第2章 地域別に見た外交 |
(3)主な欧州諸国情勢と日本外交
英国北部のグレンイーグルズでG8サミットが開催されていた7月7日、ロンドンで地下鉄、バスを狙った連続爆弾テロ事件が発生し、50名以上が死亡、約700名が負傷した。2004年3月のマドリードでの列車爆破事件に次いで、欧州で大規模テロが発生したことは、容疑者が英国籍を有していたこともあり、英国内外に大きな衝撃を与えた。サミット出席中の小泉総理大臣をはじめG8各国首脳は、テロ非難の共同声明を発し、テロに屈しない決意を示した。 英国では、5月5日に総選挙が行われ、与党労働党は議席数を減らしながらも単独過半数を維持し、ブレア首相は3期連続で政権を担うこととなった。7月のテロ事件への毅然とした対応で同首相の支持率は上昇したが、その後はテロ法案が一部与党議員の反対もありいったん否決されるなどの事態もあり、今後の政権運営が注目される。野党保守党は、12月に39歳のキャメロン党首が就任し、党勢が回復しつつある。外交面では、G8の議長国としてサミットを成功に導き、下半期はEU議長国としてEU中期財政見通しの合意形成に尽力した。 フランスでは、5月の欧州憲法条約批准否決により、ラファラン内閣(保守中道連立政権)が退陣し、ド・ビルパン内閣が成立した。ド・ビルパン首相は、雇用問題を最重要課題として政策運営を行っている。11月にパリを含む大都市近郊地域での連鎖的な破壊行為に対し、同内閣は、違法行為を断固として制圧する姿勢を示し国民の支持を得る一方、貧困地区対策として、若年層の雇用対策を含む諸施策を発表した。 ドイツでは、シュレーダー首相が国内改革を進めてきたが、2005年に入って失業者数が戦後最高水準(521万人)に達し、5月に行われた州議会選挙で同首相の社会民主党(SPD)が大敗した。こうした中、同首相は、連邦議会選挙の繰上げ実施を提案し、9月に行われた。その結果、SPDはキリスト教民主同盟/社会同盟(CDU/CSU)に僅差で敗れ、11月にCDU党首のメルケル首相率いる両陣営の大連立政権が発足した。新政権は、内政面では引き続き失業対策や財政再建を、外交面では対イラク武力行使を巡り摩擦が生じた対米関係の改善を重要課題として取り組むこととなった。 イタリアでは、4月の州選挙で連立与党が惨敗したことを受けて、ベルルスコーニ首相がチャンピ大統領に辞表を提出したが、再度、首班指名を受け、第3次ベルルスコーニ内閣が成立した。2006年春に予定される総選挙を視野に入れて、政情が活発化している。 11月、ウクライナ、グルジアといった親欧米の旧ソ連諸国に、ルーマニア、リトアニア等の近隣諸国が加わり、域内の民主化の促進を目指す民主的選択共同体の初会合がウクライナのキエフで開催された。12月、ロシアはウクライナへ供給している天然ガス価格の大幅値上げを求め、両国の交渉は決裂したが、ウクライナ経由で天然ガスを購入している欧州諸国の懸念もあり、翌月、交渉は妥結した。 バチカンでは4月2日、ローマ法王ヨハネス・パウルス2世が逝去(享年84歳)し、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(ドイツ出身、78歳)が第265代法王ベネディクトゥス16世として就任した。 2005年は多くの国々で政権が交代し、ウクライナではいわゆる「オレンジ革命」を通じ民主化を標榜するユーシチェンコ大統領が就任したほか、ポーランドではカチンスキ大統領が就任した。デンマーク、ポルトガル、アンドラ、ブルガリア、アルバニア、ノルウェー、ポーランドでは総選挙が行われ、ポルトガル、ノルウェー、ポーランドでは政権が交代した。また、エストニアでも政権交代が行われ、ブルガリアでは社会党連立内閣が成立した。モナコでは、レーニエ3世の逝去に伴い、アルベール2世が即位した。 要人の往来や協議を通じ、日本は欧州諸国との間で、二国間関係のみならず、国連改革やイラク復興、イラン核開発等の国際的な諸問題で緊密な協力を進めた。フランスのシラク大統領が3月に訪日した際は小泉総理大臣と首脳会談を行い「日仏新パートナーシップ宣言」を発表し、日仏関係の更なる強化に取り組んでいる。また、ドイツとの関係では、4月の「日本におけるドイツ2005/2006」開幕の際にケーラー大統領が訪日、5月にモスクワで小泉総理大臣とシュレーダー首相が首脳会談を行ったほか、国連・安保理改革を共に目指すG4の一員同士として両国の外相が緊密に協力するなど、国際社会における日独協力が促進された。7月にウクライナのユーシチェンコ大統領が訪日した際には、「日・ウクライナ共同声明」を発表し、日本がウクライナの民主化を支援する意向を確認した。 皇室・王室関連では、5月に天皇皇后両陛下がノルウェーを御訪問になり、その途次、アイルランドにお立ち寄りになった。また、4月に、スウェーデンのヴィクトリア皇太子殿下、ノルウェーのホーコン摂政皇太子殿下、デンマークのフレデリック皇太子同妃両殿下、英国のアンドリュー王子殿下、オランダのアレキサンダー皇太子同妃両殿下、6月に、スペインのフェリペ皇太子同妃両殿下、ベルギーのフィリップ皇太子殿下が訪日されたほか、1月に秋篠宮同妃両殿下がルクセンブルクを、4月に常陸宮同妃両殿下がモナコを、6月に高円宮妃殿下がドイツとヨルダンを(非公式)、7月に桂宮殿下がフランスを、11月に高円宮妃殿下が英国を御訪問された。 旧ユーゴ紛争等があった西バルカン地域の情勢は、一部で民族間の融和が進んでいない地域もあるが、全体としては安定化と民主化の路線が継続しており、各国は欧州統合プロセスを着実に進めている。旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)への協力が進展したクロアチアは、10月にEUとの加盟交渉を開始し、各種改革の進展が評価されたマケドニア旧ユーゴスラビア共和国は12月にEU加盟候補国としての地位を得た。12月に紛争終結10周年を迎えたボスニア・ヘルツェゴビナは、戦後復興の段階から欧州への統合に向けた発展という段階へ着実に移行している。一方、民族間の緊張が続くコソボでは、将来の地位の確定交渉を開始する機運が国際的に高まり、10月、地位交渉の開始に関する安保理議長声明が採択され、11月、地位交渉のため国連事務総長特使に任命されたフィンランドのアハティサーリ前大統領の下で、地位交渉プロセスが始められた (注8) 。日本は、2004年4月に東京で開催した「西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合」のフォローアップとして、域内で開催された民族融和のためのシンポジウムや観光振興のためのワークショップへの協力・共催等を通じ、西バルカン地域の平和定着と経済発展への支援に努めた。 |
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