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 2.

中東和平


 (1) 

イスラエル・パレスチナ紛争


2006年3月に成立したハマス主導のパレスチナ自治政府(PA)内閣に対し、イスラエルは接触を停止し、中東和平プロセスは停滞状況に陥った。同時に、パレスチナ内部でもハマスと、これまでPAを主導してきたファタハの対立が激化し始めた。このような状況を打破するために、サウジアラビアの仲介によって、2007年2月、メッカにおいてファタハとハマスの間で直接交渉が行われた。その結果、アッバース大統領とハマスの実質的指導者マシュアル・ハマス政治局長の間で挙国一致内閣の樹立について合意に至り(メッカ合意)、3月、ハニーヤ首相(ハマス幹部)を首班とする挙国一致内閣が成立した。しかし、その後もファタハとハマスとの間の対立は解消されず、6月11日に至り、パレスチナ自治区のガザ地区で、ファタハとハマスの部隊間の武力対立が激化した。これをきっかけに、6月14日までにハマス部隊はガザ地区内のPA大統領府等を占拠し、ガザ地区全域の掌握を宣言する事態に至った。これを受け、アッバース大統領は、パレスチナ自治区全域を対象に非常事態を宣言し、ハニーヤ首相を罷免の上、ファイヤード前財務庁長官を首相に指名して、ハマスを排除した緊急内閣を発足させた。

このように、パレスチナ内部での対立が深まる一方で、アッバース大統領とオルメルト・イスラエル首相との間では対話の機運が高まった。6月25日にはエジプトのシャルム・エル・シェイクで4者首脳会談(オルメルト首相、アッバース大統領、ムバラク・エジプト大統領、アブドッラー・ヨルダン国王が出席)が行われ、オルメルト首相からアッバース大統領に対し、250人のパレスチナ人囚人の解放や4億米ドルに上る税還付の凍結解除の実施が表明された。

こうしたイスラエル・パレスチナ間の対話再開を受けて、国際社会からもこれを後押しする動きが見られた。ブッシュ・米国大統領は、7月、中東和平に関する演説において、今こそ和平プロセスを進めるべきとの姿勢を示し、パレスチナ支援調整委員会(AHLC)閣僚級会合の開催及び中東和平に関する「国際会議」の開催を提案した。また、「カルテット」(米国・EU・ロシア・国連で構成)はブレア・前英国首相を特使に任命し、中東和平に積極的に関与する姿勢を表明した。9月にニューヨークで開催されたAHLC閣僚級会合では、国際社会としてPAの改革・再建への支援を増加することが合意された。

ブッシュ・米国大統領の演説後、イスラエルとパレスチナの間では「国際会議」に向けて首脳間の直接協議が頻繁に行われ、その結果、パレスチナ人囚人の解放や税還付の凍結解除などが実現した。そして、11月、米国アナポリスにおいて、「アナポリス中東和平国際会議」が開催された。この会議には、イスラエル、PAに加え、日本を含む50の国及び国際機関等が参加し、中東和平問題を巡る国際会議では史上最大規模の会議となった。この会議において発表された共同了解では、イスラエルとパレスチナの2つの国家が平和と安全のうちに共存するとの目標を推進するため、核心的問題を含むすべての未解決問題を解決して和平条約を締結するために、二者間交渉を直ちに開始すること(注1)、2008年末までに合意するためにあらゆる努力を払うことが合意された。

12月には、動き出した政治プロセスを後押しし、将来のパレスチナ独立を支援するため、ファイヤードPA首相によって提唱されたパレスチナ支援プレッジング会合がパリで開催された。同会合においてファイヤード首相は将来のパレスチナ国家樹立に向けた「パレスチナ改革・開発計画」を提示して、今後3年間で約56億米ドルの支援を要請し、これに対し同会合では日本を含む主要ドナーから総額74億米ドルの支援が表明された。



 (2) 

中東和平に対する日本の取組


日本は、イスラエルとパレスチナの二国家の共存共栄が唯一の和平への道であるとの認識の下、[1]両当事者への政治的働きかけ、[2]対パレスチナ支援、[3]信頼醸成促進、[4]「平和と繁栄の回廊」構想の推進に取り組んでいる。
[1]両当事者への政治的働きかけ

1月のリヴニ・イスラエル筆頭副首相兼外相訪日、6月のアブ・アムロPA外務庁長官の訪日、8月の麻生外務大臣によるイスラエル及びパレスチナ自治区訪問の際などにおいて、両当事者の首脳・外相に対して和平促進のために直接働きかけを行った。また、有馬龍夫中東和平担当特使も頻繁に現地を訪問し、当事者に対して和平実現に向けた働きかけを行っている。
[2]対パレスチナ支援

日本は、1993年以降、2007年末までに総額9億米ドル以上の対パレスチナ支援を実施している。2007年3月には、医療・雇用創出、食糧等からなる総額1,260万米ドルの人道支援を実施した。8月に麻生外務大臣がパレスチナ自治区を訪問した際には、PAへの直接支援1,100万米ドルに加え、ガザ地区を含めた人道支援900万米ドルを含め、総額約2,000万米ドルの支援を表明した。12月のパレスチナ支援プレッジング会合(於:パリ)には、日本から宇野外務大臣政務官が出席し、対パレスチナ支援として、当面1.5億米ドルの支援を実施していくこと、及びこの一環として、国連開発計画(UNDP)を通じ、公立の医療機関等に対する総額約1,000万米ドルの緊急支援の実施を決定したことを表明した。これらの1.5億米ドルの支援が実施されれば、日本の対パレスチナ支援は、1993年のオスロ合意以降、総額約11億米ドルになる。
[3]信頼醸成

日本は3月に、第3回イスラエル・パレスチナ和平信頼醸成会議を開催し、ペレス・イスラエル副首相、エラカート・パレスチナ解放機構(PLO)交渉局長等が出席し、将来のパレスチナ国家建設に向けた域内協力の在り方などについて議論を行った。
[4]「平和と繁栄の回廊」構想

将来のイスラエル・パレスチナの共存共栄に向かう人々に信頼をもたらし、希望を与える日本の中長期的取組である。ヨルダン川西岸に農産業団地を建設するとともに、西岸からヨルダンを通り湾岸諸国等に向けた物流を促進することで、民間セクターの活性化に基づくパレスチナ経済自立化に寄与することをねらいとしている。この構想は、日本、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン間の地域協力を通じて推進しており、パレスチナ支援のモデルケースとして国際社会から注目されている。3月には、麻生外務大臣の主催により、東京で「回廊」構想4者協議の立ち上げ会合を閣僚級で開催し、その後、「農産加工・物流拠点整備」計画を事業化するための調査団を現地に派遣した。8月の麻生外務大臣の中東訪問の機会には、パレスチナ自治区ジェリコで第2回4者協議閣僚級会合を開催し、農産業団地をジェリコ県南部に建設することで一致した。閣僚級協議に並行して、現地で事務レベル会合を開催しており、経済的技術的事項やアクセス問題につき協議を重ねている。


写真・「平和と繁栄の回廊」構想4者協議閣僚級会合

「平和と繁栄の回廊」構想4者協議閣僚級会合(8月15日、パレスチナ自治区・ジェリコ)


「平和と繁栄の回廊」構想

「平和と繁栄の回廊」構想

日本のパレスチナ支援

日本のパレスチナ支援


 (3) 

レバノン情勢


レバノンに関しては、1月にフランスでレバノン支援国際会議が開催され、2006年夏のイスラエルとヒズボラとの戦争被害も重なり財政状況が急速に悪化したレバノンに対し、国際社会が支援を表明した。一方、レバノン国内では、5月下旬から9月上旬までレバノン国軍がパレスチナ難民キャンプ内に立てこもった武装勢力のファタハ・イスラームと交戦し、大量のパレスチナ難民が避難を余儀なくされた。また、反シリア派国会議員2名の暗殺事件や国連レバノン暫定隊(UNIFIL)に参加するスペイン部隊への爆弾テロが発生するなど治安の悪化が進んだ。11月に任期が終了したラフード大統領の後任大統領選出については、反シリア派と親シリア派の間で合意に至らず、国内政治情勢は極めて不透明な状況が続いている。


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(注1) 和平交渉は2000年以来7年ぶりに再開。

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