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 4.

イラン


国内では、アフマディネジャード政権は、引き続き地方及び貧困層を重視した経済政策を継続している。また、政府要職への支持勢力の登用などにより体制内の基盤強化も進めている。しかし、油価の下落、インフレや失業率の上昇、核問題を背景とする海外企業の投資減少等の影響から、国民の間には政権の経済運営に対する不満も出てきていると言われる。また、2008年3月及び4月に実施された国会選挙では、保守派内部において政権に批判的な勢力が糾合する動きも見られた。このような中、ハメネイ最高指導者は、アフマディネジャード大統領への支持を表明しつつ、対立する勢力にも配慮する姿勢も見せており、2009年6月の大統領選挙に向けた各勢力の動向が注目される。

外交面では、引き続き核問題が国際社会の注目を集めた。

2007年12月、米国は、「イラン政府の指示の下で軍部が核兵器開発を行っていたが2003年秋以降同開発を停止した。しかし、イランは少なくとも核兵器を開発する選択肢を維持し続けている。」との評価を記した国家情報評価書(NIE)を公表した。これを受け、イランは、核問題における「勝利宣言」を行うとともに、2007年に国際原子力機関(IAEA)との間で取り交わした未解決の問題の解決に向けた「作業計画」の着実な実施を図った。また、イランをめぐる緊張の低減を背景に、ロシアがイランのブシェール原発向けに核燃料を搬入したほか、中国はイランとヤダバラン油田開発に関する大型契約を締結した。

2月、IAEAは、同事務局長報告にて、「作業計画」については、「一定の進ちょくが見られる」としたものの、同報告を含め、その後、5月、9月及び11月に発出された事務局長報告においても、「イランの核活動が平和的であるとの保証を与え得ない」との内容が記された。

3月には、国連安保理が、2006年12月の安保理決議第1737号並びに2007年3月の安保理決議第1747号に続き、資産凍結対象等を追加する措置等を含む安保理決議第1803号を採択したが、イランは、同決議の履行期限(5月2日)を過ぎても前向きな対応を示さなかった。

EU3(英・仏・独)+3(米・中・露)外相は、安保理決議第1803号の採択とともに、2006年の包括的提案を更に発展させ、イランと交渉する用意があることを表明した。対話の機運の高まりを受け、5月、イランは、EU3+3に先んじて提案パッケージをEU3+3に提示、6月には、EU6+3も包括的提案の改訂版及び今後の交渉への道筋に関する案をイランに提示した。7月、双方の提案が出そろう中、ソラナEU・CFSP上級代表とジャリリ国家安全保障最高評議会書記が、バーンズ米国務次官ほかEU3+3の政務局長が同席する中で会談を行った。イランは、双方の提案の共通項から交渉を開始することができるとし、EU3+3の提案に対する明確な回答は行わなかった。8月、イランはEU3+3提案の曖昧な点が解消すれば回答を行う用意がある旨を表明したものの、米国等はイランが回答しないことをもって安保理で対イラン制裁の強化を議論すべしと主張した。

9月、イランに累次の安保理決議の義務の完全な遵守を要請する安保理決議第1835号が全会一致で採択された。これに対し、イランは、EU3+3の提案に関する協議を求める中で、新たな安保理決議が採択されたことを批判。EU3+3は、自らの提案に対するイランの疑問にこたえるべく、12月、イラン側と次席レベルの会談を実施した。

イランは、近隣・イスラム諸国等との関係拡大を優先政策として、1月及び12月のイスラエルによるガザ攻撃、5月のレバノンにおける政治危機などにおいて、活発な外交を展開した。また、3月には、アフマディネジャード大統領が、サッダーム政権崩壊後、初のイラン大統領及び中東国元首級として、イラクを訪問した。対米関係については、1月、ハメネイ最高指導者が、関係断絶は恒久的なものではなく、「米国との関係が国民にとって有益となる日が来るならば、それを承認する最初の人物は私であろう」と発言し、注目を集めた。

日本は、中東地域の大国であるイランが同地域や国際社会の平和と安定のために一層建設的な役割を果たすよう、同国との伝統的な友好関係に基づき活発な働き掛けを行ってきている。特に、核問題については、日本は、国際的な核不拡散体制を堅持する必要があるとの立場から、6月の首脳会談、ガリバーフ・テヘラン市長等のイラン側要人の訪日機会、累次の外相会談や次官級、軍縮・不拡散、人権、領事等の種々のレベル・分野における二国間対話などの機会を通じて、イランが濃縮関連・再処理活動等を停止し、交渉のテーブルに着くよう働き掛けている。このような日本の対イラン外交は、2008年7月のG8北海道洞爺湖サミット首脳宣言においても評価されている。


イランの核問題をめぐる2008年の動き(2002年~2007年の動きについては平成20年版外交青書93ページを参照)

2008年  1月  EU 3 + 3 の外相が会合を行い、新たな国連安保理決議の要素案に合意。ソラナEU・CFSP上級代表とジャリリ・イラン国家安全保障最高評議会書記が会談するも実質的な進展なし。
3月  資産凍結対象等を追加する措置等を含む国連安保理決議第1803号が採択。
5月~7月  イランは、提案パッケージをEU 3 + 3 に提示。EU 3 + 3 も包括的提案改訂版及び交渉への道筋を示したノンペーパーをイラン側に提示。ソラナEU・CFSP上級代表とEU 3 + 3 の政務局長(バーンズ米国務次官が初めて同席)がジャリリ国家安全保障最高評議会書記と会談したが、イランはEU 3 + 3 の提案に回答せず。米国等はイランの回答は満足できるものではないとして、更なる国連安保理決議による制裁措置を主張。
9月  イランに累次の国連安保理決議の要求事項の完全な実施を求める国連安保理決議第1835号が全会一致で採択。
11月  IAEA事務局長は、イランの核活動の軍事的側面の可能性に関する「疑わしい研究」の解明に実質的な進展がなく、また、イランが国連安保理決議の要求に反し、濃縮関連活動を継続・拡大していることを明記した報告を発出。
12月  イランが求めていたEU 3 + 3 の包括的提案改訂版及び交渉への道筋を示したノンペーパーに関するあいまいな点を明確にするために、クーパーEU理事会事務局対外関係総局長とバーゲリー国家安全保障最高評議会次長が会談。

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