第1章 > 3 > (1) 中東和平
【総論】
1991年のマドリード会議で開始された現行の中東和平プロセスは、パレスチナ、シリア、レバノンのどの交渉においても和平交渉が中断している。国際社会による努力にもかかわらず、2001年も交渉再開に向けた具体的な成果はなかった。
【中東和平をめぐる動き】
2000年9月末に発生したイスラエル・パレスチナ間の衝突は、3月のイスラエルにおけるシャロン政権発足後も沈静化の気配を見せず、暴力の悪循環が続いた。こうした事態の収拾に向けて、2000年10月に行われたシャルム・エル・シェイク首脳会談で設立された事実調査委員会が策定したミッチェル報告書(注1)が5月に米政府に提出されたのを受け、6月、パウエル米国務長官、テネット米中央情報局(CIA)長官がそれぞれ現地を訪問し仲介工作を行った。その結果、イスラエル及びパレスチナは、暴力停止のための治安協力(いわゆるテネット了解(注2))とミッチェル報告書の履行について同意したが、その後も両当事者間の暴力は止まらず、報告書は履行されなかった。
9月の米国での同時多発テロ後、アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長が停戦を宣言したことを受け、シャロン首相は、先制攻撃の停止とパレスチナ自治区からの軍の撤退を指示した。また、アラファト議長とペレス・イスラエル外相の会談が行われ、テネット了解とミッチェル報告書を履行することを再確認するなど、いったんは前向きな動きが見られた。しかし、10月、ゼエビ・イスラエル観光相がパレスチナ過激派であるパレスチナ人民解放戦線(PFLP)メンバーにより暗殺される事件が発生したのを契機に、イスラエル軍は西岸パレスチナ自治区の主要都市に侵攻するなど、再び事態は緊迫した。
米国は、中東和平の停滞がテロとの闘いに対する国際社会の連携に及ぼす影響を懸念し、11月に、パウエル国務長官が行った外交演説の中で、米国が中東和平へ積極的に関与するとの決意を表明し、その後、暴力の停止を目指した仲介努力を行うため、ジニ特使とバーンズ国務次官補を現地に派遣した。しかしながら、同特使の現地到着とほぼ同じタイミングで、パレスチナ過激派であるハマス、イスラム聖戦(PIJ)による自爆テロが連続して発生し、これに対しイスラエル軍は、西岸、ガザ地区のパレスチナ暫定自治政府(PA)関係諸施設に対する軍事行動を行うとともに、PAをテロ支援団体と認定した。また、アラファト議長を対話の相手としないという決定を行うなど、イスラエル政府とPLOとの間の交渉による解決をその精神とするオスロ・プロセス(注3)の存続自体が危ぶまれる状況に至った。
12月中旬、アラファト議長は、米国を始めとする国際社会からの強い圧力を受け、パレスチナ人に対し武装闘争停止を呼びかける演説を行い、呼びかけに従わない分子の取り締まり等を強化させた。しかしながら、依然として、パレスチナ過激派によるテロ攻撃は発生しており、イスラエルもこれに対し軍事行動を始めとする強硬姿勢で応えるなど、緊迫した状況が続いている。
シリアとの交渉については、1999年12月、ワシントンにおいてバラク・イスラエル首相とシャラ・シリア外相の間で約4年振りに交渉が再開したが、その後、交渉は中断している。2000年7月に就任したバッシャール・アサド大統領(アサド前大統領の次男)の下でも、交渉再開の目途は立っていない。
レバノンとの交渉に関しては、2000年5月、イスラエル軍が南レバノンから一方的に撤退し、国連は、国連安全保障理事会(以下「安保理」)決議425に従ってイスラエルが撤退したことを確認する安保理議長声明を発出した。しかしながら、シェバア村の帰属等をめぐって、イスラエルとレバノンの間には依然対立があり、南レバノンの武装抵抗勢力であるヒズボラとイスラエル軍の間で散発的に衝突が発生している。
【日本の取組】
日本は、中東和平問題が、中東地域のみならず世界の全体の平和と安定に直結すると認識しており、公正、永続的かつ包括的和平の実現を支援するための政治的、経済的な努力を行っている。イスラエル・パレスチナ間の衝突に対して、日本は、小泉総理大臣から書簡を発出し、また、田中外務大臣とペレス・イスラエル外相、アラファト議長、シャアスPA国際協力庁長官との間で累次にわたって電話会談を行ったほか、8月には杉浦外務副大臣が中東を訪問するなど様々な機会を通じて、両当事者に対して暴力の悪循環を断ち切り、一刻も早い交渉再開に向けて粘り強く努力をするよう働きかけた。また、地域周辺国とも和平進展の方途について協議を行った。
また、日本は、地域の安定のためにはパレスチナ人の自立が不可欠であると認識しており、1993年以降、累計6億ドル以上の対パレスチナ支援を実施してきている。特に、2000年9月末のイスラエル・パレスチナ間の衝突発生以来、パレスチナ人の窮状を緩和するために、医療、食糧、雇用創出等の緊急の必要性に応え、5000万ドル規模の支援を実施している。
さらに、1996年以降、日本は、ゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に要員を派遣するなどの人的貢献を行っている。
アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長と会談する杉浦外務副大臣(8月)
