第2章 地域別に見た外交


(2)日本とカナダの関係

 全般的に良好な関係を有する両国ではあるが、2006年も二国間関係の強化につながる様々な交流が行われた。6月、小泉総理大臣がトロント及びオタワを訪問し、日加関係のみならず、北朝鮮を巡る問題、国連改革、アフガニスタン支援等多岐にわたる問題について幅広い議論が行われた。また、同月のG8サミットの際には、麻生外務大臣とマッケイ外相の間で日加外相会談が行われた。経済面では、「日加経済枠組み」 (注6) の下、様々な投資、貿易促進のための取組が行われている。

 また、日加フォーラムや日加安保シンポジウムの非政府間対話が行われた。日加フォーラムは、2003年から2006年に日加相互に4回の会合を行い、日加間の連携強化のための具体的な施策として、政治、経済、交流等の分野において21の提言を提示する報告書を両国首相に提出した。また、9月、第5回日加安保シンポジウムが開催され、不拡散・軍備管理・軍縮、東アジアの安全保障、人間の安全保障等に関して、両国政府関係者・有識者が出席して議論が行われた。

 COLUMN

日本で実現! 僕のアメリカン・ドリーム

 僕はコロラド州育ち。日本の方に「コロラド」と言うと、「あのグランドキャニオンの!」と言われるんだけど、あれはアリゾナ州だからね。でも、文句は言えない。僕も昔、日本のことをかなり誤解していた。来日してびっくりしたのは、日本人が民族衣装ではなく洋服を着て、自転車ではなく車で移動していること。でも僕なんてまだいい方。ジャッキー・チェンに憧れて日本に来た友達もいるから。これ本当の話。

 日本に住み始めると、驚きが続いた。昔「働き蟻」と呼ばれていた日本人は、仕事中心の窮屈な生活をしていると思っていた。しかし、僕が住んでいた福井県では、豊かなスローライフを楽しんでいる人の方が多かった。また、閉鎖的で排他的と思いきや、非常にフレンドリーでオープンな方々ばかりだった。歓迎してくれただけではなく、外国暮らしに戸惑っている僕を各方面で支えてくれたのだ。そんな人情豊かな人たちがいる日本に魅了され、「一年で帰る」という母への約束を破ることになってしまった。

 来日3年目に、僕は日本の芸能界を制覇するべく上京し、お笑いに挑戦した。そこで、日本のお笑いスタイルにまた驚いた。2人でやるし、オーバーアクションはすべるし、面白いことを言ったら隣の人に殴られる。不思議過ぎ! 相方のマックンに漫才スタイルを教えられても、自分のスペースを大切にするアメリカ人として、つっこまれる瞬間かっとなり、ネタに集中できなくなるのが日々の悩み。舞台上の異文化交流だった。

 でも、様々な挑戦をしている僕のことを、周りのみんなはひたすら応援してくれた。唯一「早くあきらめて国に帰れよ」と言ったのはライバルの外タレだけだった。そして僕は、テレビ、ラジオ、書籍など各メディアでの数多くのすばらしい企画に参加できるようになった。昨年は国民的番組の紅白歌合戦にまでも、日本国民でない僕が出た。しかも、夢の俳優の仕事もいただけることに。しかし結局、最高の驚きは、僕のアメリカン・ドリームを日本で実現できたことなんだ。

パトリック・ハーラン(パックンマックン)



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