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【各論】


 1.

ロシア


 (1) 

日露関係

 イ  

北方領土問題と平和条約交渉

ロシアは、様々な問題について日本と利害を共有する大切な隣国であり、日露関係の発展が両国に恩恵をもたらす潜在的な可能性は大きい。そのためにも最大の懸案である北方領土問題の解決に向け、強い意思をもって取り組んでいくことが重要である。政府としては、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針の下で、日ソ共同宣言(注3)、東京宣言(注4)、イルクーツク声明(注5)、「日露行動計画」等のこれまでの諸合意及び諸文書に基づき、強い意思をもって交渉を続けている。

2007年は、ロシア側から多くの要人が訪日し、政治対話も頻繁に行われ、前年に引き続き、領土問題に多くの時間を割いて議論が行われた。APEC首脳会議の際に行われた首脳会談(9月)においては、「日露行動計画」の重要な柱の一つである平和条約交渉について具体的な進展が得られるよう、両首脳が指示を出し、日露双方が一層努力していくことで一致した。ラヴロフ外相訪日の際に行われた外相会談(10月)においては、両外相は、日露関係をより高い次元に引上げるための努力を行うとともに、領土問題の最終的解決に向け、これまでの諸合意及び諸文書に基づき、双方に受入れ可能な解決策を真剣に検討していくことを確認した。

また、平和条約締結交渉進展のための環境整備にも資するものとして、2月には北方四島を含む日露の隣接地域において防災面での協力のためのプログラムが署名され、10月の外相会談では、今後、生態系の保全等の分野で協力を進めていくことを確認した。

北方領土問題が未解決の現状において、四島交流、自由訪問及び墓参(注6)は、引き続き重要な意義を有しており、これらの事業を一層充実させるために措置を講じていく考えであり、関係閣僚の間でこのような方針を確認した。


写真・訪日したラヴロフ・ロシア外相との会談に臨む高村外務大臣

訪日したラヴロフ・ロシア外相(左)との会談に臨む高村外務大臣(右)(10月23日、東京)


2007年に行われた日露間の主要なハイレベル対話

1月  第1回日露戦略対話(於:モスクワ)
2月  フラトコフ首相の訪日
5月  麻生外務大臣の訪露
6月  第2回日露戦略対話(於:東京)
日露首脳会談(G8首脳会合、於:ハイリゲンダム)
7月  ナルィシュキン副首相の訪日
9月  日露首脳会談(APEC首脳会議、於:シドニー)
10月  ラヴロフ外相の訪日
11月  ナルィシュキン副首相の訪日
12月  第3回日露戦略対話(於:モスクワ)

 ロ  

日露経済関係

日露経済関係は、石油価格の高止まり等によるロシア経済の好調、及び両国の民間企業の互いへの関心の増大を背景に、拡大を続けている。2007年の貿易高は212億米ドルに達し、4年連続で、ソ連時代を含めて過去最高額を記録した。

2007年に入り、ロシアは極東・東シベリア地域の発展に力を傾注することを決め、それをアジア太平洋地域全体の統合プロセスの中に位置付けた。1月には極東・東シベリア発展国家委員会を設置、8月には「極東・ザバイカル経済社会発展連邦目的プログラム」を承認し、2008年から2013年までに総額4,000億ルーブルに上る連邦予算を割り当てることとした。日本側は、6月に行われた首脳会談において、ロシア側の問題意識にこたえる形で「極東・東シベリア地域における日露間協力強化に関するイニシアティブ」(注7)を提案し、プーチン大統領の支持を得た。今後も、同イニシアティブのフォローアップを行うなど、日露間の協力を更に進めていく。

エネルギー分野では、日本企業も参加する石油・天然ガスプロジェクトであるサハリンI・IIプロジェクトが引き続き実施されており、サハリンIIプロジェクトについては、4月のガスプロム(ロシアの国営企業)の参入後も、日本への天然ガスの供給が確約されている。また、シベリアの原油を太平洋岸まで輸送する「東シベリア―太平洋」パイプラインについても、太平洋側まで建設されることを前提に順調に工事が進んでいる。また、2月には日露原子力協力協定の締結交渉を開始することで合意し、交渉は既に4度にわたり行われた。

また、輸送・物流網の整備を通じた経済・人的交流の促進に向け、運輸分野の協力を進めることは重要であり、特に鉄道分野については、7月及び11月に官民による会議を開催し、2008年以降も議論を続けていくこととなっている。このほか、情報通信や農水産業等の分野での協力も積極的に推進してきている。

政府は、1994年以降、ロシアの市場経済改革支援の一環としてロシア連邦内7か所に日本センターを設置し、将来のロシア経済を担い、日露経済交流の分野で活躍する人材の発掘・育成のため、経営関連講座、訪日研修、日本語講座等を実施している。これまでに約40,000名が受講し、約3,200名が訪日研修に参加した。

同センターは、日露貿易投資促進機構(注8)のロシア国内における支部としても活動しており、企業やビジネス慣行に関する情報の提供や両国企業間の連携促進等、ビジネス支援活動を行っている。政府としても、日本企業がロシアにおいてより円滑に経済活動を行えるよう、民間企業の対露ビジネス上の問題点の是正を政府間協議の場でロシアに対し働きかけている。


日ソ・日露貿易高の推移

日ソ・日露貿易高の推移

 ハ  

様々な分野における日露間の協力

治安・防衛の分野については、6月の海上保安庁長官訪露及び航空幕僚長訪露、8月の海上自衛隊艦艇のウラジオストク訪問と日露捜索・救難訓練、10月のテロ及び水産物、麻薬、武器密輸対策に関する海上保安庁とロシア国境警備局との合同訓練の実施など、活発な交流が行われた。

文化・国民間交流の分野では、特に、青少年交流が将来の日露関係の発展の礎(いしずえ)として重要であるとして、交流の拡大を図ることにつき、首脳間で一致し、従来の日露青年交流協定を改正することとした。また、日本におけるロシア文化フェスティバルや第2回日露学生フォーラムが開催され、日露間の交流が深められた。

そのほかにも、環境分野においては、地球温暖化対策等の観点から、10月に「極東・東シベリア森林保全作業部会」の第1回会合が東京で開かれたほか、国際舞台においても、イランの核問題や北朝鮮の拉致(らち)・核・ミサイル問題など、様々な分野で協力を進めている。


写真・青年交流:日本語を学ぶロシア人学生を招聘し、ディスカッションなどを通じた交流により、対日理解を促進している

青年交流:日本語を学ぶロシア人学生を招聘し、ディスカッションなどを通じた交流により、対日理解を促進している



 (2) 

ロシア情勢

 イ  

ロシア内政

プーチン大統領は、高い支持率を維持し、退任する2008年以降の政策継承に向けた着実な施策を行った。

社会面では、国民生活向上を重要課題とし、住宅供給をはじめとする「優先的国家プロジェクト」に引き続き取り組んだ。

政治面では、2008年3月の大統領選挙に向けた動きが活発化した。プーチン大統領は、憲法に従い、連続三選しないことを累次にわたり表明。経済成長、国民生活向上における成果を強調し、現在の政策を次期政権に継承する必要性を強調した。また9月には、フラトコフ首相率いる政府を総辞職させ、ズプコフ金融監視庁長官を首相に任命した。一方12月の国家院(下院)選挙では、プーチン大統領は与党「統一ロシア」の候補者名簿の筆頭となり、政策継承のために同党の勝利が必要と国民に訴える等、全面的に支援した。その結果、「統一ロシア」は、3分の2以上の議席を獲得し、圧勝した。選挙後、プーチン大統領は、有力な候補の一人とされたメドヴェージェフ第一副首相を後継者として事実上指名し、同第一副首相の要請を受ける形で、首相就任の用意があることを表明した。


 ロ  

ロシア経済

ロシア経済は9年連続でプラス成長(成長率8.1%)を維持している。外貨準備高は過去最大となり、投資、建設、加工等で順調に伸びた。経済の好調は、主として石油価格の高騰を背景としており、エネルギー依存構造からの脱却が課題である。このため、加工業及びハイテクの振興等に取り組むほか、経済特区の運用を通じた産業の育成を図り、一定の成果を収めている。なお、国家による産業の管理は、天然資源の分野に加え、航空機、造船等製造業でも強まりつつある。


 ハ  

ロシア外交

プーチン政権は、積極的な首脳外交を展開している。経済など実務的な協力を重視し、欧米との関係を基本的には維持しつつ、アジア太平洋、中東、中南米などあらゆる地域との関係を促進している。

独立国家共同体(CIS)諸国はロシア外交の優先地域とされ、それぞれの国との二国間協力や地域機構を通じて関係強化を図ったが、親欧米国であるグルジアとの関係は悪化した。

欧米諸国との関係は、協調路線を保ちながらも、米国の一極支配等を批判した2月のミュンヘン安全保障会議におけるプーチン大統領演説に見られるように、米国のミサイル防衛計画、欧州通常戦力(CFE)条約等で対立し、難しい局面が見られた。

アジア太平洋地域では、中国及びインドと良好な関係を維持し、また、9月にはプーチン大統領がインドネシア、オーストラリアを訪問する等、同地域への外交を活発化させている。また、2012年のAPEC首脳会議のウラジオストク開催招致等、極東・東シベリア地域とアジア太平洋地域との関係深化に努めている。

また、イラン核問題、北朝鮮核問題、コソボ地位問題、中東和平などの国際問題に仲介者として関与し、国連や国際法を重視した、外交的手段による解決を主張している。


-
(注3) ソ連のサンフランシスコ平和条約の署名拒否を受け、1955年6月から1956年10月にかけて、日ソ間で個別の平和条約を結ぶために交渉を行ったが、色丹島、歯舞群島を除いて、領土問題につき意見が一致する見通しが立たなかった。そのため、平和条約に代えて1956年10月19日、日ソ両国は、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名した(両国の議会で批准された条約)。同宣言第9項において、平和条約締結交渉を継続すること、平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島が日本に引渡されることが合意されている。
(注4) 1993年10月のエリツィン・ロシア大統領訪日の際に、同大統領と細川護熙総理大臣との間で署名された宣言。第2項において、領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化するとともに、領土問題を、[1]歴史的・法的事実に立脚し、[2]両国の間で合意の上作成された諸文書及び[3]法と正義の原則を基礎として解決するとの明確な交渉指針を示した。
(注5) 1956年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で1993年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、もって日露関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
(注6) 四島交流、自由訪問及び墓参は、日露両国のいずれの一方の法的立場をも害するものとみなしてはならないとの共通の理解の下に、日本国民が北方四島を訪問するための枠組み。1992年から、四島交流の枠組みの下で日本国民と北方四島の住民との間で相互訪問が実施されている。自由訪問は1999年にその枠組みが設定された北方四島の元居住者等による最大限簡素化された北方四島訪問の枠組み。北方墓参は1964年から断続的に実施されており、対象者は元島民及びその家族。
(注7) 「エネルギー」「運輸」「情報通信」「環境」「安全保障」「保健・医療」「貿易投資の拡大及び環境の改善」「地域間交流の促進」の8分野で、極東・東シベリア地域における官民の互恵的な協力の推進・促進を検討していくことを提案するもの。提案の背景として、「イニシアティブ」前文において、極東・東シベリア地域が社会経済発展を成し遂げ、透明性をもってアジア太平洋地域とのつながりを強化し、同地域の安定と発展において、ロシアが建設的な役割を担うことが期待されるとの考え方が示されている。
(注8) 日露貿易投資促進機構は、[1]情報提供、[2]コンサルティング、[3]紛争処理支援を通じて日露間の貿易投資活動を拡大・深化させることを目的として設置された。日本側組織は2004年6月から活動しており、ロシア側組織が2005年4月に設立されたことにより、全体としての活動が開始された。

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