2008年12月に北京で開催された六者会合に関する首席代表者会合では、北朝鮮による非核化措置のための検証の具体的枠組みに関して合意に至らず、六者会合は膠(こう)着状態に陥っていた。このような状況の中で、北朝鮮は、2009年4月5日、日本を含む関係各国が自制を求めたにもかかわらず、ミサイル発射を強行した。
これを受けて、日本政府は同日、北京の「大使館ルート」を通じて北朝鮮に対し直ちに抗議を行った。また、米国、中国、韓国といった関係国と相次いで外相電話会談を行い、対応を協議した。
国連安保理は、同月14日(日本時間)、議長声明を発出し、北朝鮮によるミサイル発射を国連安保理決議第1718号(注1)違反として非難するとともに、北朝鮮に対して決議第1718号の完全履行、六者会合の早期再開、共同声明の完全実施等のための努力強化等を要求した。また、国連安保理北朝鮮制裁委員会(注2)は、同月25日(日本時間)、北朝鮮に対する禁輸対象品目の拡大(注3)、及び資産凍結対象団体の指定(注4)に合意した。
北朝鮮は、こうした国際社会の動きに強く反発し、同月14日の外務省声明において、「六者会合には二度と絶対に参加しない」旨を表明し、また、29日の外務省スポークスマン声明において、「核実験と大陸弾道ミサイル発射実験を含む自衛的措置をとらざるを得なくなる」旨を表明した。
北朝鮮は、国際社会の動きへの反発を更に強め、5月25日には核実験を強行した。これを受けて、日本政府は同日、直ちに国連安保理緊急会合の開催を要請すると同時に、北京の「大使館ルート」を通じて北朝鮮に対し抗議を行った。また、総理大臣声明を発出し、北朝鮮の核実験に対し、厳重に抗議し、断固として非難した。さらに、米国、中国、韓国といった関係国と相次いで首脳間、外相間で会談及び電話会談を行い、対応を協議した。国連安保理は、6月13日(日本時間)、北朝鮮が実施した核実験を強く非難し、追加的な制裁措置を課す内容の決議第1874号を全会一致で採択した(次頁参照)。
これに対し、北朝鮮は強く反発し、同日発出した外務省声明において、「いまや核放棄など絶対にありえないものになった」などとした上で、今後、プルトニウムの兵器化やウラン濃縮作業に取り組んでいく旨を表明した。また、7月4日には、関連の国連安保理決議に違反して複数発の弾道ミサイルを発射した。
8月4日、クリントン元米国大統領は北朝鮮を訪問して、金正日(キムジョンイル)国防委員長と会談し、5日には、抑留されていた米国人記者2名が解放された(注5)。また、同月10日から17日ま で開城(ケソン)工団や金剛山(クムガンサン)観光事業を手がける韓国の現代グループの玄貞恩(ヒョンジョンウン)会長も北朝鮮を訪問し、抑留されていた韓国人が解放された(注6)ほか、玄会長が金正日国防委員長と会談し、共同報道文を発表した(注7)。さらに、同月21日には金大中(キムデジュン)元韓国大統領の逝去に伴い北朝鮮弔問団が韓国を訪問し、23日に李明博(イミョンバク)韓国大統領と会談した(注8)。
北朝鮮を訪問中の温家宝(おんかほう)中国国務院総理は10月5日、金正日国防委員長ほかと会談した。温家宝中国国務院総理からの六者会合再開に向けた働きかけに対し、北朝鮮側は、朝鮮半島の非核化は故金日成(キムイルソン)国家主席の遺訓であり、朝鮮半島の非核化を目指すとの目標に変わりはなく、米朝間の敵対関係を平和的関係に転換する必要があるとした上で、六者会合を含む多国間協議への復帰の可能性について言及した。
同月26日には、16日に行われた南北赤十字実務接触での北朝鮮側からの人道支援要請に基づき、大韓赤十字社が、トウモロコシ1万トン、粉ミルク20トン、医薬品等を北朝鮮の乳幼児・妊婦等の弱者層向けに支援する旨を北朝鮮側に通知した。
12月8日、ボズワース米国特別代表が訪朝し、姜錫柱(カンソクジュ)外務第一副相、金桂冠(キムケグァン)外務副相ほかと会談した。ボズワース米国特別代表は、訪朝後の記者会見で、六者会合共同声明の実施及び六者会合再開の必要性について北朝鮮との間で、ある程度共通の理解に到達した旨を表明した。また、北朝鮮側に対して拉致(らち)問題を含む日朝関係を進展させることの重要性を強調した。12日に訪日したボズワース米国特別代表は、岡田外務大臣への表敬及び薮中三十二(みとじ)外務事務次官との協議を行い、訪朝結果を報告した。
2008年には、2回にわたり、日朝実務者協議が開催され、拉致(らち)問題に関する全面的な調査の実施及びその具体的態様等につき日朝間で合意した。しかし、同年9月に北朝鮮側から、引き続き日朝実務者協議の合意を履行する立場であるが、調査開始を見合わせるとの連絡があり、それ以降、日本政府は北朝鮮側に早期の調査開始を繰り返し要求しているが、北朝鮮はいまだに調査を開始していない(2010年2月末現在)。政府としては、今後とも六者会合などの場を通じ、関係国とも緊密に連携・協力しながら、北朝鮮に対し、拉致問題を含む諸懸案の包括的解決に向けた具体的な行動を求めていく考えである。
2010年2月末現在、政府が認定している日本人拉致事案は12件17名であり、その内12名がいまだ帰国していない。北朝鮮は、12名の内、8名は死亡し、4名は入境を確認できないと主張しているが、そのような主張について納得のいく説明がなされていない以上、安否不明の拉致被害者はすべて生存しているとの前提で取り組んできている。北朝鮮による拉致は、日本の主権及び国民の生命と安全にかかわる重要な問題であり、政府としては、その解決を最重要課題の一つと位置付け、すべての拉致被害者の安全確保と即時帰国、真相究明等を、日朝協議等において強く要求してきている。
2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、同年10月の北朝鮮による核実験実施発表を受け、また、北朝鮮が引き続き拉致問題について何ら誠意ある対応を見せていないことなどを総合的に勘案し、政府は一連の対北朝鮮措置(注9)を決定し、これらの措置を依然として継続している(2010年2月末現在)。また、2009年4月の北朝鮮によるミサイル発射、5月の北朝鮮による核実験実施発表を受け、政府は追加の対北朝鮮措置を決定した(注10)。
日本政府は、各種の国際会議、首脳会談等の外交上の機会をとらえ拉致問題を含む北朝鮮問題を提起し、諸外国からの理解と協力を得ている。7月のG8ラクイラ・サミット(於:イタリア)では、北朝鮮問題についての日本の主張を参加国が支持した結果、首脳宣言では「我々は、北朝鮮に対し、関連の国連安保理決議の更なる違反を差し控え、これらを完全に遵守し、六者会合への早期復帰を含め、対話と協力に取り組むことを要請する。この観点から我々は、北朝鮮によるすべての核兵器及び既存の核計画の放棄を含め、2005年9月19日の共同声明の完全な実施の重要性を強調する。我々は、すべての参加者がこの形式の下での合意された措置を実施する必要性を認識する。我々はまた、北朝鮮が、拉致問題を含む人道上の問題に対する国際社会の懸念に直ちに取り組むことを要請する。」旨が盛り込まれた(注11)。また、9月の国連総会一般討論演説において、鳩山総理大臣から北朝鮮問題に関する日本政府の決意を表明した(注12)。
10月10日に北京において開催された第2回日中韓サミットにおいて、鳩山総理大臣、李明博韓国大統領及び温家宝中国国務院総理は、北朝鮮から前向きで具体的な対応を引き出すために引き続き緊密に連携することで一致した。また、タイで開催された日・ASEAN首脳会議(10月24日)、ASEAN+3首脳会議(10月24日) 及びEAS(10月25日) において、鳩山総理大臣から、北朝鮮をめぐる諸懸案の包括的解決が重要であり、国連安保理決議の履行、北朝鮮の六者会合復帰と共同声明実施の約束、拉致問題等の人権状況への北朝鮮側の前向きかつ具体的な対応が必要である旨を指摘したことに対し、各国からは、理解と支持が表明された。さらに、日米間では、訪日したオバマ米国大統領との日米首脳会談(11月13日)において、北朝鮮問題について日米で引き続き緊密に協議を行うことで合意し、翌14日、オバマ米国大統領は米国の対アジア政策演説の中で、北朝鮮による六者会合への復帰と朝鮮半島の全面的かつ検証可能な非核化を働きかけるとともに、「北朝鮮と近隣諸国との完全な国交正常化は、日本人の被害者家族が拉致被害者に関する十分な説明を受けることが前提となる。」旨を述べた。
さらに、12月19日(日本時間)には、日本が、EUと共同で提出した北朝鮮人権状況決議(注13)が、賛成99票、反対20票、棄権63票で国連総会本会議において採択された。この決議は、国際的懸念事項である拉致問題に対する極めて深刻な懸念を改めて表明し、北朝鮮に対してこの問題の早期解決を強く求めている。
北朝鮮から逃れた脱北者は、滞在国当局の取締りや北朝鮮への強制送還等を逃れるため潜伏生活を送っており、政府としては、こうした脱北者の保護及び支援について、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえ、人道上の配慮、関係者の安全、脱北者の滞在国との関係等を総合的に勘案しつつ対応している。日本国内に受け入れた脱北者については、関係省庁間の緊密な連携の下、定着支援のための施策を推進している。
北朝鮮は、金正日国防委員長が主に朝鮮労働党を通じて全体を統治しており、「先軍政治」と呼ばれる軍事優先政策を実施している。また、4月には、憲法を改正し、国防委員長の権限を強化するなど体制の強化を図った。
北朝鮮は、社会主義圏崩壊以降の厳しい経済難から、1990年代中盤以降、部分的な経済改革に着手した(注14)。また、1998年以来、思想、政治、軍事、経済の強大国である「強盛大国」の建設を標榜(ぼう)し、近年は経済復興に努力していた。しかし、エネルギーを含め、全般的な資材・資金不足の中で、こうした措置が生産活動の活性化につながっているのか、貧富の差の拡大をもたらしていないのかなど、不透明な点が多い。4月からは、全国的な生産拡大キャンペーンである「150日戦闘」及び「100日戦闘」を行ったほか、12月にはデノミネーション(注15)を実施した。日本政府は、これら施策の真意やその後の動向等について、引き続き情報収集に努めている。
2008年の北朝鮮の経済成長率は、推計3.7%(韓国銀行推計値)であり、3年ぶりにプラス成長に転じた。しかし、これは一時的な要因に起因しているものと考えられ、依然として資材・資金の不足、生産施設の老朽化、遅れた技術水準等の問題は産業全体に存在しているものとみられる。また、食糧事情についても、近年、慢性的な肥料不足等の影響で穀物総生産量が低調な水準で推移しており、2009年についても引き続き厳しい状況にあったと考えられる。
北朝鮮は、近年中国との経済関係を急速に拡大している。2008年の北朝鮮による対中貿易額は、総額で約27.8億米ドルに上り(大韓貿易投資振興公社(KOTRA)推計値)、北朝鮮の対外貿易の約5割を占めている。
日韓両国は、自由と民主主義、基本的人権等の基本的価値を共有する重要な隣国同士であり、首脳・外相レベルを始め、様々な分野で重層的な政府間対話が行われた(注16)。9月に開催された国連総会において、鳩山総理大臣と李明博韓国大統領との間で行われた日韓首脳会談で、鳩山総理大臣は、日韓関係は日本にとって最も重要な隣国関係であり、更なる関係強化を図りたい旨を述べ、両首脳は、今後とも日韓で北朝鮮問題を始めとした様々な問題について緊密に連携することで一致した。10月には、鳩山総理大臣は初の二国間での外国訪問として韓国を訪問した。その際の日韓首脳会談では、両首脳が形式張らずに頻繁に往来する「シャトル首脳外交」を実施し、首脳・閣僚間の会談を頻繁に行い、日韓関係を更に強化していくこと、また、未来志向の関係を構築していくために様々な分野で緊密に協力していくことで一致した。
日韓両国民の相互理解と交流の流れは着実に深化、拡大している。日韓両政府が両国民の交流環境の整備に向けた施策を講じていることもあって(注17)、1965年の国交正常化当時には年間約1万人であった両国間の人の往来は、2009年には約464万人に達した。
日韓両国の一般市民が参加する交流事業である「日韓交流おまつり」はこれまでソウルでのみ開催されてきたが、2009年に5回目を迎えることを記念し、9月に初めて東京とソウルで同時に開催した。東京では約14万人、ソウルでは約6万人が参加し、大成功を収めた。また、2007年度から5年間の予定で開始された「21世紀東アジア青少年大交流計画」の下、2009年度は、1,400人を超える韓国の中高生、大学生、教員等が訪日した。さらに、10月の日韓首脳会談(於:韓国)では、1999年に設置された日韓文化交流会議の第3期を早期に立ち上げることで一致しており、日韓両国間の文化・芸術交流促進について幅広く協議し、日韓両国間の文化交流増進に積極的な役割を果たす場として、両国間の国民・文化交流、ひいては全般的な日韓関係の発展に寄与することが期待されている。このほか、交流を深化、拡大させるための様々な取組が実施されている(注18)。
2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | |
---|---|---|---|---|---|
韓国への輸出額 | 51,460 | 58,489 | 63,790 | 61,699 | 44,123 |
韓国からの輸入額 | 20,712 | 23,834 | 31,783 | 32,107 | 20,501 |
収支(日本の黒字) | 19,513 | 24,017 | 24,507 | 26,706 | 23,622 |
日韓両国は、北朝鮮問題においても緊密に連携しているほか、気候変動問題、海洋ゴミ問題、黄砂問題等の環境分野での協力、開発途上国の開発支援での協力等国際社会における協力も進めている。10月の日韓首脳会談では、「日韓グリーン・パートナーシップ構想」を推進することで一致した。アフガニスタンでは、職業訓練センターへの日韓両国の専門家派遣、大豆栽培の日韓共同支援等が実施されており、更なる協力の可能性を検討している。
また、二国間にとどまらず、「国際社会に共に貢献する日韓関係」について両国の専門家が幅広い分野で研究を行う「日韓新時代共同プロジェクト」が2月に発足し、2010年に報告書が提出される予定となっている。
2006年に再開された排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉は、2009年3月に第10回交渉を実施し、現在も交渉が継続中である。また、EEZ境界画定には一定の時間がかかることから、緊急を要する課題として、海洋の科学的調査に係る暫定的な協力の枠組み交渉も併せて行っている。
2007年6月に本格的に開始した第2期日韓歴史共同研究は、計5回の全体会議を経て(注19)、共同研究の成果が取りまとめられた。また、朝鮮半島出身者の遺骨問題については、東京都目黒区の祐天寺に安置されている旧軍人・軍属の遺骨を、2008年1月に101体、同年11月に59体返還したのに続き、2009年7月には44体を返還するなど、着実に進展させてきている。そのほかにも、在サハリン「韓国人」支援(注20)等、多岐にわたる分野で真摯しに取り組み、目に見える進展を図ってきた。
なお、日韓間には竹島をめぐる領有権の問題があるが、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土であるという竹島についての日本政府の立場は一貫しており、パンフレットの作成などにより対外的に周知するとともに(注21)、韓国側に対しても累次にわたり申し入れている。いずれにせよ、日本政府としては、この問題の平和的解決のため、粘り強い外交努力を行っていく方針である。
日本にとって韓国は第3位の貿易相手国、韓国にとって日本は第2位の貿易相手国であるが、2008年秋以降の世界経済・金融危機の影響により、2009年の日韓の貿易総額は対前年比29.9%減の約6.5兆円(財務省貿易統計確定値)となった。また、韓国の対日貿易赤字は、前年比24.2%減の約2.4兆円となった。
また、日韓間の投資額も大幅に減少した。2009年の日本からの対韓直接投資額は、58.6%減の約1,014億円であり、韓国からの対日直接投資額は、18.4%減の約239億円となった(財務省対外・対内投資統計速報値)。
2009年、日韓両国では、産業間交流が活発に行われた。4月にソウルで開催された日韓部品素材調達・供給展示会を始めとする各種展示会や、7月に東京で行われた日韓中小企業CEOフォーラムなどが開催され、韓国側からも高い評価を受けた。
日韓EPA交渉(注22)については、2008年から、交渉再開に向けた検討及び環境醸成のための実務者協議を開催してきたが、2009年2月の日韓外相会談において、実務者協議のレベルを格上げすることで一致した。この合意を受けて、7月及び12月、審議官級を代表とした実務者協議が開催され、日韓EPAの重要性についての認識が共有された。
また、4月に日韓経済局長協議が立ち上げられ(12月に第2回開催)、10月には第8回日韓ハイレベル経済協議が開催されるなど、政府レベルでの対話・協議が活発に行われた。
環境分野における両国の協力が近年進展している。9月には、第12回日韓環境保護協力合同委員会が開催され、日韓間の環境保護分野の協力に加え、気候変動問題や生物多様性等の地球環境問題に関する議論が行われた。また、10月の日韓首脳会談において、「日韓グリーン・パートナーシップ構想」を立ち上げ、両国間で気候変動問題を含む環境協力を強化していくことが合意された。この一環として気候変動に関する日韓ハイレベル協議が開催され、気候変動を含めた国際的課題に関する両国の協力の重要性が再確認された。
さらに、科学技術分野の協力も強化されており、宇宙分野においては、韓国の多目的観測衛星を日本のH-Ⅱ Aロケットを用いて打ち上げることが、1月に正式決定された。6月の日韓首脳会談(於:東京)においては、宇宙分野での日韓協力強化の方法について更に議論を深めていくことで一致した。原子力分野についても、7月に第1回日韓原子力協定交渉が開催されるなど、両国間の協力の進展が見込まれる。
2009年に就任2年目を迎えた李明博政権は、当初30%前後の支持率を維持していたが、4月の補欠選挙における与党ハンナラ党の敗北、5月の盧武鉉(ノムヒョン)前大統領の逝去等を受け、一時20%台まで支持率が下落した。その後、10月前半に政府が打ち出した庶民重視政策や2010年のG20サミットの韓国開催決定等で、再び40%前後まで回復した。10月末の補欠選挙の結果等を受けて、支持率は再度下落したものの、2009年後半は、概(おおむ)ね40%前後で推移した。
2009年は4月と10月に国会議員の補欠選挙が行われた。与党ハンナラ党にとっては、4月の補欠選挙で全敗し、10月の補欠選挙でも2選挙区での勝利にとどまるなど、厳しい結果に終わった。国会では、様々な懸案をめぐって与野党間で激しい攻防が行われた。6月の臨時国会では、盧武鉉前大統領の逝去を受けて、野党民主党が李明博大統領の謝罪や捜査責任者の更迭等を要求した。7月中旬以降は、大企業・新聞社の放送産業参入等を目的とするメディア関連法改正等をめぐり与野党が対立し、9月の通常国会が初日から空転した。
また、9月の内閣改造で就任した鄭雲燦(チャンウンチャン)韓国国務総理が、世宗(セジョン)市計画(注23)を修正する方針を掲げると、野党は一斉に反発、11月末には李明博大統領が同計画の修正の必要性に言及しつつ、国民に対して謝罪するなど、世論を二分する深刻な国内問題となった。韓国政府は、2010年1月11日、世宗市を大企業や大学・研究機関を誘致して「教育科学中心経済都市」として建設するとの修正計画を正式に発表した。
2008年9月以降、韓国経済は、世界経済・金融危機の影響を受けてマイナス成長を記録していたが、2009年に入り、貿易収支等が堅調で回復基調にある。
経済成長率(GDP成長率)は、世界経済・金融危機の影響が大きく、前年の2.2%よりも低い0.2%であった。貿易収支は、ウォン安の影響等もあって、過去最大の561億米ドルの黒字を記録した。また、2008年9月以降、急激なウォン安(注24)及び株価急落(注25)が進行していたが、2009年3月以降に持ち直しつつある。
韓国政府は、2008年秋以降の経済危機を受け、2008年11月、14兆ウォン規模の「経済難局克服総合対策」を発表した。また、同年10月、米国連邦準備制度理事会(FRB)との最大300億米ドルの韓米通貨スワップ協定を結び(2010年2月終了)、同年12月には日本銀行及び中国人民銀行との間で既存のスワップの限度額をそれぞれ300億米ドルに拡大することで合意した。さらに、李明博政権が重視している低炭素・グリーン成長に関しては、2009年1月に4年間で50兆ウォン、約96万人の雇用創出を掲げた「グリーン・ニューディール事業推進方策」、7月には5年間で107兆ウォンを投入し、156~181万人の雇用創出を目標とする「緑色成長国家戦略及び5か年計画」を発表した。
また、11月に韓国の経済協力開発機構開発援助委員会(OECD/DAC)の加盟が決定した。2010年11月には、G20サミットの韓国開催も決定されており、韓国の経済力や国際社会での地位向上を示す機会になるものと思われる。
(注1)2006年10月に、国連安保理が、同月に北朝鮮により発表された核実験を非難し、北朝鮮に対し、更なる核実験及び弾道ミサイル発射の中止、すべての核兵器及び既存の核計画の放棄等を義務づけると同時に、軍関連及び核関連の特定品目等の北朝鮮に対する供給等の防止、北朝鮮の核・弾道ミサイル及びその他大量破壊兵器(WMD)関連の政策に責任を有する個人の入国禁止、これに関与する個人・団体の資金凍結等を決定した内容の決議。
(注2)国連安保理決議第1718号によって設置された委員会。国連安保理決議第1874号に基づき、制裁対象となる団体・品目・個人の指定等を行う。国連安保理理事国の代表から構成される。
(注3 北朝鮮への禁輸対象として、最新版のミサイル技術管理レジーム(MTCR)の規制品目リストを追加指定。
(注4)北朝鮮の大量破壊兵器計画等に関与している団体として、以下の3つの団体を指定(いずれも北朝鮮に所在)。
(1)コリア・マイニング・デベロップメント・トレーディング・コーポレーション(KOMID)
(2)コリア・リョンボン・ジェネラル・コーポレーション(KRGC)
(3)タンチョン・コマーシャル・バンク
(注5)2008年3月、中朝国境付近で米国人女性記者2名が、北朝鮮側に拘束される事件が発生していた。
(注6)2008年3月、開城工団で勤務中の韓国人職員1名が北朝鮮当局に抑留される事件が発生した。4月から7月にかけて南北実務当局者間接触が行われたが、北朝鮮は抑留韓国人の解放を拒否したまま開城公団労働者の賃金引き上げ等を要求し、議論は平行線をたどっていた。
(注7)内容は、[1]金剛山観光の再開、[2]韓国人人員の陸路通行等の原状復帰(8月20日に北朝鮮側が制限措置を解除する旨通報、9月1日から原状復帰)、[3]開城観光の再開、[4]白頭山観光の再開、[5]秋夕(中秋節:10月3日)の南北離散家族再会(9月26日~10月1日に実施)。
(注8)李明博政権は、「非核・開放・3000政策」を掲げ、北朝鮮による核放棄の原則を堅持する方針を維持している。このような政策に北朝鮮は強く反発しており、2008年2月の政権発足以降、南北関係は厳しい状況を迎えており、引き続きその動向が注目される。
(注9)2006年7月5日の北朝鮮によるミサイル発射を受け、万景峰92号の入港禁止を含む9項目の対北朝鮮措置を即日実施し、同年10月9日の北朝鮮による核実験実施の発表を受け、同11日、すべての北朝鮮籍船の入港禁止及び北朝鮮からの輸入禁止を含む4項目の対北朝鮮措置を発表した。
(注10)2009年4月5日の北朝鮮によるミサイル発射を受け、同10日に北朝鮮を仕向地とする支払手段等の携帯輸出について届出を要する金額(下限額)を現行の100万円超から30万円超に引き下げること、北朝鮮に住所等を有する自然人等に対する支払について報告を要する金額(下限額)を現行の3,000万円超から1,000万円超に引き下げることを発表した。また、5月25日の北朝鮮による核実験実施発表を受け、6月16日に北朝鮮に向けたすべての品目の輸出を禁止、「北朝鮮の貿易・金融措置に違反し刑の確定した外国人船員の上陸」及び「そのような刑の確定した在日外国人の北朝鮮を渡航先とした再入国」を原則として許可しないことを発表した。さらに、6月13日に採択された国連安保理決議第1874号を受け、7月6日に北朝鮮の核関連、弾道ミサイル又はその他の大量破壊兵器関連の計画等に貢献し得る活動に寄与する目的で行う資産移転等の防止、及び北朝鮮の拡散上機微な核活動等にかかる専門教育・訓練の防止等を発表した。日本が実施する貨物検査等に関する特別措置法案については、10月30日に閣議決定、同日国会に提出した。
(注11)また、議長総括において、「首脳は、北朝鮮による最近の核実験、弾道ミサイル発射を最も強い表現で非難し、北朝鮮に対し、更なる挑発を差し控え、六者会合への早期復帰に取り組むことを要請した。」とのメッセージが盛り込まれた。
(注12)鳩山総理大臣は、「北朝鮮による核実験とミサイル発射は、地域のみならず国際社会全体の平和と安全に対する脅威であり、断固として認められません。北朝鮮が累次の国連安保理決議を完全に実施すること、そして国際社会が諸決議を履行することが重要です。日本は、六者会合を通じて朝鮮半島の非核化を実現するために努力を続けます。日朝関係については、日朝平壌宣言に則り、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を誠意をもって清算して国交正常化を図っていきます。特に、拉致問題については、昨年に合意したとおり速やかに全面的な調査を開始する等の、北朝鮮による前向きな行動が日朝関係進展の糸口となるでありましょうし、そのような北朝鮮による前向きかつ誠意ある行動があれば、日本としても前向きに対応する用意があります。」旨を述べた。
(注13)同決議は、国連総会本会議において2005年から5年連続で採択されている。
(注14)2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めている。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費財を販売している。
(注15)急激なインフレ等による不便を解消するため、既存の通貨の計算単位の変更(切下げ)を行うこと。北朝鮮は100ウォンを1ウォンとするデノミネーションを行った。
(注16)2009年には、6回の首脳会談(1月(於:ソウル)、4月(於:ロンドン)、4月(於:パタヤ)、6月(於:東京)、9月(於:ニューヨーク)、10月(於:ソウル))及び6回の外相会談(2月(於:ソウル)、3月(於:ハーグ)、4月(於:東京)、5月(於:ハノイ)、7月(於:プーケット)及び9月(於:東京))を実施した。
(注17)2006年3月1日から短期滞在査証免除措置の無期限延長を実施した。また、2005年8月1日から羽田―金浦間の航空便は倍増し、1日8便が運航しているが、2010年10月以降、1日当たり最大12便とすることに合意している。
(注18)2000年に開始された日韓共同理工系学部留学生事業については、2008年12月の日韓首脳会談で同事業の第2期の立ち上げに合意。さらに、2009年5月の日韓外相会談で、2010年から10年間1,000人規模で実施することを確認。その後、2009年秋に目標の1,000人受け入れを達成。また、2009年春から3年間にわたり合計1,500人の大学生・大学院生の留学を日韓両政府が支援する「日韓大学生交流事業」を開始した。99年に導入された日韓ワーキングホリデー制度は2008年4月の首脳会談で、日韓それぞれの参加者上限を、現行の3,600人から、2009年には倍増の7,200人に、2012年までに10,000人に拡大することで一致した。
(注19)2001年の日韓首脳会談を受け、2002年、日韓の歴史学者で構成される研究委員会が発足(第1期日韓歴史共同研究)。約3年間の研究活動を経て、2005年6月に日韓歴史共同研究報告書を公表した。引き続き、2005年6月の日韓首脳会談に基づき、第2期日韓歴史共同研究を実施。
(注20)終戦前、様々な経緯で旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長期間にわたり、サハリンに残留を余儀なくされた朝鮮半島出身者の一時帰国支援、永住帰国支援を行ってきている。
(注21)2008年2月、外務省は、「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント」と題するパンフレットを作成した。現在、日本語、英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語、中国語の10言語版が、外務省ホームページで閲覧可能。
(注22)日韓EPA交渉は2003年12月に開始されたが、2004年11月の第6回交渉会合以降中断されている。2008年2月の日韓首脳会談において、交渉再開に向けた検討及び環境醸成のための実務者協議を開催することで一致し、2009年12月までに4回の協議を開催している。
(注23)政府機関の多数を忠清南道に移転し、行政中心複合都市(世宗市)を建設する計画。盧武鉉政権時代に決定された。
(注24)2009年3月2日には、1米ドル=1,570.3ウォン、100円=1,610.9ウォンを記録。対円レートは近年の最高値(2007年7月)からほぼ半分に減価していた。
(注25)2007年秋に2,000ポイントに達していた韓国株価(KOSPI)は、2008年秋に、一時1,000ポイントを割り込んだ。その後は、徐々に回復傾向にある。