第2章 > 第7節 アフリカ
【総論】
アフリカは、豊富な天然資源や森林などの豊かな自然環境に恵まれ、発展への潜在力を有している。しかし、アフリカには紛争、難民、貧困、HIV/AIDS等の感染症といった現在の国際社会が直面する様々な問題の多くが集中しており、アフリカの開発と成長は思うように実現していない。日本は、アフリカ問題の解決なくして、国際社会全体の安定と繁栄はないと考えており、国際社会の平和・安定と繁栄の実現に向けて、アフリカの開発や紛争問題の解決に対して積極的な役割を果たしている。また、日本外交の重要な視点の一つである人間の安全保障の観点からも、様々な脅威に直面しているアフリカにおける取組を強化していくことは極めて重要である。
日本は、アフリカ開発会議(TICAD)プロセスにおいて、アフリカ諸国自身の自助努力(オーナーシップ)とこれを支える国際社会のパートナーシップの重要性を提唱してきた。この日本の開発哲学は、アフリカ諸国を含む国際社会で理解され、着実に根づきつつある。アフリカ自身が策定した開発戦略である「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」やアフリカのより強固な結束を目指すアフリカ連合(AU)の創設に見られるように、近年、アフリカ諸国自身が自分の力で問題の解決に努めようとする動きが見られている。このようなアフリカの前向きな動きに対して、日本を始めとする国際社会は支援に積極的に取り組んでいる。
【アフリカ問題と国際社会の取組】
〈アフリカ問題への関心の高まり〉
2002年には、メキシコ・モンテレーでの開発資金国際会議(3月)、G8カナナスキス・サミット(6月)、南アフリカでの持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット:8月末から9月初頭)といった開発問題に関連する一連の大規模な国際会議が開催されたが、これらの会議において、特に、様々な課題に直面しているアフリカの開発問題が主要な論点として取り上げられた。
このように国際社会のアフリカ問題への関心がこれまでになく高まった背景として、アフリカ自身の前向きな変化が挙げられる。
まず、2001年10月に、アフリカ諸国が初めて、自らの手で包括的なアフリカ開発戦略であるNEPADを策定し、国際社会より大いに歓迎された。また、2002年7月に南アフリカで開催された第38回アフリカ統一機構(OAU)首脳会議において、AUが発足したことも注目された。AUは、OAUを発展・改組したものであり、アフリカの一層高度な政治的・経済的統合の実現を目指す地域機関として、特に、平和・安全保障理事会が設けられるなど、アフリカにおける紛争予防・解決に向けた取組を強化している。
また、近年、アフリカの多くの国で複数政党制が導入され、民主的な選挙により選出された指導者が登場するなど民主化が進展したことも、先進国の積極的な関心を呼び込む追い風となった。例えば、2000年にはセネガル、2001年にはガーナ、2002年にはケニアで選挙による与野党間での民主的な政権交替が行われた。
さらに、アンゴラやシエラレオネで長く続いた内戦が終結したほか、コンゴ民主共和国の紛争解決に向けた合意が成立するなど、開発の妨げとなっていた内戦や紛争の解決に向けて大きな前進が見られたことも、国際社会のアフリカに対する期待感が高まっている要因の一つである。
アフリカ統一機構(OAU)からアフリカ連合(AU)への移行:機構面での比較
〈国際社会の取組〉
このようなNEPADの策定やAUの発足を始めとするアフリカの自助努力に対し、2002年には、国際社会からの支援を強化する動きが見られた。2002年6月のG8カナナスキス・サミットにおいては、2001年のジェノバ・サミットで策定された「アフリカのためのジェノバ・プラン」に基づき、G8アフリカ行動計画が採択された。これはNEPADに対する支援と協力の基礎となるG8としての対応策であり、G8がアフリカ開発のために重要であると認識する平和と安全、統治(ガバナンス)の強化等8分野におけるアフリカ支援の具体策を挙げている。今後、2003年6月のG8エビアン・サミットでは、この行動計画の実施状況を検討することになっており、アフリカの開発の進捗を見つつ、G8は適切に支援を行っていく考えである。
また、3月の開発資金国際会議の機会に、米国及び欧州連合(EU)は政府開発援助(ODA)の増額を発表したが、G8アフリカ行動計画では、アフリカ諸国が「良い統治」の実現等に努力する場合には、この増額分の半分以上がアフリカ諸国に向けられることとなり得るとされた。このように、各国ともミレニアム開発目標(MDGs)(注)の実現に向け、アフリカへの支援を強化している。
G8カナナスキス・サミットに際し、アフリカ諸国を交えて意見交換を行う各国首脳(6月 提供:内閣広報室)
【アフリカの政治情勢】
NEPADの策定やAUの発足といった前向きな動きはあるものの、アフリカでは、民族間の対立や深刻な貧困といった複雑な要因を背景として、依然として武力衝突や紛争が起こっており、それに伴う大量の難民・国内避難民の発生という問題も引き続き存在している。
〈東部地域〉
2000年に和平合意が成立したエチオピア・エリトリア国境紛争は、2002年4月の国境策定委員会による裁定を経て、実際の国境線確定に向けた作業がおおむね順調に進展している。1991年以来無政府状態の続くソマリアでは、2000年に発足した暫定政府と対立各派の間で武力衝突が続いたが、2002年10月、政府間開発機構(IGAD)の主導による和平会議が開始され、氏族間による停戦合意を経て、国家再建に向けた話合いが続けられている。ケニアでは12月に大統領選挙が平穏かつ民主的に実施され、建国以来初となる野党への政権交代が実現した。
G8アフリカ行動計画の骨子
サハラ以南のアフリカにおける主な紛争(2003年1月現在)
〈南部地域〉
1975年に独立して以来内戦状態が続いていたアンゴラでは、2002年2月の反政府勢力指導者の戦死をきっかけに急速に和平機運が高まり、4月には停戦が成立した。武装解除等の和平プロセスは順調であるが、長年の戦乱による荒廃からの復興、元兵士や難民・国内避難民の社会への再統合が課題となっている。ジンバブエでは、2000年から始まった性急な土地改革による経済危機及び社会不安を背景に、2002年3月大統領選挙が行われたが、野党支持者弾圧等により、農村部で圧倒的な支持を固めたムガベ現大統領が勝利した。英連邦諸国など国際社会は、法と秩序を遵守した土地改革の実施を求め、経済協力の停止及び政府高官の渡航禁止や資産凍結等の制裁措置をとっている。
〈中部地域〉
コンゴ民主共和国では、南アフリカを中心とした調停努力により、和平プロセスに進展が見られた。周辺国との関係では、2002年7月にルワンダとの間で、9月にはウガンダとの間で合意が成立し、コンゴ民主共和国に駐留していたルワンダ軍、ウガンダ軍の撤退が実現した。12月には暫定政権の設立につき、政府と反政府勢力との間で合意が成立した。ブルンジでは、12月、2001年のアルーシャ合意に基づき成立した暫定政府と最大の反政府武装勢力との間で停戦合意が成立し、和平に一定の進展が見られたが、残る一つの武装勢力との合意成立には至っていない。中央アフリカでは、10月に反政府武装勢力が首都バンギに侵攻し、政府側と一時交戦状態となった。この戦闘は中部アフリカ地域全体の安定にも影響するため、地域機関である中部アフリカ経済通貨共同体(CEMAC)が治安維持等のために軍を派遣している。
〈西部地域〉
シエラレオネにおいては、2002年1月、約11年にわたる内戦の終了及び武装解除の完了が公式に宣言されたのに続き、5月には大統領・国会議員選挙が平和裏に実施され、現職のカバ大統領が再選された。現在、国際社会の支援の下、同国における平和の定着と社会復興が進められている。コートジボワールでは、9月に反政府武装勢力による騒擾〔そうじょう〕事件が発生し、同国の北部・中部の主要都市が反政府武装勢力の支配下に置かれた。この危機に対し、フランスは2003年1月にパリ近郊において調停のための会合を主催し、和平合意が成立した。しかし、大統領支持派は同合意を受け入れておらず、なお混乱が続いている。
【アフリカの経済・社会情勢】
経済面では、アフリカの多くの国が一次産品に依存する経済構造から脱却できず、経済基盤は依然として脆弱〔ぜいじゃく〕である。アフリカは世界の人口の約10%を占めるが、国際社会全体の国内総生産(GDP)に占める割合は約1%、貿易全体の約2%にすぎない。また、アフリカの人口の約半分が、1日1米ドル以下の所得での生活を強いられている。
さらに、多くのアフリカ諸国では累積対外債務の返済が国家財政の大きな負担となっている。世界銀行、国際通貨基金(IMF)が認定する重債務貧困国(HIPCs)42か国中33か国がサハラ以南のアフリカに集中している。また、世界のHIV/AIDS感染者の約7割がアフリカに集中しており、社会・経済の全般にわたって大きな影響を及ぼしている。
このようなアフリカ諸国の経済再建、貧困削減を目指し、ドナー国・機関は世界銀行・IMF主導の構造調整計画を踏まえた支援を行っているほか、HIPCs向けの債務削減イニシアティブが進んでいる。
【日本外交の取組】
〈TICADプロセス〉
冷戦終結以降、長年にわたるアフリカへの援助疲れもあり、国際社会のアフリカに対する関心は低下し、アフリカ諸国は急速に進展するグローバル化の潮流から取り残されようとしていた。こうした状況の中、日本は、国際社会全体の平和・安定と繁栄を実現するためには国際社会が一致してアフリカ問題の解決に取り組むべきであると考え、TICADの開催を提唱した。
1993年、日本は、国連及びアフリカのためのグローバル連合(GCA)と共にTICADIを東京で開催し、アフリカ開発に関する東京宣言を採択した。その後、1998年にTICADIIを開催し、アフリカ開発の基本原則として、アフリカ諸国の自助努力(オーナーシップ)と国際社会のパートナーシップを打ち出し、この原則に基づいた包括的な行動目標である東京行動計画を採択した。さらに、2001年には、世界銀行を新たな共催者に迎え、TICAD閣僚レベル会合を開催した。同年、アフリカ諸国によりNEPADが策定され国際的に注目されたが、TICAD閣僚レベル会合は国際社会が一同に会してNEPADについて意見交換を行う初めての機会となった。
日本のアフリカ開発問題に関する取組(TICADプロセス)
(トピック:TICADとは?)
〈TICADIIIに向けた取組〉
TICADプロセスは、国際社会に対してアフリカ開発への関心を促す役割を果たしているほか、アジアとアフリカの協力を促す役割を果たしている。TICADプロセスが開始されて10周年に当たる2003年の9月29日から10月1日にかけて、東京にてTICADIIIの開催が予定されている。日本は、TICADIIIまでの期間を「対アフリカ協力飛躍の年」と位置づけており、2002年6月には、小泉総理大臣により、開発支援と平和の定着を日本の対アフリカ協力の両輪とする「日本のアフリカとの連帯-具体的行動-」と題する対アフリカ支援策が発表された。さらに8月、アフリカを訪問した川口外務大臣は、TICADIIIに向けて
アジア・アフリカ協力、
人間中心の開発、
平和の定着の3分野を重視していくことを表明した。
日本は、対アフリカ協力のパートナーシップの輪を広げるため、アジアとアフリカとの協力を推進している。これはアジアの発展の経験をアフリカ諸国と共有するというTICADの中心的な取組であり、農業、貿易・投資の促進や保健医療等の分野において様々な協力が展開されている。特に、アフリカ米とアジア米を交配させた「ネリカ米(NERICA)」は、病害虫に強く、収穫量も多いという特徴を有し、アジア・アフリカ協力の象徴として高く評価され、現在、その開発・普及が進められている。
また、日本は、国造りの基礎は人づくりにあるという「人間中心の開発」の考え方をあらゆる開発協力の現場で実践している。この姿勢は、いわゆる「人間の安全保障」の考え方にも通じるものであり、日本の対アフリカ協力の柱である。具体的な取組としては、教育、保健・医療、安全な水の供給の3分野でTICADII以降の5年間をめどに合計900億円の無償資金協力を実施しているほか、アフリカを含む低所得国に対して教育分野で2002年度から5年間で2,500億円以上の援助を行う予定である。
しかし、こうした開発努力が実を結ぶためには、アフリカの平和と安定の確保が不可欠である。日本は、平和の定着を実現するため、紛争の終結した国において、紛争当事者間の対話といった和平プロセスの促進、対人地雷問題への取組等の国内の安定・治安の確保、難民支援や元兵士の市民生活への再復帰等の人道・復旧支援を進めている。例えば、シエラレオネの元兵士の社会復帰のために、日本が国連に設置した「人間の安全保障基金」を通じた支援などを実施している。日本は、今後ともアフリカにおける平和の定着への支援を重視していく考えである。
〈日・アフリカ間の対話と交流の促進〉
川口外務大臣は、南アフリカにおいて開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)出席の機会をとらえ、8月26日から29日にかけてエチオピア及びアンゴラを訪問した。同訪問では、両国の要人との間で二国間関係、地域情勢等につき意見交換したほか、援助関係者との懇談、ODAや地雷除去の現場の視察を行った。エチオピアではアフリカ経済委員会(ECA)において、日本の対アフリカ政策に関する演説を行い、南アフリカでも、アフリカ各国の閣僚を招いた昼食会を開催し意見交換を行った。日本の外務大臣としては18年振りであった今回のアフリカ公式訪問は、ヨハネスブルグ・サミットを前にアフリカが国際的に注目されていた時期での訪問であり、日本がアフリカを重視しているとの姿勢を印象づけ、2003年のTICADIIIに向け、日本の対アフリカ外交に弾みをつけるものとなった。
また、首脳レベルでもアフリカ諸国との対話・交流が行われた。小泉総理大臣は、ヨハネスブルグ・サミットに出席するために、9月に南アフリカを訪問し、ムベキ南アフリカ大統領と首脳会談を行った。今回の訪問は、2001年1月の森総理大臣による現職総理大臣としての初のアフリカ訪問に続き、2年連続となる総理大臣のアフリカ訪問であり、日本のアフリカ重視の姿勢を示すものとして高く評価された。また、10月には、「良い統治」の実現に向け積極的に改革を進めているガーナのクフォー大統領が日本を公式訪問し、小泉総理大臣と首脳会談を行った。同会談ではTICADIIIに向けて両国が協力していくことが確認された。