
僕はコロラド州育ち。日本の方に「コロラド」と言うと、「あのグランドキャニオンの!」と言われるんだけど、あれはアリゾナ州だからね。でも、文句は言えない。僕も昔、日本のことをかなり誤解していた。来日してびっくりしたのは、日本人が民族衣装ではなく洋服を着て、自転車ではなく車で移動していること。でも僕なんてまだいい方。ジャッキー・チェンに憧れて日本に来た友達もいるから。これ本当の話。
日本に住み始めると、驚きが続いた。昔「働き蟻」と呼ばれていた日本人は、仕事中心の窮屈な生活をしていると思っていた。しかし、僕が住んでいた福井県では、豊かなスローライフを楽しんでいる人の方が多かった。また、閉鎖的で排他的と思いきや、非常にフレンドリーでオープンな方々ばかりだった。歓迎してくれただけではなく、外国暮らしに戸惑っている僕を各方面で支えてくれたのだ。そんな人情豊かな人たちがいる日本に魅了され、「一年で帰る」という母への約束を破ることになってしまった。
来日3年目に、僕は日本の芸能界を制覇するべく上京し、お笑いに挑戦した。そこで、日本のお笑いスタイルにまた驚いた。2人でやるし、オーバーアクションはすべるし、面白いことを言ったら隣の人に殴られる。不思議過ぎ! 相方のマックンに漫才スタイルを教えられても、自分のスペースを大切にするアメリカ人として、つっこまれる瞬間かっとなり、ネタに集中できなくなるのが日々の悩み。舞台上の異文化交流だった。
でも、様々な挑戦をしている僕のことを、周りのみんなはひたすら応援してくれた。唯一「早くあきらめて国に帰れよ」と言ったのはライバルの外タレだけだった。そして僕は、テレビ、ラジオ、書籍など各メディアでの数多くのすばらしい企画に参加できるようになった。昨年は国民的番組の紅白歌合戦にまでも、日本国民でない僕が出た。しかも、夢の俳優の仕事もいただけることに。しかし結局、最高の驚きは、僕のアメリカン・ドリームを日本で実現できたことなんだ。
パトリック・ハーラン(パックンマックン)