昨年秋の第26回総会において,長い間の懸案であつた中華人民共和国の国連参加が実現した。
中華人民共和国という世界の人口の四分の一を占める核兵器国の参加により,国連は新たな転機を迎えたと思われる。第一に,国連の「普遍性」-国連が全世界的な機構としての実質をそなえること-の大きな前進は,それ自体国連の将来に新たな展望をひらくものである。第二に,従来国連の場で,米,ソ,および中小国の間に存在していた一種の均衡-それは,とりわけ政治問題に関する国連の審議をある意味でルーティン化,無気力化させる要因ともなつていた-を,中華人民共和国の参加がつき動かすことが予想されるからである。
他方,中華人民共和国の参加によつて,多極化,複雑化した国際関係の現実が,国連の場でも,より直接的に反映され,インド・パキスタン紛争に際してもみられた如く,大国間の意見の不一致が,そのまま国連の場に持ち込まれ,国連の審議を一層複雑かつ困難なものとすることが多くなるであろう。
このような転換期を象徴するかのように,1971年12月31日をもってウ・タン前事務総長が任期を終了して退任し,オーストリア出身のワルトハイム新事務総長が就任した。
1970年11月,第25回国連総会でいわゆるアルバニア決議案に対する賛成票が反対票を上まわつたこと,および文化革命の収束にともない中華人民共和国を承認する国があいついだことから,同国の国連参加の時期が近づいたとの認識が国際社会に出て来た(わが外交の近況第15号73頁参照)。
このような動きの中にあつて,米国をはじめわが国,オーストラリア,ニュージーランド,フィリピン,タイ等アジア・太平洋諸国を中心とした国々は,中華人民共和国の参加はもとより歓迎するとしても,それと入れ替りに中華民国政府の国連議席を奪うことは適当でないとの考え方に立つて,国連において適切な経過的措置を提唱すべく,国連内外において関係諸国と鋭意協議を行なつた。
他方中華人民共和国自身をはじめアルバニア決議案の共同提案諸国その他の諸国は,中国の唯一正統な代表は中華人民共和国であり,同国の国連参加にあたつては中華民国は国連から追放されるべきだとの立場を維持したので,1971年の第26回国連総会は,両者の活発な外交工作の応酬の中で幕を開けた。
同総会においては,中華人民共和国を中国の唯一の正統な代表として国連に参加させようとする諸国が多数を占め,中華民国の国連追放には「重要事項」として三分の二の多数決を必要とする旨決定しようという米国,わが国等の提案は少差で敗れた。かくして,10月25日の総会本会議は,中華人民共和国に国連代表権を与えることを決定し(この決定に先立つて,周書楷外相の訣別演説とともに中華民国代表団は議場から退場していた),中華民国は国連議席を失つた。
ひきつづいて,国連専門機関等においても,中国代表権問題がとり上げられ,国連教育文化機関(ユネスコ),国際民間航空機関(ICAO),国際労働機関(ILO)等において,次々と中国代表権が中華人民共和国に移されている(各説第4章第10節1.参照)。また国連食糧農業機関(FAO)は,中華人民共和国の招請を決定した(中華民国は加盟国ではなかつた。)
喬冠華外務次官を団長とする中華人民共和国代表団は,11月15日から総会(および安全保障理事会)の審議に参加した。当時,総会は,中華人民共和国代表団待ちで,大部分の議題が未消化のまま残っている状態であった。一方,安保理も中華人民共和国の参加を待つていたかのように,矢継ぎ早やに種々の問題をとり上げた(各説第4章第2節参照)。
総会や安保理での審議に参加した中華人民共和国代表団は,本年はその活動範囲を主として,政治問題に集中した。特に軍縮問題やインド・パキスタン問題に際して,極きわめて激しいソ連非難を行なつたのが一般の注目をあつめた。中小国が最も強い関心を持つ経済問題をとり扱う第二委員会には本年は参加せず,そのため,発展途上国をリードして先進諸国に働らきかける場面を作り出すようなことはなかつた。
いずれにしても,中華人民共和国の本格的な国連活動は1972年以降に展開されるものと考えられる。中華人民共和国は,中小諸国の味方として大国のヘゲモニーを打破していくことを宣明しており,またアジア・グループの一員として行動する旨明らかにしているので,その動向は米ソ(および英仏)はもちろん,同じアジアの国であるわが国やインド等の国連における地位にも大きな影響を与えることが予想され,さらに今後の国連の進路をも左右し得るものとして注目される。
他方,「わが外交の近況」第15号(74頁)で指摘したように,非同盟グループを中核とする,いわゆる中小諸国の団結にはまだまだ限界があり,とくに中華人民共和国の主張するような形での「超大国への挑戦」に対しては,かなりのためらい,ないし抵抗が予想される。また,中華人民共和国自身にとつても,協議と妥協の場である国際連合で,実質的に如何にして自己の主張を貫いていくか問題があるであろう。
1971年における国際連合の諸活動の中,最も世界の耳目を集めたのは,インド・パキスタン間の武力衝突にまで発展した紛争を収拾するための努力であつたと思われる(各説第4第2章節1.参照)。
しかしながら,インド亜大陸における武力衝突の停止,収拾のために,総会や安保理が採択した決議,また国連での審議の過程において示された国際世論の動向は,当事国,関係国-特に自国の国際的イメージに頼る国々-に無形の圧力を加えたことは否定できないところであろう。また今後の事態の収拾にあたつて,国連が何らかの役割を演ずることを期待されていることも忘れてはならないであろう。
軍縮問題については,かねて懸案となつていた生物兵器禁止条約案について,ジュネーブ軍縮委員会で成案が得られ,第26回国連総会は,これを推奨する決議を採択した。
経済,科学,社会,文化の側面での国連の活動も,着実につづけられ,1972年4月に開かれる第3回UNCTADの準備(第15節「南北問題」参照),同年6月の国連人間環境会議の準備(第17節「フロンティア外交の諸問題」参照),1973年の海洋法会議の準備(同上参照)がそれぞれ進捗を見た。
第26回国連総会はまた,経済社会理事会の議席数を現在の27から54に拡大し,同時にその機能を強化する決議を採択した。これは,経済開発問題に関して国連の演ずる役割の重要性が広く認識されたことを示すと同時に,時代の要請に応えて国連のあり方を再検討し必要ならばこれを改組していく動きの一環として大きな意義を有するものである(但し,経済社会理事会の議席数の拡大は,憲章の改正を必要とするので,その実現には,なおかなりの時日を要すると考えられる)。