第2章 地域別に見た外交


(11)韓国情勢

(イ)内政

 2004年4月の総選挙で与党ウリ党は、総議席299議席の過半数となる152議席を獲得したが、その後10名の議員が公職選挙法違反で議員資格を喪失したことから2005年に補欠選挙が2回実施されることとなり、その結果、4月30日の選挙(6議席)と10月26日の選挙(4議席)のいずれにおいても、ウリ党は1議席も確保できず、ハンナラ党が両選挙合わせて9議席、無所属が1議席を確保し、ウリ党は総議席の過半数を割り込む結果となった。10月28日、文喜相議長をはじめとするウリ党執行部は、補欠選挙全敗の責任をとって総辞職した。

 2003年2月に発足した際は国民の高い支持を得ていた盧武鉉政権であったが、経済不況等により、就任後早くから支持が低下した。盧武鉉大統領の支持率は、2004年の弾劾訴追決議とそれに続く総選挙、2005年3月の竹島問題を巡る対日強硬姿勢の表明などの際に一時的に上昇した以外は、趨勢的に低い状況が続いている。

 盧武鉉大統領は、自らの政権と与党に対する世論の支持の低迷傾向を踏まえ、その打開策の一環として、7月、青瓦台(大統領府)ホームページに掲載した2つの書信(5日の「韓国政治、正常に戻るべし」と28日の「党員同志の皆様への手紙」)を通じて、最大野党ハンナラ党との連立を呼びかけた。同大統領のねらいには、連立の条件として自ら提示した選挙制度改正を通じ、長年にわたって韓国政治の悪弊と指摘されてきた地域主義の克服があったとされるが、野党ハンナラ党の反応は極めて冷ややかであり、大統領及び与党ウリ党の支持率上昇にはつながらなかった。

 12月30日、鄭東泳統一部長官及び金槿泰保健福祉部長官などウリ党の次期大統領候補と目される閣僚が相次いで辞意を表明した。これを受け、2006年1月2日に小幅な内閣改造が行われ、李鍾ソク国家安全保障会議(NSC)事務次長が統一部長官に内定した。盧武鉉大統領は、この内閣改造で自らの側近を抜擢し、政権指導力の強化を図ったとの見方もあり、このような動きとも相まって、次期大統領選を巡る動きが活発化するものと予想される。


▼日韓経済関係




(ロ)経済

 2004年に4.6%にとどまった韓国の経済成長率(GDP成長率)は (注24) 、2005年に入っても、輸出は堅調であったものの、消費心理の悪化と、企業の設備投資の不調による内需の冷え込みから更に落ち込んだが、後半に入って、国内消費が回復し、依然好調な輸出と相まって回復基調にあり、年間で4.0%となった。貿易は輸出入とも順調に拡大したが、2005年の貿易黒字は、原材料や原油の価格の高騰により前年の294億ドルから235億ドルに減少した。失業率は依然3%台の低水準を維持しているものの、失業率に反映されない求職断念者が多く、また青年層が失業者の半数近くを占めている。

 一方で、大企業と中小企業間の格差、所得階層間の格差が広がる「両極化」が進んでいる。盧武鉉政権は2006年1月の新年演説において「両極化」を大きくとりあげるなど、この問題を重視しており、雇用の創出、及び社会セーフティーネットの構築を推進するとしている。




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