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【各論】


 1.

中東和平


 (1) 

中東和平概観


2008年は、2007年末に開催されたアナポリス会議及びパレスチナ支援プレッジング会合の二つの国際会議を受け、イスラエル・パレスチナ首脳間の直接交渉が再開されるなど、「二国家解決」策注1に基づく中東和平問題解決への機運が高まった。しかし、年末までに合意に至ることはできなかった。ハマスが事実上支配するガザ地区では、エジプトの仲介によりイスラエルとハマスの間で停戦合意が成立し(6月)、半年間にわたって合意が維持されたが、12月以降のハマスによるロケット砲や迫撃砲による攻撃に対し、イスラエルは12月27日にガザ地区への大規模空爆を開始し、2009年1月3日には地上軍をガザ地区に進攻させた。オルメルト首相の辞任発表及び後継与党党首に就任したリヴニ外相の組閣失敗など、イスラエルの流動的な内政状況もあり、中東和平情勢は混迷の度合いを深めている。



 (2) 

イスラエル・パレスチナ間交渉の現状


2007年11月、米国のアナポリスにおいて、イスラエル、パレスチナ自治政府(PA)に加え、日本を含む50の国及び国際機関等が参加して「アナポリス中東和平国際会議」が開催された。この会議では、イスラエルとパレスチナの二つの国家が平和と安全のうちに共存するとの目標を推進するため、核心的問題を含むすべての未解決問題を解決して和平条約を締結するために、二者間交渉を直ちに開始すること注2、2008年末までに合意するためにあらゆる努力を払うことが合意された。

その後、一時的な中断を挟みながらも2008年末まで交渉が行われた。米国もライス国務長官の頻繁な現地訪問等を通じて支援した。しかし、難民問題やエルサレム問題等の核心的問題をめぐってイスラエル・パレスチナ双方の溝が埋まらず、最後まで関係者による努力が継続されたものの、2008年末までには合意実現には至らなかった。

また、国際社会もPAへの財政支援などを通じて交渉を後押しした。2007年12月、財政危機に瀕(ひん)したPAを支援するため、「パレスチナ支援プレッジング会合」がパリで開催された。同会合では、ファイヤードPA首相から「パレスチナ改革・開発計画」が提示され、今後3年間で約56億米ドルの支援が要請されたのに対し、日本を含む主要援助国から総額77億米ドルの支援が表明された。

5月及び9月にはイスラエル・パレスチナのほか、米国や国連等の出席の下、パレスチナ支援調整委員会(AHLC)閣僚級会合が開催された。



 (3) 

ガザ情勢


2007年6月以降ガザ地区を実質的に支配しているハマスとイスラエルとの間では、ガザ地区からイスラエルへのロケット攻撃とイスラエルによる空爆が繰り返されていたが、2008年6月19日には、エジプトの仲介により6か月間の停戦が実現した。しかし、11月初旬以降、イスラエル軍とハマスとの間で再び散発的に戦闘が発生し、12月19日、ハマスは停戦の終了を宣言し、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット砲等による攻撃が増加した。

12月27日、イスラエルはガザ地区からのロケット砲等による攻撃を防ぐためとしてガザ地区に大規模な空爆を開始し、2009年1月3日には地上軍による進攻に踏み切った。同攻撃により民間人を含む多数の死者(パレスチナ側1,300人以上、イスラエル側13人)が発生した。



 (4) 

日本の取組


日本は、イスラエルとパレスチナの二つの国家が共存共栄するという二国家解決を支持しており、「パレスチナ国家」建設に向け目に見える成果を積み上げていくことを助長するために、[1]関係者への政治的働き掛け、[2]対パレスチナ支援、[3]信頼醸成促進、[4]「平和と繁栄の回廊」構想の推進等に取り組んでいる。

  1. 関係者への政治的働き掛け

    2月のオルメルト・イスラエル首相訪日、10月のシトリート・イスラエル内相及びエラカート・パレスチナ解放機構(PLO)交渉局長の訪日などの機会を利用し、和平促進のために直接働き掛けを行った。イスラエル首相としては11年ぶりとなったオルメルト首相訪日では、二国間関係強化と中東和平に向けた協力を柱として、両国間では初めてとなる共同声明を発表した。このほか、有馬龍夫中東和平担当特使も頻繁に現地を訪問し、関係者に対して和平実現に向けた働き掛けを行った。12月27日以降のイスラエルによるガザ攻撃に際しては、麻生総理大臣及び中曽根外務大臣から、電話でイスラエル首脳に自制と即時停戦を要請した。

  2. 対パレスチナ支援

    日本は、1993年以降、2008年末までに総額約10億米ドルの対パレスチナ支援を実施している。2007年12月のパレスチナ支援プレッジング会合では、当面1.5億米ドルの対パレスチナ支援を実施していくことを表明した。また、5月のAHLC閣僚級会合において、1,200万米ドルのガザ地区を中心とした対パレスチナ人道支援を、9月のAHLC閣僚級会合では1,000万米ドルの対PA直接ノンプロジェクト無償資金協力を、12月には約700万米ドルのジェリコ市内道路整備計画への支援をそれぞれ表明した。

    12月27日に開始されたイスラエルのガザ地区への空爆以降悪化した人道状況に対応するため、2009年1月3日に麻生総理大臣がアッバースPA大統領に対し、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)(300万米ドル)、国連児童基金(UNICEF(ユニセフ))(300万米ドル)、国連世界食糧計画(WFP)(400万米ドル)を通じた1,000万米ドルの緊急人道支援を表明し、実施した。また、毛布等の物資協力も実施した。

  3. 信頼醸成促進

    日本は、2月の中東若手外交官等招へい、8月のイスラエル・パレスチナ合同青年招へい、10月の信頼醸成会議等を通じ、信頼醸成促進に努力をしている。また、地方自治体レベルでも「世界連邦宣言自治体全国協議会」事務局である京都府綾部市が中心となって、2003年に同市、2004年に岡山県岡山市、2005年に徳島県徳島市、2006年に京都府亀岡市、2008年に東京都小金井市においてイスラエル・パレスチナの青少年を招き、交流を行っている。

  4. 「平和と繁栄の回廊」構想

    本構想は、雇用創出等を通じてパレスチナ人の生活状況に具体的な改善をもたらし、地域協力を通じて関係者間の信頼を醸成し、関係者に希望を与える中長期的取組として、日本が2006年に打ち出したものである。関連事業のうち、現在、パレスチナ経済自立化に寄与することをねらいとした、ヨルダン川西岸の農産業団地建設計画が進められている。地域協力を通じてパレスチナ支援を進める本構想には各国から高い期待が示されている。7月2日、第3回4者協議閣僚級会合が、高村外務大臣の主催により、アブダッラーPA計画庁長官、エズラ・イスラエル環境保護相、バシール・ヨルダン外相の出席を得て東京で開催され、プレス・ステートメントが発出された注3

「平和と繁栄の回廊」構想第3回4者協議閣僚級会合

「平和と繁栄の回廊」構想第3回4者協議閣僚級会合
(7月2日、東京)


「平和と繁栄の回廊」構想

「平和と繁栄の回廊」構想

日本のパレスチナ支援

日本のパレスチナ支援

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 (5) 

シリア・レバノン情勢


レバノンでは、2008年に入ってからも反シリア派と親シリア派間で対立が続き、衝突が頻発した。5月には、シーア派組織のヒズボラが武力によって首都ベイルートの一部を制圧し国内治安情勢が著しく悪化した。その後、アラブ連盟等の仲介もあって停戦が実現し、また同月のスレイマン新大統領の選出、7月の挙国一致内閣の成立によって国内政治情勢は改善に向かった。

シリアは、ハリーリ・レバノン元首相暗殺への関与疑惑、ヒズボラやハマスへの支援、イラクへのテロリスト流入の黙認などを理由とする欧米諸国からの圧力もあってこれまで国際社会から孤立していた。しかし、5月には8年ぶりにイスラエルとの和平間接交渉が再開され、バッシャール・アサド大統領は、7月にフランスで開催された「地中海のための連合」首脳会合に招待された。その後、レバノンとシリアの外交関係正常化も受け、欧州諸国との関係改善が急速に進んでいる。一方で、2007年9月のイスラエルによる爆撃で破壊された施設が北朝鮮の協力による核施設であったとの疑惑が浮上し、2008年6月、IAEAの調査団が調査を行った。


(注1) イスラエルと将来的に樹立されるパレスチナ国家との共存共栄により問題を解決する方策。
(注2) 和平交渉は2000年以来7年ぶりに再開。
(注3) 4者間で本構想のこれまでの進展と展望に関する共通認識を文書の形で発表したのは今回が初めて。

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