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演説
矢野外務副大臣演説

日・EU交流促進シンポジウム
矢野外務副大臣による基調演説
「日欧交流の現状及びその展望~3つの問題提起」

平成14年11月11日


 御紹介を賜りました外務副大臣の矢野でございます。今日はロストベル前文化大臣のご出席を賜り、有馬大使、ツェプター大使の議長のもと、このシンポジウムが成功裏に終了しますことを心から期待申し上げますと同時に、冒頭、私も講演をさせていただく機会をいただきましたことを、心から感謝を申し上げたいと存じます。

 今回のシンポジウムの目的となっている日・EU間の交流の促進は、私も、外交にさまざまな形で携わってきた者として、常々その重要性を痛感していたところであり、2001年から始まった「日欧協力の10年」の趣旨を十分に踏まえ、また、2004年のEUの拡大を見据えた、極めて時宜を得た企画であるとして楽しみにしておりました。
 私は、今回のシンポジウムをひとつの契機として、日欧の交流が今後一層進展することを強く期待する者の一人ですが、本日は、基調演説として「日欧交流の現状及びその展望」という演題をいただいておりますところ、望むらくは本日の議論のための一助とすべく、20世紀から21世紀に至る国際情勢の劇的な変化の中に身をおきつつ私が抱いてきた3つの問題意識につき簡単に御説明してみたいと思います。

1.実体を伴った真の日「欧」交流とは何か

 まずは、真の日「欧」交流とは何かという点について、所見を述べたいと思います。日「欧」交流という言葉には、さまざまな側面があります。日「欧」交流の黎明期は16世紀で、当時欧州では大航海時代に入っており、その中でさまざまな形で日欧の出会いがありました。さまざまな文物が我が国に入り、また、逆に我が国のものも欧州に渡りました。当時は、一部の実務家を除き、庶民レベルでは、オランダ人とイギリス人を併せて「紅毛人」と呼び、スペイン人とポルトガル人を併せて「南蛮人」と呼ぶ等、欧州各国を明確に区別していなかったように思われます。尤も江戸時代の鎖国の時代にあっては、オランダ人が長い間、ヨーロッパ人の代名詞となっておりました。その後、さまざまな経緯を経て、日本でも、庶民レベルを含めて、欧州にもさまざまな国が存在することが広く認識され、国別の交流がそれぞれ発展していくこととなりますが、基本的には、明治時代の「脱亜入欧」~アジアを脱してヨーロッパに入ること~という発想に見られるように、依然として漠然と欧州諸国全体をひとつのグループと捉えていた面があったようです。
 これが近代から現代に移行する過程で、日「欧」交流は、欧州の個々の国々との二国間交流の積み重ねとして進められるようになりました。ただし、この段階では、日本人にとって、日「欧」交流それ自体には実体がなかったのではないかと思われます。これは欧州側においても同様で、欧州各国が欧州域外と自らを区別する場合には抽象的に「欧州」というアイデンティティーを自覚していたでしょうが、日本を含む欧州域外の国との間で具体的な関係を構築する場合には、往々にしてデンマーク人とか、イタリア人とか、フランス人としてのアイデンティティーの方が前面に出て、ヨーロッパ人としての意識はなかったのではないか、そういう意味で日「欧」交流それ自体は依然として実体がなかったのではないかと考えております。
 この日「欧」交流が字句通りの実体を持ちうるとの認識が、おぼろげながら我々日本人の間で再び共有され始めたのは、欧州において、冷戦期の同盟関係を背景にした「西欧・東欧」の時代から、EUの統合の深化と拡大の議論を経て「欧州」という観念が改めて広く議論され、自分たちはヨーロッパ人であるとの強い意識が再び昂揚するようになった時期と重なると考えます。
 そのような時代にあって、我々は、真の日「欧」交流のあり方について議論する局面にさしかかっていると考えます。すなわち、欧州の特定の国と日本との間の交流であっても、双方において、日「欧」交流の一環であるとの明確な認識を持つように努めつつ、EUが一つの主体として現出しつつあることを受け、EUそれ自体との間で日「欧」交流を進めるにはどうしたらよいかを考えていく必要があります。
 
2.総体としてのアイデンティティーの希薄化

 次に、交流のインセンティヴを高め、また、その交流の成果の意義をより大きいものとする要因としての、双方のアイデンティティーの存在について、私なりの問題意識をお示ししたいと思います。19世紀以来、長い期間、我が国にとって欧州は、近代化の目標であり、「近代化」(modernization)は即ち「欧州化」("Europeanization")であったと言っても過言ではありませんでした。そのような時代、欧州は総体として日本と異なる集団、地域であるとの認識は広く日本人の間で共有されておりました。当然、欧州自身の立場からも、「欧州」はユニークな存在と自負していたはずで、力をつけてきたアメリカはあくまで欧州の出先のような存在と認識されていたことでしょう。
 「欧州」から見た日本は、文化面での所謂日本趣味の流行に見られるとおり、第一義的には未知の存在として好奇心の対象で、多面的・包括的な交流への欲求は必ずしも強くなかったかも知れません。それでも日本という存在がユニークであったことは明白です。かつて、日欧それぞれ確固たるアイデンティティーを有していたことは誰も否定できないことでしょう。
 その後、二度の大戦を経て、冷戦の期間に各国で確実に伸長した現象として、「アメリカ化」(Americanization)が挙げられます。戦争で国土が荒廃しなかった米国では、第二次世界大戦後、政治・イデオロギー面において、冷戦の西側陣営の雄として指導的役割を演じたのみならず、文化面においても大きな影響力を発揮しました。象徴的な例は、欧州のどの国にも、また日本にも、いわば普遍的に存在するマクドナルドやコカコーラです。米国の影響力があまりに圧倒的であったため「文化侵略」であるとの非難も見られます。
 そのような「アメリカ化」に加え、近年は、「グローバル化」(globalization)という新たな波が発生し、これも実はアメリカのインフラであるインターネット回線に負うところも大ですが、IT技術の発達と相俟って、日欧を含む国際社会は複雑な様相を呈し始めています。特に、グローバル化が進展する中、人の移動が活発化し、日欧各国内部の社会においてさまざまな来歴を有する者が共存する現象、一つの「内なる国際化」(internal internationalization)が生じており、かつての通常の国家が持ち合わせていた強い同化作用が働かないため、それぞれの社会を構成する者に関しても多様化が進んでいます。
 かつて、日欧それぞれが、独自の確固たるアイデンティティーを有し、限られた通信・移動手段を通じて交流を行っていた場合には、日「欧」交流を認識することは比較的容易であったことでしょう。しかるに、以上のとおり、現代では、双方の市民が、「アメリカ化」、「グローバル化」、「内なる国際化」というパラダイムに飲み込まれて相当のレベルまで均質化し、その生活様式まで近似し、双方が総体としてのアイデンティティーを希薄化させております。その中で、真の日「欧」交流はいかなる意味において可能となるか、また、日「欧」交流はいかなる意義を有するのかは興味深いところです。
 なお、交流の促進により、アイデンティティーの希薄化が更に加速するようなことは、双方の望むところではないでしょう。明確なアイデンティティーを確保しつつ密接な交流を行うにはどうすればよいのか、よく議論する必要があります。

3.「個」の果たす役割とその危険性

 3点目に、更に抽象的になりますが、「個」の果たす役割について述べたいと思います。ここで申し上げる「個」とは、個々人を含むことは言うまでもありませんが、更に、共通の関心、利害を有するさまざまな規模のグループをも含みます。さまざまなNGOもそのようなプレイヤーのひとつです。
 外交は国と国との関係が中心ですが、今日御議論いただく交流はより正確には市民レベルの交流、people-to-people exchangeを主眼においています。2005年には日欧市民交流年を迎えようとしているように、日欧交流においては、今後一層この「個」の持つ重要性は増していくと考えられ、特に、21世紀の社会において、グローバル化、IT化の等比級数的な進捗により、これまでに見られなかった程度に「個」の役割が高まっているのではないかと感じられます。
 これまで、国境を越える交流というものは、国家間、機関間、企業間等という関係であったり、個々人のレベルであれば、家族間、友人間等の一部の関係に限定されていたと思いますが、現代においては、例えば昨日まで全く面識のなかった外国の学者との間でインターネットを通じて電子メールで意見交換を行うなど、さまざまなレベル、局面で日常的に展開される大きな可能性を持つようになりました。市民レベルの接触面積が比較し得ないほどに高まっているとも言えましょう。今後、インターネットを通じて、国際社会の世論を左右するような大きな市民運動が発生することも排除されませんし、既にそうした兆候は見られます。
 双方の社会を構成する「個」の存在が、いわば、活発に動き回る分子のブラウン運動のように、自由きままに、さまざまな関係の構築を行うことのできる状況が実現しつつあるわけですが、それは、極めて理想的な状況の現出であるとも感じられる一方で、あえて異なる視点からかかる状況を冷静に見つめれば、国際社会が無秩序のカオスの状態に進む危険性をはらんではいないでしょうか。
 日「欧」交流を希求しながら、かえって「個」のネットワークの形成の想像以上の規模での伸展に足をすくわれ、得体の知れない大きな混沌を産み出してしまう、そのようなシナリオは杞憂なのでしょうか。そのような事態を回避するためには、我々はどのようなことに気を付け、どのような自覚を持つべきなのでしょうか。「個」の果たすべき望ましい役割、望ましい関係構築とはいかなるものでしょうか。


 いささか抽象論にすぎたかも知れませんが、最後に少し具体的な数字に触れてみたいと思います。日・EU間の経済関係は言うまでもなく、極めて太いパイプが構築されており、例えば、2000年の投資額は双方向で約3兆円で、日米間の約2.4兆円を凌駕しております。尤も、貿易額では日米間の半分に留まっております(日・EUが約13兆円、日米間が約23兆円)。
 一方、人的交流の面で、日欧間と日米間を比較してみますと、今後一層の開拓の余地があることが分かります。例えば、我が国の出入国者数では、日欧間で、約290万人、日米間で約580万人で半分のレベルであり、姉妹都市関係でも日欧間で約200、日米間で約400と、同じく半分のレベルにあります。留学生数では、日欧間で約11,700人、日米間で、48,200人で4分の1のレベルに留まっております。数字だけで単純に比較するのは正しくないかもしれませんが、日欧間で交流を一層深める余地があることは、これらの例を見ても明らかだと思う次第です。


 3つの問題意識に戻りますと、それぞれの論点につき、はじめに申し上げましたように、私自身、明確な答、取組の方向性を用意しているわけではありません。私自身が日々悩んでいるパラドクスを含んでいます。本日、是非とも皆様におかれて、それぞれの専門的知見から、これらの論点を頭の片隅においていただき、可能であれば議論をし、さらには答を出していただけると有り難いですが、たとえ、処方箋が示されなくとも、私の問題意識が、本日の議論を活発にするささやかな触媒となりさえすれば、既に所期の成果を果たしたことになります。

 なお、自分で答えられない謎かけをいたしましたが、私は決して懐疑論者ではありません。日欧交流の進展には底堅いものがあり、私の問題意識をよそに、日欧の親密化は不可逆的に進むことを確信しています。相互の関心の低下を指摘する声もありますが、他方で、パリの街角でワイン片手に鮨をつまむパリジェンヌの姿、ロンドンのウドン屋前に行列するイギリス紳士のビジネスマンの姿、ドイツの地方都市の名前をそらんじている静岡のサッカー少年の無邪気な笑い声に私は勇気づけられます。

 日欧交流の強化は、まじめに考えるべき課題ですが、小難しいものとして悩む話ではないのです。欧州の人々が日々のさまざまな瞬間に日本のことを思い出し、我々日本人も同じようにしばしば欧州に思いをはせる、そんな、駆け引きのない、長くつき合った恋人同士のような関係が理想です。我々は出会ってから4世紀半もつき合っていて、その間、時には感情のもつれがあり、時には焼き餅をやき、倦怠期も経験しましたが、相手がいなければさびしいと思う間柄でしょう。無理せず、いそがず、せかさず、相手を尊重し、相手を想う…、日欧交流強化の処方箋は幾多の恋愛論の名著にはさまっているのかも知れません。そんな態度で今後もお互い向かい合えば、日欧関係は引き続き良好に推移すると約束しつつ、私の基調演説を終えたいと思います。

 御静聴ありがとうございました。


副大臣 / 平成14年 / 目次


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