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本編 > 第I部 > 第1章 > 第2節 > 3.新たな開発援助の担い手と手法の出現 > (2)援助手法の多様化


(2)援助手法の多様化

 1990年代に入りOECD-DACEU諸国を中心に、援助効果を高める手法について様々な議論が展開されました。なかでも、プロジェクト型支援からプログラム型支援への移行、財政支援、アフリカ地域におけるコモン・ファンド(注1)の導入、援助手続きの調和化といった新しい手法や考え方が援助効果を高める手段として提案され始めました。また、世界銀行においては1980年代に積極的に導入された構造調整政策が十分な成果を上げなかったことの反省から、1990年代にその手法に対する見直しの機運が高まりました。それに伴い、開発援助の目標を従来の経済政策を中心とした「経済成長」から、ガバナンス、基礎教育、保健医療といった包括的な視点に立って「貧困削減」に取り組む考え方が主流化し、その目標を達成する手法として1999年には包括的開発の枠組み(CDF:Comprehensive Development Framework)が提案され、同年CDFの考えに沿った形で貧困削減戦略文書(PRSP :Poverty Reduction Strategy Paper)を被援助国に策定することが求められることとなりました(PRSPについては第II部2章2節4参照)。
 このような新たな援助手法の中で特徴的なことは、現場における様々な主体の開発プロセスへの参画と現地における様々な主体との協議の活発化です。このような援助の現地化の促進は、実際に途上国で導入されており、その広がりを見せていることから、現地での援助国・国際機関間の援助や手続きにおける協調を図る動きが更に活発化することが見込まれています。これに対して、先進各国及び国際機関も現地事務所に権限を委譲したり、現地の人員を強化したりするなどの対応を図っており、迅速でかつ柔軟な援助を図るとともに、途上国における影響力の確保を図っています。日本も従来の二国間援助に加え、PRSP等の援助協調の流れに参画していくために、頻繁に現地で行われる会合に参加し意見を表明することを通じて、被援助国の開発計画策定に積極的に関わっていくことが必要になっています。そのためにも現場での人員体制の整備・強化、そして現場をサポートするための日本国内における体制構築が不可欠になってきました。(注2)
 以上のような援助を巡る国際的な潮流の変化もODA大綱の改定が必要となった背景の要因の1つです。



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