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【各論】


 1.

朝鮮半島(拉致(らち)問題を含む)


 (1) 

北朝鮮


 イ  

六者会合(核問題)

(イ) 北朝鮮による核計画の申告の提出

2007年10月の六者会合成果文書注1においては、第二段階の措置として、北朝鮮が、[1]寧辺(ヨンビョン)の三つの核施設の無能力化、[2]すべての核計画の「完全かつ正確な申告」を同年末までに実施すること等が明記されていた。

北朝鮮は、これらの措置を同年末までに完了しなかったが、無能力化作業を続けると同時に、申告については、期限から大幅に遅れたものの、2008年6月26日に議長国である中国に提出した。また、これを受け、米国は、同日、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する意図を議会に通報し、対敵通商法の適用終了を宣言した。


(ロ) 六者会合首席代表者会合(7月)及び六者外相による非公式会合

北朝鮮による核計画の申告を受けて、第6回六者会合に関する首席代表者会合(7月10日~12日)が北京において開催され、同会合のコンセンサスを取りまとめた成果文書としてプレス・コミュニケ注2が発出された。同会合においては、検証メカニズムの設置及びその原則(検証措置には、施設への訪問、文書の検討、技術者との面談及び六者が合意するその他の措置が含まれることや検証メカニズムが国際原子力機関(IAEA)から助言及び支援を受けることができること等)に合意したが、その詳細(検証の具体的枠組み)については合意に至らなかった。また、2007年10月に合意した[1]寧辺の3施設の無能力化、[2]北朝鮮に対する経済・エネルギー支援注3を2008年10月末までに完了するよう取り組むこと及び六者それぞれの約束の尊重・履行を確保するための監視メカニズムを設立することを確認した。

これに引き続いて、第15回ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会合の機会をとらえて、7月23日に、シンガポールにおいて開催された六者外相による非公式会合では、検証の具体的枠組みについての協議を含め、作業を加速させる必要があること等が確認された。

しかしながら、当初、北朝鮮が検証の具体的枠組みの構築に協力しなかったことから、米国はすぐには指定解除を実施しなかった。これに対し、北朝鮮は、8月26日に無能力化作業の中断を発表し、9月19日には寧辺の核施設の原状復旧を行っていると発表した。その後、北朝鮮は、IAEAに寧辺の再処理施設の封印・監視機器を除去させるなど、それまでの無能力化作業を逆行させる行動を実施した。


第6回六者会合に関する首席代表者会合のプレス・コミュニケ(概要)(7月12日)


- 1.検証メカニズム -  
(1) 朝鮮半島の非核化を検証するため、六者会合の枠組みの中に、検証メカニズムを設置。
(2) 検証メカニズムは、六者の専門家により構成され、非核化作業部会に対し責任を負う。
(3) 検証メカニズムの検証措置には、施設への訪問、文書の検討、技術者との面談及び六者が合意するその他の措置が含まれる。
(4) 必要な場合には、検証メカニズムは、IAEAから助言及び支援を受けることができる。
(5) 検証の具体的な計画及び実施は、非核化作業部会により決定される。

- 2.監視メカニズム -  

監視メカニズムは、六者の首席代表により構成され、その任務は、六者それぞれの約束(不拡散、経済・エネルギー支援を含む)の尊重・履行を確保すること。


- 3.寧辺の核施設の無能力化及び経済・エネルギー支援 -  
(1) 北朝鮮による寧辺の核施設の無能力化と、北朝鮮に対する残余の重油・非重油の支援は、並行して完全に実施される。
(2) 六者は、2008年10月末までに、重油・非重油の支援を完了するよう取り組む。
イ  米国・ロシアは、2008年10月末までに、残余の重油支援を完了するよう取り組む。
ロ  中国・韓国は、2008年8 月末までに、非重油支援に関する合意に署名するよう取り組む。
ハ  日本は、環境が整えば、可能な限り早期に北朝鮮に対する経済・エネルギー支援に参加する意向を表明。
(3) 北朝鮮は、2008年10月末までに、寧辺の核施設の無能力化を完了するよう取り組む。

- 4.北東アジアの平和及び安全 -  

「北東アジアの平和及び安全に関する指針」に関する議論を継続することで一致。


- 5.六者閣僚会議 -  

六者は、適切な時期に、六者閣僚会合を北京において開催することを改めて表明。


- 6.今後の段取り -  

六者会合プロセスを包括的に前進させること等に合意。


(ハ) 六者会合首席代表者会合(12月)

検証の具体的枠組みの構築に向け、米朝間では検証に関する協議が断続的に行われ、10月初めのヒル米国国務次官補の訪朝を経て、米国は、10月11日、米朝間で一連の検証措置について合意が得られたとして、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除した注4。これを受けて、翌12日、北朝鮮は、寧辺の核施設の無能力化作業の再開及びIAEAの監視メンバーの活動の再開容認を発表した。

12月8日から11日にかけて北京において開催された第6回六者会合に関する首席代表者会合においては、六者間で、しっかりとした検証の具体的枠組みに文書で合意することを目指して議論が行われた。同会合に際しては、日米韓3か国で緊密な連携が行われ、最終的には日米韓露が検証に関し基本的立場を共有したものの、北朝鮮側が前向きな姿勢を示さなかったことから、検証の具体的枠組みに関する合意は得られなかった。また、検証に関する合意ができなかったことから、第二段階における経済・エネルギー支援については、国際社会が支援に参加することとなれば、これを六者会合として歓迎し、また、寧辺の核施設の無能力化及び経済・エネルギー支援を並行して実施することを再確認するにとどめ、未実施の経済・エネルギー支援の完了時期には合意しなかった。

日本としては、懸案の検証の具体的枠組みについて六者間で文書による合意が形成され、早期に検証が開始されるよう、引き続き米国及び韓国を始めとする関係国と緊密に連携しつつ、粘り強く取り組んでいく方針である。


 ロ  

日朝関係

(イ) 日朝協議

2008年6月11日及び12日、日朝実務者協議が北京で行われた。この協議の結果、北朝鮮側は、「拉致問題は解決済み」との従来の立場を変更し、拉致問題の解決に向けた具体的行動を今後とるための再調査を実施することを約束するとともに、「よど号」注5関係者の問題の解決のために協力する用意を表明した。また、「再調査」は、「生存者を発見し、帰国させるための調査である必要がある」旨を明確に確認した。日本側としては、北朝鮮側の対応を受け、対北朝鮮措置の一部を解除する用意があることを表明した。

6月の日朝実務者協議を受け、8月11日及び12日に日朝実務者協議が瀋陽(しんよう)(中国)で行われた。この協議において、日朝双方は、拉致問題に関する調査について以下のとおり行われることについて一致した。

    [1] 北朝鮮が行う調査は、拉致問題の解決に向けた具体的行動をとるため、すなわち生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査となること。
[2] 調査の対象には、政府が認定した被害者やその他に提起された行方不明者が含まれ、すなわち、すべての拉致被害者が対象となること。
[3] 調査は、権限が与えられた北朝鮮の調査委員会によって迅速に行われ、可能な限り秋には終了すること。
[4] 北朝鮮側は、調査の進ちょく状況について日本側に随時通報し、協議を行うこと。調査の過程で生存者が発見される場合には、日本側に伝達され、その後の段取りについては、日本側と協議し、合意されること。
[5] 北朝鮮側は、日本側が関係者との面談、関係資料の共有、関係場所への訪問などを通じて調査結果を直接確認できるよう協力すること。
[6] 調査に関連するその他の事項については、引き続き協議すること。

また、今後北朝鮮側が調査委員会を立ち上げ、調査を開始することと同時に、日本側も対北朝鮮措置のうち、[1]人的往来の規制解除、[2]航空チャーター便の規制解除を実施する用意がある旨表明した。

しかし、9月4日、北朝鮮から、引き続き先の日朝実務者協議の合意事項を履行するとの立場であるが、突然日本での政権交代が行われることになったことを受け、新政権が実務者協議の合意事項にどう対応するかを見極めるまで調査開始は見合わせることとした旨の連絡があった。これに対し、日本側は、9月末の麻生政権発足後、8月の日朝実務者協議の合意を実施する日本の方針に何ら変わりはない旨明らかにしつつ、北朝鮮側に早期の調査開始を繰り返し要求してきているが、いまだ北朝鮮側は調査を開始していない(2009年2月末現在)


(ロ) 拉致問題に関する取組

2008年12月末現在、政府が認定している日本人拉致事案は12件17名であり、そのうち12名がいまだ帰国していない。北朝鮮は、12名のうち、8名は死亡し、4名は入境を確認できないと主張している。北朝鮮による拉致は、日本の主権及び国民の生命と安全にかかわる重要な問題であり、政府としては、その解決を最重要課題の一つと位置付け、[1]すべての拉致被害者の安全確保と即時帰国、[2]真相究明、[3]拉致被疑者の引渡し等を、日朝協議等において強く要求してきている。


(a) 対北朝鮮措置

2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、10月の北朝鮮による核実験実施発表を受け、また、北朝鮮が引き続き拉致問題について何ら誠意ある対応を見せていないこと等を総合的に勘案し、政府は一連の対北朝鮮措置注6を決定したが、これらの措置は依然として継続されている(2009年1月末現在)。


(b) 外交上の取組

日本政府は、各種の国際会議、首脳会談等の外交上の機会をとらえ拉致問題を提起し、諸外国からの理解と協力を得てきている。7月のG8北海道洞爺湖サミットでは、拉致問題についての日本の訴えを参加国が支持した結果、首脳宣言において「我々は、拉致問題等の未解決の懸案事項の解決を含む2005年9月19日の共同声明の完全な実施を通じた、朝鮮半島の検証可能な非核化及び関連する六者会合参加者間の将来の国交正常化に向けた六者会合プロセスに対し、引き続き支持を表明する。」旨記述されるとともに、議長総括において「北朝鮮に対し、拉致問題の早期解決を含むその他の安全保障並びに人権及び人道に関する懸念に対処するために速やかに行動するよう強く要請する。」とのメッセージが盛り込まれた。

さらに、12月18日には、国連総会本会議において、日本が欧州連合(EU)と共同で提出した北朝鮮人権状況決議注7が、賛成票94票、反対22票、棄権63票で採択された。この決議は、国際的懸念事項である拉致問題に対する極めて深刻な懸念を改めて表明し、北朝鮮に対してこれらの問題を早急に解決するよう強く求めている。



 ハ  

その他の問題

(イ) 「脱北者」の問題

北朝鮮から逃れた脱北者は、滞在国当局の取締りや北朝鮮への強制送還等を逃れるため潜伏生活を送っており、政府としては、こうした脱北者の保護及び支援について、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえ、人道上の配慮、関係者の安全、脱北者の滞在国との関係等を総合的に勘案しつつ対応している。日本国内に受け入れた脱北者については、関係省庁間の緊密な連携の下、定着支援のための施策を推進している。


(ロ) 南北朝鮮関係

2008年2月に就任した李明博(イミョンバク)韓国大統領は、新政権の対北朝鮮政策として、北朝鮮による核の放棄と対北朝鮮支援を比較的明確に関連付ける「非核・開放・3000構想」注8を明らかにした。これに対し北朝鮮は、3月に開城(ケソン)工業団地からの韓国側要員の撤収を要求するなど、韓国に対する強い反発を示した。

李明博大統領は北朝鮮に対し対話を呼び掛けているが、7月には北朝鮮兵士による金剛山(クムガンサン)韓国人観光客射殺事件が発生し、また8月には韓国内で脱北者に偽装した北朝鮮スパイが韓国当局に摘発されるなど、南北関係は困難な状況を迎えた。

10月には、李明博政権になって初の南北公式会談となる南北軍事実務会談が開催されたが、会談では北朝鮮側から、韓国の民間団体による北朝鮮へのビラ散布に対する激しい非難が行われた。

さらに北朝鮮は、李明博政権への批判を強めつつ、12月には南北間の軍事境界線を通じたあらゆる陸路通行を「厳格に制限、遮断する」として、京義線・東海線を含む各種人的往来を大幅に制限する措置を実施するなど、南北関係は厳しい状況を迎えており、今後の動向が注目される。


(ハ) 北朝鮮内政・経済

北朝鮮は、金正日(キムジョンイル)国防委員長が主に朝鮮労働党を通じて全体を統治しており、「先軍政治」と呼ばれる軍事優先政策を実施している。9月9日の北朝鮮「建国」60周年記念式典において行われた閲兵式に金正日国防委員長が姿を見せなかったことから、同委員長の健康問題が各国の注目を集め、日本としても、関係国と協力しながら、北朝鮮内部の情報収集に努めた。

北朝鮮は、社会主義圏崩壊以降の厳しい経済難から、1990年代中盤以降、部分的な経済改革に着手した注9。また、1998年以来、思想、政治、軍事、経済の強大国である「強盛大国」の建設を標ぼうし、近年は経済復興に努力していた。しかし、エネルギーを含め、全般的な資材・資金不足の中で、そうした措置が生産活動の活性化につながっているのか、貧富の差の拡大をもたらしていないのかなど、不透明な点が多い。

北朝鮮の経済成長は、1999年以来6年連続でプラス成長を続けていたが、2007年の経済成長率は推計-2.3%(韓国銀行推計値)であり、2006年から2年連続でマイナス成長に転じている。現在も、資材・資金の不足、生産施設の老朽化、遅れた技術水準等の問題が産業全体に存在しており、今後北朝鮮がどのような経済政策を実施するかが注目される。

北朝鮮の食糧事情は、近年、慢性的な肥料不足に加え、天候不順等により穀物総生産量が低調な水準を推移していると考えられている。2008年の生産量は、2007年からやや回復したと見られているが、引き続き食糧事情は難しい状況にあると見られている。

また、北朝鮮は、近年中国との経済関係を急速に拡大している。2007年の北朝鮮による対中貿易額が、総額で約19億7,000万米ドルに上り(大韓貿易投資振興公社(KOTRA)推計値)、北朝鮮の対外貿易の約4割を占めている。



 (2) 

大韓民国


 イ  

日韓関係

日韓両国は、自由と民主主義、基本的人権等の基本的価値を共有する重要な隣国同士であり、首脳・外相レベルを始め、様々な分野で重層的な政府間対話が行われた注10。2月25日、李明博(イミョンバク)大統領の就任式の際に行われた日韓首脳会談で、両首脳が形式張らずに頻繁に往来する「シャトル首脳外交」を実施していくことで一致したことを受け、その1回目として、4月に李明博大統領が訪日した。両首脳は、日韓関係を一層緊密なものとするとともに、日韓両国が協力して国際社会に貢献していくべきであるとの考えで一致し、未来志向の「成熟したパートナーシップ関係」を構築していくことで一致した。2009年1月には、麻生総理大臣が韓国を訪問し、「シャトル首脳外交」が定着したことを確認し、同年の適当な時期に李明博大統領が訪日すること等で一致した。

2008年11月には、リマ(ペルー)において日米韓首脳会談が開催され、北朝鮮問題や国際経済について、日米韓の3か国が緊密に連携していくことの重要性を確認した。

日韓両国民の相互理解と交流の流れは着実に深化、拡大してきており、近年日韓両政府が両国民の交流環境の整備のための施策を講じていることもあり注11、国交正常化当時には年間約1万人であった両国間の人の往来は、2008年には約476万人に達した。

2008年に4回目を迎えた「日韓交流おまつり」は9月にソウル市庁舎前広場で開催され注12、これに併せて両国の姉妹都市間の交流を促進する「日韓交流おまつり中高生プロジェクト」注13を実施した。また、2007年度から5年間の予定で開始された「21世紀東アジア青少年大交流計画」の下、2008年度は、1,400人を超える韓国の中高生、大学生、教員等が訪日した注14。さらに、4月の日韓首脳会談では、1999年に導入された日韓ワーキング・ホリデー制度が両国の若い世代間の理解と友情の増進に大きな役割を果たしているとの認識で一致し、日韓それぞれの参加者上限を、3,600人から、2009年には倍増の7,200人に、2012年までに10,000人に拡大することで一致した。このほか、交流を深化、拡大させるための様々な取組がなされている注15

2006年に再開された排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉は、2008年5月に第9回交渉を実施し、現在も交渉が継続中である。また、EEZ境界画定には一定の時間を要することから、喫緊の課題として、海洋の科学的調査に係る暫定的な協力の枠組み交渉も併せて行っている。

2007年6月から本格的に開始した第二期日韓歴史共同研究は、これまでに4回の全体会合を実施している注16。また、朝鮮半島出身者の遺骨問題については、祐天寺に保管されている旧軍人・軍属の遺骨を、2008年1月には101体、同年11月には59体返還するなど、着実に進展させてきている。そのほかにも、在サハリン「韓国人」支援注17、在韓被爆者問題への対応注18、在韓ハンセン病療養所入所者への対応注19など、多岐にわたる分野で真摯(しんし)に取り組み、目に見える進展を図ってきた。

なお、日韓間には竹島をめぐる領有権の問題があるが、7月14日に文部科学省が公表した中学校学習指導要領解説(社会(地理的分野))に初めて竹島が記述されたことに対し、韓国政府は強く反発した。竹島は、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土であるというのが、日本政府の一貫した立場であり、こうした立場は、パンフレットの作成などにより対外的に周知するとともに注20、韓国側に対しても累次にわたり申し入れている。いずれにせよ、日本政府としては、この問題の平和的解決のため、粘り強い外交努力を行っていく方針である。


 ロ  

日韓経済関係

日韓経済関係の強化の流れは維持された。韓国側統計では貿易総額で日本は米国を抜き、中国に次ぐ第2位の貿易相手国になった。日本側統計では円高・ウォン安の影響で二国間の貿易総額は対前年比4.0%減の約9.2兆円(財務省貿易統計速報値)となった(日本にとって韓国は第3位の貿易相手国)。ただし、韓国にとって、日本は最大の貿易赤字相手国となっており、2008年の貿易赤字は約3.1兆円(財務省貿易統計速報値)となっている。

2008年においても、引き続き、経済分野の日韓間の交流は活発に行われた。政府レベルにおいては、10月、第7回日韓ハイレベル経済協議を開催し、日韓EPA等の両国の経済関係、世界貿易機関(WTO)、経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)戦略等のグローバルな課題について意見交換を行った。また、民間レベルの両国経済界の対話・協力が一層活発化した。2月の日韓首脳会談において経済界の対話の強化を働き掛けることとなったことを受けて、4月及び10月には、日韓両国経済界のリーダーが一堂に会し、「日韓ビジネス・サミット・ラウンドテーブル」が開催された。4月の会合は日韓首脳会談と同日に行われ、両首脳への報告会が開かれた。また、4月の日韓首脳会談を受け、部品・素材の分野における産業間交流や中小企業政策対話等が実施に移されている。

日韓経済連携協定(EPA)交渉については、2004年11月以降中断しているが、2008年4月の日韓首脳会談において、日韓EPAが両国の経済関係の強化に重要な役割を果たすであろうという認識を共有したことを受けて、交渉の再開に向けた検討及び環境醸成のための実務協議が6月及び12月に開催された。また、2009年1月の日韓首脳会談においても、交渉再開に向けた検討を促進することで一致した。

金融危機と世界経済の減速への対応のための連携が2008年秋以降の中心課題となった。日本からは2回の総理大臣特使が派遣されたほか、12月12日には両国間の通貨スワップ取極の限度額が130億米ドルから300億米ドルに増額(2009年4月末まで)された。

日韓間では環境分野での協力も進展している。4月の日韓首脳会談において、両首脳は、「きれいな大気、きれいで豊かな海」を共に守るために両国の連携を強化することで一致した。また、2009年1月の日韓首脳会談において、麻生総理大臣から、漂着ゴミ注21削減のための協力が具体化することへの期待を表明した。これらを受け、2009年2月には、実務協議を行い、「きれいで豊かな海」を共に守るために一層積極的に協力していくことを確認した。

さらに、6月には第11回日韓環境保護協力合同委員会が開催され、環境分野での二国間及び地球規模の課題に関する日韓間の連携強化につき一致した。

これ以外にも、2009年1月には韓国の多目的観測衛星の日本のH-IIAロケットでの打ち上げが正式調印されるなど宇宙分野での協力も進んでおり、今後、科学技術分野でも日韓間の幅広い協力強化が期待されている。


日韓経済関係(日本の対韓国貿易額)(過去6年)


単位:億円 
  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年
  韓国への輸出額   40,225 47,851 51,460 58,489 63,790 61,699
  韓国からの輸入額   20,712 23,834 26,953 31,783 32,107 30,484
  収支(日本の黒字)   19,513 24,017 24,507 26,706 31,684 31,214
出典:財務省貿易統計から算出

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日韓経済関係(日本の対韓国貿易額)(過去6年)

 ハ  

韓国情勢

(イ) 内政

2008年2月25日、李明博第17代大統領が就任した。李明博大統領は、政権交代及び経済再建に対する国民の期待を受け、2007年12月の大統領選挙では歴代最大となる531万票差で当選し、大統領就任直後も支持率は57.3%に達した。しかし、政府が4月末に米国産牛肉の輸入再開を決定したことを受け、5月以降、輸入再開に反対する数万人規模の市民のデモが継続的に発生し、6月末には支持率が15%台にまで急落した。その後、支持率は回復したが、2008年後半は25%前後で推移した。

国会では、4月9日に第18代国会議員総選挙が行われ、ハンナラ党が299議席中153議席を獲得し、過半数を占める与党となった。第18代国会の任期は5月30日から開始したが、米国産牛肉の輸入再開問題をめぐる与野党の対立により国会が空転し、国会議長の選出や常任委員会の構成等が1か月以上遅れた。また、9月1日から開会した定期国会では、2009年度予算案等をめぐり、与野党が対立し、12月の臨時国会において、与党が韓米FTA批准同意案を強行上程したこと等を契機に、野党が国会会議場を占拠する事態も発生した。2009年1月に入り、与野党が対立法案の先送り等で合意に至り、国会は正常化した。


(ロ) 経済

2008年の成長率は、2.5%となり(国内総生産(GDP)成長率、韓国銀行発表)、通貨危機に見舞われた1998年以降で最低水準となった。

2008年の韓国の経常収支は、64.1億米ドルの赤字(経常収支赤字は1997年以来)となった。また、輸出額は、前年比14.3%増の約4,334億米ドルであったのに対し、輸入額は、前年比21.8%増の約4,274億米ドルとなり、貿易収支は59.9億米ドルの黒字であった(以上韓国銀行暫定値)

国際金融市場不安の影響等を受け、急激なウォン安及び株価急落が進行した。韓国政府は、11月に財政支出11兆ウォン、減税3兆ウォンを含む「経済難局克服総合対策」を発表するなど、累次の対策を表明した。また、2009年1月には、4年間で約50兆ウォンを投入し約96万人の雇用創出効果を見込んだ「緑色ニューディール事業」を発表した。

10月、韓国銀行は、米国連邦準備制度理事会(FRB)との最大300億米ドルの韓米通貨スワップ協定締結を発表した。また、12月には、日本銀行及び中国人民銀行との間で既存の通貨スワップの限度額をそれぞれ総額300億米ドルとすることで一致した。

外貨準備高は、世界第6位の水準を維持しているが、ピーク時(2007年)の約2,600億米ドル水準から減少し、2009年1月末時点で2,017.4億米ドルとなっている。

株式市場は、2007年秋に2,000ポイント台に達したが、2008年10月以降、主要国株式市場の株価下落等により、大幅に下落し、一時1,000ポイントを割り込んだ。

韓国銀行の基準金利は、2008年秋以降5回切り下げられ、2009年2月末現在2.0%となっている。


-
(注1) 「共同声明の実施のための第二段階の措置」(2007年10月3日)
(注2) 21ページ「第6回六者会合に関する首席代表者会合のプレス・コミュニケ(概要)」を参照。
(注3) 「共同声明の実施のための第二段階の措置」(2007年10月3日)では、無能力化作業等と並行して、北朝鮮に対して合計100万トンの重油相当の経済、エネルギー及び人道支援が提供されることが確認されている。
(注4) 米国は、指定解除の効果は基本的に象徴的なものであり、ほとんどの制裁は他の法令に基づき残ることとなる旨説明。また、指定解除に先立つ日米首脳電話会談(10月11日)で、ブッシュ米国大統領は、拉致問題に関する日本の立場に対する強い支持を改めて表明。
(注5) 1970年3月31日午前7時30分過ぎ、日本刀、短刀、鉄パイプ爆弾等を所携した赤軍派の田宮高麿ら9名が、富士山上空を飛行中の羽田空港発福岡空港行日本航空351便・通称「よど号」(乗客122名、乗員7名、計129名)を乗っ取り、北朝鮮に行くことを強要した事件。メンバー5名(実行犯)、メンバーの妻3名及び子1名が現在も北朝鮮に滞在していると見られている。
(注6) 2006年7月5日の北朝鮮によるミサイル発射に対し、万景峰92号の入港禁止を含む9項目の対北朝鮮措置を即日実施し、同年10月9日の北朝鮮による核実験実施の発表に対し、同月11日、すべての北朝鮮籍船の入港禁止及び北朝鮮からの輸入禁止を含む4項目の対北朝鮮措置を発表した。
(注7) 同決議は、国連総会において2005年から4年連続で採択されている。
(注8) 「北朝鮮が核を放棄し、改革・開放に乗り出すならば、北朝鮮の一人当たり所得が10年以内に3,000米ドルに達するよう積極的に支援する」構想。
(注9) 2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めている。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費財を販売している。
(注10) 2008年には、4回の首脳会談(2月(於:ソウル)、4月(於:東京)、10月(於:北京)及び12月(於:福岡))及び3回の外相会談(4月(於:東京)、6月(於:東京)及び11月(於:ペルー))を実施した。
(注11) 2006年3月1日から短期滞在査証免除措置の無期限延長を実施した。また、2005年8月1日から羽田―金浦間の航空便は倍増し、1日8便が運航しているが、2010年10月以降、1日当たり最大12便とすることで一致している。
(注12) 「日韓交流おまつり2008 in Seoul」は、日韓双方の民俗芸能団体等が51団体(約1,100人)参加し、約10万人の観客を集めた。
(注13) 韓国との間で直行定期便や姉妹交流提携を結んでいる日本の地方自治体が、2008年夏に韓国の中高生をそれぞれ約10人、1週間程度招へいし、民俗芸能を含む日本の文化に接してもらうとともに、9月に日本の中高生が韓国を訪問し、訪日した韓国の中高生と共に「日韓交流おまつり」に参加する交流事業。本事業により、7団体が「日韓交流おまつり」に参加。
(注14) 2007年度は、1,200人を超える中高生、大学生、教員等が訪日した。
(注15) 日韓共同理工系学部留学生事業は2009年秋に目標の1,000人受入れを達成することから、2008年12月の日韓首脳会談で第2期の立ち上げで一致。また、2008年4月の日韓首脳会談では、今後3年間で新たに1,500人の大学生・大学院生の留学を日韓両政府が支援する「日韓大学生交流事業」を開始することにも一致したほか、「国際社会に共に貢献する日韓関係」をテーマに日韓両国の専門家が共同研究を行う「日韓新時代共同研究プロジェクト」を開始することでも一致した。
(注16) 2001年の日韓首脳会談での一致を受け、2002年、日韓の歴史学者で構成される研究委員会が発足(第一期日韓歴史共同研究)。約3年間の研究活動を経て、2005年6月に日韓歴史共同研究報告書を公表した。現在は、2005年6月の日韓首脳会談での一致に基づき、第二期日韓歴史共同研究を推進中。
(注17) 終戦前、様々な経緯で旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長期間にわたり、サハリンに残留を余儀なくされた朝鮮半島出身者の一時帰国支援、永住帰国支援を行ってきている。
(注18) 第2次世界大戦時に広島又は長崎に在住して原爆に被爆した後、日本国外で居住している方々に対する援護の問題。これまで国外に居住している被爆者は、被爆者援護法に基づく手当の認定申請や葬祭料の支給申請を来日して行う必要があったが、2005年11月30日から、申請を行う被爆者の居住地を管轄する在外公館その他最寄りの在外公館等を経由して申請を行うことが可能になった。また、在外被爆者の被爆者健康手帳の国外からの申請は引き続き認められていなかったが、2008年12月15日から、国外からの申請が可能となった。
(注19) 終戦前に日本が設置した日本国外のハンセン病療養所入所者が、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」に基づく補償金の支払を求めていたが、2006年2月に法律が改正され、新たに国外療養所の元入所者も補償金の支給対象となった。
(注20) 2008年2月、外務省は、「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント」と題するパンフレットを作成した。現在、日本語、英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語、中国語の10言語版が、外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/)で閲覧可能である。
(注21) 近年、日本海側に漂着する韓国語表記の廃ポリタンク等のゴミが問題となっており、10月に開催された第7回日韓ハイレベル経済協議においても議題として取り上げられた。

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