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【各論】


 1.

朝鮮半島(拉致(らち)問題を含む)


 (1) 

北朝鮮


 イ  

六者会合(核問題)

(イ) 「初期段階の措置」

2007年1月にベルリンで行われた米朝協議等を経て、2月8日から2月13日まで開催された第5回六者会合第3セッションにおいては、精力的な協議の結果、「共同声明の実施のための初期段階の措置」が採択された。この成果文書においては、「初期段階の措置」として、[1]北朝鮮が実施する非核化措置(寧辺(ヨンビョン)の核施設の活動停止及び封印、すべての必要な監視及び検証のための国際原子力機関(IAEA)要員の復帰等)と、これと並行して行われる[2]北朝鮮に対する重油5万トンに相当する緊急エネルギー支援等が明記された。また、朝鮮半島の非核化、米朝国交正常化、日朝国交正常化、経済及びエネルギー協力、北東アジアの平和及び安全のメカニズムに関する5つの作業部会の設置が決定された(5つの作業部会は、それぞれ3月に第1回会合を開催)。

その後、第6回六者会合第1セッション(3月19日から22日まで)が開催された。北朝鮮が、「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)問題(注2)を理由に非核化措置の実施を拒んだため、60日以内に実施されることとなっていた「初期段階の措置」は、大幅に遅れたものの(注3)、第6回六者会合に関する首席代表者会合(7月18日から20日まで)の開催もあり、実施に移された。また、同首席代表者会合を受け、8月から9月初めにかけて、5つの作業部会の第2回会合が開催された。


(ロ) 「第二段階の措置」

9月27日から30日にかけて開催された第6回六者会合第2セッションにおいては、「初期段階の措置」が既に実施されたことを受け、第二段階における措置について議論が行われ、会合の成果文書として、10月3日、「共同声明の実施のための第二段階の措置」が採択された。この中で、特に、北朝鮮が2007年末までに、[1]寧辺の3つの核施設の無能力化の完了、[2]すべての核計画の完全かつ正確な申告の実施、を約束したことが注目された。しかしながら、寧辺の3つの施設の無能力化については作業が進められているものの、北朝鮮はいまだにすべての核計画の完全かつ正確な申告を行っていない(2008年2月末現在)。



 ロ  

日朝関係

(イ) 日朝協議

第5回六者会合第3セッション(2月)において、「日朝国交正常化のための作業部会」を含む5つの作業部会の設置が決定されたことを受けて、2007年には2回の日朝国交正常化のための作業部会が開催された。

3月7日及び8日にハノイで開催された第1回「日朝国交正常化のための作業部会」は、2006年2月の第1回日朝包括並行協議以来、13か月ぶりの本格的な日朝協議であった。この作業部会においては、日本側より、「日朝平壌宣言にのっとり、拉致、核、ミサイル等の懸案事項を包括的に解決し、不幸な過去を清算することを基礎として国交正常化を実現するという基本的方針の下、積極的に作業部会に取り組む用意がある」との基本的立場を表明するとともに、拉致問題について、[1]すべての拉致被害者の安全確保と即時帰国、[2]真相究明、[3]拉致被疑者の引渡し等の要求を行った。これに対し、北朝鮮側は、「日本側の問題提起についてはできる限りのことを行ってきた、拉致問題は解決済みである」など従来の立場を繰り返すのみならず、日本政府の北朝鮮に対する経済制裁の解除を求めるなど、拉致問題の解決に向けた具体的行動をとる姿勢は示されなかった。また、日本側からは、核問題、ミサイル問題等の安全保障問題についてもとりあげたが、これらについても、具体的な成果は得られなかった。

9月5日及び6日にモンゴルのウランバートルで開催された第2回作業部会においては、日朝双方は、今後、日朝平壌宣言にのっとり、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決して国交正常化を早期に実現するため、双方が誠実に努力すること、また、今後、このための具体的な行動につき協議し、実施していくことで一致した。拉致問題については、日本側より、前述の[1]、[2]及び[3]を改めて要求したところ、北朝鮮側からは、これまで誠意を持ってできるだけの努力をしてきた等の発言があった。不幸な過去の清算を含む国交正常化問題については、日本側から、日朝平壌宣言で確認された、いわゆる「一括解決、経済協力方式」が唯一の現実的な解決策である旨を改めて説明するとともに、「一括解決、経済協力方式」の意味するところを丁寧に説明したが、北朝鮮側は、「補償」や在日朝鮮人の地位の問題、文化財の問題等に関する立場を主張した。

第6回六者会合第2セッション(9月)では、この作業部会の結果を踏まえ、成果文書において、日朝が「両者間の精力的な協議を通じ、具体的な行動を実施していくことを約束」したことが明記された。

米国をはじめとする関係国は、六者会合共同声明の完全な実施が重要であり、そのためには日朝関係の前進も必要であるとして、北朝鮮に対し、拉致問題の解決に向けた具体的な行動を働きかけているが、これまでのところ、北朝鮮は具体的な行動をとってきていない。政府としては、引き続き日朝協議に真剣に取り組み、拉致問題を含む諸懸案の解決に向け、粘り強く対応していく考えである。


第6回六者会合第2セッションにおける成果文書「共同声明の実施のための第二段階の措置」の概要(2007年10月3日)


- 1.朝鮮半島の非核化 -  

(1)「無能力化」

北朝鮮は、すべての既存の核施設を無能力化することに合意。2007年末までに、寧辺にある5メガワット実験炉、再処理工場、核燃料棒製造施設の無能力化は完了される。米国は、無能力化の活動を主導し、そのための当初の費用を提供する。米国は、2週間以内に訪朝する専門家グループを主導する。

(2)「申告」

北朝鮮は、2007年末までに、すべての核計画の完全かつ正確な申告を行うことに合意。

(3)不拡散

北朝鮮は、核物質、技術及びノウハウを移転しないことを再確認。


- 2.関係者間での国交正常化 -  

(1)米朝

北朝鮮と米国は、二者間の関係を改善し、完全な外交関係を目指すことを引き続き約束。双方は、二者間の交流を増加し、相互の信頼を強化する。米国は、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する作業を開始し、北朝鮮に対する対敵通商法の適用を終了する作業を進めることについてのコミットメントを想起しつつ、米朝国交正常化のための作業部会の会合におけるコンセンサスを基礎として北朝鮮がとる行動と並行してコミットメントを履行する。

(2)日朝

北朝鮮と日本は、日朝平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として早期に国交を正常化するため、誠実に努力する。北朝鮮と日本は、そのために、両者間の精力的な協議を通じ、具体的な行動を実施していくことを約束した。


- 3.経済・エネルギー支援 -  

重油90万トンに相当する規模(既に供給された10万トンと合わせ計100万トン)を限度とす る経済、エネルギー及び人道支援を北朝鮮に対して提供する。


- 4.六者閣僚会議 -  

適切な時期に、六者閣僚会合を北京において開催する。これに先立ち、閣僚会合の議題を議 論するため、首席代表者会合を開催する。



(ロ) 拉致問題に関する取組

2008年2月末現在、政府が認定している日本人拉致事案は12件17名であり、その内5名が既に帰国している。北朝鮮による拉致は、日本の主権及び国民の生命と安全にかかわる重大な問題であり、政府としては、その解決を最優先課題と位置付け、[1]すべての拉致被害者の安全確保と即時帰国、[2]真相究明、[3]拉致被疑者の引渡し等を北朝鮮側に対し強く要求してきている。


(a) 国内における取組

2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、同年10月の北朝鮮による核実験実施の発表を受け、また、北朝鮮が引き続き拉致問題について何ら誠意ある対応を見せていないこと等を総合的に勘案し、政府は一連の対北朝鮮措置(注4)を決定した。これらの措置は2007年も継続された。

2006年6月に成立した北朝鮮人権法(注5)により設けられた「北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10日から16日まで)」においては、前年に引き続き、政府及びNGOが多くの会議、シンポジウム等を開催し、日本国内外に拉致問題等の解決を訴えた。


(b) 外交上の取組

日本政府は、各種の国際会議、首脳会談等の外交上の機会をとらえ拉致問題を提起し、諸外国からの理解と支持を得てきている。2007年1月の第2回東アジア首脳会議(EAS)後の議長声明では、北朝鮮に対し、拉致問題を含む国際社会の安全保障上・人道上の懸念に積極的に対処するよう求める点が初めて盛り込まれた。また、6月のG8ハイリゲンダム・サミットでは、拉致問題についての日本の訴えに対して参加国の支持が得られ、議長総括に、「我々は、北朝鮮に対し、拉致問題の早急な解決を含め、国際社会の他の安全保障及び人道上の懸念に対応するよう求める」との強いメッセージが盛り込まれた。

さらに、12月18日には、日本が欧州連合(EU)と共同で提出した北朝鮮人権状況決議(注6)が、賛成票101票、反対22票、棄権59票で国連総会本会議において採択された。この決議は、国際的懸念事項である拉致問題に対する極めて深刻な懸念を改めて表明し、北朝鮮に対してこれらの問題を早急に解決するよう強く求めた。



 ハ  

その他の問題

(イ) 「脱北者」の問題

北朝鮮から外国に逃れた元北朝鮮住民を一般に脱北者というが、その背景には北朝鮮における厳しい食糧難、経済難、人権侵害等があると推測されている。

脱北者の保護及び支援に関しては、従来、人道上の配慮、関係者の安全、当該脱北者が所在する国との関係等を総合的に勘案しつつ対応している。特に、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえ、日本国内に受け入れた脱北者については、関係省庁間の緊密な連携の下、より円滑かつ迅速に定着支援のための施策を推進していくことを確認している。


(ロ) 南北朝鮮関係

2006年は、北朝鮮によるミサイル発射・核実験実施発表等に対し、韓国は経済協力事業を一部制限するなどの措置をとった。北朝鮮はこれに反発、南北関係は難しい局面を迎えていた。

しかし、2007年2月の第5回六者会合で核問題が進展を見せたことを受け、2月末から3月初旬にかけて開催された第20回南北閣僚級会談では、離散家族再会事業の開催、京義線、東海線での列車試験運行の実施等が合意される等、南北関係は好転の兆しを見せ始めた。5月には京義線、東海線における列車の試験運行が、朝鮮戦争時に中断して以来、それぞれ56年ぶり、57年ぶりに実施されたほか、離散家族再会事業が再開された。また5月末の第21回南北閣僚級会談開催後には、2006年7月のミサイル発射以降中断されていた食糧支援も行われ、各種経済協力事業も活発化し始めた。

そして、8月には、南北が共同で「盧武鉉(ノムヒョン)大統領の平壌訪問に関する南北合意書」を発出し、南北首脳会談の開催が表明され、10月に南北首脳会談が7年ぶりに開催された。同会談では、軍事的敵対関係の終結に向けた協力、経済協力事業の拡大、南北総理会談開催の合意等の内容を含む共同宣言(「南北関係発展と平和繁栄の宣言」)が発出された。首脳会談での合意を受け、11月には南北総理会談、南北国防相会談が相次いで開催されるなど、各種の南北間の協議が行われたほか、12月には京義線の一部区間での貨物鉄道運転も開始された。


(ハ) 北朝鮮内政・経済

北朝鮮は、金正日(キムジョンイル)国防委員長が主に朝鮮労働党を通じて全体を統治しており、「先軍政治」と呼ばれる軍事優先政策を実施している。

北朝鮮は、1998年以来、思想、政治、軍事、経済の強大国である「強盛大国」の建設を標榜し、近年は経済復興に努力していた。

北朝鮮は、社会主義圏崩壊以降の厳しい経済難から、1990年代中盤以降、部分的な経済改革に着手した(注7)。しかし、エネルギーを含め、全般的な資材・資金不足の中で、そうした措置が生産活動の活性化につながっているのか、貧富の差の拡大をもたらしていないのかなどは不透明な点が多い。経済成長率は、1999年以来7年連続プラス成長が続いていたが、2006年は1.1%のマイナス成長に転じたと見られる。現在も、資材・資金の不足、生産施設の老朽化、遅れた技術水準等の問題が産業全体に存在しており、今後もマイナス成長が続くか注目される。

また、近年中国との経済関係が急速に拡大している。2006年の北朝鮮による対中貿易額が、総額で約17億米ドルに上り(北朝鮮の対外貿易額全体の39%)(注8)、北朝鮮経済に占める中国の存在感は依然として大きい。



 (2) 

大韓民国


 イ  

日韓関係

日韓両国は、自由と民主主義、基本的人権等の基本的価値を共有する重要な隣国同士であり、首脳・外相レベルをはじめ、様々な分野で重層的な政府間対話が行われた(注9)。韓国においては、12月19日に大統領選挙が行われ、李明博(イミョンバク)氏が当選し、その直後の21日に、福田総理大臣との間で電話会談が行われた。さらに、福田総理大臣は、2008年2月25日の大統領就任式に出席後、李明博新大統領との間で首脳会談を行い、両首脳は、日韓間の協力を一層緊密なものとする「日韓新時代」を拓いていくことの重要性で一致するとともに、両首脳が形式張らずに頻繁に往来する「シャトル首脳外交」を実施していくことで一致した。

2002年のサッカー・ワールドカップ共同開催の成功、「日韓国民交流年」の実施等を通じて着実に醸成されてきた日韓両国民間の相互理解と交流の流れは、2005年の国交正常化40周年を記念して行われた「日韓友情年2005」事業により、一層高まった。同事業の一つとして成功をおさめた「日韓交流おまつり」はその後も継続して開催され、3回目となった2007年は、ソウル市の協力も得て開催場所をソウル市庁舎前広場に移し、「日韓交流おまつり2007 in Seoul」を10月に開催した(注10)。また、1月に開催された第2回東アジア首脳会議(EAS)で安倍総理大臣が発表した「21世紀東アジア青少年大交流計画」の下、今後5年間、韓国から毎年1,000人程度の青少年を日本に招くこととなり、2007年度は、1,100人を超える中高生、大学生、教員等が訪日している。このような種々の交流事業を通じて、日韓両国の市民レベルでの交流は着実に拡大している。

両国民の往来数も40年間で飛躍的に増えた(注11)。近年、日韓両政府が両国民の交流環境の整備のための施策を講じたこともあり(注12)、2007年の訪日韓国人は約260万人(国際観光振興機構(JNTO)推計値)に上り、訪韓日本人(約224万人)を上回った。

2006年に再開された排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉は、2007年3月及び6月に2回の交渉が行われ、現在も交渉が継続中である。また、EEZ境界画定の交渉には一定の時間がかかることから、喫緊の課題として、海洋の科学的調査に係る暫定的な協力の枠組み交渉もあわせて行っている。

2007年には第二期日韓歴史共同研究が本格的に始動し、同年中に2回の共同研究委員会全体会合が開催された(注13)。また、朝鮮半島出身者の遺骨問題については、2008年1月、東京都目黒区祐天寺に保管されてきた旧軍人・軍属の遺骨101体を遺族に返還するなど着実な進展があった(注14)。そのほかにも、在韓被爆者問題への対応(注15)、在韓ハンセン病療養所入所者への対応(注16)、在サハリン「韓国人」に対する支援(注17)など、多岐にわたる分野で真摯(しんし)に取り組み、目に見える進展を図ってきた。

なお、日韓間には、竹島を巡る領有権問題があるが、竹島は、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土であるというのが日本政府の一貫した立場である。この問題は平和的に解決されるべきであり、政府としては外交上の経路を通じて粘り強く本件紛争の解決を図り、諸般の情勢を勘案しつつ効果的な方途を探求していく方針である。


写真・日韓首脳会談

韓国大統領就任後、日韓首脳会談を行う福田総理大臣(左)と、李明博・韓国大統領(右)(2008年2月25日、韓国・ソウル 写真提供:内閣広報室)


 ロ  

日韓経済関係

日韓間では2007年も前年に引き続き貿易が増大し、韓国への輸出は約6.4兆円で対前年比9.1%(財務省貿易統計速報値。以下同じ)拡大したが、韓国からの輸入は約3.2兆円と前年からほぼ横ばいとなった。総額では対前年比6.2%増の9.6兆円となった。日韓は、それぞれ第3位の貿易相手国であり、また、韓国にとって、日本は最大の貿易赤字国となっている。

2007年7月に第6回日韓ハイレベル経済協議が開催され、世界貿易機関(WTO)、自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)戦略、G8サミット等のグローバルな課題、両国のマクロ経済の現状と政策及び両国の通商政策、両国の経済通商分野での協力等について意見交換が行われた。一方、2004年11月以降中断している日韓EPA交渉については、2008年2月25日の日韓首脳会談の結果、交渉の再開を検討していくこととなった。


 ハ  

韓国情勢

(イ) 内政

盧武鉉(ノムヒョン)政権は、2003年2月の発足当時は国民の高い支持を得ていたが、マスコミや反対勢力等に対する対決的姿勢が政治的混乱を招き、就任後早くから支持率が低下した。盧武鉉大統領の支持率も、2004年の弾劾訴追決議とそれに続く総選挙、2005年3月の竹島問題を巡る対日強硬姿勢の表明などの際に一時的に上昇した以外は、貧富の格差の増大等によって庶民層の支持が離れたこともあり、趨勢として低い状況が続いていた。しかし、2007年は、北朝鮮の核問題の進展や米韓FTA交渉の妥結、また、10月の南北首脳会談の効果により上昇し、一時、30%台にまで回復した。

2007年の韓国内政は、12月の大統領選挙に向けた各党の攻防が中心であった。各党の有力候補が次々と名乗りを上げる中、各種世論調査では、同じハンナラ党の李明博前ソウル市長と朴槿恵(パククネ)前ハンナラ党代表が圧倒的支持を集めていた。8月のハンナラ党の党内予備選挙にて李明博前ソウル市長が僅差で朴槿恵前ハンナラ党代表に勝利し、同党の大統領候補に選出され、その後も李明博候補は、優位に選挙戦を進めた。

一方、進歩系勢力では、支持率が低迷していた第一党ウリ党の議員が2月に集団離党したことを契機に、離合集散の動きが加速し、中道統合民主党の結成等を経て、8月に140議員が所属する最大勢力となる大統合民主新党が結成された。しかし、その構成議員のほとんどがウリ党からの鞍替えであったこともあり、支持率低迷から抜け出ることができなかった。高い支持率を維持する李明博ハンナラ党候補に対抗すべく、その後、進歩系勢力の中で、鄭東泳(チョンドンヨン)大統合民主新党候補、李仁済(イインジェ)民主党候補、文國現(ムングクヒョン)創造韓国党候補等による候補一本化が模索されたものの、実現しなかった。

選挙戦終盤に入り、李明博候補の不正関与疑惑が大きくとりあげられ、11月に李會昌(イフェチャン)元ハンナラ党総裁が無所属候補として突然出馬を表明する等、李明博候補の優勢に影響を及ぼし得る動きもあったが、進歩系勢力に対する国民の支持は回復せず、12月19日に投票が行われた大統領選挙では、李明博候補が当初の優勢を維持し、第2位の鄭東泳候補に過去最大となる531万票差をつけて当選した。新政権の任期は2008年2月25日から2013年までの5年間である。


(ロ) 経済

韓国経済は、前年の水準に近い4.9%(国内総生産(GDP)成長率、韓国銀行速報値)の成長を維持した。また、国内景気も、回復してきた国内消費等に支えられ、堅調に推移した。一方、住宅価格高騰、格差の拡大(「両極化」)、若年層の高い失業率が引き続き大きな課題とされた。

韓国からの輸出はウォン高の中、米国、日本向け等が伸び悩む一方、EU、アジア、中東、中南米向け等の拡大により、全体として14%(対前年比伸び率)拡大し、約3,715億米ドルを記録した(韓国関税庁数値。以下同じ)。一方、輸入も原油高等を背景に15%拡大し、約3,568億米ドルに達したため、貿易収支の黒字は8%縮小した。


日韓経済関係(日本の対韓国貿易額)(過去5年)


単位:億円 
  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年
  韓国への輸出額   40,225 47,851 51,460 58,489 63,790
  韓国からの輸入額   20,712 23,834 26,953 31,783 32,107
  収支(日本の黒字)   19,513 24,017 24,507 26,706 31,684
出典:財務省貿易統計

日韓経済関係(日本の対韓国貿易額)(過去5年)

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(注2) 米国がマカオ所在の銀行「バンコ・デルタ・アジア」を主要な資金洗浄懸念のある銀行と指定した結果、同銀行に預金されていた約2,500万米ドルの北朝鮮関連資金の移転が困難になった問題。
(注3) 6月25日、北朝鮮外務省スポークスマンが「BDAに凍結されていた資金が、我々の要求どおりに送金されたことで、ついに物議が多かった凍結資金問題が解決された」旨表明。
(注4) 2006年7月5日の北朝鮮によるミサイル発射に対し、万景峰(マンギョンボン)92号の入港禁止を含む9項目の対北朝鮮措置を即日実施し、同年10月9日の北朝鮮による核実験実施の発表に対し、同11日、すべての北朝鮮籍船の入港禁止及び北朝鮮からの輸入禁止を含む4項目の対北朝鮮措置を発表した。
(注5) 正式名称は、「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」。同法律の第5条は、政府に対し、拉致問題等北朝鮮の人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を、毎年国会に提出することを義務付けており、政府は、「平成18年度拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告」を提出(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/pdfs/rachi_torikumi.pdfを参照)。
(注6) 同決議は、国連総会本会議において2005年から3年連続で採択されている。
(注7) 2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めている。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費材を販売している。
(注8) 中国から北朝鮮への主要輸出品目は、原油、機械類、小麦粉などであるのに対し、北朝鮮から中国への輸出品目上位は、無煙炭、鉄鉱石、衣類などである。
(注9) 2007年には、11月の首脳会談のほかにも、2回の日韓首脳電話会談(9月及び10月)、6回の外相会談(3月(於:韓国)、5月(於:エジプト)、6月(於:韓国)、9月(於:オーストラリア)、9月(於:米国)及び11月(於:シンガポール))、6回の日韓外相電話会談(1月、2月、3月、6月及び8月に2回)を実施した。
(注10) 「日韓交流おまつり2007 in Seoul」には、日韓双方の民俗芸能団等が約60団体参加し、朝鮮通信使400周年を記念した再現行列のパレードも行い、約7万5千人の観客を集めた。
(注11) 国交正常化当時には年間約1万人であった両国間の人の往来は、近年では1日1万人を超え、2007年には約484万人の往来があった。
(注12) 2005年8月1日からの羽田とソウル金浦間の航空便倍増(1日8便に)、2006年3月1日からの短期滞在査証免除措置の無期限延長の実施等。
(注13) 2001年の日韓首脳会談の合意を受け、翌年、日韓の歴史学者で構成される研究委員会が発足(第一期日韓歴史共同研究)。約3年間の研究活動を経て、2005年6月に日韓歴史共同研究報告書を公表した。現在は第二期日韓歴史共同研究を推進中。
(注14) 厚生労働省が保管していた朝鮮半島出身旧軍人・軍属の供託書正本の写し約11万人分も韓国政府に引渡した。
(注15) 第2次世界大戦時に広島もしくは長崎に在住して原爆に被爆した後、日本国外で居住している方々に対する援護の問題。これまで国外に居住している被爆者は、被爆者援護法に基づく手当の認定申請や葬祭料の支給申請を来日して行う必要があったが、2005年11月30日から、申請を行う被爆者の居住地を管轄する在外公館その他最寄りの在外公館等を経由して申請を行うことが可能になった。
(注16) 終戦前に日本が設置した日本国外のハンセン病療養所入所者が、「ハンセン病療養所等に対する補償金の支給等に関する法律」に基づく補償金の支払を求めていたが、2006年2月に法律が改正され、新たに国外療養所の元入所者も補償金の支給対象となった。
(注17) 終戦前、様々な経緯で旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長期間にわたり、サハリンに残留を余儀なくされた朝鮮半島出身者の一時帰国支援、永住帰国支援を行ってきている。これまでの支援総額は約72億円に上る。

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