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要約
本報告書は、国際Y2K協力センター(IYCC)と170ヵ国以上の政府当局者及び民間部門の目で見た、コンピュータ2000年問題へのグローバルな官民合同取り組みについて述べたものである。21世紀への移行を導いたネットワークについての物語でもある。本報告書の目的は、国際協力の分野で著しい成果を上げたユニークな体験を記録することにあり、今後の研究のための分析の枠組みを提供することにある。各国のY2K問題調整担当官と主要経済部門の担当者は、本報告書の最終草案を点検する機会が与えられた。出されたコメントはすべて本報告書に反映された。複数の第三者審査官が本報告書を原案段階で数度チェックし、貴重な意見と見解を述べた。
国際Y2K協力センターの運営委員会が本報告書を審査し、公表を承認した。しかしながら、本報告書に誤りがあれば、国際Y2K協力センターのスタッフの責任となる。
要約
20世紀末において、2000年への日付変更が世界のコンピュータとデジタル・システムを脅かした。対応せずに放置しておけば、Y2K問題は金融、ビジネス、医療、政府部門のきわめて重要なサービスを中断させ、電力、電気通信を寸断させる可能性があった。Y2K問題への対応の主たる責任は、これらのサービスを提供する各組織体にあるが、各国間での相互援助に向け、かってない国際的な協力態勢が組織的に作られた。その結果、ごく軽微なY2Kによる問題が発生しただけで、世界は21世紀に突入することができた。本報告書はその成功物語である。
この要約は次の6つの疑問に答えている。
- Y2K問題による世界的なリスクとは何であったのか。
- Y2K問題はどのような機会を提供したのか。
- Y2K問題を取り組むにあたってどのような資産があったのか。
- 世界は何をしたのか。
- 世界的な取り組みの結果はどうであったか。
- どのような教訓を学んだのか。
注1:第三者審査員は、オリビア・ボッシュ (ローレンス・リバモア国立研究所地球安全保障研究上級研究員 [カリフォルニア]、国際戦略研究所[ロンドン]、キース・バン・ヒー(アインホーベン技術大学数学及び情報科学教授[オランダ])、リー・M・タブロースキー(マイアミ大学ダンテ・B・ファセル・ノース・サウス・センター上級研究員)、アーネスト・ウイルソン(メリーランド大学国際開発紛争管理センター所長)。国際Y2K協力センターの活動に関する各審査員の評価は付属文書のN参照。
注2:メモリーと処理時間を節約するため、多数のコンピュータ・プログラムやデジタル・コントロール・システムが、年号を示すのに二桁だけをあていた。Y2K問題は、年号の値に依存している多くの計算や機能は、2000年1月1日に「00」値となると誤作動する可能性があった。
Y2K問題のもっとも危機的な側面への対処が成功したため、問題が日常生活に与える可能性のあった脅威の全容はわからない。しかし、1990年代終わり、Y2K問題はすくなくとも次の四つの深刻な問題を引き起こす可能性があるとの共通認識がなされた。
第一にY2K問題の対処に失敗すれば、深刻的な経済的、社会的な損害を受ける。世界的な資本のフローから政府職員給与や各種給付金、小企業の在庫に至るまで、金融処理を支えるコンピュータのハードとソフトは、システム上で日付を広く使用していたため、きわめてダメージを受けやすい状態にあった。Y2K問題により引き起こされたエラーにより、これらのシステムの稼働が完全にストップする可能性があった。一部のシステムは稼働するかもしれないが、誤った結果を作り出し、それが多のシステムに転送され、別のデータを破壊する可能性があった。さらに、工業プロセスと営業用機器の一部はデジタル・マイクロプロセッサーによって制御されていたため、電力、電気通信、航空、医療など重要な社会基盤が正常な状態でのサービス提供が不可能となり、通商を寸断するという潜在的問題をY2Kは抱えていた。Y2Kによる防衛警戒システムのエラーは、軍隊を防衛のため誤って出動させる可能性もあった。もしこれらの脅威がチェックされないままであったなら、深刻な経済被害が、人道面での緊急事態あるいは国際的な危機とともに、グローバルな規模で発生していたであろう。第二に、Y2K問題の懸念に対する人々の過剰反応が、深刻な問題を引き起こしていたかもしれない。供給網が寸断されるのではという懸念が、薬品のような品薄の物資の買いだめ騒動を引き起こしかねなかった。新興経済国は、とりわけリスクがあると考えられた投資の潜在的なろうばい売りと観光収入の損失にはもろかった。実際に、大量備蓄が発生し、少なくとも銀行一行が現金不足に陥り、一日間、閉店し、金融市場は、99年の第3四半期における新興経済国の実行可能性への懸念を短期間ながら反映し、多くの観光地でミレニアム観光は予想を下回った。しかしながら、人々は、世界がY2K問題に対する準備ができていることを正しく認識したため、大規模なパニックは行らなかった。
注3:例えば、米国では、年末の卸売り在庫の伸び、小売り食品、医薬品販売は通常レベルよりも大きく伸びた。
第三のリスクは政治的なものであった。Y2K問題の発生やパニックが数日以上継続すると、政治的な不安定を引き起こしていたかもしれない。実際のところ、1999年の最後の数ヵ月においては、Y2K問題への準備に対する国民の信頼の維持が、世界のY2K対策チームの主要任務となった。
第四に、コンピュータの深刻な問題が広がれば、情報技術に対する国民の信頼を低下させ、情報技術産業の成長を鈍化させ、技術主導による世界的な経済成長を潜在的に脱線させる可能性があった。
一部の者の見解では、この他にも潜在的なリスクが存在した。たとえば、いくつかの組織は、発電及び送電システムが全国レベルあるいは地方レベルで実際に機能しなくなり、とりわけ北半球では深刻な人道上の緊急事態が発生するだろうと確信されていた。1999年末にいたるまで、こうした壊滅的な状態の発生可能性と期間について意見は分かれていた。
これらの深刻なリスクを越えて、Y2K問題はざまざまな貴重な機会をさまざまな組織にもたらした。Y2K問題の恩恵についての全容は未だまとめられてはいないが、すでに明らかになっている点は、多数の組織がY2K問題を利用して、それぞれの情報技術システムとソフトを完全管理下に置いたという面である。Y2K問題以前は、ほとんどの組織はシステムの完全な代替品の在庫を持ちあわせていなかった。多くの組織が、余剰システムは、修復するのではなく統合あるいは廃止することを決意した。
同様に、各組織は他者への依存度を把握するのに、Y2K問題を利用した。供給網が点検され、主要業者や顧客の信頼度が評価された。全国的な危機管理計画が策定され、テストされ、修正された。政府はあらゆるレベルで、この機会を利用して、不可欠なサービスの官民の供給者を把握し、結合させた。一般的に、Y2K問題は、システムと関係の双方にとって簡素化と組織化という有益な機会を提供した。
国家間においては、Y2K問題は、世界的な問題に対処するための新しい形態の組織、つまり初めての「バーチャルな」国際政府組織を作り、テストする機会をもたらした。Y2K問題は、すべての国に脅威を与える共通の問題と見られていた。経済と安全保障の相互依存は、孤立した国はないことを意味した。問題の性格の明快さと絶対的な期限が、仕事に明確性と緊急性を与えた。問題への実現可能な対処に関する情報と準備完了に向けての進捗状況について、情報の共有が最重要事項となった。こうした環境が、世界中で良質な情報を確認し、共有するための機敏な公的メカニズムの創出を促した。
グローバルなY2Kチームをつくるため、各国はこの脅威と恩恵が入り交じったところへ、優秀な人材、多くの場合は最優秀管理職を送り込んだ。170ヵ国以上からのY2K調整官と数えきれないほどの官民の国際組織からのY2K担当管理職が卓越した仕事を生み出した。仕事への打ち込み、経験、問題解決に対する姿勢が、この取り組みのリーダーたちに成功への道筋に向かわせた資質であった。
二番目に重要な資産は、質の高い情報の蓄積が増加していったことであった。各国の国内Y2K問題担当部局の創設、Y2K問題の評価、修復、試験プログラムの管理、危機管理計画の準備と訓練にあたっての最善の方法を共有することによって、多くの国が貴重な時間を月単位で節約でき、大幅にコストを削減できた。98年の時点ではできていなかったコードチェックのための強力なツールが、99年には、修正とテストを大幅に加速させた。時間がなくなるにつれ、注意を払わなければならない最重要分野を細かく特定する能力が、その結果を卓越したものにした。
三番目の資産である電子ネットワークにより人間と情報が効果的に仕事をすることができた。ネットワークは、組織的、地理的な境界線を超え、時間帯にとらわれずに、ほぼ同時のコミュニケーションを可能にした。ワールド・ワイド・ウエッブ、電子メール、ファックス、電話は、迅速な協議や情報の共有を実用的かつ経済的なものにした。
もちろん、こうした規模の問題で資金なしに解決できものはない。政府と業界の両方が支援をした。世界銀行、国連開発計画、その他の多国間、二国間の援助機構、先進国が、開発途上国・新興経済国におけるY2Kプロジェクトへの直接の援助として1億ドル以上を提供した。世界銀行によるY2K対策融資は、Y2Kプロジェクトにかわわる各国の財源に1億6,900万ドルを加えることとなった。これらの政府による財政支出は、世界で民間部門がY2K問題対策に使った2,000億ドルと比べるとささやかなものではあったが、これらの財源はほとんどの重要なシステム上の問題に政府が対処するにあたって十分なものであり、国内、国際的な作業を効果的なものにした。
最後に、意志と資金が必要不可欠であったが、もし重要な二つの国際機関、すなわち国連と世界銀行がリーダーシップを発揮しなかったなら、それらは十分でなかったであろう。世界銀行の1997年の「インフォデブ(infoDev)」計画によって開始されたY2K普及計画を基に、1998年12月、国連と世界銀行が共同で120ヵ国以上のY2K問題の政府代表者を国連に集めた。各国の調整官は、Y2Kバグへの対処という始まったばかりのしかし異質な努力を世界的な基準で協調していくには、国際的な調整機関が必要であると感じた。国連情報科学作業グループ(United Nations Working Group on Informatics)の後援により、世界銀行による直接出資、各国政府からの人的・物的支援、世界情報技術サービス連盟の支援を得て、1999年2月、国際Y2K協力センターが創設された。国際Y2K協力センターは国連の正式な部門でも、世界銀行の正式部門でもなかった。しかしながら、センターは、二つの国際機関の公的立場で、各国政府のY2K問題代表と直接、かかわることができ、より公的な地位であれば引き起こしたかもしれなかった有害な遅延もなく、公的な拘束力をもつことができた(詳細は付属文書Mの「リソース」の項を参照)。
国際的なY2K問題への取り組みの詳細、及び取り組みにおける国際Y2K協力センターの役割が本報告書の中心である。本要約のため、 Y2K協力センターの取り組みを6つの要素に要約した。Y2K協力センターは、質の高い情報を集め発信した。絶えず更新する地域的、地球規模のネットワークを組織化した。急激に変化する公開情報を管理した。ほとんどの結果を正確に予測した。日付変更で起こる事態の世界的な窓口を作った。これらの個々の要素は各国のY2K問題への取り組みを支援する目的を持っていた。あらゆるケースで、Y2K協力センターは、各国政府、各組織、個人の支援を得て、成功を収めた。Y2K協力センター自身が、Y2K問題を解決はしなかったが、解決にあった当事者の仕事をより効率的、効果的なものにすることに貢献した。
IYCCの主要活動(1998年12月から2000年1月)
質の高い情報の収集と発信
- 電子情報連絡がほぼ10日毎に、170ヵ国の400名強の代表に送られた。
- 3,000ページ以上のホームページは900万件以上のアクセスがあった。
活発な地域、世界ネットワークの組織化
- 八地域で45回の会議。
- 国連主催による各国のY2K調整官会議。(単一議題の会議では国連の歴史のなかで最大のものが含まれる。)
- 多国間の国際Y2K協力センター運営委員会の会合5回、電話会議多数。
- 欧州委員会や国際民間航空機関など20以上の各国、地域、世界の主動的機関による定期的で広範な電子メール及び会議での情報共有化と活動に関する共同計画の策定。
柔軟な対応枠組みの創設
- 深刻なY2Kによる問題が各国の能力を超えた場合、G8各国をはじめ他の援助国、国連緊急対応調整官、世界銀行、国際通貨基金などを結ぶネットワークが対応すべく待機した。
急速に変化する公開情報の管理
- 記者会見8回、プレスリリース33件、無数のインタビューで、世界中のメディアで使われた情報は6,000件。
結果の性格な予測
- 1999年9月以降の報告3件は、深刻な被害はなく、原子力の安全にかかわる問題はないと予測した。
- 医療機器及び政府サービスへの懸念は正確であったことが証明された。
日付変更時問題の窓口の創設
- 159ヵ国が世界状況監視(GSW)に参加し、日付変更の前後でそれぞれの国のY2K問題状況を報告し、世界の人々に世界のY2K問題は十分に対応されているとの安心感を与えた。
世界規模のY2Kチームが良い結果をもたらした。Y2Kのバグが、国レベルでも、世界の地域レベルでも、全地球レベルでも不可欠なサービスを寸断さすことはなかった。加えて、Y2Kへの恐怖心によるパニックや過剰反応もなかった。Y2Kによる誤作動が各国の調整官やメディアにより報告されたものは、小規模なものであった。(最新のリストは付属文書Cを参照)。しかし、これらの問題は、影響を受けたシステムを運営する組織体によって解決された。さらに多くの誤作動が起こっていたはずだが、ただちに解決されたり、一時的に修復されたため公表されなかった。
皮肉なことに、各国のY2K問題調整官が直面した最大の問題は、Y2K問題への取り組みに直接かかわっていない者による結果論であった。あるものは、問題対処のため過大な費用が使われたのではとの疑問を呈している。これらの批判は、各国の大幅な歳出額に向けられ、歳出を考慮せずに、結果はおおむね比較可能だろうとしている。これから、少ない歳出でも同じ結果を得たのではとの結論を出している。
分析結果によれば、実際の歳出額は、みかけよりもずっと少ない。付属文書Dで示したように、50ヵ国の「Y2K支出指標」はスウェーデンの318ドルからブルガリアの2ドルにまで幅広い。( Y2K支出指標はY2K問題に支出された金額を、各国の自動システム数で調整したもの。)この差は、さまざな要因によるものと考えられる。コンピュータにより大きく依存している国は、修復費用は当然大きくなる。ある国のY2K支出は、他国と比べると、より明確で把握しやすいものであった。さらに、支出の少なかった国の多くが、遅い時点で作業に加わったという点もある。時間の経過とともに, Y2K対策ツールやノウハウは、より高速化し、費用も下がり、後発のものは、より低コストで、同じ結果を得ることができた。
世界規模でのY2K問題をめぐる経験は、世界がどのように機能し、国際協力はどのように改善すべきかを学ぶ、めったにない機会となった。時間の経過とともに、学ぶべき教訓はさらに明らかになるであろうが、「戦略」「情報」「管理」の三つの分野にわたる18の教訓が本報告書の最後に詳述されている。
教訓のうち七つは、「なぜこのような規模の国際協力が可能であったか」という質問に答える形で始まっている。共通の脅威と国境をまたぐ相互依存という主要な二つの要因が鍵であった。 Y2K問題は全ての国を脅威にさらし、他国の経験に学ぼうという動機づけを与えた。しかし、Y2K問題は一国だけですむ問題ではなかった。もし大きく依存している供給先や市場の対応ができていなければ、自らのシステムを修復するだけでは効果はない。これらの二つの要素の連動が、相互の関心を創出させ、協力を促進させた。残りのいくつかの戦略的教訓は、適格な条件を与えられば、世界は世界規模の問題に対処するためにうまく組織を作り上げることができるということを示唆している。
情報に関する教訓については、Y2K問題は、リスクと対応準備完了に関する公的、私的情報の解釈で避けなければならない落とし穴を示すとともに、公開情報の威力をはっきりと示した。これらの教訓に共通することは、状況に最も近いもの、今回は各国のY2K問題調整官が、外部の専門家や予測屋よりも現実をよりよく知っている可能性があるという認識である。
最後に、Y2K問題は組織管理者に対していくつかの基本的な建設的提言をもたらした。これらに共通することは、電気通信技術は複雑な組織の運営において不可欠であるということが示され、技術的リスクへの認識は、情報システム管理者だけの領域ではもはやなくなったということを示している。
最終的には、世界規模のY2K問題の体験は、世界的な難問が今後発生してもそれが解決しうるという希望をもたらした。世界の市民すべてが技術の恩恵を受けることができるようにすること。情報及び各種基盤に相互リンクしている技術がもたらしうるリスクを管理すること。政治を改善するために、これらの技術を使用する方法を見つけること。このわずか三つの分野は、今後ともさらなる探求、調査を生み出す。世界のY2Kチームが解散するにあたって、われわれの願いは、学んだことが他の分野に生かされ、Y2K問題から得た恩恵が、今後の世界で生かされることである。
Y2Kから学んだ教訓 (詳細は第10章参照)
戦略的教訓
- 共通の脅威及び国境をまたぐ相互依存が、成功の鍵をにぎる。
- ネットワーキングと情報面での協力は効果的。
- 一気に飛び越えることはよい。
- 各インフラは相互に結びついており、回復力もある。
- 指導力が徹底的に重要であるが、しかし組織体ごとに対応速度は異なる。
- 官民のパートナーシップは効果的。
- 技術は管理しうる。
情報面での教訓
- 事実関係が信頼を作る。
- 価値観の自己報告。
- 近いほうがよりよい。
- 詳細は価値がある。
- 情報の遅れに用心。
- 情報の独占には価値は少ない。
管理面での教訓
- プログラムは「平易な英語」で説明。
- 情報・コミュニケーション技術は決定的に重要。
- システム、供給者、ビジネス・プロセスを知る。
- リスクを事前に管理する。
- 結果をだすための必要事項の優先順位をつける。
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