第2章 地域別に見た外交


【韓国情勢】
<内政>
 2003年2月、国民の高い支持率を得て誕生した盧武鉉政権であったが、同政権の支持基盤の脆弱さなどもあり、世論調査における支持率は低迷した。このような中、盧武鉉大統領は、側近が2002年の大統領選挙において不法選挙資金を受け取っていたこと、大統領自身が2004年4月の総選挙における与党ウリ党の勝利を期待する旨述べたこと、韓国の経済不振等を理由に、2004年3月9日、野党であるハンナラ党及び民主党によって、弾劾訴追案を発議された。同訴追案が3月12日の国会本会議で可決されたため、憲法裁判所の弾劾審判における、最終決定が出るまで、盧武鉉大統領の権限行使は停止し、高建国務総理が大統領権限を代行することとなった。
 その後、2004年4月15日の総選挙の結果、ウリ党が49議席から152議席に議席を増やし(総議席数299)、第一党となり、ウリ党とハンナラ党(121議席)の二大政党制となった。初当選の議員は全体の約63%を占め、若手、いわゆる「386世代(注21)」の躍進が目立った。一方、この選挙では、2004年3月9日に選挙法が改正され選挙費用支出の透明化等により選挙運動が特に規制されたため、それに違反したとされる46名の現職議員が起訴された(注22)。裁判の結果、議員本人もしくは議員の親族等が基準以上の刑の宣告を受けることが確定した場合、当選無効刑が確定し、その議員の選挙区では、2005年4月30日に再選挙が実施されることとなっている。
 5月14日、憲法裁判所は、盧武鉉大統領に対する弾劾審判を「棄却」するとの決定を下した。これにより、同日、盧武鉉大統領は、職務権限停止を解かれ、約2か月ぶりに職務復帰した。憲法裁判所は、弾劾訴追で提起された三つの弾劾事由に関し、大統領の憲法遵守義務違反や選挙法違反は認定したが、弾劾に値するほど重要な事由はないとの判断を示し、また、側近不正及び経済破綻については弾劾事由にはあたらないとした。
 しかしながら、このほかにも、盧武鉉政権は、種々の内政上の課題に直面している。ソウルから忠清道地域への行政首都機能移転は、盧武鉉大統領の選挙公約であり、盧武鉉政権は、国家が均衡のとれた形で発展するためであるとしてこれを精力的に推進してきたが、11月21日、韓国憲法裁判所は、「新行政首都建設特別措置法」に対する憲法訴訟(注23)で、同法は違憲であるとの判決を下した。
 2004年3月に韓国で成立した「日帝強占下親日反民族行為真相糾明特別法」は、日本軍に属した韓国人等により行われた反民族行為につき調査することを目的とした特別法である。12月29日、国会にて、調査対象の時期、対象者の範囲等の拡大を図る同法の改正案が可決されたが、その際、日本との外交関係等を考慮し、同法の名称から「親日」が削除された。
 また、ウリ党は、改革の焦点である四大法案(国家保安法(国の安全を危うくする反国家活動を規制し、国・国民の安全を確保することを目的とする法律)廃止案、過去史基本法制定案(大統領直属の調査機関を設置し、戦後起きた人権侵害事件を調査する法律)、新聞法改正案(一部新聞による市場寡占を規制し、新聞界全体の健全な発展を図る法律)、私立学校法改正案(開放型の理事制として、教師・父兄の私学経営への参加・関与を保証する法律))の成立を目指してきた。2004年12月31日、新聞法改正案は国会を通過し、成立したものの、その他の3法案については、与野党間の合意に至らず、2005年に継続審議される予定となっている。特に、国家保安法の廃止に関しては、ウリ党は、同法が民主化運動抑圧に悪用されてきたこと、南北交流の増加傾向から同法の規定が現状に合わなくなってきていること等から、同法の廃止を主張している。一方、ハンナラ党は、南北間の軍事的な対峙状況の下、同法廃止は韓国社会を北朝鮮に対し無防備にする等の理由から、これに反対している。

<経済>
 2003年に3.1%に落ち込んだ韓国の国内総生産(GDP)成長率は、2004年前半には持ち直したものの、通年では当初見込まれた5%に届かないと予想されている。その原因は、経済の原動力である輸出の伸びが後半に入り鈍化したことなどにある。貿易収支は、2003年の150億ドルの黒字が2004年にはさらに294億ドルの黒字へと拡大した。特に、2003年に最大の輸出相手国となった中国に対し、2004年には対前年比42%増の498億ドルの輸出を記録した。失業率は3%台の低水準を維持しているが、統計に反映されない求職断念者の増加や失業者に占める青年層の多さに対する危機感が示されている。このように、マクロ経済指標は、一部IT企業の好況に支えられ表面的には悪くないものの、「雇用なき成長」現象による国内の景気低迷感は次第に高まっている。
 盧武鉉政権は、当面の景気浮揚を狙った1)マクロ経済状況の安定的管理、2)投資活性化による職場創出努力の重点的推進、3)庶民・中産層の所得能力の向上と生活改善を、また、中長期的な成長を狙った4)成長潜在力の拡大と経済システムの先進化、5)対外開放と経済協力の強化を、それぞれ主要な政策課題に掲げている。

<イラク追加派兵>
 韓国政府は、2003年10月にイラク追加派兵を決定し、同年12月には追加派兵規模を3,000名とすることを決定し、2004年2月に、国会が追加派兵の政府決定を承認した。同年6月、韓国政府は国家安全保障会議を開催し、派兵地域をイラク北部クルド人自治区のアルビルに最終決定し、同年8月より追加派兵部隊(ジャイトゥン部隊)(注24)をアルビルに派兵している。なお、派遣期限については2005年12月31日となっている。

<在韓米軍縮小及び再配置>
 米国は、在日米軍・在韓米軍(注25)を含む米軍の軍事態勢を、新たな安全保障環境により適合した形で見直す目的で、「世界的な米軍の軍事態勢の見直し(Global Posture Review)」を行っているが、2004年6月6日、米国は韓国に、「在韓米軍再編成に関する米側基本計画概要」を伝達した。韓国側は、本件概要に「12,500名の在韓米軍兵力を2005年12月まで縮小し、最終的な兵力規模は25,000名とすること、新たな武器システムを導入することにより、在韓米軍の主要な任務である朝鮮半島防衛にいかなる影響も与えないこと、米軍のグローバルな軍事態勢の見直しが完了すれば、朝鮮半島有事の際に他の地域からの米軍の投入能力が大きく向上すること」等の内容が含まれていることを発表した。同年10月6日、米国と韓国は、来年末までに12,500名の在韓米軍の兵力を削減するとしていたが、3年延長して、2008年までに段階的(注26)に削減することで合意した。
 また、2003年4月から、在韓米軍の統廃合(第2歩兵師団及びソウル中心部に駐屯する龍山基地(在韓米軍司令部等)の移転)、韓国軍への任務の移譲、在韓米軍の将来像、米韓連合軍、指揮関係のあり方等について米韓間で協議が続いている。




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