河井外務大臣政務官演説
UNITAR・シンガポール政策研究所主催
「平和維持と国造りを担う国連・・・継続性と変化の展望」国際会議
における河井外務大臣政務官スピーチ(仮訳)
議長、ご列席の皆様。
今日は、議長に特に発言をお許しいただいたことに、深く感謝いたします。
ちょうど60年前の夏の日、一発の原子爆弾が広島の町に投下され、その年の末までにおよそ14万人もの人々の命がなくなり、記憶がなくなり、そして広島の町自体が失われてしまいました。
私は広島で生まれ、ここで育ちました。お察しの通り、広島に生まれ育った者にとっては、平和と言う言葉は特別の重みを持っています。今日私が敢えて発言の機会をお願いしたのは、広島の平和のメッセージは、国連の平和維持と国造りの理念に強く共通するものであることをお伝えしたかったからです。
戦後広島は、加害者、被害者の意識を克服し、核兵器の廃絶と世界の平和を祈念しながら、自らは焼け跡からの復興に取り組んできました。憎悪の連鎖によっては平和は実現しないと強く信ずるからです。この結果は皆様が御覧になる通りの、今日の広島の姿です。今日の広島の姿は、広島の人々、あるいは日本人だけで作り上げたものではありません。善意ある国際社会の皆様のご支援とご協力によって、戦争が終わった直後は「75年間は草木も生えない」と言われていた広島が奇跡のように復活できたのです。
我が国が国連のPKOに参画することへの世論の支持率はおよそ7割という高い水準を示しておりますが、これは、このようなPKOへの貢献が私たちの戦後復興の歩みを思い出させるからだと、私は考えます。特に、戦争によって生活が完全に破壊された広島の人々にとっては、国連の、国造りや人道支援も含めた包括的な紛争後の支援のあり方の意義は、誰にもまして意義のあるように思えるのでしょう。
議長、
私は、外務大臣政務官に就任して6ヶ月ですが、この間にも平和に向けた国際的協力に参加する機会を得ました。今年1月には、パレスチナ自治政府長官選挙に日本政府が派遣した選挙監視団の団長として、この選挙の公正な実施に協力することが出来ました。非常に困難な条件下で実施された選挙ではありましたが、パレスチナ人の真摯な取り組みと国際社会の支援に支えられ、選挙は成功し、この地方の平和構築に向けた重要な一歩を記すことが出来ました。また昨年12月には、ナイロビで対人地雷禁止条約(オタワ条約)第一回検討会議に日本政府を代表して出席しました。そこでは、我が国が今後とも「平和構築」への貢献、「人間の安全保障」の視点の重視、産官学民の連携と技術開発、という3原則に則って地雷の廃絶に向けた支援を続けていく方針を明らかにしてきたところです。私は、広島の思いを自分自身の活動を通じて具現化していけることを大変誇りに思っています。
私たちは、「自分だけの平穏」という殻を突き破って、世界の平和の為になるような努力をこれまで以上に強めなければならないとの認識を共有しなければなりません。その上で、「平和維持と国造りを担う国連・・・継続性と変化の展望」という会議が、今日広島で開催されたことに、私は特別の意義を感じております。
最後に、この会議の成功をお祈りして私のご挨拶といたします。
有難うございました。
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