はじめに



 1997年夏のタイ・バーツの下落に端を発したアジア通貨危機は、東アジア地域の多くの国で深刻な経済・社会困難を生み出し、国際経済にも大きな影響を与えており、98年5月には30年余り続いたインドネシアのスハルト政権の退陣にも繋がった。この地域の各国が行っている厳しい構造調整努力を支援するため、我が国を含む国際社会は、IMFを中心とする金融支援や社会的弱者対策の支援等を行っている。我が国としても政府開発援助(ODA)を含め、アジア支援策として、約420億ドルにのぼる支援を行うことを表明している。

 こうした協力に見られるように、我が国はODAを開発途上国の経済・社会情勢の安定化や改善のため用いており、これはまた国際社会の安定と繁栄を通じ国際社会全般の利益に資するものである。また、食料、エネルギー等を海外に大きく依存する日本にとり、ODAを通じた開発途上国の経済・社会的安定と友好関係の強化は、我が国の食料・エネルギー安全保障の観点からも極めて重要である。更に、地球温暖化や酸性雨をはじめとする環境、人口、食料等の問題は、特定国のみで対処できない地球規模の問題であり、こうした問題への取り組みは、日本国民自身の生活を守ることにも繋がる。また、対人地雷問題を含めた地域紛争に関する問題への取り組みは、人道的観点から必要であり、また国際社会の安定と繁栄の確保、或いは我が国国民の直接・間接の安全確保に繋がるものである。このような観点から、我が国は引き続きODAを実施しており、97年には約94億ドルにのぼるODAを実施し、91年以来7年連続して世界第l位のODA供与国となっている。

 我が国国内の政府開発援助(ODA)を巡る情勢については、我が国の厳しい財政状況を反映し、97年12月に制定された「財政構造改革の推進に関する特別措置法」において平成10年度一般会計ODA予算(当初予算)の対前年度比10%以上の削減等が決定された。こうした厳しい財政状況とODAの有する意義に対する認識を背景として、各界でODA改革に関する議論が活発に行われた。政府関係では、総理大臣の諮問機関である対外経済協力審議会において経済協力に関して活発な議論が行われ、「今後の経済協力の推進方策について」が第13期対外経済協力審議会の意見としてまとめられた(98年6月)ほか、経済企画庁調整局長の懇談会である「経済協力政策研究会」、外務大臣の懇談会である「21世紀に向けてのODA改革懇談会」、通商産業大臣の諮問機関である「産業構造審議会」の下にある経済協力部会がODAや経済協力について議論し、それぞれ報告書を発表した。また、国会においても、参議院国際問題調査会において、ODAの理念や在り方等についての提言を含む報告書がまとめられた(98年6月)。

 政府開発援助大綱(ODA大綱)の運用に関しては、98年5月11日及び13日にインドが、また5月28日及び30日にはパキスタンが世界的な核実験の全面的な禁止の流れに逆行し地下核実験を行ったことについて措置がとられた。政府は両国の政府に対し強く抗議し、核実験及び核兵器開発の早期中止を強く申し入れた。更に政府はインドに対しては14日までに、パキスタンに対しては29日、ODA大綱の原則に鑑み、新規の無償資金協力の原則停止や新規の円借款の停止等の措置をとった(「5.政府開発援助大綱の運用状況」参照)。


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