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 2.

多角的自由貿易体制の強化


 (1) 

多角的自由貿易体制と日本


戦後日本の経済発展は、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)/世界貿易機関(WTO)を中心とする多角的自由貿易体制の存在抜きには語れない。自由貿易制度の整備とともに各国の関税が引き下げられたことは、日本製品の輸出促進につながり、日本は貿易を通じた経済的繁栄を実現した。WTOは関税引下げ交渉のみならず、貿易に関するルールづくりや紛争処理の機能を備えている。世界経済が急激に悪化しつつある現状において、保護主義を拒否し、内向きにならないことの重要性が各国から強調されている中、WTOは、世界経済の安定と発展を支える機関としてますますその重要性を増していると言える。



 (2) 

2008年のWTOドーハ・ラウンド交渉


2001年の交渉開始後丸7年が経過したWTOドーハ・ラウンドにつき、2008年には、農業及び非農産品市場アクセス(NAMA: Non-Agricultural Market Access)交渉議長からの改訂テキスト発出(2月、5月、7月)、サービス交渉議長からの報告書発出(2月、5月、7月)、ルール交渉議長からの作業文書発出(5月)等を経て、議論のたたき台が整備された。

7月にはジュネーブで閣僚会合が開催され、農業・NAMAのモダリティ(関税削減方式等)合意に向けて一時は急速に協議が進んだが、最終的には農業分野の開発途上国向け特別セーフガード(SSM)に関する関係国間の対立を直接の原因として交渉は決裂した。

その後、世界的な金融不安を受けた保護主義の高まりに抗するとの立場から、11月に開催された金融・世界経済に関する首脳会合(於:ワシントン)では「年内のモダリティ合意を目指し努力する」ことで一致し、また、APEC首脳会議(於:ペルー)での声明においても、年内をモダリティに関する合意の期限とし、閣僚に対して12月にジュネーブで会合すべきとの指示がなされた。

こうした政治的意思も後押しとなり、12月には秋以降の議論を反映した農業・NAMAの改訂テキストが再度提示されたものの、主要論点に関する関係国の立場の隔たりは埋まらないまま、年内の閣僚会合の開催は見送られることとなった。ただしその後も、ルール交渉議長からは改訂テキストが発出され、また、ラミーWTO事務局長から農業・NAMAの年明け早々の議論再開が求められるなど、引き続き早期妥結に向けての努力が続けられている。


 イ  

農業

農業分野では、これまで、[1]一般的な関税削減率及び例外的に関税削減が緩和される品目(重要品目)の数や扱い(市場アクセス)、[2]貿易をゆがめる国内補助金等の削減(国内支持)、[3]貿易をゆがめる輸出補助金等の撤廃(輸出競争)といった論点について議論が行われてきた。

2008年にも、累次交渉議長から発出された改訂テキストをベースに議論が進展してきたが、7月の閣僚会合では開発途上国にのみ認められる特別セーフガード措置(SSM)等をめぐり意見の収れんが見られず、交渉は決裂した。秋以降も、SSMや重要品目につき事務レベルでの議論が進められ、12月には改訂テキストが再度発出されるに至った。

国内補助金や輸出競争分野においておおむね議論が収れんしてきている中で、市場アクセスについての議論は、今後厳しい交渉が予想されている。日本は、食料純輸入国である日本の農業の特性を踏まえ、バランスのとれた最終合意を目指して取り組んでいく。


 ロ  

非農産品市場アクセス(NAMA)

非農産品市場アクセス分野では、鉱工業品及び林水産品の関税や非関税障壁の削減に関する議論を行ってきている。関税の削減に関しては、高関税ほど大きい削減とする関税削減方式(スイス・フォーミュラ)等の主要論点を中心に、開発途上国配慮、分野別関税撤廃(特定分野の関税撤廃・調和を目指すもので、参加は非義務的だが、先進国側は主要開発途上国を含む十分な参加を重視)等の交渉を行ってきた。

2008年には、「農業とNAMAにおける交渉成果のバランスが必要」との開発途上国による主張を受け、開発途上国の懸念に対応した改訂テキストが発出され、7月の閣僚会合でも農業と並行して集中的な議論が行われた。しかしながら、秋以降の議論でも、分野別関税撤廃等での成果を求める先進国と、関税削減の緩和を主張する開発途上国との間で立場の歩み寄りが見られず、12月の閣僚会合開催見送りの一因となった。

工業分野で強い競争力を持つ日本としては、農業交渉と歩調を合わせた進展を図りつつ、高い成果を伴ったモダリティ合意を目指し、更に努力を続けていく方針である。


 ハ  

サービス

サービス分野でも、2008年には、テキスト作成作業が進められたが、中南米4か国の強い抵抗に遭い、コンセンサスを得ることができなかった(4か国以外が合意した報告書は、公式貿易交渉委員会で留意された)。この過程で、日本はサービス貿易推進諸国と協力しつつ交渉を主導した。

また、市場アクセス交渉も活発に行われ、日本は、中国、インド、ASEAN、ブラジル等に対して、コンピュータ関連サービス、電気通信、建設、流通、金融、海運等の関心分野の自由化を求めた。7月の閣僚会合の際には、32か国・地域の閣僚が参加し、自国の自由化が可能な個別分野を示唆し合う「シグナリング閣僚会合」が開催され、先進国、開発途上国の双方から前向きな示唆がなされた。日本からも開発途上国の関心にこたえる示唆を行った。

今後とも日本のサービス業界の意思も踏まえつつ、積極的にサービス貿易の自由化交渉を主導していく方針である。


 ニ  

ルール

ルール分野では、2001年のドーハ閣僚宣言、さらに2005年の香港閣僚宣言に基づき、ダンピング防止及び補助金(漁業補助金を含む)についての規律の強化及び明確化を目的とした交渉が行われてきた。2007年11月に発出された議長テキスト案では、ダンピング防止分野について日本を含めた多くの国々がとりわけ強く禁止を主張してきたゼロイング注2が容認されており、また、漁業補助金についても、禁止対象となる補助金が極めて広範囲に及ぶなど、日本のこれまでの主張注3が反映されていない部分があった。

これを受け、2008年には、日本はバランスのとれた改訂テキストの発出を強く求めてきたところ、12月に交渉議長から発出された改訂テキストでは、ゼロイングを容認する規定が取り下げられるなど、日本ほかの立場に一定の配慮が見られる規定振りとなっている。引き続き、日本としては、上記の立場を踏まえ、積極的に交渉に参画していく方針である。


 ホ  

貿易円滑化

貿易円滑化分野では、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)第5条(通過の自由)、第8条(輸入及び輸出に関する手数料及び手続)及び第10条(貿易規則の公表及び施行)に関連する事項の明確化及び改善等を目的として、交渉が行われてきた。

2008年には、5回の交渉会合が開催され、日本からの提案である「貿易関連法令等の公表」、「法令等の制定・改正を行う際の事前協議・事前公表」、「不服申立制度」及び「予備審査手続」等について、将来の協定化を念頭に置いた検討が進められ、一部については議論が収れんするなどの前進が見られた。

今後の交渉により、貿易関連事業者が直面する様々な障害が減少し、手続が迅速化されることが期待される。


 ヘ  

開発

開発途上国がWTO加盟国の約5分の4を占めている現状を踏まえ、開発途上国の開発問題は、今次ラウンドの中核的なテーマとなっている。WTOでは、開発途上国に対する「特別かつ異なる待遇(S&D)」、綿花問題注4及び「貿易のための援助」(Aid for Trade)注5を主要テーマとして議論が行われている。日本も、「貿易のための援助」への貢献として、2005年のWTO香港閣僚会議に先立ち「開発イニシアティブ」注6を発表し、各種取組を行ってきている。

2008年においても、日本は、「開発イニシアティブ」の実施促進に努めるとともに、「貿易のための援助」モニタリング・評価シンポジウム等、各フォーラムでの専門家レベルの技術的検討に積極的に貢献した。


 ト  

知的財産権

地理的表示(GI)注7について、ドーハ・ラウンドの枠組みで交渉されている多数国間通報登録制度や、交渉項目とはされていないがドーハ・ラウンドに関連して議論されているTRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)第23条に定める「追加的注8保護の対象となる産品」を、ワインとスピリッツからその他の産品にも拡大するべきかどうかについて議論されている。

多数国間通報登録制度については、日本は、米国等と共に各国の商標当局等が登録に拘束されない、負担の軽い制度とすることを提案しているのに対し、EU等は、登録により強い法的効果を持たせる制度を主張している。

また、TRIPS協定と生物多様性条約(CBD)との関係についても、交渉項目とはされていないがドーハ・ラウンドに関連して議論がなされており、ブラジル、インド等の開発途上国は特許出願における遺伝資源の出所開示(例えば、植物の抽出物を使用した薬品における当該植物の原産国・供給国等の開示)を義務化するTRIPS協定改正を提案している。

2008年には、TRIPS理事会特別会合議長から多数国間通報登録制度に関する論点を整理した報告書が出され、ラミー事務局長からGIの追加的保護拡大、TRIPS協定と生物多様性条約との関係の論点を整理した報告書が発出された。



 (3) 

紛争解決


WTO体制に信頼性・安定性をもたらす柱として、紛争解決制度注9がある。WTO加盟国は、この制度を加盟国間の貿易紛争の解決のために積極的に利用しており、1995年のWTO発足時から2008年末までの14年間の紛争案件数は、385件(年平均約27.5件)に上っている注10

2008年も、日本はこの制度の下で多くの紛争案件に関与してきている。日本企業に対する米国のダンピング防止措置に関連する「ゼロイング」手続がダンピング防止協定等に違反すると認定された案件について、米国がWTO協定に適合させる是正措置を十分にとらなかったため、日本の要請により、同年4月、履行確認パネル注11が設置され、11月、パネル会合が行われた(パネル報告書は2009年4月に発出予定)。

逆に日本が提訴された案件もある。韓国の半導体製造企業に対する金融支援措置に関し、日本の賦課した相殺関税が補助金協定に違反すると韓国が申し立てた案件注12については、日本が措置をWTO協定に整合的なものにすべきとのWTOの勧告を受け、是正期限である9月1日までに賦課していた相殺関税27.2%のうち、18.1%についてはその対象から除外することとした注13。しかし、これに対して韓国は日本の是正措置は不十分として、9月に履行確認パネルが設置された。新規の案件としては、本来無税であるべき情報技術(IT)製品に対して欧州委員会(EC)が一定の関税を課している問題注14について、日本はECと協議を行ったが具体的な解決に至らなかったため、同様の問題を抱えている米国及び台湾と共同でパネル設置要請を行い、9月にパネルが設置された。また、2008年6月、上級委員会委員が一部交代し、大島正太郎氏ほかの新委員が正式に就任した注15


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(注2) 米国商務省は、ダンピング・マージン(輸出国の国内正常価格より輸出価格が低い場合の価格差)を計算する際に、[1]まず、その産品の個々のモデル又は取引ごとに輸出国の国内正常化価格と対米輸出価格を比較し、[2]その結果を総計して、この産品全体のダンピング・マージンを算定している。総計をする[2]の段階において、[1]の比較で輸出国の国内正常価格より対米輸出価格が高いものについてはその価格差はマイナスとなるが、ゼロイングとは、それらをマイナスとして差し引かず、一律「ゼロ」とみなして計算する方式。これにより、ダンピング・マージンが不当に高く計算される。
(注3) 漁業補助金については、日本は韓国、台湾と共同で提案を提出し、ECとともに、過剰漁獲につながる補助金に限定して禁止すべきという主張を行ってきた。2007年の議長テキストでは、日本が主張してきた禁止補助金を限定する構造となってはいるが、その対象範囲については日本の主張よりも広いものとなっている。
(注4) 西アフリカの後発開発途上国(LDC)4か国(ブルキナファソ、ベナン、マリ、チャド)によって提起されている問題。本来、綿花はこれら諸国にとって十分競争力のある産業であるにもかかわらず、一部先進国が自国の綿花産業に与えている補助金のために、綿花輸出が阻害され大きな打撃を受けているとして、先進国に対して補助金の段階的撤廃及び撤廃完了までの補償措置を要求している。
(注5) 開発途上国が貿易から十分な利益を得るためには、貿易自由化だけでは不十分であり、貿易関連の技術支援、生産能力の向上や流通インフラ整備などを含めた供給面での支援、またこれらのモニタリングや評価が必要との観点から、WTO、OECD、世界銀行などで「貿易のための援助」に関する議論が行われている。
(注6) 「開発イニシアティブ」は、貿易促進を通じて開発途上国の発展に資することを目的に、「生産」、「流通・販売」、「購入」の各局面において、ODAやLDC無税無枠等を含む様々な措置を組み合わせて包括的な支援を行うもの。日本は、開発イニシアティブの一つとして、香港閣僚会議において決定された「LDC産品に対する市場アクセスの原則無税無枠化」を2007年4月に前倒しして実施した。また、日本は、開発イニシアティブの実施促進のため、これまでにアフリカにハイレベル・ミッションを派遣してきている。
(注7) ワインのボルドー、ブランデーのコニャックのように、その商品について確立した品質、評判等が主として地理的原産地に帰せられると考えられる場合において、その商品が当該地理的原産地の産品であることを特定する表示を言う。日本においては、国税庁長官が国内で保護するしょうちゅう乙類や清酒の産地について地理的表示として指定している。
(注8) TRIPS協定は、全産品について当該産品の地理的原産地について公衆を誤認させる方法等での地理的表示の使用を防止することを原則としつつ(第22条)、ワイン及びスピリッツについては、公衆の誤認等の有無にかかわらず、当該地理的表示によって表示されている場所を原産地としないものへの使用を防止するという追加的保護を定めている(第23条)。
(注9) WTO紛争解決手続においては、パネルは個別の紛争案件ごとに構成される。紛争当事国はパネルの法的判断に不服がある場合には、上級委員会に申し立てることができる。
(注10) GATTの下での紛争案件数は、1948年から1994年までの間に314件(年平均6.7件)。WTOでの紛争案件数385件のうち、2008年末までに日本が当事国(申立て国又は被申立て国)としてかかわった案件は、28件(なお、件数については、WTOホームページに掲載されているDS番号が付されたすべての案件をそれぞれ1件として計算している)。
(注11) パネル・上級委員会での検討の結果採択されるWTO紛争解決機関の勧告の実施状況について、当事国間で見解の相違がある場合に、紛争解決手続(DSU)21条5に基づき勧告が実施されるか否か等について判断を行うための手続。
(注12) 韓国政府による韓国ハイニックス・セミコンダクター社への支援措置に関し、日本のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー。半導体の一種)産業から申請を受けた日本政府が調査を行った結果、問題の支援措置がWTO協定上の補助金に該当し、同社製品の日本への輸入により日本のDRAM産業に実質的な損害が生じていると認定した。日本政府は、この調査結果を踏まえ、WTO協定に基づき、韓国から日本に輸入される同社製DRAMに対して27.2%の相殺関税を賦課することとした。2007年7月に公表されたパネル報告では、一部の金融支援措置については、韓国政府の委託・指示による補助金と認定されたが、一部の金融支援措置について韓国政府の委託・指示があったと認定するには不十分であるなどとされた。2007年11月に公表された上級委員会報告書でも、一部を除く日本の措置はWTO協定に適合していないとの判断がなされた。
(注13) 賦課していた相殺関税27.2%のうち、18.1%については勧告において賦課自体について補助金協定に不整合であると認定された点を踏まえ、相殺関税の対象から除外することとされた。8月29日付の関連政令の改正により、9月1日から関税率は9.1%とされた。
(注14) ECが、「情報技術製品の貿易に関する閣僚宣言(ITA)」において無税扱いにすべきとされている製品について、製品の多機能化・高機能化を契機に、譲許表上の分類を変更しWTO協定に整合しないと考えられる課税を行っている案件。日本が米国、台湾と共に問題視しているのは、デジタル複合機(税率6%)、パソコン用液晶モニター(同14%)、セット・トップ・ボックス(同13.9%)の3品目である。
(注15) 上級委員会は7 名の委員で構成されており、委員の任期は4年(再任可能)。日本は1995年のWTO発足以降上級委員を輩出しており、大島氏は、松下満雄・元委員(成蹊大学法科大学院教授)、谷口安平・前委員(2007年12月任期満了、専修大学法科大学院教授)に続く3人目の日本人委員である。

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