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第5節 感染症
●感染症の脅威とODAによる対策
感染症は、国境を越えて人の健康と生命を脅かし、社会全体に深刻な悪影響を及ぼす重大な国際問題です。感染症の広がりは、日本にとっても脅威となる問題です。したがって、日本における対策のみならず、自国での対処が困難な開発途上国への積極的な支援が不可欠となります。水、食料、住居などの生活環境に困難を抱え劣悪で医療体制が不十分な開発途上国の多くでは、感染症が開発努力を後退させかねない大きな問題となっています。例えば、世界に4,000万人いるとされるエイズ患者のうち約95%は開発途上国に集中し、サブ・サハラ・アフリカにおいてはHIV/エイズによる死亡が毎年の死亡者総数の20%に達します。また、感染症は国づくりを担う人材の喪失を招き、あらゆる経済社会活動に悪影響を及ぼします。さらに、「感染症は過去のもの」と認識されがちな日本を含む先進諸国においても、開発途上国における感染症蔓延の影響を受ける危険性は排除できません。こうした状況を踏まえて、日本は国際的な感染症対策の推進を重視し、ODAを活用して開発途上国の感染症対策を積極的に支援しています。
現在までの大きな取組として、2000年のG8九州沖縄サミットに際して、議長国の日本は「感染症」に焦点を当てた「沖縄感染症対策イニシアティブ(IDI:Infectious Diseases Initiative)」を発表しました。このイニシアティブに基づいて、日本は2000~2004年の5年間で30億ドルという当初の目標額を大きく上回る約58億ドルの支援を実施しました。IDIに続いて2005年6月に発表された「保健と開発に関するイニシアティブ(HDI:Health and Development Initiative)」(注)は、感染症対策を含む保健関連MDGs達成に貢献するために包括的な支援を実施することを目指すものです。HDI発表後の同年6月中に、小泉総理大臣(当時)は、このイニシアティブを通じて、5年間で50億ドルを目途とする支援を実施することを表明しました。また、2005年6月には世界エイズ・結核・マラリア対策基金に当面5億ドルを支援することを発表し、感染症対策への取組を強化しています。
日本は戦後、栄養改善、母子手帳や妊産婦検診、学校保健の活用、衛生施設の整備、地域保健活動の充実などの取組によって、母子保健の大幅な改善や、幾つかの寄生虫疾患の国内根絶を実現してきました。日本のODA活動では、このような自らの経験を活用して開発途上国の人材育成を含む保健医療体制の整備や、教育、水と衛生、インフラ整備といった関連分野における支援を包括的に実施しています。
●ポリオ根絶支援
日本のODAが感染症の地域的根絶を達成した例として、ポリオ対策への協力があげられます。ポリオの根絶は、天然痘の根絶に続く国際的な目標となっていますが、安価なワクチンにより予防が可能にもかかわらず、ワクチンが不足している開発途上国では、いまだ発生事例が報告されています。
日本は、ポリオ撲滅のため、ワクチン供与等を中心に1993~2002年の間で計2.8億ドル以上の支援を実施しました(G8では米、英に次いで3位)。特に東アジアから大洋州島嶼国を含む西太平洋地域への支援に重点を置き、同地域におけるポリオ対策協力総額の約35%もの支援を行って、同地域のポリオ発生数の大部分を占めていた中国での根絶達成などに大きく貢献しました。日本が支援した中国における「全国予防接種の日(NID:National Immunization Days)」の実施は、全国8,000万人以上の子どもを対象に一斉にワクチン投与することで感染抑制に高い効果を上げたため、その後ポリオ流行国でNIDが対策の中心的活動として広く実施されるようになりました。このような取組の結果、2000年10月には、WHO(World Health Organization:世界保健機関)が西太平洋地域におけるポリオ根絶宣言を発出するに至りました。その後も日本は、2003年のG8エビアン・サミットで誓約した3年間8,000万ドルの支援を達成するなど、積極的な支援を実施しています。
●SARSによる影響
新たな感染症への取組の一例として、2002~2003年に東アジアを中心に発生したSARSに対して日本のODAが果たした役割について紹介します。
SARSは、強い感染力を持ち、致死率が10%前後に達する一方、適切な措置により感染拡大の予防が可能な病気です。SARSは2002年11月に中国広東省で流行し始め、3月には香港とベトナムでも集団発生し、さらに感染者がシンガポール、トロント(カナダ)などへ移動したことにより、急速に感染が拡大しました。このため、SARS感染を警戒して世界的に人の移動が減少し、広範囲にわたり経済社会活動に悪影響を及ぼしました。
SARSは、2003年7月のWHOによる収束宣言までの約8か月間に中国を中心に感染者数8,439人、死亡者数812人の被害を出しました。ADB(Asian Development Bank:アジア開発銀行)によれば、SARSの東アジアへの経済的影響はおよそ180億ドル、あるいはGDPの0.6%に相当すると試算されています。これは予防可能な感染症であっても、短期間に急速に感染が拡大することにより、多大な健康への被害と経済的影響を及ぼす危険性を物語っています。
図表I―13 SARS発生前後の日本の出入国者数の推移

●SARS対策への日本のODAによる貢献
WHOは、2003年3月中旬にSARS流行地域指定や渡航延期勧告を発出しました。WHOはSARS感染に対処するため、感染疑い例の報告や患者の隔離を推奨し、国際社会と連携しつつ発生国における感染拡大の予防、監視、疫学調査等の取組を進めました。しかし、アジアのSARS感染発生国における不十分な医療水準と機材・用具の不足により、対策の遅れが懸念されていました。
こうした状況を踏まえて、日本はSARS感染拡大を阻止することを重視し、中国、ベトナム、フィリピン、モンゴル、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、インドネシアに対して、医療機材供与を中心に総額約20億円の支援を行いました。このうち最も感染の拡大した中国に対しては、医療体制が未整備で感染拡大が懸念される内陸部を対象にした機材供与など、約17億円の支援を行っています。また、感染の早期制圧のために日本は国際緊急援助隊の専門家チームをまずベトナムに、その次に中国へ派遣しました。
ベトナムに派遣された専門家チームは、2003年3月にベトナムにおける患者の発生及び入院先での二次感染事例が報告された、わずか4日後に現地に入りました。同チームは、医療関係者との意見交換やセミナーの開催、対策マニュアルの作成などを通じて、感染予防の指導と助言を行いました。このような初期段階における専門家チームの派遣により、ベトナムにおける院内二次感染を効果的に予防することに貢献しました。

ベトナムのSARS感染予防対策(写真提供:JICA)
一方、最も被害の深刻だった中国について、要請の4日後の5月11日から6日間、日本の専門家チームは北京のSARS感染者を収容した日中友好病院を中心に活動を行いました。同病院は、1980年に日本の無償資金協力で建設され、その後も日本が機材供与や技術協力を行ってきた中国有数の総合病院です。多数の感染者を収容できることから、北京における感染発生後に中国政府によりSARS専門病院として指定されました。しかし、感染症専門の病院ではなかったためにSARS対応に必要な経験・知識が乏しく、感染者の受入れ当初に発生した院内感染への対策を進める必要がありました。日本の専門家チームは、医療関係者や北京市衛生当局等に対し、日本で実施されている対策や消毒方法を紹介し、ベトナムでのSARS対策の状況や、防護方法、完治の判断基準などについて説明するセミナーを開きました。さらには、専門家チームが携行した防護服や人工蘇生器などを病院に供与し、使用のデモンストレーションを行いました。こうした技術的な指導と機材供与を迅速に行った結果、日中友好病院はSARSへの対応能力を身につけ、北京市におけるSARS対策の推進に極めて大きく貢献しました。
●各国からの反応
ベトナム政府は、日本のSARS対策支援がSARSの早期制圧に貢献したとして様々な機会に謝意の表明を行っています。2003年6月、駐ベトナム大使にはこの貢献に対し表彰メダルが授与されました。また、中国政府は、SARS対策のために受けた支援の中でも最大規模であった日本の支援に対して、幾度となく謝意を表明しています。2003年5月の日中首脳会談においては、胡錦濤(こきんとう)国家主席は小泉総理大臣(当時)に対して、中国人民及び政府を代表し日本からの支援に心から感謝する旨の謝意を伝えました。さらに、李肇星(りちょうせい)外交部長は、日中外相会談をはじめとする日本側要人との会談の度に、SARS対策においては日本の支援が最大であったことに言及して、繰り返し謝意を伝えています。2006年3月にJICAの緒方貞子理事長が中国を訪問した際にも、同外交部長から日本の支援を高く評価している旨の発言がありました。
●鳥及び新型インフルエンザ
今日、世界では鳥及び新型インフルエンザの流行のさらなる拡大の危険が高まっています。H5N1型鳥インフルエンザの流行は、世界中に広がる勢いを見せ、新型インフルエンザに変異して流行すれば世界中で数百万人が死亡する可能性が指摘されています。また、ヒトからヒトへの感染が起こっていない現時点においても、各国では養鶏産業が打撃を受け、雇用や観光への被害も広がっています。
日本は2006年1月、鳥及び新型インフルエンザ対策支援として、1.55億ドルの支援を発表しました。具体的には、感染拡大を防ぐために有効な抗インフルエンザ・ウィルス薬その他の必要物資の備蓄支援(抗インフルエンザ・ウィルス薬50万人分、防疫用品70万人分の備蓄のためにASEAN統合基金に約4,680万ドルを拠出)や、UNICEF(United Nations Children's Fund:国連児童基金)やWHO等を通じた住民啓発、監視強化、防疫等の支援、世界銀行・ADBを通じた支援、家きん対策としてのOIE及びFAOを通じた各国の獣医行政、通報体制、防疫対策の強化のための支援などを実施しています。また、同じく2006年1月に新型インフルエンザ早期対応に関する東京会議を主催し、各国間の協調を促しました。SARS対策の経験から、新興感染症に対しては迅速かつ効果的な対応を各国が一致して実施することが必要です。日本は、鳥及び新型インフルエンザ対策についても、国際会議等を通じて各国、国際機関と連携を図りながら、主導的役割を果たしていく考えです(詳細については、第II部第2章第2節3.(2)(ヘ)を参照してください)。