第2章 地域別に見た外交 |
(4)日韓関係
(イ)日韓関係 2006年は、日韓両国の政府間対話が緊密化し、両国関係が更なる高みへと飛躍した一年であった。10月9日、安倍総理大臣は就任最初の外遊先の一つとして韓国を訪問し、盧武鉉大統領と首脳会談を行った。この会談では、日韓両国が自由と民主主義、基本的人権等の基本的価値を共有するパートナーとして、未来志向の友好関係構築に努力することで一致したほか、北朝鮮問題等に関しても意見交換を行い、両首脳の間における個人的信頼関係を構築する良い機会となった (注24) 。
また、外相レベルにおいても、国連事務総長に就任した潘基文外交通商部長官の後任となった宋旻淳長官が、12月26日、就任後単独での初めての外遊先として日本を訪問し、安倍総理大臣への表敬、日韓外相会談及び塩崎官房長官への表敬を行った。 2002年のサッカー・ワールドカップ共同開催の成功、「日韓国民交流年」の実施等を通じて着実に醸成されてきた日韓両国民間の相互理解と交流の流れは、2005年の国交正常化40周年を記念して行われた「日韓友情年2005」により、一層高まった。このモメンタムを維持し、国民間交流を促進するとの観点から、日韓両政府は、2006年以降を「ポスト友情年」と位置付け、9月にはソウルで「日韓交流おまつり2006」を開催した (注25) 。また、11月に東京で開催された「日韓青少年対話の広場」大学生版では、日韓両国の大学生による活発な議論が展開された。このような種々の行事を通じて、日韓両国の市民レベルでの交流が着実に拡大していることを示すことができたといえよう。 両国民の往来の数もこの40年間で飛躍的に増えた (注26) 。特に、3月から、日本を訪問する韓国人に対する恒久的査証免除措置を実施する等、日韓両政府が両国民間の交流環境の整備のための施策を講じたこともあり、訪日韓国人旅行者数は年間212万人(国際観光振興機構(JNTO)推計値)に上った。 また、1月20日、日本と韓国との間でより充実した内容の刑事共助を実施し、またその確実性を高めることを可能とする「刑事に関する共助に関する日本国と大韓民国との間の条約」(日韓刑事共助条約)が両国間で署名された。この条約の締結については、5月には日本側の国会において、12月には韓国側の国会において、それぞれ承認(同意)され、12月27日に、麻生外務大臣と宋旻淳外交通商部長官との間で批准書の交換式が行われた。また、同条約は、2007年1月26日に発効した。 一方、4月には、日韓双方のEEZの主張が重複する海域での日本の海底地形調査計画を巡り、日韓両国が対立した。7月には、EEZの主張が重複する海域及び竹島領海において韓国側が海流調査を行い、対立が再燃した。その後、日韓間で協議を重ねた結果、10月には、EEZの主張が重複する海域において日韓共同で放射能調査が行われた。問題の根本的解決のため、6月及び9月にEEZ境界画定交渉が行われ、現在も交渉が継続中である。また、海洋の科学的調査に係る暫定的な協力の枠組みについても協議が行われている。 過去に起因する諸問題については、日本は、日韓歴史共同研究の推進 (注27) 、朝鮮半島出身者の遺骨調査・返還に向けた作業の推進 (注28) 、在韓被爆者問題への対応 (注29) 、在韓ハンセン病療養所入所者への対応 (注30) 、在サハリン「韓国人」に対する支援 (注31) など、多岐にわたる分野で真摯に取り組み、目に見える進展を図ってきている。 (ロ)日韓経済関係 2006年は、前年に引き続き日韓間の貿易が増大し、韓国への輸出は対前年比14%、韓国からの輸入は対前年比18%(速報値)増となり、総額では対前年比15%(速報値)増となった。また、日本から韓国への投資も高い水準を維持した。同時に、近年進んできた日韓の企業間の提携・協力関係もIT分野を中心に進展し、両国の経済関係は一層深化したものとなった。 日韓経済関係の緊密化を背景に、2002年7月の第4回協議以来中断されていた日韓ハイレベル経済協議の第5回協議が12月に開催され、両国のマクロ経済及び通商政策、日韓経済連携協定(EPA)交渉、両国間の協力関係について意見交換が行われるとともに、今後も同協議を定期的に開催することで一致した。 (ハ)韓国情勢 (i)内政 2003年2月の発足当時は国民の高い支持を得ていた盧武鉉政権であったが、経済不況等により、就任後早くから支持が低下した。盧武鉉大統領の支持率は、2004年の弾劾訴追決議とそれに続く総選挙、2005年3月の竹島問題を巡る対日強硬姿勢の表明などの際に一時的に上昇した以外は、趨勢的に低い状況が続いている。 政党関連の動きとしては、5月31日に、統一地方選挙が行われ、最大野党ハンナラ党が主要16自治体首長中12ポストを確保して大勝した。他方、与党ウリ党は地盤といわれる大田市長(忠清南道)を失い、 全羅北道知事の1ポストを確保するのみにとどまった。さらに、7月、10月の補欠選挙の結果、国会におけるハンナラ党勢力が拡大し、ハンナラ党の高支持率、与党ウリ党の低迷が継続している (注32) 。2007年12月末に行われる次期大統領選挙に向け、8月以降、李明博前ソウル市長、朴槿恵前ハンナラ党代表をはじめとする有力候補たちが出馬の意向を示しており、また、与党ウリ党内では、党内分裂に向けた動きが見られる等、大規模な政界再編の可能性を含め、引き続き注視していく必要がある。 (ii)経済 韓国の経済成長率(GDP成長率)は、2006年第1四半期は対前年比6.1%と好調であったが、その後緩やかに減速し、第2四半期には5.3%、第3四半期には4.8%、第4四半期は4.0%となり、通年では5.0%(速報値)となった。失業率は3.5%と前年に引き続き低い水準を保ったが、青年層の失業率は7.9%と高い水準で推移した。 貿易については、ウォン高にもかかわらず過去最高の輸出額を記録し、貿易総額は対前年比16%(暫定値、以下同じ)増となった。貿易収支については、原材料価格や原油価格の高騰、中国からの輸入の急増(対前年比26%増)等により輸入が対前年比18%の伸びを示したことを受け、対前年比28%縮小した。経常収支についても、ウォン高による海外旅行の増加等を受けて縮小し、対前年比59%減となった。 |
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