、国民の8割強を占めるビルマ族でありながら軍事政権と民主化勢力が対立する構図は、選挙の結果を無視して政権に居座る軍部、本来なら政権を握ったであろう民主化勢力の対立であり、本来その選挙に関わった国民全体の問題です。政権側は、民主化の達成は国家の目標だけれども、それが安定的に根付くためにも経済発展が不可欠だ、そして性急な民主化は国の不安定化につながるとしている訳ですが、おっしゃる通り、異民族間の対立ではない訳だし、スー・チー女史はミャンマー国軍の父と言われるアウンサン将軍の娘さんなのだから、何とか対話を通じて和解を進めて欲しいと願う訳です。
谷岡:単一民族の間の溝を埋めるには、対話と協力が必要なのですね。それでは、他民族同士の争いとしての少数民族の問題は、どのような状況にあるのでしょうか。真の国民和解のためには、少数民族の問題の解決が不可欠と考えますが、如何ですか。
高橋:国連の決議にも、ミャンマー真の国民和解を達成するためには、軍政・少数民族・民主化勢力との三者協議を進める必要がある、とうたっています。その中で、これまでのところ、私達が注目して促進しようとして来ているのは、軍政と民主化勢力との対話であり、三者協議については、軍政側だけでなく民主化勢力も少数民族に入ってもらうにはまだ早いと言っていると承知しています。けれども、135からある少数民族との問題を放っておいて国が安定するわけがないですよね。ミャンマーは、少数民族からなる反政府勢力と政府との対立が常に続いて来た国なのですが、今の軍政が88年に政権掌握して以来、17ある反政府勢力のうち16とは停戦合意がなされています。これは、ミャンマーの歴史上画期的なことだと思います。まだ武装解除されていないので真の解決ではないという批判もありますが、彼らの努力した成果は成果として評価できると思います。日本は、停戦がなされ、農村開発や麻薬にかわる作物の栽培を進める少数民族には小規模でも経済協力をしてきています。つまり、武器を捨ててくわや本を持つという選択に対して、積極的に応えていくことが大切であり、それが和平を恒久的にすると考えています。
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谷岡:ミャンマーの問題については、ラザリ国連事務総長特使がおられますが、日本は同特使の役割をどのように評価されていますか。
高橋:国連は長い間ミャンマーの問題に対しては積極的に関与してきていて、毎年ミャンマーに関する決議が採択されています。そのような状況の中ラザリ氏が、ミャンマー問題担当特使として任命され、ミャンマーの国民のことを真剣に考え努力していると思います。彼は2000年に任命されてから、何度もミャンマーを訪問されていますが、その中で軍政と民主化勢力の対話が開始され、スー・チー女史の行動制限も解除されました。もちろん、このような決断は政権側がしているわけですが、政権側がかかる判断をするに当たって、ラザリ氏の訪問によって政権側とスー・チー女史の間の風通しが相当良くなってきたことが奏功したと思います。日本も対話を進めていくように動いている中で、ラザリ氏の役割を重要だと捉えていて、今回、川口外相がミャンマーを訪問した際にも、ラザリ氏と面会し激励してきました。
谷岡:ミャンマーには強制労働がありそれを食い止めるためILO(国際労働機関)の事務所を常駐化する動きがあるようですが、この動きについて教えていただけますか。
高橋:以前、ミャンマーは、強制労働はなく、地方で行われている役務は仏教徒のコミュニティに対する自発的奉仕だと言っていました。しかし、実際には、少数民族との戦闘に半ば強制的に徴用するポーターの問題等がILOに報告されるようになり、今ではミャンマー政府も強制労働が存在するということを認めるようになり、むしろ強制労働をなくす努力として国内法整備や通達を徹底するための施策をとるようになって来ました。そのような中で、去年ILOのハイレベルの調査ミッションが入りました。その結果、ミャンマー政府の強制労働に対する取り組みを支援するためにも、ILOがヤンゴンに常駐事務所を置くべきであるとの提言を出しました。現在は、常駐化まではいかないのですが、そのための足がかりとしてリエゾンオフィサーというものが任命され、ヤンゴンに駐在しています。私はこのリエゾンオフィサーの設置は必ずやILO事務所の常駐化につながると確信しています。
谷岡:今回の北朝鮮の問題でも感じたことで、国際法や国家の基本原則などが破られているにも拘わらず、そのことを追及せずに、‘経済協力を進めていく’と言われると、私は国際法を勉強しているので、「じゃ、国際法って何なの。何のためにあるの」と思ってしまうのですが、外交実務における国際法をどう考えていらっしゃいますか。
高橋:国際法が実効的に作用している分野はたくさんありますよね。WTOや国連、二国間の通商協定や安全保障条約等もそうです。今回の北朝鮮の問題は、非常に異例だからこそ問題になるわけです。小泉首相も述べておられますけれど、このように異常な状況にある北朝鮮が、国際社会の一員として国際法を遵守するようになるために日本はどのように働きかけるか、ということが大切だと思います。
ミャンマーについても、選挙結果を無視するような国を容認していいのか、という意見はあります。けれども、容認しないといって次にどういう手がありますか。制裁ですか。でも、制裁で苦しむのは国民ですよね。日々の生活に困窮する国民に対して、問題意識をもって立ち上がれと言うのでしょうか。とても難しい問題だと思います。そう考えた時日本にできるのは、基礎生活分野の援助を通じて彼らが少しでも明日のことを考えられる状況になるよう支援するということしかないのではないか、と思います。その一方で、軍政側に対して、少しでも民主化のプロセスを前に進めるよう働きかけることだと思うのです。
谷岡:今年12月に完成予定の経済構造調整支援というのは、どういうもので、どのような結果をだしているのですか。
高橋:これは、小渕首相とタン・シュエ議長との合意を踏まえて、2年前から始まった支援です。日本側の政府関係者・学術研究者・民間のシンクタンクの方など40~50名がミャンマーのカウンターパートと一緒にミャンマーの経済構造の問題について研究し、今年中に提言をまとめようということをやっています。ミャンマーがこれから本当に発展していくにあたって、市場経済化や財政金融分野等の規制緩和などの様々な課題がありますが、その課題を一つ一つ洗い出して経済改革をすすめるための処方箋をつくっている訳です。この支援は実は、提言をまとめるプロセスですでに知的支援・人材育成の形になっています。今後ミャンマーが政策提言を実施していく中で、日本として如何なる協力ができるかを検討していかなければいけませんが、このような協力を地道に積み上げていくことが、将来的にミャンマーがASEANの一員として重要なメンバーとして経済発展し、日・ミャンマー間の経済協力関係の強化や日・ASEAN経済連携にもつながっていくと思います。
谷岡:最後に今後の対ミャンマー政策の見通しをお聞かせ下さい。
高橋:あくまで主体はミャンマー国民であることを踏まえたうえで、ミャンマーの現在の状況を見極めながら、日本にどういう支援・協力ができるかを考えていきたいと思います。いろんな選択肢を用意していく必要がありますが、あくまでも政権側とスー・チー女史との対話を辛抱強く働きかけてくこと、少数民族との和解努力を支援していくことを中心に、日本としての役割を考えて行きたいと思っています。
【インタビューを終えて】
日常私の周りで交わされる政治談議では、良いか悪いか、納得できるかできないか、など単純構造で話をすることが多く、物事をフレームで考えることに慣れてしまっています。しかし今回お話を伺って、消去法で残った選択肢の中から、よい良いタイミングでより良い結果を生み出せるような、そして相手の自主性を最大限尊重し、なおかつ日本の国益を考えて行われる複雑でデリケートな判断のひとつひとつが、少しずつ現実を動かしていくという外交の難しさの一端を感じることができました。そして今まで、点でしか知らなかった民主化へむかうミャンマーが流れで理解でき、監督やサポーターと共に、ペースアップするかダウンするか、ここで水を飲むか飲まないか判断しながら少しずつゴールを目指して進むマラソンランナーのように思え、アジアの兄弟として親近感をおぼえました。(谷岡)
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