第2章 地域別に見た外交 |
2.中東和平
(1)イスラエル・パレスチナ紛争の現状、国際社会の取組 中東和平に向けた「ロードマップ」 (注11) の履行は、当事者間の対立から長い間停滞していたが、1月9日の大統領選挙でアッバース・パレスチナ自治政府大統領が選出され、2月8日のシャロン・イスラエル首相との直接会談において、暴力の停止を表明し、中東和平プロセスに進展の兆しが生まれた。イスラエルは2月と6月にパレスチナ拘禁者約900人の釈放に応じ、3月には西岸の2都市(ジェリコ、トゥルカレム)から軍を撤退した。また、アッバース大統領は治安維持を最優先課題と位置付けて、治安機関の統廃合による効率化等の具体的成果を上げ、3月17日にはパレスチナ諸派との間で暴力停止等を内容とするカイロ宣言を発出して静穏な情勢の維持に努めた。 国際社会はアッバース大統領の就任を受けて、イスラエル・パレスチナ両当事者の和平努力を支援する働きかけを行った。3月1日には、パレスチナ自治政府の支援に関するロンドン会合が開催され(日本からは逢沢外務副大臣が出席)、国際社会が同大統領を支援していくことで合意した。4月には、ウォルフェンソン世界銀行総裁が撤退計画に関するカルテット (注12) 特使に任命され、イスラエル撤退後のガザ地区の復興に向けた調整に取り組んでいる。 イスラエルは8月15日、パレスチナのガザ地区及び西岸北部の一部にある入植地の撤去を開始し(9月12日に完了)、1967年の第3次中東戦争以後初めてガザ地区の管理が全面的にパレスチナ側にゆだねられた。しかし、その後も治安情勢は不安定に推移し、ハマス (注13) 等によるガザ地区からイスラエル国内へのロケット弾攻撃、その報復としてのイスラエルによるガザ空爆、イスラエル中部の都市における自爆テロ事件の発生等、ガザ撤退後も和平プロセスの前途は容易でないことを示す動きも見られた。 11月15日には、米国及びEUの精力的な働きかけにより、ガザ-エジプト間国境通行等に関するイスラエル・パレスチナ間の合意が成立し、再び和平進展に向けた動きが見られた。その一方、イスラエル与党において和平進展についての意見が分かれ、シャロン首相は、議会(クネセット)の解散を決断、与党リクードを離党して新党「前進(カディマ)」を結成し、総選挙は2006年3月28日に実施されることとなった。しかし、2006年1月4日、シャロン首相は脳溢血で緊急入院したため、オルマート副首相が首相代行に就任した。 2006年1月25日には、パレスチナ立法評議会(PLC)選挙が実施された。1996年以来10年ぶりに行われたこの選挙は、ハマスが初めて参加する国政選挙として国際的に注目された。本選挙は、全体として整然と行われ、投票率も75%の高水準に達した (注14) 。本選挙の結果、ハマスが過半数を獲得し、第一党となった (注15) 。今後、組閣を経て成立する新しいパレスチナ自治政府がいかなる政策をとるかに国際社会の注目が集まっている。
▼中東和平プロセスの現状
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