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 3.

東南アジア


 (1) 

東南アジア諸国連合(ASEAN)情勢全般


東南アジア諸国連合(ASEAN)は、2015年までのASEAN共同体形成という目標に向けて、2007年11月のASEAN首脳会議において、ASEANの基本文書となる「ASEAN憲章」を採択するなど、ASEAN統合のための努力を加速させている。

地域協力の「運転席」を占めるASEANは、東アジア協力における主導的役割を果たしている。例えば、東アジア首脳会議(EAS)では、議長国のフィリピンやシンガポールのイニシアティブにより、エネルギー安全保障や気候変動・環境問題といった課題に焦点が当てられ、地域共通の課題に対する具体的協力を進展させた。

さらに、2007年の1年間にASEANは、日本、中国、韓国、インド、EUとの間で首脳会議を開催するなど、東アジア内外の主要国・地域との間で積極的に関係強化に努めている。

経済面においても、ASEANを軸に、日本・中国・韓国・インド・オーストラリア・ニュージーランド等との間で経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)のネットワークが構築されつつある。


世界の各地域・経済共同体等の貿易額(2006年)(単位:100万米ドル)

世界の各地域・経済共同体等の貿易額(2006年)(単位:100万米ドル)

日本とASEAN(貿易・投資及び経済協力・旅行者数)

日本とASEAN(貿易・投資及び経済協力・旅行者数)


 (2) 

日・ASEAN関係


日本とASEANは、共通の課題に協力して取り組んでいる。また、日本は、ASEANが、民主主義、人権、法の支配等の基本的価値の共有に基づき統合を進め、民主的で安定・繁栄した地域となっていくことが東アジア全体の利益になるとの基本的認識に基づき、積極的にASEANの統合努力に対する支援を行っている。

1月の第10回日・ASEAN首脳会議(於:フィリピン・セブ)では、安倍総理大臣から、日・ASEAN経済関係の強化を目的として、約58億円の新たな協力を表明した。さらに、11月の第11回日・ASEAN首脳会議(於:シンガポール)では、福田総理大臣より、人権機構の創設を含め、民主主義、人権、法の支配等の普遍的価値の尊重をうたった「ASEAN憲章」が採択されたことを歓迎し、日本として、ASEANの統合努力を力強く支援していくことを改めて表明した。具体的には、メコン地域開発支援の継続、鳥インフルエンザ対策として計50万人分の抗ウィルス剤のASEAN各国への新たな配備、テロ対策協力の促進、日・ASEAN環境対話の立ち上げ等環境協力の実施、海上安全確保等のため、今後5年間で3億米ドル規模の資金協力と300人以上の人材育成の実施、青少年交流の促進などの協力策を表明した。


写真・第10回日・ASEAN首脳会議

第10回日・ASEAN首脳会議(1月14日、フィリピン・セブ 写真提供:内閣広報室)


貿易、投資、経済協力の面でも、日本はASEANにとって主要な域外貿易相手国、投資国であり、また、最大のODA供与国である。日本にとってもASEANは最も重要な貿易・投資パートナーの一つとなっている。11月の日・ASEAN首脳会議では、日・ASEAN包括的経済連携(AJCEP)協定の交渉が妥結したことを歓迎し、早期発効に向け、共に努力していくことを確認するとともに、東アジア経済統合を推進していくことで一致した。

このように、日・ASEAN間では、2007年も、具体的協力策に基づくASEAN統合支援や経済関係を中心に両者の戦略的パートナーシップが深化・拡大した。

メコン地域協力では、2008年1月、初の日・メコン外相会議を日本で開催した。同会議では、2009年を日・メコン交流年として幅広い交流を促進し、メコン地域から5年間で1万人の青年を招聘すること、ODAと貿易・投資の有機的連携を行い、東西回廊等の物流円滑化のため約2千万米ドルの支援を行うこと、国境を越えた問題への協力を促進することを発表した。


写真・日・メコン外相会議に出席する高村外務大臣(2008年1月16日、東京)

日・メコン外相会議に出席する高村外務大臣(2008年1月16日、東京)


 イ  

カンボジア

4月に地方選挙が行われ、与党・人民党が圧勝した。クメール・ルージュ裁判では、プロセスが進展し、11月までにヌオン・チア元国民議会議長など被疑者5名が逮捕された。

日本との関係では、6月にフン・セン首相が公賓として訪日し、安倍総理大臣との間で新たなパートナーシップに関する共同声明及び日・カンボジア投資協定に署名した。


コラム  

微笑みのかけ橋~日タイ修好120周年~

 

2007年、日本とタイは外交関係を樹立してから120周年を迎えました。両国では、この120周年を祝うとともに、官民を交えて今後の一層の関係強化に繋げていくため、記念事業実行委員会が設立され、日本国内のトップアーティストによる和太鼓の公演や総合的な日本文化紹介を行う日タイ・フェスティバル、両国の経済関係に関して将来を展望するシンポジウムをはじめとする様々な記念事業が実施され、その総数は1年を通じて合計340件にも上りました。両国の実行委員会では、多くの方々に日タイ修好120周年を知って、積極的に参加してもらうために様々な広報を行ってきました。ここでは日タイ修好120周年のロゴマークとキャッチフレーズについて紹介したいと思います。


写真・日タイ修好120周年ロゴマーク

日タイ修好120周年ロゴマーク


皆さんは日タイ修好のロゴマークやキャッチフレーズと聞いてどのようなものをイメージするでしょうか。今回、実行委員会は、アイデアを広く募るため、日タイ両国で公募を行い、総数103件もの応募がありました。多数の応募があったこと、また、作品の一つひとつから、日タイ関係について皆さんが様々な思いを持っていることが伝わってきたことは非常に嬉しいことでしたが、反面、日本とタイの実行委員が全く異なる作品を候補に選んだ場合、双方で納得できる作品にまとめられるだろうか等、応募された作品の中から一つだけを選び出す必要があることを考えると容易なことではないと感じました。

しかしながら、こうした心配は全くの杞憂でした。実際の選出過程では、驚く程、日タイ双方の評価が一致しました。ロゴマークについては、日本の桜とタイのゴールデンシャワーという両国を代表する花を意匠に用いた作品に各委員から最も高い評価が与えられました。

ゴールデンシャワーは、タイ国内では「ラーチャプルック」と呼ばれており、夏季になると大きな枝いっぱいに黄色の花が垂れ下がる姿が印象的な国花です。また、プミポン国王陛下の御誕生日の色が黄色であることから、タイでは幸福の花としても親しまれています。日本ではあまり馴染みのない花ですが、実は、600年前のアユタヤ王朝時代からタイと長い交流の歴史を有している沖縄では見ることができます。一方、桜については、タイを含む海外で日本をイメージさせる花として広く知られており、最近では、タイから花見のために来日するツアーも人気を集めているようです。

キャッチフレーズには「微笑みが心をつなぐ愛のかけ橋」が選ばれました。修好120周年の交流を通じて日タイ両国にかけられた微笑みのかけ橋は、今後は両国の将来につながる友好の橋として更なる役割を果たしていくものと期待しています。


写真・修好120周年のオープニング式典

修好120周年のオープニング式典にて(右端が筆者)


日タイ修好120周年記念事業実行委員会委員長  安居 祥策


 ロ  

タイ

1月、憲法起草会議議員が選出され、新憲法制定に向けての取組が始まった。5月、憲法裁判官団により、タクシン前首相が党首を務めるタイ愛国党の解党処分と同党の執行部111名に対する5年間の政治活動の制限が決定された。8月、タイ憲政史上初の、新憲法草案に対する国民投票で約6割の賛成票を得て、新憲法が承認され発効した。12月に行われた下院選挙では、タイ愛国党の流れを汲む国民の力党が第一党となり、2008年1月にサマック党首が首相に選出され、2月に新内閣が発足した。

日本との関係では、2007年は日タイ修好120周年に当たることから、両国において様々な交流行事が1年を通じて行われた。日タイ両国での開幕行事のため、1月に岩屋毅外務副大臣がタイを訪問し、2月にニット外相が訪日した。12月には、締め括り行事のため宇野外務大臣政務官がタイを訪問した。

日・タイ経済連携協定については、4月に、スラユット首相が訪日し、安倍総理大臣との間で署名が行われ、同協定は11月に発効した。


 ハ  

ベトナム

5年に一度の国会議員選挙(第12期)が5月に行われ、マイン共産党書記長をはじめとする首脳陣はいずれも再選された。

日本との関係では、1月、日・ベトナム経済連携協定交渉を開始した。また、11月にはチエット国家主席が、ベトナムからの初の国家主席かつ初の国賓として訪日し、「深化する日越関係に関する共同声明」を発出して、44項目からなる「戦略的パートナーシップに向けたアジェンダ」に従い、二国間関係を一層拡大、強化していくことで一致した。また、国家主席一行には、複数の閣僚に加え、約130名のベトナム企業関係者が同行し、両国企業間で25件約45億米ドルの民間契約が調印された。

9月、日本の円借款事業であるカントー橋建設現場で多数のベトナム人死傷者が発生した。福田総理大臣及び高村外務大臣からそれぞれ弔辞を発出したほか、10月木村仁外務副大臣がベトナムを訪問し、犠牲者及びその家族への哀悼の意を表明した。


写真・チエット・ベトナム国家主席との会談に臨む福田総理大臣

チエット・ベトナム国家主席(左)との会談に臨む福田総理大臣(右)(11月27日、東京 写真提供:内閣広報室)


 二  

ミャンマー

8月、ガソリン等の公定価格引上げに端を発したデモは、9月に入り僧侶を中心に勢いを増し、9月23日以降は最大都市ヤンゴンで僧侶1万人規模のデモが連日行われる等、全国の多くの都市でデモが頻発した。これに対しミャンマー政府当局は、国際社会の自制を求める声にもかかわらず、デモの鎮圧に実力を行使し、日本人ジャーナリスト1名を含む多数の死傷者が発生するという極めて遺憾な事態が発生した。

これを受け、直ちに国連において、高村外務大臣がニャン・ウイン外相に対し、日本人の死亡に関する抗議等を行うとともに、民主化や情勢改善を働きかけた。その後も、薮中三十二外務審議官をミャンマーに派遣したほか、あらゆる機会をとらえ、ミャンマー側に対する働きかけを行った。11月のシンガポールでのASEAN関連会合の機会に、日・ミャンマー首脳会談及び外相会談を、また、2008年1月の日・メコン外相会議の機会に、日・ミャンマー外相会議を実施し、同国の民主化・人権状況の改善を求めるとともに、日本人の死亡に関する真相究明を求めた。

国際社会においては、ミャンマーの情勢の悪化を受け、ガンバリ国連事務総長特別顧問による周旋努力が積極的に行われてきており、同特別顧問はミャンマーを訪問し、国民和解に向け働きかけている。日本は、10月の同顧問訪日や11月のシンガポールでの高村外務大臣との会談等の際に、同顧問に対し、全面的な支持を表明した。


 ホ  

ラオス

5月、ブアソーン首相が訪日し、安倍総理大臣との間で、両国首脳間の50年ぶりの共同文書である「日・ラオス共同プレス発表」を発出した。日本からは、12月、日本の無償資金協力により整備されたビエンチャン1号線の開通式典に、宇野外務大臣政務官が出席した。

両国間では、貿易・観光・投資の促進の面で進展が見られた。1月、ラオスは日本人短期滞在者への観光査証免除を開始し、また、3月に交渉が開始された日・ラオス投資協定交渉は、2008年1月の日・メコン外相会議の機会に署名に至った。2007年9月には、バンコクでラオス投資セミナーが開催され、日系企業関係者約150名が参加した。また、12月、ラオスで日・ラオス官民合同対話第1回会合が行われた。


 ヘ  

インドネシア

ユドヨノ政権は、2004年10月に発足して以降、4年目に入ったが、政治・経済等における諸課題を抱えつつも、引き続き、民主化、汚職撲滅、テロ対策、アチェ和平、投資環境整備等の諸課題に着実に取り組んでいる。政権発足以降、実質経済成長率は例年5%を超えているが、高い貧困率と失業率の解消が今後の課題である。日本との関係では、8月に、安倍総理大臣がインドネシアを公式訪問した際、両首脳間で日・インドネシア経済連携協定や気候変動・環境・エネルギー協力文書が署名され、二国間、地域及び国際的課題への取組についての協力関係強化が確認された。2008年は両国の国交樹立50周年という節目の年に当たり、「日本インドネシア友好年」として様々な交流事業が行われる予定である。


写真・日・インドネシア経済連携協定に署名後握手する安倍総理大臣とユドヨノ・インドネシア大統領

日・インドネシア経済連携協定に署名後握手する安倍総理大臣(左)とユドヨノ・インドネシア大統領(右) (8月20日、インドネシア・ジャカルタ 写真提供:内閣広報室)


 ト  

シンガポール

リー・シェンロン政権は、2006年の議会選挙を経て、極めて安定した政権運営を続けている。経済も、バイオメディカル部門の発展等に牽引され、製造業、金融業及び建設業が著しく成長した結果、2007年の経済成長率は7.7%となった。外交面では、11月にはASEAN議長国として、第3回EAS等一連のASEAN関連首脳会議を主催した。同国は、伝統的に安全保障、経済面での米国の関与を重視しているが、近年の中国の台頭等を踏まえ、インド、中東諸国等との関係強化にも積極的に取り組んでいる。日本との関係では、3月にリー・シェンロン首相が日本を訪問(公式実務訪問)し、11月に福田総理大臣が第3回EAS出席のためシンガポールを訪問するなど、緊密な意見交換が行われた。また、9月に日本・シンガポール新時代経済連携協定改正議定書が発効し、11月の日・シンガポール首脳会談で、日本情報の発信拠点であるジャパン・クリエイティブ・センターをシンガポールに開設することで一致するなど、経済面、文化面でも多くの進展があった。


写真・ジョージ・ヨー・シンガポール外相と会談する高村外務大臣

ジョージ・ヨー・シンガポール外相(左)と会談する高村外務大臣(右)(12月14日、東京)


 チ  

フィリピン

アロヨ政権下の行財政改革は順調に進んでおり、財政状況も大きく改善した。5月の中間選挙の結果、下院では与党が優勢を維持したが、上院では野党が多数を占めた。同国南部のモロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平交渉は、日本も参加している国際監視団の支援を背景に進められている。

日・フィリピン間では2007年も活発な要人往来が行われ、安倍総理大臣(1月)、麻生外務大臣(2月及び7月)、浅野外務副大臣(1月)が、ASEAN関連会議等出席のために同国を訪問した。2006年9月に両国首脳が署名した日・フィリピン経済連携協定がフィリピン上院において審議中であり、同協定の早期発効を通じ、両国の関係が一層発展することが期待される。


 リ  

ブルネイ

国王への権力集中と豊富な石油・天然ガス生産を背景に内政は安定しており、2007年は国王の即位40周年が盛大に祝われた。

ブルネイにおいては、経済多様化政策が進められているが、4月には主要プロジェクトであるメタノール事業の売買契約式典が開催され、日本企業の参画が決定した。

6月には、ハサナル・ボルキア国王が訪日し、安倍総理大臣と首脳会談を行い、日・ブルネイ経済連携協定への署名が行われた。また、11月には、日・ブルネイ間で租税条約の締結交渉が開始された。


 ヌ  

マレーシア

マレーシアは、2007年が独立50周年に当たり、8月31日の独立記念日には、国中が祝賀ムードに包まれ、数万人が参加するパレードや祝賀行事が盛大に行われた。日本からは中山太郎特派大使が出席した。

経済面では、2006年3月に発表された「第9次マレーシア計画」を基に、各地で経済地域の開発計画が発表され、投資促進措置等の施策が実施されている。

日本との関係では、安倍総理大臣が8月、公式訪問し、アブドゥラ首相との首脳会談等を行った。両首脳は2007年が東方政策25周年及び日・マレーシア外交関係開設50周年に当たることを踏まえ、両国の新たな協力の展望を示す「変わらぬ友情と広範なパートナーシップ~共通の未来に向けて」と題する共同声明に署名した。


 (3) 

東ティモール


東ティモールでは、4月に大統領選挙、5月に決選投票が実施され、同月、ホルタ大統領(前首相)が就任した。また、6月の国民議会選挙の結果、前与党のフレテリンが下野し、8月にグスマン前大統領を首相とする連立政権が発足した。新政権は、治安回復、国内避難民の帰還、雇用対策、国家警察・国軍訓練、国家機関の能力向上等山積した課題に直面している。経済面では、2005年9月に設置された石油基金(ティモール海で産出される石油・ガスからの税収を財源)の運営が今後の東ティモール経済のかぎを握る。日本は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)への文民警察官派遣、国政選挙に際しての選挙監視団派遣等を通じ、同国の努力を一貫して支援しており、両国関係は極めて良好である。政治・経済・社会の基盤整備が同国に課せられた課題であり、日本も、その取組を継続して支援していく方針である。


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