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 2.

イラク


 (1) 

イラク情勢


イラクの治安は引き続き厳しい情勢にあるが、イラク及び米国を始めとする国際社会の取組の結果、2007年夏以降の治安情勢は改善に向かった。2008年3月以降、一時的にサドル派マハディ軍との衝突が激しくなったものの、同軍との停戦後はイラク人、米軍の死者数はともに2003年の対イラク武力行使以降最低レベルとなっており、治安改善に伴い現在までに全18県中13県の治安権限がイラク側に移譲されている。また、イラクと米国との間で米軍駐留に関する協定締結に向けた交渉が行われ、同協定は、2009年7月30日までに国民投票に付すことを前提に国民議会により承認され、2009年1月1日に発効した。その他、オーストラリア、英国、ルーマニア等と同様の協定が締結された。

国民融和が国内政治の主要な課題となっているが、この観点からは、旧バアス党員の復職に関する「責任と公正」法等の重要法案が国民議会で採択されたほか、2008年7月には、2007年8月以来政権を離脱していたスンニー派連合のイラク合意戦線(タワーフク)が政権に復帰するなど、内政基盤に安定の兆しが見え始めた。また、2009年1月31日には地方議会選挙がおおむね平穏に実施された。

このように、治安・国内情勢の安定化が進展する一方、キルクーク等係争地の帰属問題、石油収入の配分を決定する石油・ガス法案等の重要法案が未成立であるなど、取り組むべき課題は依然多い。



 (2) 

日本の取組


イラクの安定は中東地域ひいては国際社会全体の安定に不可欠であることから、日本は国際社会の責任ある一員としてふさわしい支援を行うため、政府開発援助(ODA)や自衛隊の活動を通じ、幅広い取組を行ってきた。イラクの安定化と発展に伴い、イラクに対する日本の協力は、無償資金協力から円借款事業によるインフラ整備、技術協力及び経済・ビジネス関係の強化に移行しつつある。


 イ  

自衛隊による支援

イラク特別措置法に基づき、陸上自衛隊は、2004年1月から2006年7月の期間、南部のサマーワにて給水・医療・道路等の分野で人道復興支援事業を実施した。航空自衛隊は、2004年3月以降(対国連支援については2006年9月以降)、国連及び多国籍軍に対しイラク国内(バグダッド、エルビル、アリ(タリール))での輸送支援を実施してきたが、イラクの政治・治安状況の改善やイラク政府自身の意向も踏まえ、2008年12月、約5年にわたるイラクでの輸送支援活動を終了した。


 ロ  

政府開発援助(ODA)による支援

日本は2003年10月、イラク復興支援のための「当面の支援」として、15億米ドルの無償資金、経済社会インフラ整備等中期的な復興ニーズに対する円借款を中心とする最大35億米ドルの支援からなる最大50億米ドルのイラク復興支援を表明した。無償資金協力については、表明額(15億米ドル)を超える16.9億米ドルの支援を実施済みであり、円借款については、運輸、エネルギー、産業プラント及び灌漑(かんがい)等の分野の12案件(総額24.5億米ドル)に関する交換公文(E/N)を締結済みである。このうち、無償資金協力によって建設されたサマーワ大型発電所については、2008年12月22日、橋本外務副大臣がイラクを訪問し、同発電所の引渡し式典に出席し、サマーワ市民から大歓迎されるとともに謝意が表された。また、これら最大50億米ドルの復興支援に加え、約60億米ドルの債務救済支援を実施している。さらに、2008年末までに2,500人以上のイラク人に研修を実施したほか、イラクの国民融和へ向けた努力への支援として、「イラク国民融和セミナー」を日本国内にて2回(2007年3月、2008年3月)実施した。


 ハ  

経済・ビジネス関係の強化及び包括的パートナーシップの構築へ

イラクとの経済・ビジネス関係を強化することを目的として、両国関係の直接対話の機会を設けるべく、2008年7月2日~3日、アンマン(ヨルダン)で日・イラク経済フォーラムを開催し、日本側からは中野正志経済産業副大臣、宇野外務大臣政務官、イラク側からはハーシミー副大統領のほか、両国政府・企業総勢約250人が参加した。また、2009年1月28日には安倍総理大臣特使がイラクを訪問し、日・イラク・パートナーシップ宣言が発出された。


写真・マーリキー・イラク首相と会談する橋本外務副大臣

マーリキー・イラク首相(右)と会談する橋本外務副大臣(左)(12月、イラク・バグダッド)


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