目次 | 前の項目に戻る |  次の項目へ進む

【各論】


 1.

ロシア


 (1) 

日露関係

 イ  

北方領土問題と平和条約交渉

ロシアは、様々な問題について日本と利害を共有する隣国であり、日露関係の発展が両国に恩恵をもたらす潜在的な可能性は大きい。そのためにも最大の懸案である北方領土問題の解決に向け、強い意思をもって取り組んでいくことが重要である。政府は、日本固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針の下で、日ソ共同宣言注3、東京宣言注4、イルクーツク声明注5、「日露行動計画」等のこれまでの諸合意及び諸文書に基づき、精力的にロシア政府との間で交渉を続けている。

2008年は、首脳レベルを含む政治対話が前年に引き続いて頻繁に行われ、領土問題について真剣かつ率直な議論が行われた。G8北海道洞爺湖サミットの際の日露首脳会談(7月)においては、両首脳は、日露間に平和条約が存在しないことは、幅広い分野における両国関係の進展にとり支障になっていること、また、この問題を最終的に解決するために前進しようとする決意が双方において存在することなどを、現段階における共通の認識として確認した。また、APEC首脳会議の際の日露首脳会談(11月)においては、麻生総理大臣から、自分が外務大臣を務めていた1年半前と比べて、経済関係が進展しているのに比べて交渉が進展していない、メドヴェージェフ大統領の決意が必ずしも事務レベルの交渉に反映されていない、官僚のメンタリティを打破しなければならない旨率直に指摘したのに対し、メドヴェージェフ大統領から、この問題の解決を次世代にゆだねることは考えていない、首脳の善意と政治的意志があれば解決できる旨述べた。その上で、両首脳は、首脳レベルの集中的な話合いを行っていくことで一致するとともに、これらの首脳レベルの会談を念頭に、今後必要となる具体的な作業に入るよう、事務方に指示を下ろすことで一致した。さらに、2009年2月に麻生総理大臣がサハリンを訪問した際に行われた日露首脳会談では、この問題を我々の世代で解決すること、そして、これまでに達成された諸合意及び諸文書に基づき、メドヴェージェフ大統領が指示を出した、「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下で、四島の帰属の問題の最終的な解決につながるよう作業を加速すべく、追加的な指示を出すことで一致した。


メドヴェージェフ・ロシア大統領との会談に臨む麻生総理大臣

メドヴェージェフ・ロシア大統領(右)との会談に臨む麻生総理大臣(左)(11月22日、ペルー・リマ 写真提供:内閣広報室)


最近行われた日露間の主要なハイレベル対話


2008年2月  高村外務大臣とイワノフ第一副首相との会談(於:ミュンヘン)
4月  第4回日露戦略対話(於:東京)
高村外務大臣の訪露
福田総理大臣の非公式訪露(プーチン大統領、メドヴェージェフ次期大統領とそれぞれ会談)
7月  日露首脳会談(G8首脳会合、於:北海道洞爺湖)
10月  第5回日露戦略対話(於:モスクワ)
第8回貿易経済日露政府間委員会(フリステンコ産業貿易相の訪日、於:東京)
11月  ラヴロフ外相の訪日
日露首脳会談(APEC首脳会議、於:リマ)
12月  伊藤外務副大臣の訪露
ナルィシュキン大統領府長官の訪日
2009年2月  日露首脳会談(於:サハリン)

北方領土問題が未解決の現状において、四島交流、自由訪問及び墓参注6は、北方領土問題の解決のための環境整備にも資するものとして重要な意義を有しており、2007年12月に関係閣僚の間で確認された方針に従い、今後もこれらの事業を一層充実させるために措置を講じていく考えである。

これらの取組に加え、北方四島を含む日露両国の隣接地域における生態系の保全等に関する日露協力については、5月及び6月に行われた両国の専門家による会合の議論を経て、政府間の協力プログラムの内容がおおむねまとまっており、今後、同プログラムに基づいて具体的な協力が進むことが期待されている。



 ロ  

日露経済関係

日露経済関係は、近年急速に拡大している。2008年の貿易高は297億米ドルに達し、5年連続で、ソ連時代を含めて過去最高額を記録した。その一方で、同年末から貿易高は金融危機の影響で減少傾向にある。

2007年以降、ロシアは極東・東シベリア地域の発展を通じたアジア太平洋地域への統合を目指し、同年に承認された「極東・ザバイカル経済社会発展連邦目的プログラム」に基づき、2013年までに約7,000億ルーブルが支出されることとなっている。8月にはプーチン首相が、また、9月にはメドヴェージェフ大統領が相次いで極東地方を訪問した。日本側は、2007年に「極東・東シベリア地域における日露間協力強化に関するイニシアティブ」注7を提案し、ロシア側の支持を得て、そのフォローアップを行っている。2008年9月には、貿易経済に関する日露政府間委員会注8の地域間交流分科会第2回会合を次官級(日本側議長は河野雅治外務審議官)に格上げして実施し、極東・東シベリア地域における互恵的な協力を推進するため、ロシア側からの情報提供の強化などで一致した。

10月には、フリステンコ産業貿易相が訪日し、中曽根外務大臣との間で貿易経済に関する日露政府間委員会が開催された。その結果、経済分野における協力発展のための環境整備に向けた政府間の取組が確認された。2009年2月のサハリンでの日露首脳会談においては、極東・東シベリア地域における協力について、官民一体となって具体的なプロジェクトの形成に取り組んでいくことで一致した。

エネルギー分野では、日本企業も参加し、建設にも関与した石油・天然ガスプロジェクトであるサハリンI ・II プロジェクトが実施されており、2009年2月に行われたサハリンII の液化天然ガスプラント稼働式典には、麻生総理大臣がメドヴェージェフ大統領からの招待を受けて出席した。同年3月に液化天然ガスの日本への輸出が開始される予定となっている。シベリアの原油を太平洋岸まで輸送する「東シベリアー太平洋」パイプラインについても、太平洋側までの建設を前提に工事が進んでいる。さらに、東シベリアにおける石油・天然ガスの探鉱活動を日露共同で行う動きも進んでいる。また、日露原子力協定の締結交渉が精力的に行われている。


2009年3月に液化天然ガスの日本への輸出が開始される予定となっているサハリンII

2009年3月に液化天然ガスの日本への輸出が開始される予定となっているサハリンII(写真提供:サハリンエナジー社)


日ソ・日露貿易高の推移

日ソ・日露貿易高の推移

CSV形式のファイルはこちら


また、シベリア鉄道を利用した輸送・物流などの協力をめぐり、3月には日露運輸協力に関する政府間作業グループの第1回会合が開催された。情報通信や農水産業等の分野での協力も進展している。

政府は、1994年以降、ロシアの市場経済改革支援の一環としてロシア国内7か所に日本センターを設置し、将来のロシア経済を担い、日露経済交流の分野で活躍する人材の発掘・育成のため、経営関連講座、訪日研修、日本語講座等を実施している。これまでに約42,000人が受講し、約3,400人が訪日研修に参加した。同センターは、日露貿易投資促進機構注9のロシア国内における支部としても活動し、両国企業間の連携促進等、ビジネス支援活動を行っている。政府としても、民間企業の対露ビジネス上の問題点の是正を政府間協議等の場でロシアに対し働き掛けている。


 ハ  

様々な分野における日露間の協力

環境分野においては、気候変動分野における協力を進める観点から、2月及び9月に「気候変動に関する日露協議」を東京及びモスクワで開催した。また、多数国間協議の場において、北朝鮮問題やイランの核問題など様々な分野で協力を進めている。

防衛交流の分野については、4月の統合幕僚長訪露、9月のロシア海軍艦艇の舞鶴訪問と日露捜索・救難訓練、治安当局間の交流については、5月のロシア国境警備局警備艇の横浜訪問と海上保安庁巡視船のコルサコフ訪問、11月のロシア国境警備局長官の訪日など、活発な交流が行われた。

文化・国民間交流の分野では、将来の日露関係発展の礎となる人材の育成のため重要であるとして、4月の福田総理大臣の訪露の際に青少年交流をこれまでの5倍の年間500人規模に拡大することとした。そのほか、歌舞伎(かぶき)の極東公演、アニメ文化大使であるドラえもんの映画上映、日本におけるロシア文化フェスティバル開催等、文化交流も活発に進められた。



 (2) 

ロシア情勢

 イ  

ロシア内政

3月の大統領選挙では、プーチン大統領から事実上後継指名されたメドヴェージェフ第一副首相が70%の得票率で圧勝し、5月に大統領に就任した。同月、プーチン前大統領が首相に就任して円滑な政権移譲が行われた。メドヴェージェフ大統領は、プーチン路線を継承しつつ、法の支配、司法の独立、報道の自由、NGO保護、民主主義や自由の価値の重視等の政策を打ち出した。また、汚職を民主主義最大の敵と位置付け積極的な対策を講じたほか、汚職や法的ニヒリズムを生み、経済と民主主義の発達を阻害するとして官僚を強く批判した。

社会面では、国民生活向上を重要課題とし、住宅供給を始めとする「優先的国家プロジェクト」に引き続き取り組んだ。

政治面では、11月、大統領の任期延長(4年から6年)及び国家院(下院)議員の任期延長(4年から5年)を提案し、そのための憲法修正に関する連邦法が12月に成立した。また、5月、プーチン首相が与党「統一ロシア」の党首(非党員)となったほか、11月にはリベラル系の三つの政党が統合されるなど、政党の統廃合の動きが見られた。

治安面では、ロシア南部において、治安機関と武装勢力との衝突やテロ行為が相次いだ。


 ロ  

ロシア経済

ロシア経済は国際金融危機や石油価格の下落等の影響を受け、通貨、株価、外貨準備とも、大幅に下落し、実体面でも生産の縮小、人員削減等が見られた。政府は、金融機関への資金供給等、一連の対策を講じたが、成長は減速し、12月には10年ぶりに実質GDP成長率が前年同月比でマイナスに転じ、通年では前年の8.1%を下回る5.6%にとどまった。12月には、自動車関税引上げや物価上昇に反対するデモが各地で発生し、一部にプーチン首相退陣要求も見られた。

ロシア経済の課題は、エネルギー依存構造からの脱却や極東・東シベリアを含むインフラ整備等であり、メドヴェージェフ大統領は「四つのI(制度、インフラ、イノベーション、投資)」を提唱している。


 ハ  

ロシア外交

外交においても、国連中心主義、国際法の優位等、プーチン路線が継承された。8月のグルジア紛争は欧州、CIS諸国の国際関係に大きな影響を与える出来事となったが、メドヴェージェフ大統領は、グルジアによる南オセチアに対する攻撃を「侵略」として断固とした対応をとり、国民の高い支持を得た。紛争後は、「外交5原則」を発表し、国内外にかかわらず、ロシア国民の生命・尊厳の擁護に強い決意を示すとともに、伝統的な友好善隣関係・歴史的関係によって結び付いたロシアの「利害圏」に特別の利益を有することを主張している。このように、同紛争を契機にロシアはプーチン政権以来指向してきた「強いロシア」「大国の復活」への志向が前面に現れたと言えよう。

大統領は、また、米国の「一極主義」をグルジア紛争及び国際金融危機の原因として批判し、新たな安全保障体制を企図する「欧州安全保障条約」構想や、国際金融体制全体の再編を提案するなど、新たな世界のルールづくりをロシア主導で進める姿勢を示している。

ロシアはCIS諸国を自国外交の優先地域としており、各国との二国間協力や地域機構を通じて関係強化を図っているほか、CIS内の紛争であるナゴルノ・カラバフ問題や沿ドニエストル問題においては仲介者として積極的に関与する姿勢を強めた。一方、グルジアはロシアとの武力衝突後、CISからの脱退を宣言し、ロシアと断交した。ロシア・ウクライナ関係も、グルジア紛争の際にウクライナが対グルジア支持の姿勢をとったことや天然ガス供給問題をめぐり悪化するなど、難しい局面が見られた。

欧米諸国はグルジア紛争におけるロシアの行動を非難したが、ロシアは自らの正しさを主張して欧米の対グルジア支援を非難し、欧州諸国とロシアの協力関係は軒並み停止・縮小された。しかし、EUが仲介した和平合意に一定の進展が見られたことなどから欧米諸国との関係は徐々に修復に向かっている。

アジア太平洋地域では、ロシアは中国及びインドとの関係を重視する姿勢を示し、エネルギー開発や武器供与等を柱とした関係の強化に努めている。また、2012年にはウラジオストクでのAPEC首脳会議の開催が予定されているほか、極東・東シベリア地域において日本や中国、韓国等とのエネルギー協力を積極的に推進するなど、同地域とアジア太平洋諸国との経済関係の強化に向けた外交を促進している。

また、中南米諸国等、旧ソ連時代からの伝統的友好国を含め、多角的な関係を活性化させた。北朝鮮核問題、イラン核問題、中東和平等の国際問題や地域紛争にも関与し、外交的手段による解決を主張している。


-
(注3) ソ連によるサンフランシスコ平和条約の署名拒否を受け、1955年6月から1956年10月にかけて、日ソ間で個別の平和条約を締結するために交渉を行ったが、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島を除いて、領土問題につき意見が一致する見通しが立たなかった。そのため、平和条約に代えて1956年10月19日、日ソ両国は、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言(両国の議会で批准された条約)に署名した。同宣言第9項において、平和条約締結交渉を継続すること、平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島が日本に引き渡されることが合意されている。
(注4) 1993年10月のエリツィン・ロシア大統領訪日の際に、同大統領と細川護熙(もりひろ) 総理大臣との間で署名された宣言。第2項において、領土問題を、北方四島の帰 属に関する問題であると位置付け、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化するとともに、領土問題 を、[1]歴史的・法的事実に立脚し、[2]両国の間で合意の上作成された諸文書及び[3]法と正義の原則を基礎として解決するとの明確な交渉指針を示した。
(注5) 1956年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で1993年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、もって日露関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
(注6) 四島交流、自由訪問及び墓参は、日露両国いずれか一方の法的立場をも害するものとみなしてはならないとの共通の理解の下に設定された枠組み。1992年から、四島交流の枠組みの下で日本国民と北方四島の住民との間で相互訪問が実施されている。自由訪問は1999年に設定された、北方四島の元居住者等による最大限簡素化された北方四島訪問の枠組み。北方墓参は1964年から断続的に実施されており、対象者は元島民及びその家族。
(注7) 「エネルギー」「運輸」「情報通信」「環境」「安全保障」「保健・医療」「貿易投資の拡大及び環境の改善」「地域間交流の促進」の8分野で、極東・東シベリア地域における官民の互恵的な協力の推進・促進を検討していくことを提案するもの。提案の背景として、「イニシアティブ」前文において、極東・東シベリア地域が社会経済発展を成し遂げ、透明性をもってアジア太平洋地域とのつながりを強化し、同地域の安定と発展において、ロシアが建設的な役割を担うことが期待されるとの考え方が示されている。
(注8) 1994年11月、サスコベッツ第一副首相と河野洋平外務大臣との間で署名された覚書に基づき、第1回会合を1996年3月に開催。現在は、日本側は外務大臣、ロシア側は産業貿易相が共同議長。日露経済関係のすべての問題について総合的に意見交換を行うことができる唯一の対話の場となっている。2008年10月に第8回会合を開催。
(注9) 日露貿易投資促進機構は、[1]情報提供、[2]コンサルティング、[3]紛争処理支援を通じて日露間の貿易投資活動を拡大・深化させることを目的として設置された。日本側組織は2004年6月から活動しており、ロシア側組織が2005年4月に設立されたことにより、全体としての活動が開始された。

テキスト形式のファイルはこちら

▲このページの上へ