第2章 地域別に見た外交


(1)日朝関係

 日朝関係については、2004年の日朝実務者協議の結果を踏まえた一連の対応があり、2005年前半は全く対話が途絶えた状態が続いたが、9月の第4回六者会合第2次会合の機会に政府間協議を立ち上げることで一致し、その後、同協議を通じ「包括並行協議」を設置することで一致するなど一定の前進があった。ただし、拉致問題については、北朝鮮側が「解決済み」との基本的立場を崩していないことから、目に見える具体的な進展が得られないまま1年以上が過ぎた。具体的な経緯は以下のとおりである。

 2004年に3回にわたって行われた日朝実務者協議は、結局、北朝鮮側から拉致問題に関する納得のいく説明が得られないまま終わった (注1) 。日本政府は北朝鮮側の迅速かつ納得のいく対応がない場合には、「厳しい対応」をとる方針であると伝えたが、北朝鮮側は非建設的な対応に終始した。

 さらに、北朝鮮側は2005年1月26日、横田めぐみさんの「遺骨」とされた骨片に関する日本側鑑定結果はねつ造であるとする1月24日付「備忘録」を日本側に伝達するとともに、同骨片の返還を要求した。これに対し、日本は同日、外務報道官談話を発表し、今般の北朝鮮側の対応は「極めて遺憾」であり、「極めて非建設的である」と指摘し、このような対応に終始する場合には、「『厳しい対応』を講ずることとせざるを得ず、その可能性についてより具体的な検討を行う考えである」と言明した。その後、2月 (注2) と4月 (注3) に同様のやり取りが北京の「大使館」ルートを通じて行われたが、それ以上の具体的動きはなかった。

 この結果、日朝間の対話は、2005年の前半を通じて途絶えていたが、8月7日、第4回六者会合第1次会合の最終日に日朝間の協議が行われ、さらに、続く9月の第2次会合の際にも協議が連日行われたことで、日朝間の対話再開の機運が高まり、結局、同協議の際に、日朝政府間協議を再開することで一致した。

 その結果、11月3日から4日には、日朝政府間協議が約1年ぶりに北京で開催された。協議において日本側は、最優先の外交課題である拉致問題につき、日本が認定している11件16名の事案に関し、北朝鮮側に対し、(1)生存者の早期帰国、(2)真相の究明、(3)容疑者(辛光 洙、 金世鎬、魚本公博)の引渡しを改めて強く求め、拉致問題に進展がなければ政府として厳しい対応を決断することになると改めて伝えた。これに対し北朝鮮側は、拉致問題は解決済みとの立場を維持したが、日本側が引き続き拉致問題を懸案事項として提起することは理解していると述べた。一方で、北朝鮮側は、日本の植民地時代の被害者の問題等「過去の清算」の問題に日本側が真摯に取り組むべきであると主張した。これに対し、日本側は「過去の清算」の問題については、日朝平壌宣言に従って、今後、誠実に協議していく用意があると説明した。さらに、今後の日朝関係全般を進展させるための協議の枠組みについて日本側から提案を行い、お互いに提案を重ねていくこととした。

 12月24日から25日に再び北京で行われた日朝政府間協議では、北朝鮮側が11月の協議における日本側の提案を受け入れ、(1)拉致問題等の懸案事項に関する協議、(2)核問題、ミサイル問題等の安全保障に関する協議、(3)国交正常化交渉-の3つの協議を並行して行っていくことで一致した。また、日朝双方は、拉致問題、安全保障問題など双方が関心を有する懸案の解決のため、誠意をもって努力し、具体的な措置を講じることを確認した。12月の協議の結果を受け、2006年2月4日から日朝包括並行協議が開催された。この協議において、最優先課題である拉致問題をはじめ、核問題、ミサイル問題等の安全保障問題に関し、日本政府の広範な懸念や要求を直接伝えたことには一定の意義があったが、具体的進展を得ることはできなかった。また、同協議の中で、国交正常化交渉も3年3か月ぶりに再開されたが、日朝平壌宣言に明記されている「一括解決・経済協力方式」 (注4) に関し、同方式が具体的に意味するところについて、北朝鮮側から正しい理解は得られていない。政府としては、引き続き「対話と圧力」の基本的考え方に立って、諸懸案の解決に向け、総合的に施策を講じ、粘り強く対応していく考えである。




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