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 4.

南アジア


 (1) 

インド


写真・歓迎式典に臨む安倍総理大臣

歓迎式典に臨む安倍総理大臣(8月22日、インド・ニューデリー 写真提供:内閣広報室)


 イ  

インド情勢

2004年5月に発足したコングレス党中心のマンモハン・シン政権は、共産党をはじめとする左派政党他の閣外協力を得ながら政権を運営してきている。2007年7月には、コングレス党が推薦したパティル・ラジャスタン州知事がインド初の女性大統領に就任した。一方、米国との民生用原子力協力を推進しようとするコングレス党とこれに反対する左派政党の意見の相違が表面化するなど、個別の政策を巡って意見の対立も見られる。また、4月に実施されたウッタル・プラデシュ州(インドで最も多くの人口を抱える州)の州議会選挙では、貧困層などを支持基盤とする大衆社会党が躍進し注目を集めた。現シン政権の任期は2009年5月までとなっており、次回下院選挙に向け、今後各政党間の政治的な駆け引きの活発化が見込まれる。

インドでは比較的裕福な中間所得層が拡大しつつあるが、引き続き貧困の削減が最重要課題の一つである。シン政権は外資規制緩和などの経済自由化政策を継続するとともに、農村開発や雇用対策を進めている。

治安面では、ハイデラバードなどの比較的大きな都市やジャンム・カシミール州、北東部州などでテロ事件が発生しているが、宗教間の対立など大きな社会的混乱は生じておらず、治安は比較的安定している。

経済面では、2006年度のGDP成長率は9.6%を達成し、前年度に続いて9%台の高い成長を維持した。好調な企業業績を反映して株価も上昇しており、ムンバイ証券取引所の平均株価指数は2006年2月に10,000ポイントを記録した後、2007年12月には20,000ポイントに上昇した。2007年前半にはインフレ率が一時6%を超え経済の過熱が懸念されたが、その後3%台に沈静化した。インド経済の拡大傾向は依然衰えを見せていないが、今後とも成長を維持するためには、電力や交通をはじめとするインフラ整備が不可欠であり、インド政府は2007年以降5年間で約5,000億米ドルの資金が必要と試算している。

外交面では、引き続き米国をはじめとする西側諸国との関係強化を進めるとともに、伝統的友好国であるロシアや隣国である中国、さらにはEU諸国、ASEAN諸国、中東諸国との関係強化も進めるなど、多極的な外交を展開している。パキスタンとの間でも「複合的対話」と称する政府間協議を継続し、信頼醸成に向けて取り組んでいる。また、インドは、中国及びロシアとの3か国関係強化(10月に第7回中印露3か国外相会合を開催)やブラジル及び南アフリカとの3か国関係強化(10月に第2回インド・ブラジル・南アフリカ首脳会合を開催)にも取り組んでいるほか、WTOドーハ・ラウンド、気候変動、エネルギーなどの国際的課題に対する発言力を年々増している。


 ロ  

日印関係

日本にとって、インドは、[1]基本的価値を共有していること(民主主義や法の支配、言論の自由が確立)、[2]日本との経済交流拡大に向けた高い潜在力を有していること(日本、中国に次ぐアジア第3位のGDPを有し、豊富な若年労働人口を背景に継続的な成長が見込まれる)、[3]地政学的に重要な位置にあること(中東とアジアを結ぶ海上交通路に沿って長大な海岸線を有しており、日本のエネルギー安全保障にとって重要)、[4]地域的・国際的課題に共闘できるパートナーであること(アジア地域のバランスのとれた安定と繁栄、国連安保理改革などに共通の利益を有する)、[5]アジア有数の親日国であること(インドの世論調査では「好きな国」の上位に常に日本が位置)などから重要なパートナーと位置付けられる。東アジア地域との関係強化を重視するインドにとっても日本との関係強化は最重要の外交課題の一つとなっている。

日印双方に関係強化の重要性について一致した認識があるものの、実際の交流規模はいまだ限定的である。例えば、日本の貿易相手国のうちインドの占める割合は0.7%(第28位)、インドの貿易相手国のうち日本の占める割合は2.4%(第13位)に過ぎない。また、観光客や留学生などの人の交流も低い水準にとどまっている。日印間の交流を活性化すべく、両国政府間では、経済連携協定(EPA)締結に向けた交渉やインド情報技術大学の発展に向けた協力、インドにおける日本語教育支援など様々な取組が進められている。また、2006年12月にシン首相が訪日した際、首脳が毎年交互に訪問することで一致し、これに基づき2007年8月には安倍総理大臣がインドを訪問し、シン首相と首脳会談を行った。会談後、安全保障協力の方向性の検討、2010年までに貿易額200億米ドルの目標設定、新規のインド工科大学(IIT)設立に向けた協力の検討などを内容とする「新次元における日印戦略的グローバル・パートナーシップのロードマップに関する共同声明」及び「環境保護及びエネルギー安全保障における協力の強化に関する共同声明」が発出された。また、安倍総理大臣のインド訪問にあわせて御手洗冨士夫日本経団連会長を団長とする200名近い経済ミッションが訪印し、両国の経済界代表者によるビジネス・リーダーズ・フォーラムが開催されたほか、12の国公私立大学の学長などが訪印し、インドの代表的な12の大学との間で初の「日印学長懇談会」が開催された。その後、11月には、EASなどに出席するためシンガポールを訪問した福田総理大臣がシン首相と首脳会談を行い、引き続き日印関係を強化していくことを確認した。このほかにも2007年を通じ閣僚の活発な往来や各種の政府間協議が行われた。今後、首脳間で一致したことを着実に実施し、幅広い分野で関係強化を一層進めていくことが課題である。


コラム  

日印交流年を振り返って

 

最近、インドはBRICsと呼ばれる新興諸国の中でもIT技術をはじめとするその高い経済力の面で世界中から注目されています。また、インド式計算やインド料理・映画などを通じて、日本人にとってもより身近な存在になっています。

国と国とが真の友人として絆を強めていくためには、政治や経済のみならず、文化や人の交流によって国民同士の相互理解を深めることが重要です。このため、日印両国の政府は、日印文化協定締結50周年に当たる2007年を「日印交流年」とし、年間を通して両国で各種の交流事業が約400件も実施されました。

「学生による日本文化祭を企画して日印交流年に参加したい。」ニューデリーの日本大使館を訪れたインド・ネルー大学のチョーハン教授はこう切り出しました。2007年を通じてインドで実施された交流事業の特徴は、こうしたインドの人々による自発的な企画を尊重したことにありました。その結果、日本の伝統芸能の紹介や展覧会、講演会などの大型事業とともに、現地に溶け込んだ心の通う草の根レベルの交流事業も数多く実施されました。チョーハン教授を中心として進められた交流事業もこのようなものの一つです。ネルー大学では、教授やインド人学生、さらには日本人留学生も参加する実行委員会が立ち上げられ、様々なアイデアが検討されました。

半年に及ぶ準備期間を経て、2007年3月19日及び20日の2日間にわたり、ニューデリーにおいて日本文化祭が実施されました。内容は日本語劇、日本料理屋台、生け花デモンストレーション、日本の民芸品や最近の若者文化に関する展示会、映画会等盛り沢山なものとなりました。ネルー大学だけでなく、デリー大学、民間の日本語学校、生け花インターナショナル、現地在住の日本人の方々、日本大使館、国際交流基金など多くの人や組織がこの催しを支えました。日本文化祭は、インド人と日本人の合作の交流事業として結実し、大成功をおさめました。終了後、今回の日本文化祭の実施に携わったインド人学生の間から、今後もこうした催しを継続したいとの大きな声が挙がり、第2回文化祭が2008年中にも実施される見通しとなっています。


写真・学生による焼鳥屋台

学生による焼鳥屋台

写真・日印交流年ロゴマーク

日印交流年ロゴマーク

写真・学生による日本語劇(花咲じいさん)

学生による日本語劇(花咲じいさん)



 (2) 

パキスタン


パキスタンは、アフガニスタンとの国境地域を中心とする対テロ掃討作戦やインド洋における海上阻止活動(OEF-MIO)への艦船の派遣など、「テロとの闘い」に引き続き積極的に取り組んでいる。また、アフガニスタンとの国境地域の一部をなす連邦直轄部族地域(FATA)においては、地元部族民の和平プロセスへの参画、経済開発の促進を含めた多角的なアプローチにより、地域の安定に取り組んでいる。

内政面では、10月6日に大統領選挙の投票が行われ、現職のムシャラフ大統領が圧倒的多数票を獲得した。しかし、陸軍参謀長を兼任している同大統領の再選資格を巡って複数の訴訟が最高裁判所に提起され、選挙結果の確定はこれらの判決が出るまで留保されることとなった。最高裁の審理が続く中、11月3日、ムシャラフ大統領は陸軍参謀長名で、非常事態を宣言、憲法の効力を一時停止して「臨時憲法令(PCO)」を発令し、最高裁長官以下判事を罷免した。また、報道の自由、政治活動の自由なども制限された。

日本をはじめとする国際社会により事態の早期正常化と民主主義への復帰に向けた働きかけが行われる中、ムシャラフ大統領は、11月16日、スムロ上院議長を選挙管理内閣首相に任命し、同20日、下院及び州議会議員の選挙を2008年1月8日に実施する旨発表した。また同日、PCOの下で新たに宣誓を行った判事の下で審理が再開され、11月22日、同大統領の再選が確定すると、同大統領は、11月28日、陸軍参謀長を辞任し、翌日、文民として2期目の大統領宣誓を行った。

総選挙に向けて、10月18日には野党パキスタン人民党(PPP)のブットー元首相が、また、11月25日には野党ムスリム連盟(PML-N)のシャリフ元首相が、それぞれ亡命先から帰国し、政治活動を開始した。

こうした中、10月19日、カラチにおいて帰国直後のブットー元首相をねらった爆弾テロ事件が発生し140人以上が死亡、続いて12月27日、首都近郊のラワルピンディで開催されたブットー元首相の政治集会でテロ事件が発生し、同元首相を含め少なくとも20人が死亡した。ブットー元首相の暗殺を受けて、同元首相の地盤であるシンド州を中心にパキスタン各地で暴徒による破壊行為が発生、38人が死亡した。こうした混乱の中、総選挙は延期され、2008年2月18日に実施された。

経済面では、構造改革や外国投資の増大などが好影響を与えている。パキスタン財務省『2006―07年度経済白書』によれば、実質経済成長率は7.0%(前年度6.6%)、一人当たりの所得は925米ドルまで上昇した(前年度833米ドル)。

日本とパキスタンの間では、「テロとの闘い」における関係強化が続いている。1月に関口昌一外務大臣政務官がパキスタンを訪問した。また、8月には、小池防衛大臣が総理大臣特使として訪問し、同国の安定的発展を支援する旨伝達し、ムシャラフ大統領をはじめパキスタン政府から、インド洋における自衛隊の活動継続の要請がなされた。また、経済分野でも、1月に貿易と投資に関する民間共同研究会が発足し、5月に両国間の租税条約の改定交渉が基本合意に至るなど、官民双方において関係強化に向けた動きが進展している。


写真・カル・パキスタン経済担当国務相と会談する関口外務大臣政務官

カル・パキスタン経済担当国務相(右)と会談する関口外務大臣政務官(左)(1月15日、パキスタン)



 (3) 

スリランカ


スリランカでは2007年もスリランカ政府と反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)の戦闘が継続した。7月には政府軍が攻勢を強め、スリランカ東部のLTTE支配地域を17年ぶりに解放し、LTTEの支配地域はスリランカ北部のみとなった。

ラージャパクサ大統領が2006年末に設置した全政党代表者委員会(APRC)において、権限委譲案策定の協議が続けられているが、12月現在、権限委譲案提示には至っていない。政府側は北部での軍事的攻勢を継続しており、和平プロセスに好転の兆しは見られない。

日本は「平和の定着」への貢献という観点からスリランカの和平プロセスを積極的に後押ししており、明石康日本政府代表(スリランカの平和構築及び復旧・復興担当)が6月にスリランカを訪問し、和平プロセスの関係者と会談を行った。また、12月に公式実務訪問賓客として訪日したラージャパクサ大統領に対して福田総理大臣より、政治的対話による紛争解決の重要性を指摘し、権限委譲案のLTTEを含む関係当事者への早期提示を働きかけた。これに対し、ラージャパクサ大統領より問題の政治的解決へのコミットが示された。2008年1月、スリランカ政府はLTTEとの停戦合意からの脱退を表明し、同合意は失効した。


写真・首脳会談に臨む福田総理大臣とラージャパクサ・スリランカ大統領

首脳会談に臨む福田総理大臣(右)とラージャパクサ・スリランカ大統領(左)(12月10日、東京 写真提供:内閣広報室)


 (4) 

バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブ


バングラデシュでは1月の総選挙の準備が進められていたが、選挙実施や選挙管理内閣首班の人選を巡る主要政党間の対立が激化し、国内の社会・経済が混乱状態に陥ったため、1月11日、イアジュッディン・アーメド大統領兼選挙管理内閣首席顧問は全土に非常事態宣言を発令し、同月22日総選挙の延期を発表。その後、ファクルッディン・アーメド元中央銀行総裁が新たに選挙管理内閣首席顧問に任命され、2008年末までの総選挙実施に向けて、準備が進められている。11月15日、大型サイクロン「シドル」がバングラデシュを縦断し、南部沿岸部を中心に死者・行方不明者約4,000人以上の大規模な被害が発生した。日本は約3,600万円相当の緊急援助物資を送付したほか、国際機関を通じた総額約4億2,600万円の緊急無償資金協力を行った。

ネパールでは、1月に暫定憲法が公布され、マオイスト(共産党毛沢東主義派)を含む暫定議会が発足し、4月、マオイストの閣僚を含む暫定内閣が発足した。その後、制憲議会選挙を6月20日に実施することが決定されたが、11月22日に延期され、更に2008年4月10日に再度延期された。少数民族や下層カーストによる新たな権利闘争の開始、治安の悪化、軍事監視下によるマオイストの処遇問題などを含む平和構築が課題となっている。

制憲議会選挙の自由かつ公正な実施のため、国連安保理は、1月、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)の設立を決定し、現在、UNMINによる活動が行われている。日本も国連からの要請を受け、非武装の自衛隊員6名を軍事監視要員として派遣している。

日本はネパールの主要なドナー国として良好な関係を維持しており、10月にはプラダン外相が来日し、高村外務大臣との間で会談を行った。また、日本は資金面による民主化・平和構築支援として、ラジオ放送局整備に関する無償資金協力、ノンプロジェクト無償資金協力、国際機関経由の緊急人道支援を含む総額約2,980万米ドルの支援を行っている。


写真・訪日したプラダン・ネパール外相との会談に臨む高村外務大臣

訪日したプラダン・ネパール外相(左)との会談に臨む高村外務大臣(右)(10月10日、東京)


ブータンでは、ワンチュク前国王の指示に基づき、議会制民主主義に向けたプロセスが進展している。12月31日に上院議員選挙が実施され、また、2008年3月に下院議員選挙が実施される予定であり、これらの選挙後に国民議会が招集され、憲法草案が審議・採択される予定である。

ブータンの今後の政治的安定のためには、一連の選挙プロセスの成功及び議会制民主主義への円滑な移行が不可欠である。日本はブータンにおける総選挙の公正かつ円滑な実施を支援するため、国連開発計画(UNDP)を通じ、約107万米ドル(約1億2,400万円)の緊急無償資金協力を決定した。また、4月、ブータンへの初の円借款となる「地方電化計画(約36億円)」に関する交換公文の署名が行われた。

モルディブでは民主化改革が進められ、人民特別議会で憲法改正案が審議されているが、議会内での与野党間の対立の影響で、12月現在、いまだに憲法改正案はまとまっていない。

2007年は、日・モルディブ国交樹立40周年に当たり、2月に在京モルディブ大使館が実質的に開設され、5月に来日したシャヒド外務担当国務大臣と麻生外務大臣の出席を得てオープニング・セレモニーが開催された。また、11月には首都マレにおいて国交樹立40周年記念式典が開催された。


 (5) 

南アジア地域協力連合(SAARC)


写真・第14回SAARC首脳会議に出席する麻生外務大臣

第14回SAARC首脳会議に出席する麻生外務大臣(4月3日、インド・ニューデリー)


南アジア地域協力連合(SAARC)の枠組みでは、4月に第14回首脳会議(於:ニューデリー)で「ニューデリー宣言」が採択され、域内連結性の重要性が確認されたほか、広域運輸インフラ整備、南アジア自由貿易地域(SAFTA)の実施等が確認された。また、同首脳会議でアフガニスタンが新規加盟し、加盟国は8か国となったほか、日本、中国、米国、EU、韓国がオブザーバー参加した。日本からは麻生外務大臣が出席して、南アジアを「自由と繁栄の弧」の中心として位置付けるとともに、SAARCに対し、民主化・平和構築、域内連携促進、人的交流促進の各分野において支援を実施することを表明した。また、日本は「日本・SAARC特別基金」による財政支援を行っている。


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